幸せな結婚式
尽くした男に捨てられても、彼の幸せを望んでいた。
風の便りで落ちぶれた男の状況を知った時、彼女は兄にある提案をした。
それは、自分の結婚式に彼を招待することだった。
第1章訪問者
炎天下の街をさ迷い歩き、戻る頃は日暮れであった。
マンションのエントランスの前に義男がいた。
随分長く待っていたのだろう
片手に珈琲缶を持ち、こちらを睨んでいる。
「遅かったな、携帯は?」
「部屋に・・・」
会うのは3年ぶりだった。
「・・・スッキリしているなぁ~」
玄関を上がるなり義男が言った。
「引っ越すから・・・」
「家具は?」
「処分した」
義男はしばらく部屋々々を歩き回っていた。
僕は、居間で義男を待った。
「これ、置くとないか?」
義男は居間のドア口で灰皿代わりにしていた珈琲缶を示した。
缶の飲み口が煙草の灰で汚れていた。
「流しに置いてくれ、後で処分する」
水道の音がした。
義男が缶を濯いでいるのだろう。
暫くして、濡れた手を背広に擦り付けながら義男が戻って来た。
ガランとした居間の真ん中にテレビがある。
僕はその前に座っていた。
洋服、家電、家具と全部処分したが、テレビだけは残した。
これが無いと流石に夜が長すぎる。
点けているだけで少しは気がまぎれる。
「何処へ行く?」
義男は、隣に腰を下ろしながら訊いた。
お互い顔を合わさず、テレビに向いたまま話した。
「まだ決めていない」
「田舎に戻らないのか?」
「・・・その気はない」
「仕事は?」
「辞めたよ、半年前に、・・・いや、クビかな」
「金は?」
「無い、だから此処を出る。
少しは戻ってくる。
それで数カ月は暮らせるだろう。
ここは高かったからな」
しばらく沈黙が続いた。
「何か買ってこよう、腹がへった、何がいい?」
と言って義男は立ち上がった。
「飯は食った、ビールがいい」
義男はコンビニに行った。
テレビの横で携帯が光っていた。
義男の着信で一杯だった。
3時間前から履歴がある。
怒った顔をしていたのも無理もない。
エントランスのチャイムが鳴った。
モニターに両手にレジ袋を下げた義男が写っていた。
「ずいぶん、買い込んだな」
「ああ、夕飯代わりだ、余ったらお前が食え」
袋の中には、インスタント食品やビールが複数乱雑に入っていた。
「冷えているうちに飲もうぜ」
義男がビールを差し出した。
いつもの銘柄だ。
一本一気に飲み干した。
喉が欲していたのがあからさまだった。
「ここは、何年ぶりだ、3年か?」
と義男がインスタントラーメンを啜りながら言った。
「ああ、それぐらい経つだろう」
義男が来るのはあの日以来だ。
3年前、みゆきと別れる数日前だった。
今頃みゆきのことを蒸し返したくなかった。
「今日は何の用だ、落ちぶれた旧友の慰問か?」
僕は話をそらした。
義男は、背広の内ポケットから封書を取り出し、
ポンと僕の膝の上に放った。
「なんだ、これ?」
「招待状、結婚式の」
「誰の?」
「みゆき」
一瞬、息が止まった。
義男は横顔でビールを飲んでいる。
「そうか、・・・よかった」
動揺を隠すのが精いっぱいだった。
心は見透かされていた。
テレビに向かい2人は沈黙し続けた。
「結婚式は明日だ、迎えに来る」
「朝、出れば昼の式に間に合う」
義男はビールを飲み干し、立ち上がった。
「じゃ明日、8時な!!」
「いかないよ・・・」
「なぜ?」
「元彼がでる結婚式なんて聞いたこともない」
「俺もない!!」
義男は、僕の動揺を鼻で笑った。
「でもな、お前は行かなくてはならない」
「どうして?」
「それがみゆきの希望だからだ」
「あんな仕打ちをしたお前には、それ位の義務がある」
「恥をかかせたいのか?」
「そんな女だと思うか・・・?」
返す言葉が無かった。
みゆきはそんな女じゃない、それは判っている。
「明日迎えに来る」
義男足早に出て行った。
第2章元カノみゆき
義男は幼馴染で親友、そして、別れた恋人、みゆきの兄である。
僕は小学校の頃、母の田舎に引っ越した。
転校先のクラスに義男はいた。
義男は、体が大きく、正義感の強い少年だった。
僕は、よく守ってもらった。
僕らは、親友になった。
義男の家で、彼の2つ下の妹みゆきに出会った。
小柄で可愛い兄思いの妹だった。
それ以来、いつも3人で遊んだ。
高校卒業後、義男は地元で就職した。
僕は東京の大学に進学した。
別れの時、みゆきを強く意識している自分に気づいた。
それは、みゆきも同じだった。
2年遅れでみゆきは、進学上京した。
僕らは、恋愛関係になった。
卒業後、就職を機に、学生のみゆきと同棲を始めた。
漠然とだが、みゆきの卒業を待って結婚するつもりでいた。
仕事は、順調だった。
2年足らずで異例の昇進を遂げた。
職場内は、学歴、美貌、共に兼ね備えた女性が多かった。
僕には、彼女らが眩しかった。
会社主催の外国人クライアントの家族らを一同に招待したパーティが有った。
僕は、みゆきを同伴した。
同僚の女性らは、外国人と笑顔で雑談していた。
それ比べみゆきは、クライアントの子供や年寄と会場の隅にいた。
背が低く、社交性の無いみゆきは明らかに見劣りがした。
僕は、みゆきが色あせて見えた。
それ以来、次第に同僚の女性らと、朝方まで飲み歩くようになり
そして、みゆき以外の女を知った。
そんな僕をみゆきは毎晩夕食を作り、帰りを待っていた。
僕は、みゆきを鬱陶しく思い始めた。
第3章消失
そんなある日、義男が突然訪ねて来た。
3年前のことだ。
義男は、仕事のついでだと言っていた。
僕は、気まずかった。
みゆきとの別れを決心していからだ。
その時、義男が話したことを思い出した。
義男は、二十歳の時、初めて口にしたビールを今も飲み続けていると言った。
色々浮気したが、結局、最初の奴が一番旨かったと。
そして、こうも言った。
「恋愛の最後に良い女に巡り合う、これが理想だ。
しかし、現実は逆もある。
ビールなら一周回って元に戻れるが、女はそうはいかない」
「最良と別れて、最悪と結ばれる。最悪だな!!」
義男の云わんとしていることは、よく判っていた。
巡り合った最良の人を、移り気で失う事もある、
と言いたかったのだろう。
人が成長しないなら義男の言う通りである。
だが、人は成長する。
それ故、出会いと別れは必然的格差のバランスによるものだ。
地元に残った義男は昔のままだろうが、
僕は、違うステージに上っている。
そう思っていた。
それから数日後、みゆきは僕の元を去った。
僕は、内心ホッとしていた。
別れを切り出すのに苦慮していたからだ。
結婚するにはまだ若い。
一抹の寂しさも感じたが、他の女性と出会える、
その期待の方が大きかった。
みゆきの事を尋ねられたら
『振られるより振る方が辛い』
と嘯いた。
あるクライアントが
「家族が世話になった」と、みゆきを懐かしがっても
意に介さなかった。
周りは僕を訝しげに見ていた。
みゆきと別れてすぐに同僚と恋仲になった。
彼女は、容姿、学歴共に素晴らしかった。
僕の優越感は、満たされた。
しかし、しばらくすると諍いが絶えなくなった。
激しい口論と罵り合いの日々の末、別れた。
他の女性とも同じことを繰り返した。
「みゆきさんじゃないのよ」
彼女らに意外な言葉を浴びせられた。
僕が、彼女らにみゆきを強いていたと言うのか?
彼女らの不平不満は、みゆきが黙って耐えていたことなのか?
頻繁にみゆきを思い出す様になった。
会いたいと思う様になった。
失った女の大きさに気付いた。
心に塞ぎようもない大きな穴が開いてしまっていた。
虚しさが心を支配した。
クライアントの信頼を失い、焦りばかりが募った。
簡単なミスを繰り返し、仕事を熟せず、評価が下がった。
虚栄心が人生の意義を唱えた。
自分を正当化し、社内の冷たい視線へ対抗した。
そして、何度かの左遷の末、解雇された。
無職になり、就職する気もなく、貯金は底をついた。
この高いマンションは、来週までに出て行かねばならない。
第4章幸せな結婚式
朝、携帯に叩き起こされた。
なかなか眠れず、朝方に成ってやっと眠りに着いていたところだった。
義男はもうエントランスにいた。
背広を一着、肩に担いでいる。
「ねむそうだな」
「ああ、」
「電車で寝ればいい」
義男は有無を言わせず、
僕を持って来た背広に着替えさせた。
一晩考え、祝福することにした。
それがみゆきへの償いだと思い始めていた。
心の隅にみゆきに会える嬉しさもあった。
僕は、矛盾していた。
「晒し者かな?」
「そうかもな」
僕のネクタイを結びながら義男は言った。
義男は昔から兄の様に振る舞う。
「まぁ、いい、身から出た錆だ、相手の男は?」
と義男に訊いた。
「みゆきの同僚だ」
「僕の事は?」
「知っている、
俺らと同い年の隣町の男だ、
此処じゃどうか知らんが、
みゆきは田舎じゃ評判の美人だ、
ガキの頃から人気があった、
お前との仲はみんなが知っている」
「その男は、なんとも思わないのか?」
「心配するな、お前が来ることは、俺とみゆきだけの秘密だ」
「もしばれたら、結婚は台無しだぞ、なぜ、みゆきはこんなことをする」
「何度も聞くな、俺は知らん、それがみゆきの希望だ。
それに、お前が捨てなければあの男はみゆきに巡り合えなかった、
捨てたお前に感謝しているよ、たぶん」
「何処かの馬鹿息子がポルシェを擦った、御蔭で貧乏人でも念願が叶う・・・」
「傷物にしたというのか・・・」
「違う、喩が悪かった、が、それが男女の縁だ」
「駅からは、愛車で送ってやるよ」
「行くぞ」
義男は僕の肩をポンと叩き、歩けと促した。
数時間電車に揺られ、駅を出たら、久しぶりの故郷だった。
義男は車を取りに行った。
待っている間、知合いに会わないことを願った。
クラクションを鳴らして、車が止まった。
立派な車だった。
「いい車だな」
「ああ、何とか手に入った。縁で・・・な」
式が始まる直前に教会に付いた。
皆、既に、祭壇に向かい着席している。
義男は、僕をバージンロード中程、祭壇から右側に座らせた。
「俺はみゆきをエスコートする、じゃぁな」
と言って僕から離れた。
周りが、見て見ぬふりをしている、
不思議な静寂がいっそうそう感じさせた。
僕は、俯いて式が始まるのを待った。
「これより、新郎後藤一樹、新婦木瀬みゆきの結婚式を行います」
牧師の声が響いた。
「讃美歌讃頌、ご起立下さい」
歌声とオルガンの音色がホールに木霊した。
讃美歌の中、みゆきの顔が何度も浮かび上がった。
子供の頃、一緒に暮らしていた頃の笑い顔と寂しそうなみゆきが交互に浮かんで来た。
胸が詰まり、言い知れぬ不安に包まれた。
自分の中の何かが失われてゆく、そんな思いがした。
一人、座り込んで顔を伏せた。
幾つかの讃美歌合唱が終わり、一同着席する音がした。
オルガンの結婚行進曲を奏でた。
皆、静粛を守っている。
バージンロードのドアが開き、オルガンの演奏が更に大きな音を立てる。
声を控えた歓声と喚起が聞こえる。
今、みゆきが、僕の後ろにいる。
もうすぐ、僕の横をウエディングドレスのみゆきが通る。
曲に合わせ一歩ずつ近づいてくるのが判る。
厳かな儀式の中、女性たちの花嫁への称賛が大きく成って行く。
白いウエディングドレスの裾が目に入った。
今、みゆきが傍にいる。
僕はみゆきを盗み見た。
白いベールに包まれたみゆきがそこにいた。
みゆきは、美しかった。
真っ直ぐ前を見て、ゆっくりと新郎の元へ歩いてゆく。
みゆきが僕から離れてゆく、愛する人を失う恐怖が襲ってきた。
みゆきが他の男のものになってしまう。
体の震えを抑えきれない。
僕は、袖口を強く咬み、動揺を抑えた。
頭の中で音楽が鳴り響き、朦朧とした時間が過ぎる。
僕は周りの不思議な空気にハッとした。
「なんだ」
周りが緊張している。
牧師の声がした。
「今二人は、結婚しようとしています。この結婚に異議のある方は速やかに申し出てください」
牧師は再度唱えた。
「この結婚に反対するものは、速やかに訴え出なさい」
祭壇で、みゆきが知らない男と向かい合っている。
止められるのか?
『反対です』と、声が出ない。
式を壊すことはできない。
「異議がなければ今後何も言ってはなりません」
牧師は新郎に誓いの言葉を促した。
「あなたはこの女性を健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も愛し合い敬いなぐさめ助けて変わることなく愛することを誓いますか?」
「はい、誓います」
「木瀬みゆき、あなたはこの男性を健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も愛し合い敬いなぐさめ助けて変わることなく愛することを誓いますか?」
「・・・」
みゆきは沈黙していた。
「いやだ!!」
僕は叫んだ。
我に返り、立ち上がって自分に驚いた。
皆がいっせいに僕を見た。
みゆきと目が合った。
みゆきが泣いている。
僕は、涙が溢れてきた。
『また、みゆきを不幸にしてしまった』
そう思った。
駄々を捏ねる子供の様に泣きながら
「いやだ!!」
と叫び、逃げるようにドアに向かった。
「まって」
みゆきの声がした。
『すまないと』と心で思い、
泣きじゃくりながら振り返った僕の胸にみゆきが飛び込んできた。
みゆきの匂いがした。
僕は、みゆきを強く抱きしめた。
「この人は、僕がお嫁さんします。僕が幸せにします」
僕は、宣言した。
周りから拍手が一斉におこった。
みゆきが抱き着いたまま離れない。
義男が泣いている。
祭壇で牧師と新郎が笑顔で拍手を送っている。
結婚式は再開された。
それは、幸せな結婚式だった。
騙された幸せな新郎は、僕だった。
元カノの人生を掛けた大嘘でしたね。
彼女は、ずっと、遠くから彼を見守っていたのです。
もし彼が幸福になっていたなら、そのまま身を引いたでしょう。