017
我ながら意志が弱いと思う。
運命に任せるにしても、運命に抗うにしても、結局理性より感情のほうが勝ってしまうんだ。
目の前で不安そうにしている子がいたら、放っておけない。
「闇の化身」にならないよう、もっと考えて行動しないといけないのに。
幸い今はまだ、悪いほうへは進んでいないと思う。
アルフレッドとも、イアンとも関係は良好だ。
けど、今後もそうだとは限らない。
誰も悲しませない、そう決めたんだから。
僕はまず自分を律する必要がある、んだけど――。
「ズルいですわ……」
エントランスホールで、青い瞳を潤ませてむくれるヴィヴィアンを見ると、早くも決心が揺らいでしまいそうだった。
考えてから、行動する。
考えてから、行動する。
考えてから、行動……。
念仏を唱えるように頭の中で繰り返すものの、体は勝手にヴィヴィアンの頭を撫でていた。
……精進が足りないにもほどがある。
「二年後には、ヴィーも一緒だよ」
「まだまだじゃありませんの……!」
二年なんてあっという間だと僕には思えてしまえるけど、十歳の体感だと途方もない長さなんだろうか。
いかんせん、前世の記憶があるせいで、子ども特有の感覚が薄れてしまっている気がする。
「ヴィー、ワガママを言ってはダメよ。淑女らしく、見送りなさい」
つい機嫌を取ってしまう僕とは違い、母上は厳しかった。
これも教育の一環なのだ。
侯爵家に生まれた以上、子どもであっても相応の礼節が求められる。
二年後のデビュタントで、ヴィヴィアンが恥をかかないためにも必要なことだった。
母上を見習って、僕も心を鬼にしないと。
これから父上と母上、そして僕の三人で夜会に出かける。
夜会といっても、今日のパーティーは未成年者の交流がメインなので、はじまるのは夕方だ。
大人たちだけの夜会とは違い、帰りも遅くならないんだけど、それまでヴィヴィアンが一人で留守番することに変わりはない。
僕のデビュタントでは、緊張がヴィヴィアンにも伝わったのか、彼女がぐずることはなかった。
前は文句を言わず見送れた分、母上も厳しくなるんだろう。
「ヴィヴィアンは、デビュタントしなくてもいいのではないか」
「父上?」
どういう意味か尋ねるより先に、ヴィヴィアンが反応する。
「申し訳ありませんっ、ちゃんとお見送りしますわ! お父様、お母様、お兄様……いってらっしゃいまし」
目に涙を溜めたままの見送りだった。
どこか腑に落ちないまま、馬車にのる。
「旦那様、デビュタントを取り上げるのは、やりすぎなのではなくて? ヴィーも普段は一生懸命、頑張っていますのよ?」
「えっ、そういう意味だったのですか?」
母上の指摘で、ヴィヴィアンがすかさず反応した理由に納得がいった。
ヴィヴィアンは、このままワガママを通せば、デビュタントさせてもらえなくなると思ったんだ。
けれど僕と母上の視線を受けた父上は、首を横に振る。
「違う。惜しくなっただけだ」
惜しく……? 僕は首を傾げたけれど、母上は父上の言葉を理解できたのか、額に手を置いて溜息をついた。
「旦那様、ヴィーもいつかは家を出なければなりませんのよ?」
「別に出なければならない決まりはないだろう」
「あの子を行き遅れさせる気ですの?」
……行き遅れ?
あ、そういうことか。
「父上は、ヴィーを嫁に出したくないのですか」
社交界は、交流を広げると共に、将来の相手を探す場でもある。
家を継ぐ僕とは違い、ヴィヴィアンは嫁にいく身だ。
父上は、言うことを聞かないとデビュタントさせないぞ、という脅しではなく、しなくていいんじゃないかと提案したかったようだ。
それをヴィヴィアンはしっかり脅しとして受け取ったと。
「何故、可愛い娘を嫁に出さなければならないのだ?」
「旦那様、現実を見ましょうね?」
どうやら感情が理性より優先されるのは、僕だけじゃなかったらしい。
◆◆◆◆◆◆
夜会は王妃様主催ということもあり、城の大広間でおこなわれた。
爵位に関係なく招待状が送られているため、人出も僕が知る限りでは一番多い。
未成年者の交流がメインとはいえ、親が付き添っている以上、当然かもしれないけど。
高等学院に入学する十六歳になれば、パートナーと一緒に参加できるようになるものの、それまでは親同伴が普通だ。
探せば見つかるだろうか?
ゲームの攻略対象の内、唯一年上で僕と同じ年の彼を脳裏に描く。
問題は、会ってどうするかだった。
攻略対象の中に悪い人はいない。
アルフレッドやイアンのように、会う機会があるなら仲良くなっておきたいけど……。
わざわざ僕から接点を作る必要はあるんだろうか?
アルフレッドのときは顔合わせが決まっていたし、イアンのときは向こうから相談された。
下手に接触を図って、関係が悪くなるのは避けたい。
何せ相手はウッドワード侯爵家より、爵位が下の家なんだ。
こうして夜会に参加し、貴族社会というものを直に見たら、余計軽率には動けなかった。
しかし……思いっきり、遠巻きにされてるなぁ。
父上のお腹ぐらいまでしかない僕の身長では、人に遮られて大広間全体を見渡すことはできない。
それでもたくさんの人が集まっているのはわかる。
行き交う人々の衣擦れの音。
重なる喋り声。
会場に着いたときは、確かに大勢の気配が感じられた。
だというのに、僕たちウッドワード家が姿を見せた途端、水を打ったように会場内が静まり返る。
父上の顔が怖い……のは、今更だ。
招待客の中には、父上の知り合いも多い。
いくら父上の三白眼が死神を連想させても、もう馴れっこだろう。
デビュタントのときも距離は感じたものの、ここまであからさまではなかった。
まるで時間が止まったかのようだ。
「ふふ、皆ルーに見蕩れてるわね」
口元を扇で隠しながら、母上が呟く。
流石にそれはないですと視線を送れば、器用に片眉が上げられた。
「あら、自覚がなかったの? 今日のルーは、『お花畑に集まった妖精たちの会』に負けず劣らず綺麗よ?」
「綺麗なのは母上でしょう?」
「まぁ、この子ったら、あたしを喜ばすのが上手いんですから」
そういえば、とデビュタントとの違いに思い当たる。
今日はコサージュを付けているんだ。
髪にではなく服の胸元にだけど、親子揃って白百合のコサージュを付けているから、注目されているのかもしれない。
父上と僕が付けているのは、男性用にデザインされたもので、これがはじめてのお披露目だった。