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菜の花ルリユール  作者: 日野 祐希@既刊8冊発売中
第二章 始まりの日
12/26

弟子入り志願

 それは、太陽の光がさんさんと降り注ぐ、暑い夏の日のことだった。


「お願いします。私を弟子にしてください!」

「悪いが弟子を取る気はない。帰ってくれ」


 ――バタンッ!


 頭を下げる菜月の前で、工房の扉が無慈悲に閉まる。三峰菜月と豊崎俊彦の二度目の邂逅は、こうして開始一分で幕を下ろしたのだった。



          * * *



 この二人の間に一体何があったのか。順を追って話すのなら、事の起こりはおよそ十分前まで遡る。

 浜名市立中央図書館で『和装本を作ってみよう』という講座が開かれた翌日、つまりは今日なのだが、菜月は早速俊彦の工房を訪れていた。目的は当然、俊彦に弟子入りするためだ。


 渡辺から教えてもらった住所を頼りに、自転車を漕ぎ続けること、およそ一時間。浜名市の郊外、風光明媚な田園風景の中に立つ工房を見つけた菜月は、万感の思いを込めて呼び鈴を鳴らした。


「はい、どちらさまでしょうか」


 呼び鈴を鳴らしてすぐに出てきたのは、二十代半ばと思われる青年だった。

 おそらく彼は、この工房で働く職人なのだろう。

 直感でそう判断した菜月は、緊張混じりのぎこちない動きで、用向きを捲し立て始めた。


「と、突然、申し訳ありません! あ、あの、こちらは豊崎俊彦先生の工房で間違いないでしょうか!」

「ええ、そうですが……。当工房に何か御用でしょうか?」

「わ、私、三峰菜月と言います! 浜名南高校の三年生です! 実は、豊崎先生に折り入ってお話したいことがあるんです。先生に会わせていただけないでしょうか!」


 上擦った声で用件を言い切り、青年の目をまっすぐ見つめる。

 すると青年は、「少しお待ちください」と言い残し、中へ戻っていった。

 青年に言われた通り、夏の照りつける太陽の下で待ち続けること数分。


「お待たせして申し訳ない。儂が豊崎俊彦だ。して、儂に用とは何かな、お嬢さん」


 菜月は一日ぶりに、俊彦と再会を果たしたのだった。

 俊彦と再び会うことができ、菜月は感極まった様子で彼を見つめた。そして勢い余った彼女は、名前を名乗ることも忘れて、いきなり俊彦に向かって頭を下げ……。


「ちょっ! 待ってください。せめて話くらい聞いて下さいってば~!」


 結果、邂逅から一分と経たずに門前払いを食らい、あえなく締め出されたのだった。

 扉をドンドンと叩き、菜月が「話を聞いて~」と喚く。

 しかし悲しいかな。この日、扉が再び開かれることはなかった。



          * * *



「はう~。ある程度予想はしていたけど、まさか門前払い食らうとは思わなかった……」


 田んぼのあぜ道に、景気の悪いどんよりとした声が溜息付きで響いた。声の主は言うまでもなく菜月である。

 自転車を押して歩きながら思い出すのは、先程の俊彦とのやり取りだ。


「やっぱりアポイントメントなしで行ったのがまずかったのかな~。でも、下手にアポを取ろうとしたら、その段階で断られていた気もするし……」


 脈絡なく何が悪かったか考えながら、肩を落としてあぜ道を歩く。

 確かに、渡辺からは弟子をなかなか取らない人だとは聞いていた。自分自身、断られる可能性の方が高いこともしっかり理解していた。


「でも、あの対応はちょっとひどすぎないかな……」


 誠心誠意お願いした矢先、話も聞かずにいきなりサヨナラだ。自分が不躾だったことは認めるが、あちらの態度だって十分に無礼だったと言えるだろう。


 あれ? これはもしかして、私も怒っていいのでは?


 菜月の頭の中に、ふとそんな考えが浮かぶ。

 一度心の導火線に火が付いてしまえば、あとは雪崩式だ。落ち込んでいることが馬鹿らしくなってきて、逆に納得いかないという気持ちが燃え始めた。


「向こうがその気なら、私だって徹底抗戦してやる。何が何でも私の話を聞かせて、弟子になってやるんだから!」


 無論、冷静に考えれば菜月が怒れる立場にないことは明らかである。

 明らかではあるのだが……怒りという燃料を注がれた今の彼女は、暴走特急状態だ。物事をじっくり見直せるような冷静さは、残念ながら持ち合わせていなかった。


「よっしゃーっ! やるぞーっ!」


 視界の先に広がる雄大な山々に向かって、菜月が人目も憚らず気炎を上げた。

 もはや彼女の頭に『反省』の二文字はない。落ち込んでいたことなどすっかり忘れ去り、心の赴くままに暴走するのだった。



          * * *



 思い立ったが吉日、鉄は熱いうちに打て。

 というわけで、次の日より菜月の徹底抗戦という名の売込み活動が始まった。


「こんにちは! 弟子、いりませんか? 今ならお買い得ですよ」

「いらん」


 ――バタンッ!


「私、頑張ります。きっといい弟子になりますよ。メッチャお得です!」

「間に合っている」


 ――バタンッ!


「弟子、いいですよ。そろそろ欲しくなってきませんか?」

「くどい」


 ――バタンッ!


「私にも意地があります。今日という今日は、弟子にしてくれるまでここから動きません!」

「帰れ」


 ――バタンッ!


 …………。

 ……………………。

 ………………………………。


 ――バタンッ!


 今日も今日とて、目の前で扉を締められた。

 俊彦は菜月がやってくる度に出てきてくれるが、弟子入りという名の天岩戸は未だ開かず。毎日毎日、押し掛けては断られ、また押し掛けては締め出される。そんなやり取りの繰り返しだった。

 それでも菜月は諦めることなく、俊彦の工房を訪れ続けた。


「うーむ、挑戦十四日目も進展なしか……」


 最初の頃は暴走気味だった菜月も、一週間、二週間と過ぎるうちに頭も冷えてきていた。俊彦の対応に思うところがないわけでもないが、毎日直接対応してくれていることには感謝している。加えて言えば、自分の我が儘に俊彦を付き合わせていることに、罪悪感のようなものも感じ始めてさえいた。


「でも、まだまだ! まだ、諦めない!」


 ただ、例えどれだけ頭が冷えようとも、ここで諦めることはできないのだ。なぜなら菜月にも、押し通したい思いがあったから。


 何としても俊彦に認めてもらいたい。俊彦の技をもう一度見て、自分も覚えたい。


 俊彦からどれだけ突っぱねられようが、迷惑を掛けていると自己嫌悪に陥ろうが、その思いだけは捨てることができなかった。


 最初の頃の意地や反骨心からくる売り込みは、いつの頃からか止めていた。代わりに、心の底から敬意と熱意を持って、菜月は俊彦へ弟子入りを志願し続けた。

 そして、その努力が遂に実る日がきた。


「お願いします。私を先生の弟子にしてください。この通りです」

「…………。わかった、もういい。お前さんの熱意は十分に伝わった。弟子にでも何でもしてやる。だから、顔を上げろ」


 工房に通い始めてちょうど一カ月、夏休みも終わりに近づいたある日のこと、菜月の情熱に負けたのか、俊彦が折れたのだ。


「えっ! ほ、本当ですか? 本当に私を弟子にしてくれるんですか?」


 何の前触れもなく弟子入りを認められ、菜月が信じられないといった顔で俊彦を見る。

 驚きで目を丸くする菜月に向かって、俊彦は「ああ」と一つ頷いた。


「この一カ月でよくわかった。お前は絶対に諦めない。ならばもう、認めてやるしかないではないか」


 やれやれ、といった口調で、俊彦が苦笑した。

 菜月が初めて見る、俊彦の飾らない素の表情だ。


「ただし、修復家の修業は生半可な覚悟で乗り切れるものではないぞ。加えて儂の弟子となる以上、途中で投げ出すことも許さん。それだけは肝に銘じておけ」

「もちろんです。絶対に音を上げたりなんかしません。ご指導、よろしくお願いします!」


 菜月がこの一カ月してきたのと同じように、深々と頭を下げた。

 ただし、彼女の顔に浮かぶ表情は、この一カ月で初めて見せる弾けんばかりの笑顔だ。


「それじゃあ、今日はこれで失礼します」

「ああ。気を付けて帰れよ」


 とりあえず弟子入りも決まったところで今日のところはお開きとし、修業に関する詳しい説明は、後日改めて親と共に受ける約束となった。


 俊彦に見送られ、菜月は意気揚々と家路につく。

 工房からの帰り道、一カ月前と同じあぜ道を歩く菜月の顔には、達成感とこれから始まる修業の日々に対する期待が満ち溢れていた。


「よっしゃーっ! 立派な修復家に、私はなる!」


 弟子入りを認めてもらえたことが余程うれしかったのだろう。一カ月前と同じく、またもや人目も憚らずに、菜月が大きな声で喜びを爆発させる。

 どこぞの漫画をもじった彼女の宣言は、眼前に広がる山々、その先にある高い青空へと吸いこまれていくのだった。


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