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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

サバイバル・ナイフ

作者: 溶融太郎

冬。

その季節は、人によっては幸福でもあり、人によっては孤独を一層色付ける。

男は一人繁華街を歩いていた。この時期特有の幸せそうな笑顔達に押しのけられ、歩道の端を歩く。

自らの白い息の行方を追って、空を仰いだ。

一見、冴えないこの男、中島 正(40)だ。しがないただの労働者の彼は、いつの頃からか過去ばかりに意識を辿るようになっていた。

「あの頃の俺は、輝いていたな。」

そんな事ばかりを口にする。実際には、そこそこの高校のサッカー部で汗を流していたに過ぎない。

しかし、今の中島には普通のことですら輝いて見えた。

そして引きずる様なその足で向かうのはー。

そう、行きつけの消費者金融である。行きつけといっても、もう何社も借金を重ねており、どの消費者金融が一番のお得意様か中島自身、分からなくなっていた。そして、自転車操業の借金返済。

いつまでこんな泥沼生活が続くのか、或いはずっとこのままなのか、底辺の平行線に嫌気がしていた。

中島は自分自身、真面目な人間だと思っていた。どうしてこうなったのか、どこで間違えたのか、無駄に記憶力が良い中島は、遡ってパラレルワールドの世界を膨らませていた。しかし、いつもたどり着くのは現在の自分。慣れたように納得して苦虫を噛み潰す。

中島は現在、製造業の派遣社員。来月には生産減少のため、解雇を宣言されていた。コンビニで食べ飽きた不味い弁当を買い、求人情報誌を手に取り家路へと向かう。未だ独身の中島は一人暮らしだった。真っ暗で冷たいワンルームの自宅へ辿り着き、弁当を喰らい、コンビニで手に取った求人情報誌に目をやった。

求人情報誌は以前より、よく見ていた。ただ、これという仕事は見つからなかった。眠る前の習慣。また平行線だと思いながら求人情報誌を手に取った。その時、ヒラリ、と何かが落ちた。小さな紙きれだった。

「なんだ、これは?」

中島はその小さな紙きれを拾い上げた。紙切れには、月棒、500万円と記載されていた。

月棒?なんだ月棒とは?年棒なら聞いたことがあるが。これは誰かのいたずらか?

中島は怪訝そうにその紙切れを睨んだ。しかし、紙切れには月棒500万、働きやすい環境です。誰にでもできる製造業です。興味ある方は質問だけでもお電話下さい。と記され、若い男女が楽しげにVサインしている写真だった。いたずらにしては手が込んでいると思ったが、こういうのは関わらないほうが身のためだという経験から興味を持つのをやめた。中島はその後、求人情報誌に目を通したが、いつも通り目が止まるほどの仕事はなかった。


翌日、中島はいつもどうりに出勤した。車関係の仕事は浮き沈みがあった。朝礼時、解雇される派遣社員の話が出た。正社員の年下の上司は「派遣社員の方はあと少しですが、ケガのないように」と棒読みで言われた気がした。有り難くも何とも無かった。それでも中島はこの職場がわりと好きだった。仕事を覚えるのは大変だったが、仲間たちと乗り越えてここにいる気がした。その努力ですら今まさに否定されようとしている。追い打ちをかけるように「今までお疲れ様でした」や「お元気で」等、挙句の果てには「大変ですね」

と言ってくる輩までいる。中島はこの日、「あー、仕事だっりいー!」と叫ぶ若い正社員の隣で、額に汗して仕事をこなした。


帰り道、中島はこれからの事を考えていたが、前方には嫌味かと思える程のタイミングで得意げに歩くカップルがいた。自分との格差を知らしめる為に存在している様にすら思えた。中島はとうに打ちのめされていた。ーー早く家に帰ろう。最早、外に出るのですら苦痛に感じ始めた。

中島は家路に辿り着いたが何もする気になれなかった。もう自分の力では何かを変える事は出来ない。

変える事は出来ない、出来ない、デキナイ。これが廃人なのかと客観的に自分を見ていた。

その時、中島はあるものに目が止まった。あの求人情報誌の紙切れだった。

「こんな話、あったな。」

と呟いた。月棒?500万。この金があれば変われるかもしれない。それが、犯罪でも。

質問だけでもお電話下さい。という言葉には引き寄せる何かがあるのかも知れない。中島はわざわざ質問を作り電話をしてみた。「RRRRRR]向こうの電話がなる。中島は緊張した。すると

「もしもしー。SNコーポレーションですぅ!」

と快活な女性が電話に出た。これには中島も驚いた。ヤクザらしき男性が電話に出ると思っていたからである。驚いたまま「求人情報誌でみて電話しました」と中島が言うと

「あっ。お電話ありがとうございます。求人の内容はですね・・・」

と、滑らかに対応してくれた。中島はほっとして話を続けた。もうすぐ自分の仕事がなくなる事、いつでも募集している事、製造業の募集であるという事、話が出来た分、安心した。前向きに考える事が出来た。

こんな俺でも、まだ行き場がある。目の前が明るくなった。そして、中島は、派遣の仕事の終わりをキチンと迎えた。



久しぶりの晴天になった。

頂きから恵を与える太陽が厳冬を退けた。中島は現在、あの求人の紙切れ、SNコーポレーションの採用面接に受かりここにいる。ここは東京にあるSNコーポレーションのオフィス。彼は今から自分と同じく、数人の採用者と顔合わせとなっている。先輩ではないが、やはりなんとなく緊張する。職場の同期となるからだ。

どう自己紹介しようか。昔は明るくできた自己紹介だが、今では少し気が引けた。自らに自信がないからである。その時、扉が開いた。白髪が目立つ男、高倉 孝昭だ。

「今回採用された者です。よろしくお願いします」

と、高倉は、それだけを言い放った。中島は軽く会釈した。会話は出来なかった。お互いに警戒し、探り、敵意が無い事を確認する。男同士、大人になるほど失敗の数も増えてくる。おかしな人間とは関わり合いになりたくはないのである。しかし、このままでもいられない。中島は

「初めまして。中島です。40歳です。」

と高倉に接触を試みた。高倉は高倉で

「あっ、初めまして。私は53歳です。」

と、不器用に返事をした。大分、年下の中島に気を遣わせてしまったのは申し訳なく思えた。

「僕にも出来るような仕事だといいのですが・・・」

中島は切り返した

「私も、今まで仕事で料理位しか・・・前職はコックです。」

高倉も些か不安を募らせていた。この二人には共通する部分があった。お互いに苦労しながら生きてきたことが容易に伺えた。職場に気の合う人間がいるというのは気が楽のものだ。

「私には、2人の娘がいましてね。大学に入れるのに・・・」

と高倉は表情を曇らせた。金のかかるそういう時期に、自分と同じくリストラにでもあったのだろうか?

中島は察した。少し空気が色を濁した。その時、またも扉が開いた。

「失礼します。」

と身なりの整った若い男性が入ってきた。さらにその後ろから

「おー疲れ様ですー。」

と、さらに若さ丸出しの男性が続いた。

中島と高倉は、意外そうに少し頭を下げた。この時、年齢の幅や人間性等、考慮されずに採用されているのかと感じた。身なりの良い男性は

「斎藤です。よろしくお願いします。」

と当たり障りなく挨拶してきた。一方、若さ丸出しの男は

「あっ、田中です。ヨロシクお願いしゃす。」

と、一応、敬語?で挨拶してきた。中島と高倉も自己紹介を返した。

「いや、まじ寒いですわ。いや、さっきエレベーターで一緒になったんですね。ここに入ってくるの、ホンマ緊張しましたわー。」

と身なりのよい斎藤にいう。斎藤は

「うんうん、確かに緊張した。まあ、来ればなんとかなるかと思って。」

と、斎藤は答えた。さらに田中は話を続ける。

「あー皆同じなんすねー。でも俺なんか、ただの金目当てですからねー。」

田中は明け透けな事を言う。今度は斎藤が返す。

「それも皆同じだよ。俺は美容師やってたけど、自分の店持ちたいと思ってね。」

と答えた。その会話を中島と高倉は一部始終、見とれていた。若さというのは、こんなにもあっさりと人を近ずけるのか。と驚嘆した。いや、或いは自分達が根暗なだけなのか?とも思った。これで4人。

「あと2人っすね。」

と田中が言った。あっ、そう。とも思ったが、なぜそんな事を知っているのか不思議だった。

中島は田中に訪ねてみた。

「この会社で既に働いてる・・・んですか?」

と敬語を付け足した。どうも見るからに若いヤツに敬語を付ける事に違和感を感じたが、だからこそ、人と話すのが苦手なのかと自らを戒めた。

「いや?俺も来たばっかりすけど、6人集まるって聞いたんで。面接した時に聞いたんす。」

田中は真っすぐに答えた。天真爛漫な若さは、情報すらいとも簡単に得られるのか。と中島は軽い嫉妬を覚えた。しかし、簡単には変われない自分がそこにいる事も既に分かっていた。そして、また扉が開いた。

最後の採用者であろう2人組が、おずおずと入って来た。軽く挨拶をし、ここにいる皆が採用者であることを確認した。濃いヒゲをはやした難しそうな男性は、どこか偉そうに

「権田です。どうぞよろしく。」

と述べた。もう一方の肥った男性は、高い声で

「飯倉です。」

と誰かの足元を見て言った。中島はその態度に苛立ちを覚えたが、最近よくいるコミュ症なのだろうと受け流した。飯倉は見るからにオタク臭がした。

これで全員が揃った。お互いがお互いをまだよく知らないので、ここにいる全員が、このメンツの個性を探っている。消費者金融通いの中島、娘2人元コックの高倉、美容師の斎藤、若さの田中、偉そうなヒゲオヤジ権田、オタクの飯倉。それぞれに事情がありここにいるのはそれぞれに分かっていた。



一行は、ワンボックスカーに乗せられ新たな職場に向けて走っていた。東京から車で2時間、神奈川県のある地域にいる。住み込みで働ける職場で、敷地内に寮があるらしい。ちょっとした出稼ぎ感覚だ。中島は

道中、車の中でヒゲオヤジの権田と隣になった。権田のなんとなく偉そうな雰囲気は気に入らなかったが、

話位はした。というより一方的に語ってきた。話を聞くにこの権田は、どこか大手の会社の重役だったらしい。仕事で部下が大きな焦げ付きを出し、責任を取らされていたらしい。舌打ち混じりにトツトツと話し始めた。権田は未だに納得していない様子を見せた。重役の時のプライドが捨てきれないのだろう。それもまた不憫に思った。そんな事を聞いてしまっては嫌ったままでもいられなかった。だが、それに引き換え前の席に座っている高い声のオタクの飯倉は、不快な饒舌を披露していた。若い田中と何やら盛り上がっている。アニメや漫画の知識を自慢げに語り、粋がっていた。

「まあ、ホントのファンというのは、どこまでグッズを集めて貢献できるかって所で・・・」

などと語っていた。恰好付けているつもりなのだろうか?飯倉のオタク振りは、中島の全てを逆なでした。

しかし、田中の方はすんなりと受け入れ楽しそうに話している。若さ故に他人を受け入れやすいのだろうか?あまりオタクの話に意識を持っていかれないように心を閉じた。



目的地に辿り付いたらしい。車は大きな工場の門の前で止まった。運転手は車から降り守衛と何やら話していた。「キイ、キイ。」と門は開き、車はするりと敷地に進入した。大きな工場はわりときれいな建物で、植木屋が芝などを手入れしていた。6人全員が車の中から辺りの景色をキョロキョロと見回していた。

しかし、車は敷地の一角のさびれた方へ向かう。そして、ある建物の前で停車した。運転手に車を降りる様に促された。そこは今は使ってなさそうな倉庫のような建物だった。どうやらここで仕事をするらしい。

その時、一人の男性が現れた。ニコニコと丁寧に皆に挨拶をした。

「初めまして。担当の渡です。お待ちしていました。」

と頭を下げた。そこで運転手とは別れ、担当の渡さんが後を引き継いだ。今日は既に夕刻だったので、

建物内を見学するだけとなった。見学と言っても作業している人などいない。やはりこの工場での生産はしていないようだ。それにしては、電気や工場の機械設備、水道、トイレ、どれも今すぐ使えるものだった。

天井からぶら下がるクレーンなどは動作に何の問題も無く、手入れもよく施されているように思えた。

担当の渡さんは言う。

「皆さん今日はお疲れでしょうから、今日はこの辺にして寮に案内します。明日から仕事ですので、しっかり休んでもらってね。あと、ささやかですが晩御飯で飲み会でもしましょう。いや、私は帰りますがね。

あ、それと、明日の朝、皆さんの雇い主と挨拶があります。テレビ面接ですが。」

そう言った。雇い主?少し背筋が伸びた気がした。そのまま寮に案内された。寮の部屋は個室だったので安心した。オタクと相部屋なんて冗談じゃない!それぞれの部屋に荷物を下ろし、2時間後、食堂に集まった。そこには立派な料理とビールが並んでいた。全部、渡さんが用意してくれていたのだ。

「皆さん今日は大いにやって下さい。では、私はこれで。」

そう言うと、渡さんは逃げるように踵を返してしまった。皆、いきなりで驚いたが、余程忙しい人という事で落ち着いた。そんな事より目の前のご馳走に目を奪われた。中島にしてみれば、こんな会など久しぶりだった。



飲み会は大いに盛り上がった。オタクの飯倉が隣の席に座ったが、最早そんな事はどうでも良かった。

食堂にはこの6人だけだった。寮の者は1週間毎に清掃、片付けにくるので洗い物などもそのままにしておいてくれとの事だった。6人だけ・・・周りに遠慮する必要など何処にも無かった。こんなに楽しいのは久々だ!中島はこれまでの鬱積と共に笑い飛ばした。それは気難しそうな権田でも同じ事だった。

いや、権田だけでは無い、皆心から笑い、楽しい時を共にした。中島はこの新しい仲間たちと過ごしていくことに胸を膨らませた。酔いつぶれた各々は自分の部屋に戻り朝を迎えた。



翌日、気持ちの良い朝だった。昨夜宴を開いた食堂には、数人が話をしていた。中島に気づいて高倉が挨拶した。

「おはようございます。朝起きて来てみたら、なんかモニターみたいなのが置いてありました。これで雇い主と話しするみたいですね。」

中島は思い出した様に

「あ、そっか。そうですよね。そうそう。」

と都合よく返事した。現在午前7時、皆、朝食を済ませてテレビの前で待機していた。

その時、モニターに電源が入り、男性がこちらを覗きこんだ。

「あ、あー皆さん聞こえますかー?皆さんの姿見えてますよー。話してみてくださーい。おはようございまーす」

その男は、ユーチューバー風で顔をアニメキャラのお面で覆い、顔は、分からなかった。

なんだこれは?そう思った時、隣で声がした。

「おはようございまーす。」

一番若い、田中が返事をした。

「あー聞こえる聞こえる。田中君、返事いーね」

そのやりとりを皆、不思議そうに見守っていた。やはり、すこし面識があるらしい。

「はい!それでは!皆さんの、お仕事内容を、ご説明いたします!」

急な元気な声に皆、はっとした。

「皆さんの、お仕事は、殺し合いです!」

・・・・・静寂が辺りを支配した。爽やかな朝もやの音が、サーッと流れ込んだ気がした。

「私は、この建物を買い取りました。色々手回ししてここは、治外法権です。人を殺しても罪には問われません!皆さんの部屋のベッドの下に、ナイフがあるのでそれで殺しあって下さい。生き残った人に500万円です!質問ある方!?」

一方的にまくしたてる雇い主とやらに、質問よりもこの状況を理解するのに時間が必要だった。

中島はようやく声を絞り出した。

「は。は?何を?こ、ろしあい?え?」

アニメキャラの面を付けた男は当然の様に答えた。

「はい、そうですよ?私、一発当てて金はあるけど暇でして、こーゆーの面白いかと思いまして。皆さんの動向は監視カメラで色んなとこから見えてます。ほら、そこからも見えるでしょう?」

言われたままに、天井を見上げると半球状の黒い物がはりついていた。目を凝らすと中のカメラがこちらをうかがっていた。中島は、事の成り行きを理解する事ができ始めていた。

「バカな事を。誰がそんな事するんだよ!するわけないだろ!」

中島はテレビモニタを睨みつけた。雇い主は返した。

「無理ですよ。もうその建物、密室ですもん。出られませんよ。それに、すでに500万貸したやつもいるし。そこの田中、ギャンブル狂で借金、私が立て替えたんですよ。な?田中君、頑張れよ。君が生き残れば全部チャラだ。未成年のくせにそんな事するから。」

田中は下を向いていた。雇い主は続ける。

「今、7時半だから、8時から開始して下さい。まだ質問ある人ー?。」

今度は高倉が口を開いた。

「私たちは、製造業と聞いています。」

不安を纏わせた声が、静かに零れ落ちた。

「あっ。あー・・・・じゃ、・・・・うん!ナイフの切れ味の確認って事で!あと、月棒って言ったのは、

何日もつか分かんないから、そーゆー表現ってことね。こんな求人に応募してくっからだよ!怪しいって分かんだろ普通。バカの集まりだな!クククッ。」

苛立ちを伴う笑い声がした。どこへ行こうと負け組の生き方が付きまとうのが腹立たしかった。

「じゃ、皆さん、ご安全に!」

これ以上のない嫌味を残し、モニターはプツンと音がした。無音の空気が重く圧し掛かる。

中島は負けじと声を出す。

「こんな事、やるわけねーよな?いやいや、やる奴いないって・・・・」

しばらく沈黙は続いたが、誰かが、恐ろしい事を口にした。

「罪には、ならない・・・」

また、声が続いた。

「治外法権・・・」

催眠術でもかけられているのか、皆、一定の方向を示唆されているようだった。

その時、泣き崩れるかのような声で叫び始める者がいた。

「ホントすいっません!ホントにすいません!」

若い田中が叫んだ。その悲痛な声に皆、驚き、我に返った。なんと田中は両手でナイフを抱え、追い詰められた表情をしていた。

「あああー!!」

田中が迷いなくナイフを振り上げた。

皆、走った。蜘蛛の子を散らす様に。時計は8時を回っていた。

予定通りに運ぶシナリオを、天井のカメラは見守っていた。




権田の場合。



振り上げられたナイフから逃げる様に転がり込んだのは、会議室の様な部屋だった。

真っ暗な部屋にたどり着き、机の下に身を潜めた。心臓が激しく躍る。ヒゲ面は汗で濡れ、気難しそうな男の威厳など、もはや何処にも無かった。暗闇を盾にして、息を静かに溶かした。ドアのすりガラスから漏れ落ちる灯りすら憎く思えた。この時、権田は気付いた。身を守る武器は、自分の部屋のベッドの下だ。

丸腰の状態は、生きた心地がしなかった。パニックとはいえ、どうして自室に逃げ込まなかったのかと悔やんだ。非常口の緑の灯が、外へと誘ってくれる標に感じたが、この建物自体が密室だった。

「カツン!」

ドアの向こうで音がした。誰かがいるのだろうか?権田には目で見て確認する余裕すら無かった。

誰も来ないでくれ・・・心から願った。

「キィー」

ドアが開いた。権田の願いはヒトヒラも届かなかった。

「ヒタ・・・ヒタ・・・」

足音が暗闇の中で、権田を追い詰めた。

「ヒタ・・・ヒタ・・・」

足音の主は、誰かは分からない。権田は、もう祈るしか無かった。

「頼む、このまま出て行ってくれ・・・」

そう願った矢先、足音が止まった。どうなったのであろうか?権田はゆっくりと顔を上げた。

「見っけ。」

それが最後に聞こえた言葉だった。鈍く横たわる鋭利な凶刃が権田の顔を噛み砕いた。

「カガッ!」

それは、ナイフが頭蓋を蹂躙する音なのか、権田の断末魔なのか、不思議な音だった。

鮮やかに溢れ出る、満開の血の花が、非常口の緑と合わさってとても美しい絶景を織り成した。

権田には、もう恐怖につきまとわれる心配など、無用の長物になった。ただの肉塊は、そのままその紅い血のソースに身を落としたのだった。



高倉の場合。


元、コックの高倉は上手く自室まで逃げる事が出来た。そして、ベッドの下に手を伸ばしてみた。・・・あった。ナイフだ。刃渡り20センチというところだろうか。人を殺すには、十分な大きさだった。

しかし、こんな物、自分に使えるのだろうか?人など殺せるのだろうか?高倉は心配な事があると、ケータイの中の娘2人の写真を見る癖があった。いや、それは、癖というより自らが生きる為の理由を探す行為なのかもしれない。こんな時にも関わらず、高倉は過去を振り返っていた。娘2人には、惨めな思いをさせたかもしれない。高倉は不器用ではあったが真面目だった。そこに否定の余地は無い。ただ、高倉の妻は家を出て行った。生真面目さがつまらないと思ったのだろうか?自分を否定された理由も分からぬまま、自分を否定するしか無かった。コックの腕を生かし、休日には家族に食事を作った。普通であることがそんなにいけない事か?高倉はいまだに納得しきれない所があった。しかし、今は娘たちの為にここで死ぬわけにはいかない。高倉は考えた。・・・・やはり、こんな事は間違っている。皆も話せば分かってくれるだろう。

高倉は皆を説得しようと廊下に出た。その考えが甘かった。

「ドスン!」

誰かが後ろからぶつかってきた。後ろからナイフで突き立てられたのだとすぐに理解した。

2、3歩進んで膝をついた。膝が吐血で紅く染まった。高倉はケータイを開き娘の名前をよんだ。

「グボログボロ」

吐血が邪魔で声には出なかった。

「グボグボ」

名前を呼び続けているのだろうか?吐血で見えなくなる娘の写真を何度も手でこすり、ガクガクと震えた。

自らの声で娘の名前が呼べないのが、とてつもなく悲しかった。そして力無くそのまま床に倒れ込んだ。

ケータイの中の娘達の写真は、幸せそうに笑っていた・・・・



斎藤の場合。



元美容師、斎藤は自室へとたどり着き鍵を締めた。ひとまずはこれで安心だろう。初対面で話が盛り上がった田中があんなに狂うなんて驚きを隠せなかった。しかし、自分の身は守らないといけない。ベッドの下を

探ってみた。たしかにナイフがあった。短刀術などやった事は無いが、まあ、何とかなるだろう。斎藤は、割と楽観的だった。罪にはなんないならやっちゃってもいいよね?位に思っていた。磨かれたナイフにその端正な顔立ちが写り込んだ。斎藤はかなり器用なタイプで苦労とは縁のない人間だった。見た目も良く、女にもモテた。何もしなくても大体が上手くいった。今回も大した事でも無いだろう。きっと、うまくいく。

そう思っていた。生まれついての余裕屋なのか、自分の店のイメージやらを考えていた。一つあくびを吐き出した、正にその時。

「バガン!!」

この部屋のドアが叫びを上げた。斎藤も飛び上がった。さらに、

「ベキッ!!バゴッ!!」

ドアが破壊されていく。

このドアの向こうに、明らかな殺意を持つ者がいる。何か道具を見つけたのだろうか?たしかにこの建物は

工場だった。大きなハンマー位ならあるだろう。殺人鬼が、距離を縮めて来る。斎藤は本物の殺意に当てられ、心から震え上がった。・・・・・殺される。今さら恐怖が全身を駆け巡った。

「メキイッ!!」

遂に、殺人鬼とこちらの部屋の繋がりを許してしまった。ドアには野球のボール位の穴ができた。そしてそこに、

「フーッ、フーッ・・・」

獣の様な呼吸で、穴からこちらを覗く者がいた。かっと見開いた眼光が獲物の姿を捉えた。

斎藤は腰から砕けてへたり込んだ。

「バキバキィ!カチャッ。」

向こう側から腕を突っ込まれて鍵を開けられてしまった。のそり・・・獣が足を踏み入れる。部屋に悪意が充満した。

「待て。待ってくれ!俺はもう金はいい!いらない!リタイヤする!」

斎藤は必至に懇願した。このただの器用な男では、殺人鬼に抗う術など無い。しかし、今さらリタイヤすると言った所で何かが変わるのだろうか。殺してしまえばいいだけの事だった。捕食者がゆっくりとにじり寄る。左手にはナイフ。右手には大ハンマーを携えて。

「ズ、ズ、ズ、ズ。」

大ハンマーを引きずる音が捕食者の腹の虫の様に響いた。

「頼む!ヤメテく・・・」

「グボッ!!」

最後まで言い切ることも出来なかった。たった数秒前まで端正な顔立ちをしたその男の価値は、皆無になった。

「バゴン!!バゴン!!」

鉄の槌が道具としての役割を果たした。斎藤の頭の形を減らしてゆく。ビクンビクンと体が踊った。

描き染めたバラの絨毯で、華やかなダンスを表現している様だった。この世に残したスマートな肉体は未だに美しく、また新しい首から上の主を探している様だった。



中島の場合。



中島は自室へと辿り着き、1つ2つ深呼吸した。ベッドの下のナイフを手に取った。これからどうするか。

殺されてたまるか・・・・このサバイバルを生き残る為考えた。とにかく、この部屋にいてはだめだ。

この部屋の四角には、逃げ場所など何処にも無く追い詰められる。そんな気がした。静かにドアを開けた。

誰もいない廊下には、空気が張り詰め、重い冷気が肌を刺した。中島は足を進める。誰がどこに潜んでいるか分からない・・・・見通しの良い場所を探すことにした。廊下や公の場所には電気がついていた。

その明るさは中島の正気を保たせた。少し歩くと作業場に出た。作業場は広くて見通しが良かった。ここで時間が過ぎるのを待った。他には何も出来なかった。他の皆はどうしているのだろうか?気が合った高倉は無事だろうか?中島もまた、殺人などする気にはなれなかった。一時でも酒を飲み合った連中だ。そこから殺し合いをさせるのが雇い主の偏った趣味なのだろう。人間までを捨てる事は出来ない。中島は首を横に振り、ため息をついた。その時、何かが聞こえた。

「ずるり・・・ずるり・・・」

何の音だ?中島は耳を澄ました。

「ずるり・・・ずるり・・・」

不気味な音は近づいて来ている。不吉な予感が中島を覆った。

「ずるり・・・ビチャッ・・・ずるり・・・ビチャッ・・・」

物陰から這い出てきたのは、赤黒い血を垂れ流し、おぞましく蠢く生き物だった。

戦慄が走った。ゾクリと全身の毛が逆立つ。しかし、蠢く者は

「・・・すけて・・・助けて・・・」

と助けを求めた。血に濡れた服装を確認すると、それは、オタクの飯倉だった。

顔の皮は半分剥がされ、手足は複雑な形をしていた。最早、殺害を楽しんでいる。悪魔の所業だった。

飯倉が這って来た道筋を血の塊が轍になって一本道を形作っていた。・・・こちらの居場所を示す様に。

ここにいたら、道連れになる。中島は逃げ出した。階段を上がり物陰に隠れ、震える手を必死に抑えた。

死にたくない!生きていたい!どんな生活でもいい、元に戻りたい!そう願った。

「グイーン・・・・」

機械音がした。全てが恐怖に思えた。中島の目に入り込んだのは、クレーンで釣り上げられていく飯倉の姿だった。クレーンのフックを後頭部から突き刺し、フックの先端が口から飛び出していた。滝のように流れ出す血が、ビチャビチャと高い位置から床に叩きつけられた。大きなマグロでも釣り上げて見せびらかしたい気分なのだろうか?ガタガタとクレーンを動かし、飯倉の亡骸を弄んだ。そして、気が済んだのか、

「カンカンカンカン」

と、階段を上りこちらに向かって来た。

「ヒョーウ!ホッホーウ!」

と奇声を上げ狂った様に笑い上げる。

「中島さーん!隠れても分かってんすよー!出て来てよー!」

と、昔の借金取りの様な物言いをした。中島にはもう逃げ道すらなかった。観念して姿を現す。

そこにいたのは、やはり、田中だった。返り血を浴び、どこから見ても人殺しだった。

「もーいいっしょ。中島さんでもう終わりなんすよ。皆、俺が殺ったんで。ね?」

そう言うと田中は詰め寄った。ブルブルと震える手で中島はナイフを構えた。

「あーもう、中島さん、生きててもしゃーなくないすか?なんかいー事あるんすか?」

と身勝手な事を言い始めたが、中島は、返す言葉も無かった。こんな若造に好き勝手言われても、無意味に

生にしがみつきたかった。静けさが時間の流れを歪ませた。田中はいきなり猛然と走り寄り、中島に襲い掛かった。逃げ回っていた時点で、勝負にならなかったのだろう、殺し慣れた田中とは対照的に中島は体が硬直した。・・・死ぬ。中島がそれを確信した時だった。真横から大きな塊が辺りを薙ぎ払った。田中に覆いかぶさり倒れ込んだ。その塊は、口から血を吐いた高倉だった。すでに大きな傷を負っていたが、絶命はしていなかった。

「この!死にぞこないが!」

田中は下から高倉をナイフで突き上げた!高倉も上からナイフを振り下ろした!互いに何度も何度も。

その動きは、まるでチャチなオモチャが暴れている様だった。

「ガボガボォ」

どちらの吐血の音か分からなかった。田中は苦しそうに悔しそうに動かなくなった。

高倉もゆっくりと頭を下げて動かなくなった。・・・・・中島は呆けてそれを見ていた。工場がまた、静寂を取り戻した。

「高倉さん・・・・」

まだ温もりのある高倉に手を伸ばした。致命傷を負っていた高倉は最後に気が合った中島を助けたかったのいだろう。やり遂げた見事な最期だった。そのまま床にへたり込んだ。その時、工場のスピーカーから音がした。

「ガガッ。コングラチュレーション!いやー予定外でしたけどおめでとうございますー。ドラマでしたねー。なんという強運の持ち主!まさか、自分が手をかけずに生き残るとは!じゃあ、約束の500万、

振り込んどくんで、またお願いしますねー。」

そう言ってスピーカーは沈黙した。・・・・普通の生活が、とても愛しく思えた。




あれから季節は世界を変え、草木は息吹を纏い始めた。・・・命を与えられた中島は生きる意味を考えていた。投げやりになっていては申し訳ない。高倉の墓に参り、花と酒を添えた。墓前に座り酒を飲んだ。

もう一度、酒を酌み交わしたかった。余りにも短い付き合いだった為か、涙は出なかった。それでも、中島はまた、ここに来る事を誓い友の墓を後にした。暖かい風が、中島の背中を後押ししていた。




終。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 怪しい雰囲気とキャラクター達で面白かったです。
2019/01/26 09:22 退会済み
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