第三十三話 虚空の果てに
(視点がクランク=ラザフォード中佐に変わります)
ファジス本星司令部参謀本部の一室――
クランク=ラザフォード中佐は顆粒の粉を溶かし込んだコップの水を一気に胃の中に流し込んだ。もうこのドラッグが無いと生きていけない体だ。
――と言っても胃薬であるが。
駆逐艦ブルーハウンドの行方の座標、その決定的な手がかりを掴んでからすでに二週間が経過している。
しかし、首相から各省庁の全面協力を約束されていてもなお、虚数空間の捜索は困難を極めた。
何しろ、『虚数空間』へのワープは何が起きるかさえ、誰にも予測不可能なのだ。
かつて人類はワープ装置を開発したとき、同時に『虚数空間』も発見した。
座標の一部に数学的な虚数を用いることにより、通常空間とは別の次元にワープできることを。
だが、それはまさにパンドラの箱であった。
何しろ、別次元への跳躍は大変な危険を伴う。
行き先は電波を含むあらゆる光学的測定をもってしても見通せず、機械も通信もまったく役に立たないのだ。
そうなると、調べるためには人間を有人飛行で行かせるしかない。
だが、ワープ先の座標が不明というのは、それだけで危険だ。
飛んだ先が石の中であったことも、一度や二度では無い。
さらに厄介なことに、『虚数空間』は二重性を持っている。
シュレーディンガーの猫のように、同時に二つの可能性の空間が存在し、どちらに飛ぶかは確率によってのみ厳密に決定される。こちらが自由に選ぶことはできない。
まさに死のくじ引きである。
「それを引いてくれと他人に頼むのだ、嫌な役回りだな」
ラザフォード中佐は自分の顔を撫でながら、誰にも聞こえぬようにつぶやいた。
「中佐、法務省から通信です」
上官のつぶやきが聞こえていても、まったく聞こえていないフリをする有能なる副官、ミーシャ=オクテット中尉が告げる。
「つなげ。秘匿回線でな」
「はい」
瞬時に空中ホログラムが中年男性の形を映し出した。
予想はしていたが、彼も苦み走った顔だ。
「ラザフォードさん、この書類はいったいなんですか? テロリストと取引しろと?」
「そうだ。死刑判決確定のテロリストに司法取引を持ちかけろ。調査に成功すれば、無罪放免と言うんだ。もちろん、それはこちらの『方便』に過ぎない。無期刑に変更するだけで良いんだ。責任はすべてこちらで持つ」
「ダメですよ。たとえ口約束であろうと、政府機関がそのような『嘘』はつけません。それにテロリストと取引したなどと、万が一にもマスコミに嗅ぎつけられたら、首相のクビが飛ぶだけじゃ済みませんよ? あなたの責任問題では済まない事柄です」
「そこは漏れないように配慮して欲しい。君も長生きはしたいだろう?」
「脅しですか、それは。いくら上からの協力要請でも従えません。それでは失礼」
通信が切れてしまった。
「おい! くそっ!」
これだからまともな民主主義は嫌いだ。
仕事が全く捗らない。
「ふう、オクテット中尉、志願者の方はどうなっている?」
どうせこちらもゼロ回答だろうと思いつつラザフォード中佐は聞いたのだが、意外な答えが返ってきた。
「現在、民間人を含めて五名ほど、応募がありました」
「なに? 多いな」
「はい、アリア=ハーランド准尉の人柄と交友関係が影響していると思われます。全員が彼女の知り合いですから」
「なるほど、持つべきは頼りになる友人か」
「しかし、約一名、使えない人材が混じっております」
「構わん。要は操縦桿が握れさえすればいいのだ、このさいFランク以下の評価であろうと使うべきだ」
「いいえ、能力の問題ではありません、中佐。それどころか能力で言えば無駄遣い、ほぼすべてにおいてSランク評価の人物です」
「なに? それは確かに無駄遣いだが、それでは何が問題なのだ?」
「彼はウイリアム=ハーランド、ハーランド家の長男です」
「なるほどな。兄はダメだ。それでは依頼者も納得しないだろう」
「はい。残り四名をそれぞれ調査船に乗せる手配を整えました」
「結構。その四人の一人が幸運を引き当ててくれることを祈ろう」
ラザフォード中佐は四人のファイルを見た。
その一人、勝ち気に笑っている赤毛の少女が胸を張って写真に写っている。
ステラ=ラジアン准尉、十七歳。
ハーランド准尉の士官学校の同期生であり、備考欄に『親友』と記載されていた。
「まったく、後でハーランド家から苦情が来るのは確実だが、やむを得んな」
壁のモニタを『かつての地球』その美しい野山の風景に切り替え、ラザフォードは軽くため息をついた。
さらに四日後――。
ラザフォードの執務室に、珍しい人物が訪れていた。
「勝手にお邪魔しているよ」
軍服ではなくスーツ姿の紳士である。
「これはこれはヘルツ大使、軍に何かご用ですか?」
「ここではその肩書きではなく、単にミスターと呼んでくれたまえ、ラザフォード君」
「そちらがそのようにお望みでしたらご随意に、ミスターヘルツ」
「ありがとう。君が独立系惑星の大使の名前まで記憶しているとは大した物だが、あくまでこれは非公式の訪問なのだよ。いや、そうでなければお互い、酷く都合が悪い」
「というと? 中尉、部屋の鍵を」
「はい」
電子錠を施し、執務室は完全なる密室となった。
ヘルツ大使はやや緊張した表情になったが、ラザフォードがおかしな事をしないだろうと思ったか、そのまま話を続けた。
「今から二十五分前、私の本国から極秘回線で最重要機密の情報がもたらされた。それが事実かどうかはいずれ分かるだろうし、ここの司令部も警備が強化されているようだ。事実で間違いないだろう」
「失礼、警備が強化されているのは知っていますが、その理由をご存じだと?」
ラザフォードも警備兵に聞いて分からなかったので、首相からもらっている最高アクセス権も使って理由を調べたのだが、不明ときている。最高権限より上の権限が存在すると知って幻滅したが、情報管理の上ではさもありなんという感じでそこに驚きは無い。
「ああ、その様子だと君はまだ知らないのかな。それとも知っていてごまかすのが上手いのか。まあ、知らぬと仰せなら、私の口から説明しよう。共和連合の首都惑星ブルートが一時間ほど前に、消滅した」
「な、なに? 消滅?」
ラザフォードはそれを聞いて、小惑星用削岩機の巨大なハンマーで後頭部を殴られたような衝撃を覚えた。
なにしろ、ブルートは憎き敵のまさに総本山である。
『銀河宇宙同盟』は対『ブルータス宇宙共和連合』のために存在すると言っても過言では無い。
「そうか、知らなかったか。それは僥倖。我々は今後も良い関係を築けそうだ」
「それは小官とて望むところではありますが、詳細については……」
「ああ、聞きたいだろう。まあ、今後のよりよい関係のために、特別にお教えしようじゃないか」
もったいぶられてしまったが、それだけの価値がある情報だった。
「私が掴んでいる情報だが、ブルートの周囲四光年、星系が一つまるごと消え失せた。これは言葉の比喩では無く、文字通りの消滅だ。衝撃波も周囲で観測され、どうやら首都で『次元融合爆発』が起きたらしい」
「次元融合爆発……何か共和連合軍で極秘の実験でも?」
「そこまでは掴んでいない。だが、次元の崩壊でしか説明のつかない巨大なエネルギー反応だ。これは個人的な憶測だが、『虚数空間』を兵器に転用できないか、実験していたのではないかね。ナノマシンを人間の体に入れてしまう彼らならやりそうなことだ」
ラザフォードは虚数空間と聞いて、ぎくりとした。
「中尉、結果は報告が来ているか?」
「いえ、まだです。ただ、一人目の出発時刻と一致していますので、可能性はあるかと」
ラザフォードの胃がキリリと痛んだ。
まさか捜索の調査船が、共和連合の首都にワープし、星のコアと融合するとは。
それが本当であった場合、銀河同盟の評判は地に落ち、共和連合ももはや手段は選ばないだろう。
最悪の事態だ。




