3.翡翠龍
――時は帝国歴743年。
『アメリア大陸』から西に、船で1ヶ月程の位置に存在する大陸。
その大陸のとある森の中で、幼い少年がうなされている。
少年はひどく痩せており、あばら骨がくっきり浮き出て、手足は棒のように細かった。
「はぁ……はぁ……」
肩で呼吸しなければならないほど息苦しい。
身体の内から、炎が燃え上がっていると錯覚するほど全身から発熱している。
だが不思議と、燃えるような熱は次第に引いてゆき、肌寒さを感じて俺は身震いした。
やせ細った右手を額に当てると、大量の汗をかいているようで、びっしょりと濡れている。
先程の寒気は、発汗した際の気化熱によるものだろう。
深い眠りから意識が覚醒した俺は、鼻先をくすぐる草の香りに思わず起き上がり、あたりを見渡した。
「ここは……?」
ぼやけた視界が次第に鮮明になり、周りの状況を確認することができるようになった。
どうやら俺が目覚めた場所は、太陽光が僅かしか降り注がない深い森の奥のようだ。
ジメジメと水分を含んだ大地には、深緑の苔や毒々しいキノコが生えている。
見上げると、空を覆い尽くす巨大樹の葉が生い茂り、太い幹には禍々しいエンジ色のツルが巻きついている。
「目覚めたか」
低い声ではあるが、どこまでも響くような重厚な声。
俺があたりを見渡していると、背後から何者かが喋りかけてきた。
何者かに喋りかけられた俺を、ビリビリと電流が身体を駆け巡り、それに加え身体が鉛になったような感覚が襲う。
背後から感じる圧倒的な何かを感じ、恐る恐る後ろを振り返ると、巨大な眼がギョロリと俺を見ていた。
「うわわぁぁぁぁぁ」
蛇に睨まれたカエルの気持ちが嫌という程わかる。
今にも逃げ出したいが、体が言うことを聞かないのだ。
額から吹き出す汗、心臓が早く鼓動しているのが分かる。
巨大な口が開き、千剣が並び立つような鋭利な牙が視界に映った。
――食われる!! と思った俺は反射的に目を閉じる。
--目を閉じてから10秒ほどだろうか……
まだ俺は生きている。心臓の鼓動は以前早いままであるが、確かに脈を打っている。
「食べはせんよ、とりあえず落ち着かんか……はぁ……とは言うたものの、人間如きじゃ我が魔力の前では無理だろうな」
俺は巨大な何かの全貌を見るため、ゆっくりとゆっくりと顔を上げる。
10メートルを超える巨大の体躯を、エメラルドグリーンの鱗が覆い、背中には一対の翼が生えていた。
目の前にいたのは、一体の龍だったのだ。
「翡翠の龍……?」
「いかにも、我は翡翠の龍【エウロス】。【エウロス】と呼んでくれ」
自己紹介を手短に終えた【エウロス】と名乗る翡翠の龍は、みるみる姿形を変えると、緑髪、鋭い目つき、強者を匂わせる筋骨隆々な男性へと変貌した。
「あぁ、これは【人化の術】だ。久しぶりに使ったんでな、なかなかにのっ、んっ……」
人の姿になった【エウロス】は背伸びをしたり、肩を回したりしている。
「【人化の術】……魔法!?」
「【人化の術】ってのはな、魔力量や戦闘力の面で不便なもんでな、こういう機会でもない限り滅多に使わんのだよ。それに長時間この姿でいると、体中が凝るんだよなぁ。なれないねぇ」
俺があまりにも驚いた顔をしていたので、頭を掻きながら説明してくれた。
「そういえばお前の名を聞いてなかったな、名はなんというのか?」
「俺の名前はえっと……あれ? 思い出せない……」
自分の名前、いやそれ以前に生い立ちなど思い出そうとしても、記憶が空洞のようで何も思い出せない。
(困ったな……)
「記憶喪失か……ふむ、ここで話すのはなんだし、わしの家がこの近くにあるんだがどうだ?」
これまでの会話を聞く限り、【エウロス】に敵意はないようだ。むしろ俺を家に招待しようと言っている。
そもそも端から殺すつもりなら、後から俺を食べればよかったのだ。
そうとわかればついて行く気になった。
記憶もない俺が、ジャングルのような知らない地で自給自足するより、誰かに頼って生活する方が生存確率が高いのは明らかだ。
「是非! よろしくお願いします」
お世話になることを決めた俺は、深々とお辞儀をしたがどうやら無礼でも問題ないらしいようだ。
「あぁ、そういや俺と話すときは敬語じゃなくていいぞ。そういうの苦手だからな」
「はいっ!」
鬱蒼と生い茂る樹海を歩くこと10分、【エウロス】は大きな黒い幹の大樹の前で立ち止まった。
苔むした大樹の根の隙間に、なにやら木製のドアが付いている。
元は木特有の明るいブラウンだった木製のドアは、今や風化して見る影も残していない。ドアノブも錆び付いていて、赤茶色をしていた。
「あそこだ」
どうやら、ここが【エウロス】の言っていた家のようだ。
【エウロス】はドアの前で立ち止まり、聞いたことがない言葉で何か唱える、俺にはさっぱりだった。おそらく何らかの魔法だろう。
古びたドアをくぐると、年季を感じる室内はほこりをかぶっていて、かび臭かった。
自然光を取入れるための採光窓はあるものの、如何せん森の奥地ということもあり、室内は非常に暗かった。
それもその筈、【エウロス】が龍の姿のままドアをくぐることは不可能だ。それに、ここ最近人の姿になっていないと言っていたし、当然のことといえば当然だ。
「おれはいつも別の場所で寝ているからな、見ての通り埃かぶっている。まあ、魔法で掃除できるから問題ないぞ、【浄化】、【光】」
掃除の魔法を使った部屋は、みるみる本来の色を取り戻しカントリー風な部屋で、居心地がいい。
部屋の中央にはランプが置いてあったので、それに光の魔法で明かりを灯したのだろう。
室内は見違える程に明るくなった。
光の灯ったランプの中には黒い水が入っていて、その水が燃料になっているようだ。
「ランプの中の黒い水は何?」
「あぁ、あれは【魔力水】と言ってな、普通の水が魔力を含むとあのように黒くなる。水が燃料というより、水に含まれた魔力が燃料となって光っている。【魔力水】は蛇口をひねると出てくるから、無くなりそうだったら勝手に補給しといてくれ」
【エウロス】キッチンの方を指差して場所を教えてくれる。
キッチンには鉄製のコップがいくつか立てかけられていたものだから、【魔力水】が飲み水として使われているのか気になった。
「ふーん、あの水って飲めるの?」
「あぁ、問題ない。人間にも多かれ少なかれ魔力を持っているからな、毒にはならんだろう。むしろ魔力が足りなくなると、【魔力水】を飲めば回復するから重宝されているはずだ」
「そっか、水は【魔力水】を飲めばいいと。あっ、食料ってどうすればいい?」
「その件については問題ない。お前一人での外出は危険だからな。毎朝、俺が一日分の食料を持ってきてやる」
「わかった」
「とりあえず、これからどうするかの話、それと、お前も聞きたいことが有るだろうが、そういうのは明日にしよう。
お前も疲れておるだろうから、ゆるりと過ごしていてくれ。俺は夕食の食料を取ってくるからな、留守番頼んだぞ」
【エウロス】はニカッと笑うと、手をひらひらとさせて外に出ていった。
いきなり暇になったな。
「さて、何をしようか」
とりあえず家の探索でもしよう。
【エウロス】の家は8畳ほどのリビングの他に、蔵書庫、風呂場、寝室、トイレと、4部屋あるようだ。
これだけあれば十分生活していけそうだな。
ちなみキッチンの蛇口をひねると、黒い水が出てくる。
「これが【魔力水】か……」
近くにあったマグカップに注ぎ、飲んでみることにした。
「うまい!」
乾いた喉を潤し、体の芯からはポカポカした熱のようなものが発生し、全身を駆け巡る。
駆け巡る流動は心地よく、どこか懐かしさを感じた。
活力をみなぎらせた俺は、いたるところに散乱している、木箱の中身の確認をしていると、地下室に繋がる階段を発見することができた。
階段を下りた先には、木製の扉が存在し鍵が掛かっている。
今度【エウロス】に聞いてみよう。
探索を終えた俺は、余りにも暇だったので寝室に行き、ベットに横たると、ふかふかの羽毛を使った布団はとても暖かく、いい感じに眠くなってきた。
――おやすみ。
◇ ◆
ガチャッと言う開錠音が寝室まで届き、おれは目覚めた。
どうやら【エウロス】が帰ってきたみたいだな。
寝室の窓からは、茜色の夕日が指し混んでいた。
「はぁぁあうう」
もうこんな時間か、どうやら3時間ほどぐっすり寝ていたみたいだ。大きな欠伸をひとつこぼし、うーっと背伸びをするとベッドを後にした。
「おかえり~!?」
バタバタとリビングに向かうと、そこには処理された巨大なトカゲが1匹横たわっている。
「ただいま~。ほれみろ、美味しそうなトカゲだろ! 今日はトカゲの丸焼きだぞ、沢山たべろよ」
はは、こんなに食べれないよっ。
――こうして翡翠の龍とひとりの少年が出会ったのでした。
今週、論文と卒業式とかでバタバタしてるので、次の更新はは16日中には更新します!!!遅れてすいません