019
エリックには、十二歳とは思えない逞しさがあった。
服を着ていても、腕や足の太さ、胴の厚みから鍛錬の成果が窺える。
そんな彼に険しい表情で見下ろされれば胃が竦んだ。
かもしれない、普通の子は。
けど僕は父上を見慣れてるからなぁ。
睨まれても怖いとは思わない。
エリックが真剣に、後ろで怯える少年を庇っているのはわかる。
誤解があるとはいえ、彼は正義の人だった。
イアンのときは、ゲームの面影のなさに驚いたけど、彼が好きなものに変わりはなかった。
エリックもゲームほど無口ではないものの、心の根幹は一緒なんだろう。
場違いだけど、ほっとする。
彼もアルフレッドやイアン同様、悪い子ではないと言い切れるから。
「何か言ったらどうだ。ウッドワード家は謝りもしないのか」
いけない、つい思考がそれていた。
ゲームでは聞けないエリックの声をもっと聞きたいけど、今はそれどころじゃない。
「誤解だ」
短く答えて、エリックに庇われている少年へ視線を移す。
そして目線を下に動かすことで謝意を伝えた。
人の目がある場では、これが限界だった。
少年の家格は伯爵で、侯爵より爵位が一つ下がる。
貴族社会では、上の者が下の者に謝ることはない。
アルフレッドが僕に謝ってくれたのも、馬車という限られた人しかいない密室の中だったからだ。
婉曲な表現だったけれど、少年は気付いて、目を瞠りつつも頷いてくれる。
しかしエリックには、また僕が少年を脅したように見えたみたいだ。
彼の眉間に皺が寄る。
「あなたのやり方は間違っている」
重なる誤解に、僕も困惑する。
エリックも貴族社会のルールは知っているはずだ。
僕の立場では、いくら謝れと言われても、明確な形では謝れない。
……顔か、表情が変わらないこの顔が悪いのか。
今になって父上の日頃の苦労が知れた。
もしかして少年にも真意が伝わってないのだろうかと不安になったとき、その少年がエリックの袖を引く。
「あ、あの、ぼくは大丈夫です」
「脅されて、何が大丈夫なものか」
「ち、ちがいます! 最初から大丈夫なんです!」
少年は僕に向き直り、失礼しますと頭を下げると、逃げるようにしてその場を後にした。
何とも言えない沈黙が、僕とエリックの間に落ちる。
けど、少年にはちゃんと、僕の気持ちが伝わっていたようだ。
僕とは違い、心情がよく表れる少年の顔には最後、言うことを聞いてくれないエリックへの不満が宿っていた。
「自分はあなたのやり方を忘れません」
そう言い残してエリックも立ち去る。
どうやらエリックの誤解は、解けないままだったらしい。
わだかまりが胸に生まれる。
もし僕の表情が動いたら、きっと少年と同じ顔になっていただろう。
何故わかってくれないのか。
少年には伝わったのに、エリックには伝わらないもどかしさ。
そして場の悪さ。
周りに人がいなければ、頭も下げられたのに、ここではできない。
感情が顔に出ない分、行動で表そうと思っていた。
それが外では難しいことがわかって、やりきりない。
父上なら、どうしていただろう。
途方に暮れたところで、声がかけられる。
「ルーファスくん、大丈夫かい?」
振り返った先には、青い髪があった。
イアンと似た容姿に、彼が誰だかわかる。
ミア・パーシヴァル。
イアンの六つ上のお兄さんで、パーシヴァル家の長男だ。彼とはデビュタント後のパーティーでも挨拶した記憶がある。
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
「ルーファスくんなら、大丈夫だとは思ったんだけどね」
十六歳にもなると、見た目は大人と変わらない。
未成年者の交流がメインといっても、基本的に同じ年の者同士が集まる。
彼にしてみれば、デビュタントしたばかりの十二歳の集まりに、興味はなかったはずだ。
友人たちの輪を抜け、わざわざ出向いてきてくれたことを考える。
「目立ってましたか?」
「ルーファスくんが目立たないわけがないよ。割って入ってもよかったんだけど、火に油を注ぎそうだったからさ」
確かに、あそこでミアさんがやってきても、エリックの矛先が増えるだけだっただろう。
「しかしジラルド家にも困ったものだね。いくら王妃様から信頼されているにしても、分別は必要だろうに」
「悪気はないのだと思います」
エリックにとっては、あれが正義だった。
誤解から生じた点が、残念でならないけど。
「ルーファスくん、知っているかい? 悪気がないのが、一番性質が悪いんだよ。善意をはき違える奴がね」
そういう奴とは、いくら話し合ったところでわかり合えない、とミアさんは語る。
「関わらないに越したことはないけど……王妃派の連中は、こちらを目の敵にしているようだから、ルーファスくんも気を付けたほうがいいよ」
「母上は、実害はないとおっしゃってましたが」
「あー、そうだね、実害はないかな? 彼らの多くは、我々より爵位が低いから。できて嫌味を言ってくる程度だよ。だけどそれでも気分は悪いだろう?」
ミアさんの苦笑に、頷きで答える。
嫌味を言われて喜ぶのは、それが嫌味だと気付かない人だけだろう。
「高等学院に入ると、親の目がない分、より場をわきまえなくなるからさ」
「ミア様は今年入学されたのでしたね」
「そう、生徒の自主性を重んじるのはいいんだけど……って、ルーファスくんに愚痴っても仕方がないね。もっと気楽にしてくれていいよ。イアンのことでは大分世話になったしね」
何なら呼び捨てにしてくれてもいいくらい、とミアさんは僕が戸惑うくらいフランクだった。
「じゃあ、ミアさんとお呼びしていいですか?」
「あ、ミアお兄様はどうかな?」
「ミアお兄様……?」
ミアさんは年上だから、お兄様と呼んでもおかしくはないけど、リクエストされた理由がわからなかった。
「あはは、いいね! 友人たちに自慢しよう」
「自慢になるのですか?」
「なるとも! 皆ルーファスくんとはお近付きになりたいんだけど、ウッドワード卿が怖くて一歩を踏み出せなくてね。それにイアンのことでは、本当に感謝してるんだ。あれから顔付きが変わったって、父も大喜びでさ。逆にぼくは何もしてあげられなかったから、不甲斐ないばかりだよ」
どうやらイアンとお父上の関係は良くなっているみたいだ。
ミアさんの言葉が、イアンへの愛に溢れていて肩から力が抜ける。
イアンにとって厳しいだけの家じゃなくて良かった。
「ところで、ルーファスくんには、イアンと同じ年の妹がいるだけだよね?」
「はい、ヴィヴィアンだけです」
「だよね? イアンがお姉様って口にしてたから、誰のことなんだろうと思ってさ」
誰のことだろうね、イアン? 他にも余計なこと言ってないよね!?
「ヴィヴィアンが大人びて見えたのでしょうか」
「あぁ、そうかもしれないね。イアンは幼いところがあるから」
この場は誤魔化せたけど、今度イアンに会ったら厳しく注意しよう決める。
僕は一度だって、お姉様になったことはないんだと。