008
ゲーム内で、ラスボスについて語られる機会はあまりない。
悪役令嬢であるヴィヴィアンに対して、兄のルーファスは話がわかる相手として登場する。しかし実は彼が、妹や王都で起こる事件の犯人たちを煽っていた黒幕だった。
筋書きでは、それだけである。
何故彼が闇の化身になったのかまでは明かされないのだ。
どうしたらいいんだろう……。
できるだけ筋書きからは離れたくなかった。
仮に僕がラスボスにならなかったら? 世界の敵である「闇」がどうなるのか、全く想像がつかない。
だったら目に見える形で倒されるのが一番確実だろう。
だから僕は、死ななければならないと思ったのに。
生きていられる可能性があるなら、それを喜ぶべきだ。
だけど突然迷子になってしまったようで、気持ちは晴れなかった。
「なぁ、なんか睨まれてるんだけど」
「睨まれてる?」
いけない、今は殿下が遊びにきているんだ。余計なことを考えるのはよそう。
僕たちは乗馬の準備を終え、これから庭へ出るところだった。
ギュッと繋いでいる手に力を込められて、殿下の視線を追う。
「ヴィー? 部屋にいないとダメだろう?」
視線の先には、ドアに体を隠しながら、こちらにキツい視線を向ける妹の姿があった。
編み込みの上にコサージュを付けたヴィヴィアンは、今日も可憐に白のワンピースを着こなしている。
殿下へ挨拶をした後、部屋に戻っているはずの妹の姿に、ヴィヴィアン付きの侍女はしきりに頭を下げていた。どうやら言うことを聞かなかったみたいだ。
「わたくしはお兄様が心配なのです! 何でよりによって、その方と二人っきりなんですの!?」
「殿下の侍従や護衛もいるから、二人っきりじゃないよ」
侯爵家の屋敷ということもあり、護衛の人数は最低限に留められているものの、殿下が一人で行動することはあり得ない。
「侍従や護衛は数に含みません! それに手をお繋ぎになってるじゃありませんか! 危険ですわ!」
「大丈夫だよ。殿下とは仲直りしたって言っただろう? それよりヴィー、部屋に戻らないと母上に叱られるよ」
デビュタント前に異性交流を持つことは、貴族社会では推奨されていない。
社交界のマナーにうるさい母上にバレたら、ヴィヴィアンが叱られることは必至だ。
「でも……!」
「キーキーとうるさい」
尚も言い募ろうとしたヴィヴィアンに答えたのは殿下だった。
彼女の目尻が、より一層釣り上がる。
「あなたが問題なのです! 今すぐお兄様から手を放しなさい!」
「何でオレがオマエなんかに命令されなくちゃならないんだ。オレはルーファスがどうしてもって言うから、来てやったんだぞ!」
見せつけるように殿下が腕まで絡ませてきたところで、ヴィヴィアンはドアから離れて全身を現した。
すかさず空いていた手を、彼女に取られる。
「よくもまぁ、お兄様の顔を傷付けておきながら偉そうに! 第一、お兄様はわたくしのお兄様でしてよ!」
「あ、あれは、わざとじゃない! ルーファスは、オレと遊ぶんだ! オマエこそ手を放せよ!」
どうしよう。
二人を宥めないとという気持ちと、もう少しこのままでもいいかな、という気持ちがせめぎ合う。
それぞれの手に、二人の温もりが伝わっていた。
天国は、ここにあったんだ。
「お兄様、言ってやってくださいまし!」
「ルーファス! このうるさいのを黙らせろ!」
しかし無情にも、決断のときはすぐにやってきた。
らちがあかないので、名残惜しいけれど、二人からそっと手を引く。
「「あ……」」
同時に声を漏らす様子には笑みが漏れた。顔には出ないけど。
仲が良いのやら、悪いのやら。
「ヴィヴィアン、僕は君の兄だ。だからこそ、今は部屋に戻るように言うよ」
「お兄様……」
「それにヴィーとは、殿下が帰った後でも、一緒にいられるだろう? 兄妹なのだから」
「……じゃあ後でわたくしとコサージュを選んでくださる?」
「いいよ、明日のお茶会のかな?」
「えぇ! 約束ですわよ!」
異性交流はよしとされていないけれど、同性間の友達付き合いについては、デビュタント前でも頻繁におこなわれる。
殿下も、同じ年の男の子とは交流があるはずだった。
「ふんっ、オマエなんか何を付けても見劣りするだけだ」
「殿下、お言葉が過ぎます。妹の失礼は謝りますが、妹を貶められたら、僕も傷付きます」
「ルーファスには言ってないだろ!」
「同じです。殿下だって、陛下や王妃様を悪く言われたら悲しいでしょう?」
「……」
「同様に、妹の悪いところも僕が責任を取ります」
お兄様!? とヴィヴィアンの僕を呼ぶ声が聞こえるけど、僕は殿下から視線を逸らさなかった。
「……いい、オレも言い過ぎた」
「寛大なお心に感謝致します」
「そういうかしこまったのは嫌いだ。……おい、悪かったな!」
前半は僕に、後半はヴィヴィアンに向けて、殿下は言い放つ。
態度は横柄なままだったけれど、殿下の気持ちはしっかりとヴィヴィアンにも伝わった。
「わ、わたくしのほうこそ、言い過ぎましたわ……ごめんなさい……」
殿下が頷くのを見て、自分で謝ることができたヴィヴィアンの頭を撫でる。
その後、彼女は侍女と手を繋いで、自室へと戻った。
もしかしたら自分だけのけ者にされたようで、寂しかったのかもしれない。
ヴィヴィアンを見送ると、殿下がポツリと言葉を漏らす。
「オレも白にすればよかった」
「何がです?」
「ズボン! アイツの服と、ルーファスのズボンはお揃いなんだろ?」
指摘されるまで、特に気にしていなかった。
確かに今日、僕は白のズボンに黒のブーツという出で立ちだ。
乗馬用の服装だったけど、ヴィヴィアンが色を合わせてくれたのか。
妹の気遣いにほっこりする。
「それに……オレのことも名前で呼べよ!」
「アルフレッド殿下と?」
「アルフレッド!」
呼び捨てにしろと。
流石に敬称を付けないのは不敬じゃないかと思うものの、本人が望んでいるだけに悩ましい。
……公式の場じゃなかったらいいかな?
「アルフレッド、他の方の前では、殿下とお呼びしますよ」
「う、うん、許す!」
手を繋ぎ直され、赤髪の天使に頬の染まった笑顔を向けられて、目眩がした。
いけない。
このままだと闇の化身に関係なく、萌え殺される。