041
アルフレッドの命令に護衛は戸惑いを見せたものの、すぐに臣下の礼を取った。
片膝をつく護衛を、エリックが見張る。
部屋の外に人が集まっている気配がするものの、アルフレッドが命じたのか、新しく中に入ってくる者はいなかった。
危険だ。
もし、今の僕がアルフレッドを人質に取ったらと、ぞっとする。
けれど幸い、部屋に飛び込んできた面々は、すぐ僕に近寄ったりしなかった。
皆、一様に僕を見て愕然としている。
ヴィヴィアンに至っては、目に涙が浮かんでいた。
「そんな、お兄様、お食事はとられていたでしょう?」
「だ、大丈夫なのかよ?」
部屋にこもるようになってから、鏡を見た記憶はない。
今の僕は、一体どんな姿をしているんだろう?
ベッドの上で、僕が手を伸ばす。
「ヴィヴィアン、顔をよく見せてくれ」
何をする気なのか。
ただ彼らを僕に近づけるのは危険だと、頭の中で警鐘が鳴り響く。
「お兄様……」
「ヴィヴィアン、待て」
僕の姿に困惑しながらも、足を進めようとするヴィヴィアンをアルフレッドが止めた。
「オレが行く」
ダメだ!
僕に近付いちゃダメだっ!
必死に叫ぶ。
大きく口を開けて、お腹に力を入れて。
でもどれだけ叫んでも、僕の願いは声にならない。
「アルフレッドでもいいよ」
そうしてアルフレッドは、僕に手招かれた。
「ルーファス……」
「アルフレッド、近くに」
「ルーファス……お兄様……」
「もっと、近くに」
カーテンが閉められ、薄暗い部屋の中を、アルフレッドはゆっくり歩く。
見える彼は、今にも泣きそうになっていた。
抱き締めて、頭を撫でててあげたい。
けど今は、少しでも僕から離れて欲しかった。
その願いも叶わない。
ヴィヴィアンたちは固唾をのんで、僕とアルフレッドを見守っている。
アルフレッドがベッドの端までやって来た。
それでも、体を起こした僕からは、まだ手が届かない。
「さぁ、近くに」
「ルーファス……っ」
アルフレッドの目から涙がこぼれる。
口が震え、全身がわなないていた。
アルフレッドが叫ぶ。
「ルーファス、オマエは、誰だっ!?」
一瞬で、部屋に緊張が走った。
けれど僕は取り繕う。
「僕はルーファスだ」
「嘘をつくな、オレは騙されないぞ! ヴィヴィアンだってわかってる!」
アルフレットの反応に、僕は立ち上がろうとする。
――気付かれた。
気付いてくれた!
――何故だ、何故気付かれた。
うるさい、黙れ! アルフレッドは気付いてくれたんだ!
次に叫んだのは、ヴィヴィアンだった。
「誰ですの!? お兄様の体から出ていきなさい!」
「ルーファスから出ていけ!」
「ルーファスお兄様の体は、ルーファスお兄様のものです!」
「ルーファス……!」
最後にはエリックまでが叫ぶ。
――何故だ、何故こいつらは騙されない。
「アルフレッド、机にペーパーナイフがある! 光属性を付与してくれ!」
僕が、叫んでいた。
「皆は部屋から出るんだ! アルフレッドも、僕には近付くな!」
「ルーファス?」
今、短剣はこの部屋にない。昨夜、また僕が窓から放り捨てたからだ。
様子が変わった僕に、アルフレッドのルビーのような瞳が揺れる。
「早くしろ! ヴィーたちも、今すぐ部屋を出ろ!」
「でもお兄様……!」
「わけは……わけは、父上が説明してくださる。早く!」
後で説明するとは言えなかった。
それでも、と全員を急かす。
ただ事ではないと感じたのか、アルフレッドがペーパーナイフを手に取る一方で、護衛がヴィヴィアンたちを外に出してくれる。
一瞬、部屋が光りで満ちた。
アルフレッドが魔法を使ったんだ。
「ルーファス、できたぞ!」
「アルフレッド様、自分が運びます」
僕の意図を汲んだエリックが、光属性を付与されたペーパーナイフを受け取る。
「ベッドサイドの机に置いてくれ」
「わかった」
エリックの動きを見つめる中、ふと胸にある硬い感触に気付く。
ペンダントだ。
ウッドワード家の、盾のエンブレムが入ったペンダント。
不安なときは、これを触るのがクセになっていた。
今になって気付いたそれを外す。
「アルフレッド、今から投げるものを受け取って欲しい」
「うん! これは……?」
弧を描くペンダントを手にしたアルフレッドが、エンブレムに気付く。
「ヴィヴィアンに渡してくれないか」
「ルーファスは、どうするんだ?」
「僕はこれから、やらないといけないことがある」
エリックがペーパーナイフを置くのを見て、アルフレッドと外に出るよう頼む。
「嫌だ! オレは残るぞ!」
「ダメだ。エリック、頼む」
「……わかった」
これからすることを、アルフレッドには見せられない。
ゲームとは、違うんだ。
「エリック、放せ! オレの命令が聞けないのか!?」
「今は聞けません」
「エリック! ルーファスっ、嫌だ、お兄様……!」
エリックがドアを閉めるのを見届ける。
ごめん、アルフレッド。
ごめん、皆……きっとお見舞いに来てくれたんだよね。
こんな別れになって、ごめん。
体を叱咤し、ベッドから這い出る。
どうやらずっと横になっていたせいで、体力が落ちているようだった。
取り返しても思うように動かない体を引きずって、ドアに背中を預ける。
これで、すぐには誰も入ってこられないはずだ。
息が切れる体を少しだけ休ませる。
……気付いてくれた。
彼らが気付いてくれたから、体を取り戻せた。
もしかしたらゲームのルーファスは、気付いてもらえなかったのかもしれない。
何にせよ、もう終わりだ。
僕が、終わらせる。
手には、ペーパーナイフがあった。
短剣には及ばないけど、切れ味は鋭い。
手紙の封を切るのは、楽しかったんだけどなぁ。
震える手でシャツのボタンを外し、前をはだけさせる。
ペーパーナイフを握る手の震えが止まらなくて、情けなさに笑いたくなった。
けどきっと、今も僕は無表情なんだろう。
それでいい。
醜い顔では、死にたくなかった。
父上に罪悪感を残す顔では死にたくなかった。
死にたくない。
本当は、死にたくなんてない。
生きて、彼らと一緒に過ごしたかった。家族と、過ごしたかった。
ヴィヴィアンやアルフレッドたちと高等学院に通いたかった。
彼らの制服姿が素敵なのは知ってるから。きっと、凄く可愛く見えると思うんだ。
でも、ゲームとは違う。
ゲームと同じにはさせない。
だから、この手で終わらせる。
深く息を吐き、震える右手に左手を添えた。
狙うのは心臓。
確か左胸にあったはず。
改めて明確な意識で見下ろす体は、細く小さかった。
こんなに小さかったかな? と思ってしまうのは、前世の記憶のせいだろうか。
小さな胸に、刃を立てる。
一突きでいこう。
失敗なんてしたくない。
もう二度と、無力感に苛まれるのはごめんだ。
今は鎮まっている「怨」が、また動き出す前に。
死にたくはない。
けど、それ以上に。
父上をあんな風に弱らせる「怨」に、僕は負けたくなかった。