028
事件といっても、一人の少年が僕らの前に飛び出してきただけなんだけど。
ただ顔を真っ青にしている店主のグラムさんにとっては、正真正銘、事件かもしれない。
オリーブ色の髪に、タレ目がちな少年の顔には、見覚えがあった。
六年後にはその甘いマスクと口で、女の子たちを虜にしそうな……今は思いっきり敵意を剥き出してるけど、テディってこんなキャラだったっけ?
攻略対象の最後の一人である、ゲームのテディを思いだす。
学院ではいつも女の子を侍らしてる軟派な性格。でもその実、彼女たちを実家の客にしか見ていない――要は財布だと思っている――冷淡な一面がある。
本人も自覚していて斜に構えているんだけど、女の子に優しいところは地だと主人公に看破されて、次第に彼は心を開いていく。
他の攻略対象よりもエッチなイベントシーンが多くて、「歩く一八禁」とファンには呼ばれていた。
うん、ヴィヴィアンは近づけないようにしないと。
「無礼ですよっ」
「も、申し訳ございません!!!」
僕が考え事をする一方で、ヴィヴィアンは驚きに身を固めていた。
その中で、真っ先に反応したのは、荷物を持つ侍女だった。
彼女の言葉に、グラムさんがテディの頭を押さえ付けながら、大きく頭を下げる。
貴族になったばかりの男爵家の人間が、王家と並んで歴史ある侯爵家の前に、乱暴な物言いで立ち塞がったと考えれば、さもありなん。
大人だったら大問題になる。
しかし幸いにして当事者は子ども。心象が悪くなったとしても、夜会のときと同じく、問題として取り上げられることはないだろう。
大丈夫だよ、とヴィヴィアンの背中を撫でて緊張を解す。
そして顔を真っ青にしているグラムさんにも、同様に声をかけた。
「お心遣い、痛み入ります」
「……迷惑をかけられたのは、こっちだぞ」
「テディ!」
ふてぶてしいテディを、グラムさんが叱咤する。
僕はテディの態度に首を傾げた。
彼にとって、僕らは実家に金を落とす財布だ。ゲームの彼なら、笑顔で実家を宣伝こそすれ、敵対行動を取るなんてあり得ない。
まだ幼いから、損得勘定ができていないだけだろうか。
「なら迷惑をかけたお詫びをしよう。家でお茶でもどうかな?」
これも縁に変わりはない。
何事もなく別れてしまうのは勿体ない気がして、僕はテディを家に誘った。
そろそろ帰らないと店前に停めてある馬車が邪魔になるし、時間通りに帰らなければ、父上や母上に余計な心配をかけてしまいそうだった。
僕の誘いに、グラムさんが壊れた人形のように首を上下に振りながら答える。
「ぜ、ぜひっ!」
「父ちゃん!?」
僕としては提案したつもりだったんだけど、よくよく考えれば侯爵家からの誘いを、男爵家が断れるはずがなかった。
◆◆◆◆◆◆
グラムさんに見送られて馬車に乗ったテディは、先ほどまでの勢いをなくし、目に涙を溜めていた。
……早くも僕は、失敗したかもしれない。
そうだよね、いきなり見知らぬ場所に送られたら、不安になるよね。
ホームとアウェーでは心理的負担が大きく変わる。
売られた子羊のようなテディに、ヴィヴィアンもおろおろしながら気遣わしげに声を掛けた。
「我が家のお茶は、とても美味しいですわよ?」
「……」
「お、お茶請けも名店の焼き菓子から、我が家のシェフ手製のデザートまでたくさんの種類がありますし!」
「……」
テディは今にも泣きそうだ。
涙をこぼさないよう、拳を握って我慢しているところに、心の強さを見る。
けど泣かない一心で頑張っているせいか、ヴィヴィアンの声は届いていないようだった。
結果、ヴィヴィアンは無視された形になるけど、テディのあまりに悲壮感溢れる様子に、怒るどころか一緒に眉根を落としている。
「すまない、僕が浅慮だった」
ただ話がしたかったんだ。
それが、こんな風にテディを追い詰めることになるなんて……。
今までは――と振り返ったところで、改めて自分の失敗に気付く。
アルフレッドは王家で、イアンは侯爵家。
エリックは子爵家だけど、父親が騎士団長を務める家柄で、本人も近衛隊長候補だ。
片やテディの家は、男爵位を授けられたばかりの新参者。
家格差が、あり過ぎる。
わかっていたことなのに、店では気が強そうだったから、エリックと同じように会話ができると思っていた。
今までは、難なく接することができていたから。
けど一人になって、頭が冷えたテディは違う。
彼は今になって、自分の父親が顔を青くしていた理由に思い至ったんだろう。
僕も察するべきだった。
侯爵家が、畏怖される存在であることに。
ウッドワード家だからとか、僕個人のことは関係なく。
平民に近い立場の者から見れば、身分差に戦くには十分な爵位なんだ。
テディの反応こそ、普通で。
簡単に考えた、僕が甘かった。
どうしよう、怖がらせる意図なんてなかったのに。
これってあれだよね、僕がテディに爵位の違いを思い知らせるために、家に招いた形になってるよね……。
手をこまねいている内に、馬車が屋敷の門に到着する。
ウッドワード家の敷地は広く、門に着いたからといって、馬車から降りることはない。
庭師によって管理された、青々とした草木や色とりどりの花に出迎えられながら、屋敷の玄関先まで馬車に揺られる。
前世の価値観だと、それをどう感じるだろう。
自分の失言で、大富豪の邸宅に一人で招かれたら。
うん、泣く。
大人でも泣く。
社会的に殺される自分を想像して、絶望する。
今、正にその心境であるテディは、俯いて馬車の床から視線を外さない。
馬車が動きを止めても、一点を見つめたままだ。
テディの様子に、ヴィヴィアンと目を合わせるけど、馬車を降りないわけにはいかなかった。
エントランスでは、僕らを出迎えようと、執事や侍女たちが待機しているからだ。
無事に帰ったことを知らせるために、僕が先に降りてヴィヴィアンをエスコートする。
その後、テディは見かねた侍女に手を引かれて、馬車を降りた。
地面に足を着け、テディは屋敷を見上げる。
そして一筋の雫が彼の頬を伝ったかと思うと、気を失った。