神様はみていない
沖縄本島中南部、与勝半島を中心としたうるま市。何かと本土と比較されるが、人口12万人の大都市で大阪府羽曳野市や奈良県生駒市を越えているし、全国展開の大型ショッピングセンター、ディスカウントショップ、レンタルビデオ屋も存在する。因縁深い土地に縛られた色んな人の色んな気持ちが溢れている街だ。
本土の人間が考えているよりも沖縄県民にとって基地から落とされる利益は大きかった。土地の地権者にとって賃貸料は不労収入であり、金を生み出す鶏だった。そして皆が稼げる未来を見て歩いている!
沖縄に居れば嫌に成るほど台風に襲われる。梅雨を除けば比較的過ごしやすい気候で、ご飯が美味しく食後は眠たくなってくる。
(たこ焼きにたこの代わりにキャベツや豚肉をを入れたらお好み焼きか?)
沖縄県警察うるま警察署に勤務する林竜也巡査は暇をもて余していた。事件らしい事件も少なく、うるま市の治安は安定している。明日は非番で、独身のために自炊生活だが何を作ろうか考えていた。
玄関から車の急ブレーキをかける音が聞こえた。足音も高く響かせて集団が押し入って来た。
何事だと林が腰を椅子から浮かせようとした瞬間、「全員動くな!」そう言った男達の手には92式手槍や95式自動歩槍があった。
2017年6月23日金曜日、沖縄県限定の休日を狙って琉球解放同盟を名乗る武装集団が空港、港湾施設、発電所、電話基地局、警察署、自衛軍駐屯地等の沖縄県の主要施設を制圧した。同日、連絡と交通が完全に遮断され、九州の西部航空方面隊と第10管区海上保安庁本部が状況確認に艦船と航空機を派遣したが、アキテーヌ級駆逐艦とラファール戦闘機の出迎えを受けた。
「フランス軍だと!?」
フランスの勢力圏はコーチンシナを含むインドシナ半島や広州に限定され、これまで日本と衝突する事は無かった。だが海上保安庁巡視船「うずらたまご」の前には76mm砲を向けて戦闘態勢に入った駆逐艦が居た。
明白な領海侵犯と敵対行動による緊張感。「うずらたまご」船長である佐藤忠志二等海上保安監にとって初めての経験だった。
駆逐艦から警告が流れた。
フランス側いわく沖縄県は琉球国として独立し、フランスはそれを承認した。ここは琉球国の領海である。速やかに退去せよ、との事である。
「船長、どうしますか」
佐藤に言わせれば、領海侵犯は連中の方だが「うずらたまご」は「しきしま」型巡視船で、海賊ならともかく駆逐艦相手の本格的な水上戦闘を海上保安庁は想定していない。だから「これはうちらの手に負える仕事じゃないな」と答えた。
新田原から飛び立った航空自衛軍のU-125A救難捜索機は悲惨だった。
最大速度442ktのU-125Aではマッハ4で追尾して来る飛翔体を回避出来なかった。それはラファール戦闘機から放たれたMICA空対空ミサイルで、4人の乗員と共に木っ端微塵に破壊した。
「おい、マジかよ。レーダーから消えた」警戒管制員の放った言葉に周りの視線が集まる。
この状況は下甑島分屯基地のレーダー・サイトで捉えられ、第9警戒隊から報告が上げられた。
国家安全保障会議に提出する情報を取りまとめる為に、国防省統合幕僚監部では連絡調整と事態対処の検討が行われていた。
「明日から土日で休みだと思っていたのに、やってくれたな」
そう呟いたのは統合幕僚長の西野智強海将。本当なら腰かけの役職で定年を向かえる予定だったが、降って沸いた様な事件に頭を痛めていた。
例年通りなら戦後72年沖縄全戦没者追悼式に参加していた内閣総理大臣だが、今年は痔瘻によって入院していた為、今回の事件は免れた。代わりに参加していた皇太子殿下と元総理大臣が拘束されたが、外交のカードに使われる事なく海上保安庁に引き渡され本土に送還された為、対話は可能だと言う見方もあった。
「偵察衛星の情報によると、現在、琉球解放同盟改め琉球国政府の要請によって、第1海兵歩兵落下傘連隊を含めた有力なフランス軍部隊が沖縄諸島に展開してると判明しております」
第1海兵落下傘連隊はフランスSASと名高い精鋭で、独立宣言と共に創設された琉球国軍は地元青年の募集で編成されるが未だに民兵程度のレベルでしかなく、国防と治安維持はフランス軍に頼る形であった。これは『ユイマール精神』による助け合いであると解釈された。
「敵は沖縄の制空権、制海権を掌握。琉球国の名の下に、周辺空域、海域への船舶・航空機の接近は禁止されています。沖縄に居た各隊との連絡は途絶えており、武装解除されたと考えられます」
「こんな事ならアメちゃんに居て貰うべきだったな。日米安保で応援に来てくれるんだろう?」
2017年現在、沖縄から在日米軍は引き上げて日本本土やグァム、フィリピンに分散していた。
「在日米軍は各基地で出動準備の待機中ですが、受け入れ所かこちらの調整もまだですからね」
琉球王朝は琉球を売り渡した一族として沖縄県民からは忌避されていた。子孫も「人柄は良いんだけど、政治家には向いてない」との評判だった。それに沖縄独立を本気で考えている者も一部の左派だけで少なかった。その為、琉球王国とはならなかった。民兵を率いて琉球国の代表となった河井匡秀は聞いた事もない人物で、琉球を中心とした「八紘一宇」を唱えているがフランスの傀儡と考えられた。
「連中が日本と対決姿勢を続ける以上は、フランス軍の脅威を排除して奪還作戦を行うしかない。問題は捕虜になってる者の救出だな。一般市民が連中に協力しているのか、捕虜として扱われているのか。その辺りも知りたいが、先ずは敵増援と補給の阻止だな」
西野統合幕僚長は海の出身だからと言うわけではないが、極普通に敵の海上交通路遮断を考えた。
「海は2個護衛隊群と2個潜水隊群を出せます」と海上自衛軍からの連絡幹部は言い、同じ様に航空自衛軍も九州に部隊を移動させていると報告してきた。航空優勢が確立出来なければ大和の沖縄特攻と同じ目に遭ってしまう。
島を取り返す以上、地上戦に成れば死傷者の発生を覚悟しなければならない陸上自衛軍は「うちは空と海さえ何とかしてもらえたら何処にでも行きますよ」と言ってきた。「任せてください」と海は自信満々に答える。大東亜戦争では多くの輸送船事、陸軍の人員、装備、糧秣が沈められており、その事の影響もあって海上自衛軍は対潜水艦戦術に特化していた。
おおよその意見が出尽くした所で、「総理には海上封鎖を提案しよう」と西野統合幕僚長は方針を決めた。それに沿って資料が纏める作業が始まる。
海上保安庁と海上自衛軍の封鎖線を突破しようとアルザス級戦艦を中核としたフランス極東艦隊が向かってきた。シャルル・ド・ゴール級空母の老巧化で就役した最新のシラク級空母も航空支援に投入されている。
対して日本側が沖縄本島の飛行場に進出した基地航空隊と空母艦載機も相手にしなければならない。
「うずらたまご」では佐藤船長がぼやいていた。
「自衛軍の連中、こういう時の為に給料を貰ってるんだろう」
専守防衛云々は自国を守れてから言える台詞だと痛感する状況で、自衛軍は九州南部の新田原、鹿屋に航空戦力を集結させていた所、本土近海に忍び寄っていたバラクーダ級原潜からストームシャドゥ巡航ミサイルの攻撃を受けて滑走路や機体に損害を出していた。
「巡視船で軍艦の相手をしろなんて正気の命令とは思えませんね」
海上保安庁は巡視船に安定した性能を求めていた。しかし軍艦は違う。敵を先に沈め生き残る戦闘艦艇には高性能が求められていた。そして巡視船と軍艦の性能差は乗員の努力でどうにかなる物では無かった。
「だよな」部下の言葉に応える佐藤の表情には疲労の色が浮かんでいた。この数時間、緊張が休まる時は無かった。
全員無事に帰りたい所だが、戦場で神仏に祈っても助かりはしない。神様はみていないのだから。