第五話 未知の惑星
脱出艇で海岸近くに不時着した俺達は、ゴムボートを膨らませて岸まで辿り着いた。
圧縮空気で自動で膨らみ、その上スクリューエンジン付きのありがたい装備だったが、ブルータス軍に発見されることを嫌ったアリア=ハーランド准尉の提案で、これも海に自沈させて放棄した。
正直、口が裂けても言えないが、俺はもうこの際、ブルータス軍の捕虜になっても良いから誰かに救助に来てもらいたいと思っていた。
なにせ、ここはまだ誰も足を踏み入れたことの無い惑星でどんな危険が待ち受けているか分からないのだ。
しかも人工物や文明の痕跡がどこにも見当たらない。
海岸の向こうには森が茂っており、水も酸素も豊富で温暖な気候とくれば、生物がたくさんいても不思議では無い。それどころか多様すぎる生物、特に人間にとって危険な動物には注意が必要だ。
「何してるの、クラド准尉。敵に見つからないよう、姿勢を低くして移動が基本でしょ」
などと訓練さながらの様子で銃を構えて移動するアリアだが……。
「あのさあ、俺達がこの星に不時着するところまではブルータス軍も予測できるかもしれないけど、そこから先は、監視カメラも無いはずだぞ?」
俺は根本的なことを言う。
「そんなこと、確かめないと分からないでしょう」
「いや、電波が来てないんだから。ほら」
俺は測定器を見せる。
「そんな簡単に見つかったら、監視カメラの意味がないじゃない」
「リアルタイムで監視してるなら、暗号通信の痕跡くらいは出すだろ。この惑星には軌道エレベーターや監視衛星どころか、GPS衛星すら無いみたいだぞ」
「ううむ……ちょっと見せて」
スマホよりちょっと大きめの簡易測定器を俺から奪い取ったアリアは、いくつかボタンを操作し、俺の言うことが正しいと理解したようだ。不承不承という感じで、俺に測定器を押し返してきた。
「でも、ブルータス軍の地上部隊や、そのほかの何かがいるかもしれないわ。警戒は怠らないようにしましょう」
「分かった。了解」
アリアが言うことも正しいので俺は光学式ライフル銃を構えつつ、姿勢を低くして砂浜を岩陰に向かって移動する。しかし、足場が悪い上に、背中に荷物を満杯にしたリュックを背負い、さらに左肩にもショルダーバッグを担いでいるので、動きづらい。戦闘用全身補助動力装置を着ていなければ、腰をかがめるだけでも苦労したことだろう。
「クリア! この辺りは安全よ」
周囲を確認して、岩陰に隠れたアリアが宣言してくれた。
「これから、どうする?」
雲一つ無い真っ青な昼空を見上げつつ、俺は聞いた。
「まず、森の中に入って身を隠しながら、川か道を探しましょう。この辺りには何も無いようだけど、ダムか何か、人工物が上流にあると思うわ」
「なるほど、水の確保もできるし、それが良さそうだな」
「宇宙船を見つけたら、それを奪って逃げましょう」
「……あればいいね」
とてもそんな物があるとは思えないので、俺は気の抜けた声で言った。
「分かってるの? 無かったら私たちは――いえ、行きましょう」
確かに、今のは俺の態度が良くなかった。
もし、この星に宇宙への移動手段がなければ、俺達は任務を遂行するどころか、故郷の星に帰ることもままならないのだ。それもワープ装置付きの宇宙船でなければならない。
「悪かった」
こんな状況で味方の士気を下げて良いことなど何も無かった。アリアに謝っておく。
「気にしてないわ。とにかく今はあなたと私の二人だけなんだから、お互い協力していきましょう」
「ああ、そうだな」
スーツを少し変形させ、片眼スコープで周囲をレーダー監視しつつ移動するが、反応はゼロ。
「やっぱり、人工物は何も無さそうね……」
さきほどより落胆した様子のアリアが言う。
「だが、オフシーズンのプライベートビーチもこんな感じかもしれないし、もっと先へ行ってみようじゃないか」
「ええ」
さらに先に進もうとしたが、森に入って四歩進んだところでアリアが突然、リュックをその場に投げ捨て悲鳴を上げた。
「きゃあっ!」
彼女がそのまま木の陰に隠れたので、俺はどこに敵がいるのかと慌てた。ライフルを左右に振って狙いを付けつつ、俺も木の後ろに隠れて叫ぶ。
「アリア! 大丈夫か!」
「た、たぶん、大丈夫。でも背中に蜘蛛がいないか、ちょっと見て」
「ええ? なんだ、蜘蛛がいたのか」
虫が苦手とはアリアも可愛い奴だ。
「いたわよ。手のひらよりも大きいヤツが」
「うわあ……それは俺もちょっと無理」
近づこうとしていた足が、一歩遠ざかる。
「いいから、確認! 敵前逃亡は許さないんだから」
「それ、敵じゃ無いだろ……」
アリアの背中を見たが、特に何も問題は無かった。代わりにと言ってはなんだが、女性らしい細くくびれた体の曲線美に思わず見惚れてしまう。ぴっちりした戦闘服で余計に体の線が強調されているので、あまり腰の下側をじろじろ見たくは無い。
「どう?」
「あ、ああ、問題無い。何もいないぞ」
「良かった……」
「だいたい、いてもスーツが判断してくれるだろう」
「このスーツ、対人や対ロボットにしか反応しないのよ」
「生物兵器だとどうするんだ?」
「襲ってくればAIが敵と認識するわ。でも、あきれるわね、そんなこと、士官学校の一学期の頃に座学でやったでしょう」
「そうだったかな。白兵戦や格闘戦闘なんて興味なかったから、俺は覚えてない」
「じゃあ、今覚えた方がいいわね。これから宇宙船を手に入れるまでは、ずっと白兵戦よ」
「そうだった……」
手持ちの装備にはそれ以外で使える武器は無い。
超小型ドローンは手のひらにのるくらいの大きさだが、これはもっぱら索敵用で、武器は搭載されていない。乗り物も無し。
「虫も対象にセットしてと」
アリアが左腕のスーツパネルをいじって設定を変えていたので、俺もそうする。
「これでいいわ。次回からは虫除けスプレーも非常用装備に入れてもらいましょう」
「良い案だ」
今度は木から離れて慎重に進む二人。
と、今度は俺が何かを見つけてしまった。
二時の方向、四メートル先に、動く水の塊のような何か。
スコープには『正体不明』と不気味に赤い文字で表示されている。
「……アリア、ちょっと、こっちに来てくれ。何かを発見した」
「何かって何? 訓練の時も、物事ははっきり短く分かりやすく伝えろと大尉に教えられたでしょ」
「いいから自分の目で見てくれ。説明するよりその方が早い」
「まったく……ええ? なにこれ」
「クラゲの一種かな? しかし、こんな森の中でどうして水生生物が……」
プルプルと震えながら、ゼリー状の美味しそうな生物がゆっくりと地面を這っている。
大きさは結構大きめで六十センチはあるだろう。
ブルータス軍の新型兵器の可能性もあるが、こんなのろのろで俺達を攻撃してこないのであれば、役に立ちそうも無い兵器だ。
「なんだかこれ、可愛いわね」
アリアが銃を肩掛け紐だけで引っかけて、両手で膝を押さえて和やかな観察モードに入る。
「ええ? 美味しそうには見えるが……」
可愛いと言うよりはやはり不気味さが先に来る。見慣れない生物だからか。
「美味しそうって……」
アリアは俺の感想にちょっと引き気味だが、彼女には美味しそうに見えなかったようだ。
「測定してみよう」
「待って、近づくと危ないわよ」
「大丈夫、通った後をチェックするだけだから」
ゼリー状の生物が通った後に、草が濡れているので、それに測定器を近づける。
近づけるのは対象を限定するためで、非接触で測定が可能だ。
「遺伝子解析が終わったぞ。生物で間違いない。うわ、凄いな、分類に、はてなマークが付いてる。こんなの初めて見たぞ。扁形動物門か、無腸動物門だ」
「無腸動物って腸が無いのね? 見た感じ、肺も無いけど、呼吸はどうしてるのかしら?」
「体全体が肺らしいな。そのまま表面から酸素を取り込んでるみたいだ。血管も心臓も無い」
「へえ」
「体の99.6パーセントが水分。無性生殖で、危険度は小。筋肉もほとんど無いから素早い動きは無理。危険なウイルスや細菌も持っていないようだ。だけどサンプルがこれだけじゃなんともいえないな」
「目も無いみたいだけど……」
アリアが近くの石ころを拾ってソイツの近くへ投げた。
すると、プルッと反応して石の上に乗っかっていく。
「反応したな……。AI、アクティブセンサーを使っても良いから、奴がどうやって外界を見ているのか、調べてくれ」
「了解、十秒ほどそのまま対象に測定器を向けたままでお待ち下さい」
赤色の照準レーザーが出たのでそれを動き回るソイツに向けたままにする。
「結果が出ました。不明」
「なんだそりゃ」
「対象の神経反応は視覚、聴覚のいずれでもありませんでした。推定になりますが、もっとも可能性が高い物で触覚の確率が12パーセント」
「振動に反応したってことかな」
「それなら聴覚だと思うけど」
「まあいいや。正体不明のままじゃ都合も悪いし、何か命名しておくか」
「いいわね、じゃあ――」
俺とアリアはニヤリと笑って二人で同時に命名することにした。
「「 スライムで! 」」