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菜の花ルリユール  作者: 日野 祐希@既刊8冊発売中
第二章 始まりの日
14/26

一歩先へ

 ゴールデンウィークが終わると、菜月の修業は一つ上の段階へ進んだ。


 四月との大きな違いは主に二つ、俊彦が付きっ切りで修復を監督しなくなったことと、複数の本の修復を一度に行い出したことだ。


 修復待ちの本が大量にある現状では、俊彦が菜月に掛かりきりではいられない。

 それに菜月自身も、ここでは貴重な戦力だ。手隙の時間を作るのは非効率的だし、経験を積ませるという観点から鑑みても、どんどん修復をやってもらわなくては困る。

 よって、菜月も兄弟子の和人同様、基本的に一人で複数冊の修復を行っていくことに決まったのだ。


 無論、菜月は和人と違い、まだまだ俊彦から習うべき修復法や技術が山ほどある。それらについては、俊彦が菜月に任せる本を調整し、必要となる技術をその都度教えていく形で落ち着いた。


 一人で修復を行っていく中で、菜月は様々なことを学び、感じるようになった。

 その最たるものが、すぐ近くに手本となる人がいることの有り難みだ。


 困難に直面した時、助けを求めたり、教えを乞うたりできる人たちが近くにいる。修業であることを考えれば当然かもしれないが、仕事としてみればとても恵まれた環境だ。

 菜月はそのことを、自身の体験を交えた葵の助言から教えられた。


「私の場合、前任者の渡辺さんは別の図書館へ行っちゃっているからね。直接会ってやり取りできれば、もっと話が早いのに~、って思うことがしょっちゅうあるわけよ。だから菜月、自分がどれだけ恵まれた環境で仕事しているか自覚して、もっと豊崎先生や植田さんに感謝した方がいいよ」


 というのは、葵の談だ。

 言われてみれば、確かにその通りである。

 直接面と向かって相談できるということは、五感を駆使して相手に状況を話せるということだ。新人であればあるほど、その利点は計り知れない。


 最初から今の状況に身を置いていたために当たり前と思いがちだが、実はそんなことない。自分が今いる環境は、得難い財産とも呼べる代物なのだ。

 葵にアドバイスをもらってからというもの、菜月はこれまで以上に俊彦や和人へ敬意と感謝を持って接するようになった。


 もちろん、学んだことはそれだけではない。

 修復の仕事は、菜月にとって驚きとの連続だ。一回一回の修復が新鮮であると同時に、一つの技術を覚える度、一冊の修復を終える度、さらにわからないことや学ばなければいけないことが出てくる。


 おかげで大小様々なミスを常日頃からしてしまうし、それが原因で俊彦からお叱りを受けることもしょっちゅうだった。


 俊彦は仕事を離れれば好々爺然とした老人だが、仕事においては鬼と見間違うくらい厳格な職人だ。菜月の経験値が上がる度に俊彦が彼女に求めるレベルは上がり、見合う成果が出せなければ容赦なく叱る。 そういう人なのだ。


 正直、辛いと感じることもあるし、修業の厳しさに泣き出したくなることもある。

 それでも菜月は、修業を辞めたいとだけは思わなかった。

 その理由もまた、俊彦の人柄のたまものだ。


 俊彦は、確かに容赦なく菜月のミスを指摘して叱る。だが、決して菜月が自身を無能と感じてしまうような態度は取らないのだ。

 菜月がミスした時は、必ず間違いを直すための方法を丁寧に教え、間違えた原因を共に考える。菜月が自身の過失を深刻に考え過ぎていると見れば、すかさず自分で、もしくは和人に頼んでフォローを入れる。


 そうやって俊彦は、失敗した菜月を突き放すことなく、彼女が失敗から一つでも多くのことを学べるよう、最大限の配慮をしていた。

 それに、俊彦は菜月が何かをマスターした時、必ず「よくやった」と褒め称え、彼女と一緒に成功を喜んでくれた。


 菜月なら、必ずできるようになる。一人前の修復家になれる。誰よりもそのことを信じていたのは、他ならぬ俊彦自身なのだ。


 私の成長を信じて見守ってくれる師がいる。いつも仕事の相談に乗ってくれる兄弟子、昔から変わらず叱咤激励してくれる先輩もいる。何より、一冊の修復が終わる度、自身の確かな歩みを感じられる私がいる。だから、一時の辛さや厳しさなんかに押しつぶされたりしない。


 たくさんの柱に支えられて今自分がここに立っていると自覚しつつ、菜月は自身の修業に励むのだった。


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