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菜の花ルリユール  作者: 日野 祐希@既刊8冊発売中
第三章 先生が立った場所
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先生が見た景色

「みなさん、戻って来ましたね。では早速、次の作業に行ってみましょう。ここからは、いよいよ紙を糊でくっつけていきますよ。みなさん、ホワイトボードに図を書きますから、よく見ていてくださいね」


 全員が紙を折り終わったところでお昼休憩をはさみ、時間通りに講座を再開した。

 菜月がホワイトボードへ書き始めたのは、交互に『<』と『>』を重ねた図だった。


「この『く』の字と逆向きの『く』の字が重なった図は、みなさんが今持っている紙束のことだと思ってください。なお、図では左側がクリップで止めてある側とします」


 マジックで図の左横に『クリップ』と書き込む。

 子供たちも、わかりやすくするためだろうか。クリップのある方を左側へ向け直した。

 彼らの仕草を見て、みんな賢いなと思いつつ、菜月は解説を続けた。


「で、糊を付けるのは、今から私が赤いマジックで塗っていく部分です。みなさん、塗る場所を間違えないようにしてくださいね。間違えちゃうと本が開かなくなっちゃいますよ」


 黒のマジックから赤のマジックに持ち替え、糊を塗る部分を赤く塗っていく。

 菜月が印をつけたのは、クリップで止めた方の反対側、折り目の外側部分の上下両方だった。


「いいですか。糊を塗るのはここ、『く』の字の角の外側です。紙を捲っていって、折り目の部分が出てきたら、端っこに人差し指一本分くらいの幅で糊を塗ってください。それが終わったら、紙の端っこ同士がずれないように気を付けながら、ピッタリくっつけてくださいね」


 ホワイトボードに星マーク付きで『ピッタリはりつける!』と追記する。

 板書を終えると、菜月は手に持っていたマジックを糊と紙束に素早く持ち替えた。



挿絵(By みてみん)



「この工程はちょっと難しいので、実際に糊付けするところを見てもらいたいと思います。みなさん、私の机の周りに集まってください」


 菜月が手招きすると、子供たちが大挙して机の周りに押し寄せてきた。

 しかし、菜月だってもう簡単に慌てたりはしない。冷静に「前の子は後ろの子が見えるように、ちょっと屈んでね」などと言いながら、交通整理をこなす。

 菜月もこの数時間で、少しは成長したのだ。


「いいですか? 糊を付けるのはここ。見える? 角の外側ですよ。糊を紙に少しだけつけて、指でこうやって綺麗な一本線になるように伸ばしてください。で、塗り終わったらピタッとくっつけます」


 子供たちが見ている前で、菜月が丁寧にページを貼り合わせる。

 実演を終えた菜月が「わかりましたか?」と聞くと、周りから『わかりました!』と元気な声が返ってきた。打てば響くではないが、こうも快活な返事をしてもらえると教える側としても気分がいい。


「はい! それじゃあ、みなさんもやってみてください!」


 菜月が号令を掛けると、子供たちは一目散に駆け出し、自分の机へと戻っていく。

 机に戻った子供たちは、すぐに澱粉糊の蓋を開け、作業に没頭し始めた。


 作り方の実演が終わったら、菜月ももう一度葵たちと手分けして子供たちの間を巡回する。

 この工程が、今回の折本作りにおける最も高難易度の作業だ。しかも、糊付けは一回勝負となれば、きっとどこかで……。


「せんせ~、のりつけるところまちがえた~!」

「のり、つけすぎた~!」


 次々と上がる呼び声に、菜月が心の中でちょっと苦笑する。

 みんな上手くいってくれるといいな~、と思っていたが、そうは問屋が卸さないらしい。天の神様はしっかりと余計な仕事を果たし、菜月に試練を与えたようだ。


「はいはーい。順番に見に行くから、ちょっと待っていてね」


 おそらく今が、一日目の正念場だ。そう判断した菜月は腕まくりをして、『ここからが勝負だ!』と気合を入れた。

 自分に向かってゴーサインを出し、トラブルの渦へと飛び込んでいく。


 まず菜月が向かったのは、糊を付けるところを間違えた女の子のところだ。目に涙を溜めた女の子から作りかけの本を見せてもらえば、紙が輪の形にがっちりとくっつけてしまっていた。

 これはさすがに剥がすのも大変なので、新しい紙と交換の上、今度は一緒に作業してあげることにした。


 次は、糊を付け過ぎたという男の子のところへ直行する。男の子の本は、はみ出た糊でくっつかなくてもよいところまでくっついていた。

 と言っても、糊がはみ出ただけなら、対処は比較的簡単だ。菜月は湿らせた布巾を使って糊を溶かし、余分な糊を取り除いてあげた。


 これでとりあえず、二人分のトラブルは対処完了である。

 ただし、これで終わりではない。

 他にも出るわ、出るわ。至る所で多種多様なトラブルが目白押しだ。菜月は葵たちと手分けして、これらのトラブルに当たっていった。


 目が回りそうな忙しさに、菜月が内心で仰天する。

 あまりに色々なところから呼ばれるので、菜月も葵もパートさんたちも、ずっとてんてこ舞い状態だ。

 けれども、手を抜いてよいトラブルは一つもない。きちんと子供たちの話に耳を傾け、一つ一つ丁寧にトラブルを解決していく。


 そして、部屋中を三十分近く駆けずり回って、ようやく一段落だ。

 全員が片側の糊付けを終え、菜月は講師用の作業台へと戻ってくることができた。


 しかし、休憩している暇はない。時間の関係もあるし、何より子供たちが次はどうするのかと楽しげな様子でこっちを見ているのだ。

 とてもじゃないが、「疲れたから、ちょっと休憩」などと言える雰囲気ではなかった。


 ちなみに壁際の方を見てみれば、一緒に走り回っていたはずの葵やパートさんたちが涼しい顔で立っている。この辺りは、普段から子供に接している児童書担当の面目躍如といったところだろうか。 これは素直に尊敬してしまう。


「よーし! それじゃあ、次は反対側も糊を塗っていくよー!」


 葵たちを見習って、笑顔で休まず講義続行する。

 今度はクリップを反対側に付け替えて、同じく糊を塗るよう指示を出した。


 子供たちが作業に取りかかり始めたら、これまた先程と同じく机の間を巡回だ。

 さすがに二度目ということもあって、子供たちもコツをつかんできたのだろう。今度は引っ切り無しに呼びつけられるということもない。

 子供たちの短時間での成長を喜びつつ、内心では一安心の菜月だった。



          * * *



 本の中身ができたら、次は表紙&裏表紙作りだ。用意した厚紙に様々な模様の入った千代紙を張り付けて、綺麗に飾りつけていく。


「さあ、みなさん! 思い思いに厚紙をデコレーションしちゃってください。みなさんのセンスの見せ所ですよ!」

『オーッ!』


 自分の好きにやっていいと言われ、子供たちも大いに色めき立った。

 手元のある千代紙を見比べ、「これキレイ!」とか「この紙がいい!」と言ってはしゃいでいる。中には、隣同士で気に入った千代紙を交換し合っている子たちもいた。


 和気藹々と表紙の飾りつけをする子供たちを見て、菜月はしてやったりといった表情だ。

 作業工程上、本の中身作りと表紙の装飾はどちらを先にやっても構わない。そこで菜月は、迷わず表紙の装飾を後に回した。

 理由は単純明快、表紙の装飾の方が絶対に楽しいに決まっているからだ。


 難しい糊付けを終えた後に、楽しい装飾がやってくる。子供たちの集中力とモチベーションを維持するためにも、この作業順だけは変えられない。菜月はそう考えていた。

 こだわりの結果は見ての通りである。菜月の読みは、見事に的中したのだった。


「せんせー、ちょっときてー!」

「はいはーい。悠司君、ちょっと待っていてね。すぐに行くから」


 ここでも菜月たちは大忙しだ。子供たちから引っ切り無しにお呼びが掛かる。

 ただ、菜月たちが呼ばれる理由は、これまでと少しばかり違っていた。


「ぼくね、しましまの表紙にしようと思うんだけど……先生、この紙と合わせるなら、どっちがいいと思う?」

「うーん、水色の紙と組み合わせるなら……左の黄色い紙かな。縞模様にしたら綺麗な色合いになると思うよ」

「そっか。ありがとう!」


 と、こんな具合だ。

 装飾のアイデアがたくさんあり過ぎて、自分一人では決められない。だから、選ぶのを手伝ってくれ。

 呼ばれた先で求められるのは、大抵この類のヘルプだ。

 時にはかなり奇抜で独創的な装飾をしている子もいて、子供の想像力の豊かさには驚かされるばかりだ。糊付けの時の疲れも忘れ、菜月は子供たちが披露してくれるアイデアに心躍らせるのだった。


「みなさーん、表紙のデコレーションは終わりましたね」

『はーい!』


 子供たちが自信作である表紙と裏表紙を掲げながら、大きな声で返事をした。

 彼らの持つカラフルな表紙の数々は、目にも鮮やかだ。子供らしく、和本という概念に捕らわれない自由な発想が、それぞれの表紙によく現れている。


「はい! みなさん、よくできていますね。それでは、折本作りもいよいよ大詰め。今までに作った表紙と本の中身を合体させましょう!」


 菜月がホワイトボードに『表紙と中身を合体』と記した。

 これが、今日の折本作りにおける、最終工程だ。


「やることはすごく単純。作った表紙の裏側に糊を付けて、本の中身とくっつけるだけです。それが終わったら、最後にこの題箋を表紙に貼り付けて……はい! 折本の完成です」


 自分用に用意していた表紙を使い、実演を交えながら貼り付け方を子供たちへ伝授していく。

 たった一回の講義とはいえ、これがこの子たちに教える、最後の技術だ。

 そう思うと、紡ぐ台詞、実演する手捌き一つ一つに、自然と熱が入った。


「先生も、あの時こんな風に感じていたりしたのかな」


 教壇に立って思い出されるのは、やはり自分が受けた俊彦の講座だった。

 あの時の講座も、この部屋で行われた。

 たった一年前まで、自分も目の前にいる子供たちと同じ場所に座っていたのだ。なのに今や、俊彦と同じ教える側に立つことになってしまった。人生、本当に何があるかわからないものだ。


 師と同じ景色を眺め、ここに立っていた師の姿を思い返す。

 あの時の先生は、一体何を思いながらここに立っていたのだろう。今の自分みたいに、緊張していたのだろうか。それとも、いつもみたいに悠然としていたのだろうか。いや、先生のことだから、案外何も考えていなかったのかもしれない。


 無心で作業に没頭する俊彦の姿を思い浮かべ、菜月が小さく笑う。

 俊彦が立った場所で、彼があの時、何を思っていたのか考える。ただそれだけのことなのに、菜月にはとても不思議な経験をしているように感じられた。


「まあ、私が先生の気持ちを語るなんて、十年どころか百年くらい早いけどね」


 誰にも聞こえないような小声で、菜月が呟いた。


 自分はまだまだ修業中の身で、先生には遠く及ばないひよっこだ。あの時の先生の気持ちを推し量るなんて、今の自分にはできないことだろう。

 それでも、先生と同じ場所に立っていられる今を大切にしたい。先生が歩いた道を、今自分も歩いているのだと実感できるから……。


 今この時に感じたこと、学んだことを胸に、菜月は自分の最初の生徒たちへ優しく笑いかけた。


「さあ、次はみなさんの番ですよ。かっこいい折本を完成させてください!」

『はい!』


 菜月の呼び掛けに、子供たちも元気に笑いながら答える。

 本の完成を目指して作業に打ち込む子供たちを見て、菜月はさらに笑みを深めるのだった。


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