怒濤の超・空母駆逐艦『冬月』遂に沈む!
極東の島国日本は第二次世界大戦で奇想天外な兵器を次々と産み出した。
空母駆逐艦もその一つである。
ミッドウェーで正規空母4隻を失い、空母戦力補完の為に改装された冬月は前半分が駆逐艦、後ろ半分が空母と言うキメラだった。搭載機僅か3機だが1個駆逐隊で9~12機、1個水雷戦隊なら軽空母1隻分に相当する。その為の試験艦だった。
「冬月を空母に改装するだって? 舐めてるのか、ぶち殺すぞ」ドック入りした冬月に乗り込もうとする工員と乗員が睨み合った。「上からの命令なんですよ。正式な許可も降りています!」
切迫する戦況は冬月の同型艦を揃えるだけの猶予を与えなかった。改装は終わったが載せるべき機体の選定が進んでおらず中ぶらりんとなった冬月は、余ったスペースと輸送船に比べて快速な性能に目を付けられ兵員や物資輸送に駆り出される。
日本軍輸送船団を鬼畜米英の連合国軍は『東京エクスプレス』と呼んだ。
「有り難う、海軍さん」
そう言って死地に赴く陸軍の兵士達を見送る冬月の乗員達は、自嘲の皮肉を込めて「三途の川の渡し舟」と揶揄した。
月刊『角』昭和100年特別増刊号「航空イージス輸送護衛艦、誕生秘話」より
昭和20年4月1日敵は遂に沖縄県にまで牙を向けてきた。アイスバーグ作戦に基づいて第10軍を構成する将兵が沖縄本島に上陸開始したのだった。
日本軍による水際での激しい抵抗を予想していた米軍にとって無血上陸で拍子抜けした。緊張感の抜けた兵士達の間で「エイプリルフールだからか?」「ピクニックみたいなもんだぜ」と言う声さえ上がった。
沖縄本島を防衛する第32軍は内陸に引き込んだ抵抗を狙っていた訳ではない。偶然の結果だ。
艦砲射撃と空襲を受けていた沖縄県民は「皇軍は何をしてるんだ!」と叫んだ。
沖縄に展開する敵侵攻部隊に対して、日本海軍は予てより計画していた天1号作戦に則って総力をあげた反攻作戦を開始した。航空部隊による菊水作戦である。
「ようするに死んで欲しいのです」
飾らない神重徳大佐の言葉に第2艦隊司令部は揺れた。神大佐は督戦に来ていたが、初めから本音をぶつけてきた。
「やりましょう」
本土防衛の為に沖縄方面で敵に損害を与えて置こうと言う建前と海軍の意地で、伊藤整一中将の第2艦隊に所属する水上艦艇の殆どが投入された。静静と出港する艨艟の中に冬月の姿もあった。
「面舵」大隅海峡を通過すると、対潜水艦の第1警戒航行序列から対空の第5警戒航行序列に艦隊は隊形を変えた。「面舵、宜候」復唱の声が艦橋に響き渡る。
「面舵15度」
「戻せ」
「舵中央、宜候」
大和を旗艦とする第1遊撃部隊の中央には4隻の空母があった。天城、葛城、信濃、隼鷹だ。
飛行甲板に並ぶ機体は見慣れた零戦の他に、本来は陸上基地で運用する雷電や月光の姿さえあった。
搭載する艦載機は搭乗員が技術的に未熟な物が多く、クレーンで載せられ出撃後は母艦に戻ってくる事が無い。
空母の脇を固めるのは羽黒と足柄。日本に残る最後の重巡だ。その後方に冬月と凉月が続いている。
冬月は空母駆逐艦に生まれ変わった時に運を使いきったのかもしれない。
見張の報告が入った。魚雷が空母に向かっていた。
冬月は空母の盾に成ろうとした。
「取舵7度」
艦長の指示に異論を挟む物は居ない。
そのすぐ後に、魚雷と空母の間に割り込んだ冬月は衝撃を受け水柱を上げた。この時、艦橋から投げ出された見張員の上等水兵が冬月唯一の生存者となった。
オウム文庫『奇想艦冬月の最期』より
輸送船として冬月は良好な成果をあげている。独力で脅威を排除できる自衛能力と高速輸送船としての能力だ。この実積は戦後の護衛艦建造に反映され、海上自衛隊の運用に大きな影響を与えた。
日本では護衛艦として一括りにされているが、海外では揚陸駆逐艦、航空駆逐艦として紹介される事も多い。