決戦(10)
殺すかどうか迷うジョルノを無視し、片腕を失ったソフィアは一定の距離を保ちながら小瓶を取り出して赤黒い液体を飲んだ。
リカルドから渡されたエルフの霊薬だ。
ソフィアは液体を飲み干し、切られた右腕を抑えて言った。
「この霊薬は私達一族の秘術であり、それそのもの……さっきまでの私じゃ無いわよ」
ソフィアの右腕の断面から骨が伸び、そこから肉が生まれ、皮膚で覆われた。
エルフの霊薬の効果は二つ、身体の再生と魔力の発生。中でも魔力の発生は凄まじい。
正しく薄め、正しく飲み、才能ある者ならば魂との対話無しで魔力を宿すことすら出来る。
ソフィアが生えて来た右腕を頭上にかざすと、何も無い空間から霧が集まるように水球が発生する、それは連鎖し、いくつもの水球が作られた。
ジョルノは変わらず無表情だったが、眉がピクリと動いた。
兵士を辞めた今でもなお初めて見る戦闘技術は興味深いのだろう。
「無から有を生み出す薬か?見るのは初めてだ……」
霊薬は高価であり、何よりも貴重品た。帝国中を探して集めても本物は10も無いだろう。
それ故に一番の下の兵士に合わせて戦略を練る戦争において、突出した個を作る霊薬は無用の長物、霊薬を買うその金で兵士を雇った方が有効なのだ。
そのため主に戦争の中で戦うジョルノも初めて見るものだった。
ソフィアは足元に落ちた弓を拾いながら答えた。
「無から有ですって?エルフの霊薬でもそれは出来ないわ。水は空気中を漂う水分から集めた、この腕は元の持ち主からの贈り物よ」
言うと同時に溢れ出す魔力から生み出された膨大な数の水球がジョルノを襲った。
水球による衝撃は急所に当たれば、骨折すら与えうる攻撃力を持つ。
ジョルノは全速で駆け、今なお続々と発生する無数の水球と要所要所で飛び交う赤の矢と即席の矢を避け、あるいは剣とナイフで弾いた。
防戦一方、帝国最強がたった一人の魔法使いに踊らされていた。
だが、長くは続かない。
数分が過ぎ、ジョルノは息を激しく切らしていた。
ソフィアの魔力は尽きた。
「なるほど……これは確かに仲間ごと巻き込む攻撃だ……」
ジョルノは勝利を確信し、息が苦しい中で、精一杯の賞賛浴びせた。
「勘違いしないで……これだけじゃない……」
できれば使いたく無かった力、使い終われば完全にお荷物になるソフィアの最後の奥の手。
ジョルノはその姿を見て、驚きを隠せなかった。
ソフィアの顔の皮膚に木目が浮き出た。全身が血の気を失いひび割れ、体中から生えて来るウネウネと蠢く植物が体を服ごと覆った。
指はいくつものツルに分かれて伸び、葉が生え、やがて収束して太くなっていく。
足は大木のように太い根が伸びて幹のようになった。
巨大な二足歩行する植物の頭部に当たる部分からは巨大な青色のバラのような花が生え、ジョルノを見据えた。
二本の太い腕からは何本ものツルが手首程の太さを持ちながら伸び、鞭のようしなった。表面には細かい棘が無数に乱立している。
「バラの悪魔とはよく言ったものだ……」
ジョルノが言った。
ドライアド、その種族がエルフィン連合国内で鬼人に匹敵する最強種族と呼ばれるゆえんの力。
植物化の力、短時間限定ではあるが、自身を植物とすることができる。
ドライアドが変化できる植物はそれぞれの特性に合わせた一種類だけ。
ソフィアは『その植物』になった。
生命力溢れる森の中でそれは普段よりも更に大きく、強力な力をソフィアに与えた。
二人の戦闘の後方、ダリルが連想したのはソニーの腕だった。
ソニーの腕が耳鼻目が生える鞭に変化したとき、おぞましいと言ったが、あれは失言だったかも知れない。
ダリルは小さな声で謝罪し、二人を見守った。
ソフィアは二本の腕を鞭のように振り回す。
木々が生い茂る森で器用にそれを扱う。
圧倒的な膂力とその速度でジョルノに攻撃を繰り返す、木を盾にするならば、木ごとなぎ倒して鎧を掠めて吹き飛ばす。大木の裏に隠れようが、それを回り込んだ鞭がジョルノを腕や顔を削る、鞭をナイフで防ぐのならばナイフに巻き付いてそれを奪い、そのついでとばかりに指にいくつもの切り傷を作った。
ジョルノは全く近づけない、近づけば近づくほど、足に絡まろうとする植物が勢いを増している、一瞬でも、捕まれば、次の瞬間には死が待っている。
だからと言って遠ざかることも出来ない。
腕から繰り出される鞭の攻撃の先端はジョルノでも目視できず、音の壁を突破し、爆発音に似た音を出しながら周囲の木々を切り払っている。
少し遠ざかればその不可視であり不可避の攻撃が体を四散させる、その未来が容易に想像できる。
ジョルノは森を駆け回り、集中力の全てを防御と回避に回し、いくつかの傷は諦めて受けながらも致命傷は防いでいた。
植物化の力は時間が過ぎれば元に戻り、強烈な疲労によって歩くことすらままなくなる。
ダリルが後方に控えているのはこの力の行使後の動けないソフィアに肩を貸す事ためでもある。
いくつもの攻撃により時間ギリギリにやっと、ソフィアの望んだ位置にジョルノが立った。
否、立たされた。ジョルノは自らが誘導されていることにすら気づかないほど、体力と神経が削られていた。
特別製の矢4本が突き刺さるその中心地、地表からは矢が突き刺さったように見えても、地中では深く広く根を張った矢が、今か今かとソフィアの命令を待ちわびていた。
ソフィアは二本の腕波打たせて高速の一撃を加えると同時に、四方にある矢に命令した。
一斉に攻撃せよ。と
濃茶、薄茶、赤に紫、特別製の矢からは棘の生えたツル数本を一気に作り出し、示し合わせたかのように隙間なくジョルノに伸びた。
その速度はソフィアの両腕による攻撃と同等だった。
ジョルノは衝撃音と共に植物に覆われた。
一瞬の静寂と共にジョルノを覆う植物が枯れ始める。
バラの悪魔と呼ばれる巨体の中心からソフィアが溢れ落ちた。
ソフィアの体は一回り細くなり、髪は伸び放題に荒れ、皮膚は水分を失っている、見るからに満身創痍。
立つこともできず、足に力なく曲がり、両腕で支えてやっと座っていられる状態だった。
枯れた植物の球体の中心からはジョルノが縮こませた体を立ち上がらせた。
「まさか……」とダリルが小さな悲鳴をあげた。
ジョルノの身体には無数の擦り傷はあるが、棘による刺し傷は浅いうえに数カ所しかない。
その数カ所も正中線や腹部など致命傷と成り得る場所には無い。
ジョルノは完全なる防御を諦め、致命傷だけを守ったのだ。
ジョルノは未だに戦闘可能だった。
ジョルノは息を切らしながらゆっくりと歩み寄り、ソフィアの首に剣を当てて言った。
「……ここまで追い詰められたのは……初めてだ……」
「たくさん傷付いたわね」
ジョルノが剣を振り上げた。
「……この程度、傷の内には入らんだろう……」
ソフィアはやつれて青白い顔を上げ、死神のように不気味に笑った。
「いいえ……それで充分よ……」
ジョルノがその笑顔の意味を理解したのはその直後だった。
ジョルノは体に強烈な悪寒と同時に感じた。
めまい、痛み、幻覚、灼熱感、手足のしびれ、息苦しさに不整脈などありとあらゆる症状がジョルノを襲う。
悶え苦しんで喋れないジョルノにソフィアが一方的に告げる
「あなたは毒を持つ植物の攻撃を受けた、天使のラッパ、死の小林檎、悪魔のベリー、死人花、そして私の植物化の力、全毒の女王……そう呼ばれる植物達の毒を即効性に特化させて注入した。間も無く……あなたは死ぬ……」
ジョルノは言葉にならない呻き声をあげて苦痛に顔を歪ませた、瞳孔は散大し、まるで目が見えないかのようにヨロヨロと剣を杖がわりに歩き出した。
ソニーの声がジョルノには聞こえたのか、幻聴か……あるいは偶然か。
その方向はリカルドとソニーが戦っているはずの方向だった。
ソフィアはダリルに肩を貸してもらい、ほとんど引きづられながらジョルノを追い越した。
ソフィアが疲労で朦朧とする意識の中で聞いたのはダリルの有難うございました。という声だった。
——
通り過ぎた二人には見えなかった。
ジョルノは大量の油汗を流し苦しみながらも不敵な笑みを浮かべていた。
ジョルノに毒は効かない。
コネが無く、政治も知らない、そんなジョルノが貴族以外では初めて帝国の大隊長にまで登りつめたのは、数多の暗殺をかいくぐったからだ。
その暗殺の手段には当然毒殺も含まれる。
ジョルノは生まれ持った毒への耐性と、毎日少量の毒を口にすると言う常軌を逸した訓練によってそれを克服したのだ。
常人なら即死する程の毒量でも分解し終わるまで時間は要さない。
ジョルノは時を数え始めた。




