010
夜、僕は勉強机に向かって、招待状の封をペーパーナイフで切っていた。
パーティーに参加するかは母上と検討するものの、まずは中身を確認する必要がある。
家を継げば執事に任せてもいいが、今は自分で確認することが勉強でもあった。
ペーパーナイフの切れ味の良さに、封を切るのが楽しい。下手したら、指まで切ってしまいそうだけど。
そんな中、昼間のことが報告されたのか、父上がまた部屋を訪れた。
作業を中断し、ソファへ移動する。
今回は、僕が萌え殺されそうになった以外、問題はなかったはずだ。
「殿下とは上手くやっているようだな。ヴィヴィアンには、もう少し落ち着いてもらいたいが」
「僕を思ってのことです」
結局、殿下とのやり取りが母上の耳に入り、ヴィヴィアンはしっかり反省することになった。
更に父上にまで叱られたら、しばらく立ち直れないかもしれない。
僕の心配を、父上が手を振って払拭する。
「私から何かを言うつもりはない。既に十分反省しているようだしな。お前が殿下のことを気にしていなければ、それでよい」
最終確認といったところだろうか。
父上も父上で、アルフレッドとのことを心配してくれていたらしい。
それこそ問題はなかったけれど、頭の隅で気になっていることはあった。
ラスボスとしての正解。
取った行動に後悔はない。
けれど今後、ずっとそれは僕に付きまとう。
一人で抱え込むなと、誰でもない父上に言われた。
相談するべきだろうか……?
前世の記憶があることを。
しかし僕に確信があっても、それを第三者に証明することは難しい。
父上を仰ぎ見る。
「どうした?」
三白眼の父上の瞳には、変わらず圧がある。
けれど低い声音は優しく感じられた。
〈次はないぞ、私も、お前もだ〉
そうだ、次はない。
同じ過ちを繰り返さないために、僕は判断を父上に任せることにした。
たとえ信じてもらえなくても、僕の進む道は変わらないのだから。
「信じられないと思いますが……」
僕は自分が辿る運命を話した。
父上はソファに背中を預けて考え込む。
「確かに、信じがたい話だ。何よりお前とヴィヴィアンが傷付く未来など、信じたくもない」
深い溜息をつきながら、父上が後ろで結われた髪を解く。
束縛から解放された髪が父上の頬を滑り、顔に影を作った。
「だが看過できない話でもある。ルーファス、お前は前世の記憶以外で『闇の化身』について聞いたことはないな?」
「はい、ありません」
「闇」自体は、光と対をなす魔法の属性として存在する。
けれど、闇の化身は人の悪意そのもののように感じられた。
「私もお前に話さなければならないようだ。本来なら、お前が高等学院を卒業し、成人する折に話すことなのだが」
父上はそう言うと、侍女に酒を持ってこさせた。僕の前にはミルク入りの紅茶が置かれる。
そして白髪の執事を呼ぶと、誰も邪魔をしないように言付けた。
「『闇の化身』は、私たちウッドワード家の者が存在を知ることによって姿を現す。具現化するといったほうがいいか」
「え……?」
どういうこと?
ウッドワード家と「闇の化身」には、浅からぬ繋がりがある?
僕は理解が追いつかなくて、呆然と父上を見つめた。
「それ自体は、人の悪意が魔力によって形を成したものだ。『闇』より『怨』というのが正しい。『怨』は放っておけば際限なく巨大化し、周囲に悪影響を及ぼすことになる」
「世界に被害が及ぶということですか。それがどうして我が家と関係が?」
僕の質問に対し、父上は酒を口に含んだ。
喉仏が上下するのを見届ける。
「昔、『怨』の巨大化を危惧した先祖が、その身に取り込むことによって防いだのだ。そして自身が『怨の化身』、即ち『闇の化身』となり、ロングバード王家の光剣に切られることによって滅した」
語られた顛末には、ゲームと共通点があった。
僕はこれから「闇の化身」になるのだと考えていたけど、そうじゃなくて昔から関係があったんだ。
ゲームの僕だけじゃなく、ご先祖様も「闇の化身」になっていた。
「当主はそのとき落命したものの、息子が後を継いだ。『闇の化身』の種と一緒にな。我が家のエンブレムには国を守ることはもちろん、切られても終わらない意味が込められている」
父上の視線が僕の胸元に下りたのを見て、無意識の内にペンダントを握っていたことに気付く。
手の平にある盾のエンブレム。
ずっと僕は「闇の化身」に関するものを身につけていたんだ。
「父上、種とは何ですか?」
「人の悪意がなくなることはない。だから『怨』がまた巨大化することのないよう対応したのだ。『怨』が種に集まるようにな。種は血脈によって受け継がれ、我々は受け継がれた魔力によって、種が芽吹くのを防いでいる」
「闇の化身」の種は、父上にも、僕にも受け継がれているということだった。
ゲームの僕は、その種を発芽させてしまった?
「我々の魔力が少ないのは、無意識下で種を封じるために使われているからだ。ここまではいいか?」
「はい。僕も意識しない内に、種を魔力で封じているのですね」
「そうだ。『怨』について知識がなくとも、我々は封じ続けることができる。だが、知らないままではいられない」
もし、知らなければ?
もし、何も知らないまま種を発芽させてしまったら?
ゲームの僕になる?
「王家にもこのことは伝えられている。過去に『怨』を滅した方法を失わないためだ。二家のどちらかでも伝わっていれば、種が発芽しても対処できる。お前の話では、奇しくも同様の手段が取られたようだが」
ゲームで伝承が語られることはなかった。
ということは、ゲームの僕も、アルフレッドも伝承を知らなかったのだ。
少なくともアルフレッドが知っていれば、ゲーム主人公に話したはず。
「でもどうして秘匿にされているのです? 今の僕のように、前もって教えてもらっていれば……」
それか二家に限らず、広くこの伝承は共有されたほうがいいのでは?
僕の疑問に、父上は首を横に振って答える。
「ルーファス、人の心は弱い。特に子どもの頃はな。お前のように、前世の記憶があれば別かもしれないが」
確かに、僕は前世のおかげで、精神が成熟していた。
未熟さもまだ残ってはいるけれど、他の子どもと比べたら段違いだろう。
「私も子どもの頃は、よく魔力の少なさを嘆いたものだ。そのとき、実際は魔力があると知れば、どうしていただろうな」
種を封じるのをやめ、本来の魔力を取り戻す。
子どもが未熟な判断をしてしまう可能性は否定できない。
「そして我が家を失脚させたい者がこれを知り、伝承を改悪しないと言い切れるか? いくら王家が真実を知っていても、民衆の多くが改悪された情報を信じてしまえば、真実など脆く崩れ去ってしまう」
あぁ、そうか。
ウッドワード家は、政治的競争の激しい貴族社会に生きている。
伝承の秘匿は、二重の意味で身を守る術なんだ。
「だからこの話は、跡取りが分別のつく大人になってから伝えるようにしている。王家もそうだ。お前なら大丈夫だろうと判断したが……ルーファス」
三白眼の瞳が僕をとらえる。
「はい」
「今後もし種を発芽させ、『闇の化身』となってしまったときは、理性がある内に自害しろ」