022
短い深緑の髪が項垂れている。
話がややこしくなりそうだから、タイムには会話していた少年と、その場に残ってもらった。
僕の視線に気付いたのか、エリックが顔を上げる。
目が合うと驚かれたけど、話したいのは伝わったようで、エリックは壁から背中を離すと姿勢を正した。
改めて、エリックの体格の良さを実感する。
彼は同い年の誰よりも背が高かった。
もう少しでエリックに辿り着く。
というのに。
こんなときに限って、邪魔が入った。
行く手を阻んだ子に見覚えはないけれど、背格好から同い年だと推測する。
「エリックには近付かせないぞ! 死神の子め!」
「仕返しにきたのか!」
相手は一人じゃなかった。
僕に反感を持つ子が集まっていたようで、四方から無遠慮な声が届く。
その数は、次第に多くなった。
「エリックは正しいおこないをしたんだ!」
「そうだ! 魔力がないクセに、偉そうな顔すんな!」
〈私も子どもの頃は、よく魔力の少なさを嘆いたものだ〉
ふいに父上の言葉が蘇った。
父上も、ずっと同じ悪口を言われていたんだろうか。
闇の化身にならないよう「怨」を封じるためと知らないまま。
そして事情を知ってしまえば、国を守るために我慢するしかない。
やりきれない話に頭が痛くなる。
けれど平静を保てたのは、無遠慮な子どもたちの奥で、エリックが慌てていたからだ。
子どもたちの声に混じって、待て、違う、といったエリックの制止が聞こえてくる。
彼にとっても、この事態は予期せぬものだったらしい。
エリックとなら、まだわかり合える。
その確信が、僕の心を落ち着かせてくれた。
「僕はエリックと話したいだけだ」
「うそつけ! そう言って、エリックを脅す気なんだ!」
「皆、お前がしたことは知ってるんだぞ!」
これは、あれだろうか。
ミアさんが言っていた通り、タイムとのことが曲解されているんだろうか。
高等学院の外では大人しいと聞いたけど、彼らは入学すらしていない。
兄や姉から聞いたことを、そのまま口にしているんだろうなとあたりをつける。
幼い。
貴族の生まれにしては、直情的でとても幼い行動だった。
けれど、もし彼らが兄姉に煽動されていたら話は別だ。
デビュタントしたばかりの子なら、無礼も許されると企てられたものだったら。
考え過ぎかな?
今はそれより現状をどうにかしないと。
幸い、味方もいる。
僕は深呼吸すると、彼らに問うた。
「真実はどこにある?」
普段より声が大きくなるよう意識する。
そして一人一人と目を合わせていった。
目が合った子から、口を閉じていく。
集団では強気な彼らも、個になった途端、弱気になった。
それでも彼らは正しいことをしているつもりだ。
なら僕も、正しさを証明しよう。
「真実は、彼にある」
僕に近づけないでいた唯一の味方、エリックに手を向ける。
周囲の視線が僕からエリックに移ると、彼はようやく人垣をかき分けて、僕の前に姿を現すことができた。
「自分は、ルーファス様と話がしたい」
「僕もだ」
ようやく言葉を交わて、ほっとする。
エリックも僕と気持ちが同じなのは、彼の目が語っていた。
けれど納得できない一人の少年が声を上げる。
「エリックは脅されてるんだ!」
「違う! ルーファス様は自分を脅してなどいない!」
すぐさま当人に否定された少年は、目を見開き、唇を震わせた。
「この……裏切り者っ!」
その少年が何かを投げる。
僕はそれがぶつかる音を、間近で聞いた。
「っ!?」
「エリック!?」
少年は、ジュースの入ったグラスを投げたのだ。
しかも当たった場所が悪かったようで、エリックの顔からジュースと一緒に血が滴る。
場が騒然となった。
「誰か医者を呼んでくれ! エリック、大丈夫か?」
「大丈夫です……ルーファス様、服が汚れます」
「そんなこと気にしている場合か!」
エリックを仰ぎ見ながら、持っていたハンカチで傷口を押さえる。
早く手当しないと。
気持ちが急くものの、どうしたらいいのかわからない。
「ルーファス」
喧騒の中でも、しっかりと耳に届いた低い声に顔を上げる。
「父上っ、エリックが、ケガを……」
「わかった」
狼狽する僕に対し、父上の行動は早かった。
エリックを抱き上げ、歩き出す。
僕は慌てて後を追った。
◆◆◆◆◆◆
父上が向かったのは、休憩室だった。
社交の場では、体調を崩した人が休めるように、部屋が設けられていることが多い。
医者も待機していたのか、すぐに駆け付けてエリックの手当をしてくれた。
「出血ほど傷は深くありません。二、三日もすれば塞がります」
その言葉に安堵する。
「大事がなくて良かった」
「ルーファス様、申し訳ありません。元はといえば、自分が間違いを……」
「タイムから聞いた。勘違いが重なったのだろう? 僕は気にしていない」
タイムの反応を見誤ったのは僕も同じだ。
あのときのことを素直に白状すると、エリックは苦笑して視線を床に落とした。
治療のため、椅子に座っていたエリックのつむじが見える。
「自分は、その前から間違っていたようです。ルーファス様のことをよく知りもせず……先ほどの騒ぎで肝が冷えました。自分も彼らと同じだったのかと」
タイムの前では、エリックも彼らと同じだった。
正しいおこないをしているつもりだったのだ。
少し前の自分を客観的に見て、ぞっとしたとエリックは続ける。
「申し訳ありません。この口で、自分はとても酷いことを、ルーファス様に……」
「気付いてくれたなら十分だ」
泣きそうな声音を聞いたら、自然と手が伸びていた。
短い深緑の髪を撫でる。
その触り心地は、前世のアウトドアブランドの店前に置かれたクマと一緒だった。
どこか懐かしくて、ついよしよしと撫でてしまってから、エリックが自分と同じ年だったことを思いだす。
見れば、ケガとは別に、エリックの頬が赤くなっていた。
「あ、子ども扱いしたわけではないんだ」
「はい……少し、驚きましたが、大丈夫です」
本当に大丈夫だろうか。口調がたどたどしい。
「その、もっと……いえ、大丈夫です」
何がどう大丈夫なんだろう。
もっと撫でていいなら撫でるけど。
お言葉に甘えて、懐かしい髪質を堪能していると、父上が咳払いをした。
「ルーファス、事の顚末を説明してくれるか?」
そういえば父上もいたんだった。
はじまりは、僕への悪口からだ。
それを説明するのは気が引けるけど、エリックにケガを負わせた少年は、罪を償う必要がある。
彼の身元はエリックが知っていた。
僕とエリックは、二人で情報を整理しながら、父上に経緯を話した。