025
「ずっと?」
「挨拶してから、一言も話さないんだ」
アルフレッドが相手だから?
けれど返事ぐらいしそうなものだ。
ソファには座らず、アルフレッドの傍で片膝をつくエリックを見る。
僕が気にしているのが伝わったのか、アルフレッドとイアンも彼に視線を集中させた。
「ルーファスお兄様、くすぐってみたらどうでしょう?」
イアンの提案に、エリックが肩をビクッと弾ませる。
そこまでする必要はないよ、と言う僕の隣で、アルフレッドは首を傾げた。
「くすぐ……? って何だ?」
「体をくすぐるんですよ。もしかして、アルフレッドは知らないんですか?」
「し、知ってるぞ! 体をくすぐるんだろ!」
「それは今、ぼくが言いましたよね?」
アルフレッドの反応を見たイアンが、指をわきわき動かす。
どうやらアルフレッドは、くすぐられたことがないらしい。
幼児期に経験して、記憶が残っていないだけかもしれないけど。
「な、何か嫌な予感がするぞ……」
「試してみるのが一番早いですよ。ねぇ、ルーファスお兄様?」
そこで話を振られても。
しかし僕が答える前に、イアンはアルフレッドへと飛びかかった。
「こちょこちょこちょー!」
「うわっ、やめっ……ひゃう!?」
アルフレッドもイアンから逃げるため、僕から離れる。
二人に挟まれる圧がなくなって、やっと僕は人心地がつけた。
ソファの端では、アルフレッドがイアンの容赦ない責めに涙目になってるけど。
「やぁっ、ひっ、ひぃーっ」
どこかのタイミングで助けようと思いつつも、二人の様子は子犬がじゃれているようで微笑ましい。
傍にいるエリックも、今すぐ主を助け出すべきか悩んでいるようだった。
「エリック」
「はっ、ルーファス様、くすぐるのだけはご勘弁を」
僕の呼びかけに、エリックが後ずさる。
するつもりはなかったけど、そういう反応を見せられると嗜虐心が刺激されるからやめて欲しい。
「喋らないのは、アルフレッドの前だからか?」
「いえ、これは……父から、口は災いの元と言われたので」
それは夜会での一件でだろうか。
僕が問う前に、エリックが答える。
「ルーファス様にもご迷惑をおかけし、自分も反省することが多くありました。だから不用意に口を開くのはやめようと決めたのです」
「……伯爵家からも何か言われた?」
「……」
沈黙が答えだった。
あの場で、エリックは伯爵家の少年を否定した。僕からすれば、悪いのは少年のほうなんだけど、彼の言い分は違うだろう。
貴族社会では、下の者は上の者に逆らえない。
これこそ王妃様が憂いておられる上流階級の横暴なんじゃないか。
そう思うものの、僕にできることはなくて歯がゆい。
口を閉ざしたのは、エリックなりの処世術なんだ。
でも。
「エリックさえ嫌じゃなければ、僕の前では話して欲しい。僕はエリックの声が好きだ」
もう声変わりを終えたのか、エリックの声は低く、同年代の誰よりも落ち着いていた。
ゲームの十八歳のときは、もう少し低かった記憶があるけど、今のエリックの低音も安らぎを与えてくれる。
「しかしまたご迷惑をおかけするかも……」
「構わない。それに気心の知れた仲間内なら、勘違いはその場で正せるだろう?」
別にケンカしたって構わないんだ。
互いの人となりを知っていれば、またわかり合えるんだから。
「ルーファス様は、どうしてそこまで自分を気に掛けてくださるのですか」
「好きだから、じゃダメか?」
ゲームで前情報を知っているのもあるけど、今の僕がアルフレッドやイアン、エリックに持っている好感は、ルーファスとして得たものだ。
実際に会って、どんな人かを知って、好きになった。
エリックも最初は行き違ったけど、最後には僕のことをわかってくれた。
そして貴族社会では、自分の非を認められる人の貴いことを、僕は痛感した。
「君は素晴らしい人だ」
反省をして前を向く。当たり前のように思えるけど、それが出来ない人もいるんだ。
ソファから離れてエリックの顔を覗き込む。
手を伸ばして頬に触れても、彼は拒絶しなかった。
「生憎、それ以外に理由がない」
「……あの、また勘違いしそうなのですが」
「どんな風に?」
「ルーファス様に、自分は、好かれているのだと」
「勘違いじゃないが?」
今しがた好きだからと言ったばかりだ。
僕の手から体温が伝わったのか、じわじわとエリックの頬が赤みを増していく。
「僕はエリックのことが好きだ」
「うぁっ……」
僕が覗き込んでいたのが悪かったのか、エリックはバランスを崩して尻餅をついた。
空かさず腕を引いて起こそうとするものの、後ろからも助けを求める声が聞こえてくる。
「ひぁっ、イアン、やめっ……! もう、あっ、ひっ……ひぃんっ、たすけっ」
何だか聞いてはいけない声のような気がして、エリックには悪いけど、僕はまずアルフレッドの救出に向かった。
「イアン、そこまで」
背中から手を回して、小柄なイアンを起こす。
その下ではすっかり頬を上気させたアルフレッドが、半泣きになっていた。
「一方的にやったらダメだろう? アルフレッドも、仕返せばいいのです」
「すみません、ミアお兄様相手だと負けることが多いので、ついやり過ぎてしまいました……」
悪気はなかったらしいイアンが項垂れる。
アルフレッドは涙目ながらも居住まいを正すと、指をわきわきさせた。
「そうか、やり返していいんだな。お兄様、イアンを放すなよ!」
「えっ!? 待ってください、アルフレッド! 謝りますから……!」
「問答無用だ!」
馴れていないアルフレッドを、くすぐり続けたイアンも悪いかな?
僕は言われたままイアンをホールドした。
「覚悟しろよ! こちょこちょー!」
「ちょっ、ルーファスお兄様! ひっ、ひぅっ、アルフレッド、待って、ごめんなさっ」
少ししてイアンを解放すると、二人はソファから落ちて床を転げ回る。
今度は一方的ではなく、互いの攻防が激しい。
「うひっ、ま、負けないからな!」
「ぼ、ぼくだって……あひゃ、ひゃははは」
楽しそうで何よりだ。
僕はエリックと二人で、年少組のじゃれ合いを見守った。