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最善の選択は正しいから最善と言う

 憲法第9条があれば、その威光で侵略は起こらない。経済大国の日本は金が武器だ。経済封鎖をすれば侵略を防げる。その思想が学校教育で広く浸透していた友愛の時代。

 それでも最低限、殴られるのを防ぐ物が存在した。無防備、非武装と言う考えは、砂糖とガムシロップを入れた珈琲の様に甘い。激甘な考え方では国は存続できない。これは国民の生き死にに関わる問題だ。だからこそ汚れ役が求められた。

 日本の国土を守る警察予備隊は準軍事組織ではあるが、警察組織なので違憲ではないとされている。確かに戦車や砲兵の類いは持たないが、師団規模の4個管区隊を基幹とする定員75,000名と法令で定められている。その任務は国内の治安維持、対反乱鎮圧作戦が主たる物とされていた。

 創設から半世紀以上、幸いにして実戦を経験していない。その為、他国からは案山子の兵隊、国民からは戦争ごっこをしてるだけと低い評価を受けていた。しかし、突如として実戦の機会はやって来た。

 カンボジア派遣中のPKO壊滅である。


     †


 カンボジア王国は第二次世界大戦後、フランスから独立を認められた。その領土はベトナム、ラオス、タイと隣接していた。その為にインドシナ半島が戦場になると地形的に巻き込まれ、様々な勢力が入り乱れ人肉がご馳走と言える程に乱れた。互いに殺し合う闘争だ。

 20万以上の死者を出した末に1991年、国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が設置され、92年9月に日本も警察予備隊のPKO参加を決定した。

「よろしく頼むよ」

 総理大臣の言葉は簡潔だったが、現場はそうもいかない。現場に送られる部隊や国連、カンボジア政府等の関係機関との打ち合わせと調整が行われた。

 カンボジア派遣施設大隊は既存の施設部隊から抽出され、大隊本部の他に3個施設中隊、施設器材中隊、施設輸送中隊、警務隊で編成されたが、諸外国からは戦争を知らない国の軍隊ごっこでカス部隊として評価されていた。

 PKO傘下に対して隣国では「日本軍の派兵を許すな!」「軍国主義の復活だ」「天皇は土下座で謝罪し日本は賠償をしろ」と反対運動が起き、日本大使館襲撃や旅行者への暴行が発生していた。国内のマスコミもここぞとばかりに憲法違反の派遣をする政府が悪いと批判する報道を行った。だがPKO参加は予定通りに実施された。

 事実上の海外派兵が行われた92年10月。プノンペンから北、トンレサップ川に沿った国道5号線を警察予備隊の川上宏3等警察士は文民警察としての業務に当たる警察官の移送に当たっていた。

 赤土をタイヤで巻き上げて走る車両は、白に塗装された国連仕様のドラグーン装甲車だ。数は二両。戦争をしに行く訳ではないので、殺傷効果の高い機関銃は装備していない。

「暑いですね」そう言って鉄帽をずらして額の汗をタオルで拭う川上は、旧軍で少尉に相当する階級で、部下の方が経験を積んでいる上に年上で気遣いから改まった口調になってしまう。まだ同年代か階級の低い者の方が気楽だった。

 だがカンボジアは危険地帯だ。だからこそのPKOであり、総監部は新米幹部に対して実戦は訓練に勝ると「実地による機会教育の徹底」を行った。

 しかし暑さまでは我慢出来ない。ボケる余裕さえ奪う暑さだ。

「狭いし暑いけど、3トン半に比べて頑丈ですから我慢ですね」とドライバーの服部冬樹2等警察士補が苦笑を浮かべて答える。服部から見れば川上は年下だが、階級社会で上下関係は線引きされている。あまり軽んじた態度や口調は許されなかった。

 警察予備隊では国産の73式大型トラックが輸送業務に重宝されている。だがカンボジアの事情には合致していない。戦場で求められるのは、丈夫さや信頼性と言った安定した性能だ。

 カンボジアでは長い内戦期間を通して、政府軍、クメールルージュの双方によって国土全土に地雷が埋められていた。その為、対地雷装甲車の調達が求められた。そこで注目されたのは地雷の被害大国であるアンゴラやローデシアで活躍したウニモグ。その派生であるキャスパー装甲車だったが、調達されたのはアメリカ製のドラグーン装甲車だった。

「まあ、そうかな」そう答えながらも川上の表情は締まらない。

 だが、地雷が無くても銃撃を受けるかもしれない。その場合、トラックより装甲車の方が安心できるのは事実だった。

 住宅地を抜けて農地が途切れると針葉樹が立ち並んでいた。景色を楽しむと言うより、襲撃を警戒した目を向けてしまうのは仕方がない。これこそが戦場の心理だ。

『キチママより放置子各員、クレクレが来訪した』

 突然、車載無線機に中隊本部から宿営地が襲撃を受けていると連絡が入って来た。ぎょっとして身を乗り出して来た国家地方警察の山崎吉男警部補を押しのけながら無線機に向けて向けて「放置子43、すぐに戻ります!」と怒鳴った。

 現地人から歓迎として山崎警部補に贈られたコサージュが川上に押されて床に落ちた。そこに視線をやっていると返事が返って来た。

『違う。キチママには近付くな。何とか逃げろ』

 宿営地は陥落寸前、クメールルージュはカンボジア全土で攻勢に出ており政府軍は押されている。NGOのボランティア等で来ている邦人保護すら不可能だった。

(ここで逃げたら一般人を見捨てて逃げたと国会やマスコミに叩かれる──)

 現場の状況を知らずに責めてくる無責任な政治家やマスコミの対応が目に浮かぶ様だった。

「川上さん、どうしますか。逃げろと言われてもどこに逃げれば」

 山崎の言葉に川上は考える。カンボジアまで送ってくれた海上警備隊の輸送艦はまだシハヌークヴィル港に居るはずだった。

「とりあえず海に向かいましょう」

 文民警察として派遣される国家地方警察、自治体警察の警察官は自衛用にニューナンブM60回転式けん銃、警察予備隊の警察官は64式小銃と9mm拳銃を携行していた。山崎警部補達は戦闘職ではない。戦場で躊躇をしていたら死ぬのは自分だ。本格的教育を受けたプロである川上の指揮に従う事となった。

「小隊長、停戦監視の連中、銃はありますがどうしますか。自力で逃げ切れるとは考えられませんが」

 途中で拾えないかと言う意味だが、クメールルージュの蜂起は停戦を無効にした。

「無理ですね。その余力はありません」川上はばっさりと切り捨てた。

 他人にかまけて自分達の命を危険に晒す訳にはいかない。苦渋の決断だった。山崎警部補も部下の命に責任があり同意する。

(こうなると選挙要員が来るのは来年で良かったな)

 民間人は保護すべき物だがNGOは自己責任で来ている。一方、選挙要員は公務員だけではなく民間人も混ざっている。国の命令で来ている以上、彼らは守るべき対称だ。誰かを守りながら逃げると言う事は困難だった。


     †


 攻防の焦点となるプノンペンは避けて国道4号線を西にシハヌークヴィルへ向かう。

 立ち上る黒煙、銃声や爆発音が聴こえる。人は暴力が肯定された時、残虐な事を幾らでもできる。道端に殺害された死体が転がっていた。

 避難民の姿が見えたが停車はしない。歴戦のゲリラ戦士であるクメールルージュを相手に小銃と拳銃だけの川上達は無防備に近かった。その為、港まで走るだけだった。

 国連の白く塗装された車列は遠目にも目立つ。クメールルージュの兵士に追われていた女性が手を振って駆けてきた。

「助けて!」

 その声に川上ははっとした。流暢な日本語で日本人だと考えられた。

 無難なチャコール無地のフレアスカートスーツにパンプス姿の女性が逃げていた。袖あきのVゾーンから見える白いブラウスがいやに目を引いた。決して汗でうっすらとインナーの色が見える胸に視線を奪われた訳ではない。

「小隊長?」服部の声に川上は射撃用意の指示を出した。

 正当防衛の範疇を逸脱しているが、敵意を持った武装集団を前に武力行使の手加減は必要ない。次の標的が自分に成るかも知れないのだから。

「我々は組織は違っても同じ日本の警察官。ならば何をすべきかは決まっている」

 警察官は市民を守るもの。

 助ける余裕がない時は見捨てるしかないが、助けられる者なら助ける。現実的な判断だった。

 射撃号令で一斉に小銃の引金が引かれた。日頃の訓練の成果は本番で十分と発揮され、女性の後を追いかけていたゲリラは射ち倒された。

 男達の汗と体臭のこもる車内に収容されて、女性はペットボトルの水を受け取った。一気飲みをして一息吐くと「こっちには9条があるのになぜ効かないの! 大日本帝国時代の軍人を貴方達が尊敬してるからこんな天罰が下るのよ!」そう言い出して川上達を困惑させる。

 彼女は9条を本気で信じている。9条を信仰し布教する為に戦場に来た。だけど根本的な心構えが出来てない。9条は日本国内では日本人を縛る武器に成った。だが国外で条文は意味をなさない。

 明日が迎えられるなら、生きて日本に帰られるなら何もいらない。その為に出来る限りの事はする。


     †


「アメリカはイラクの戦況で余裕がない。邦人休出は自分達でやれと言う事です」

 外務省からの報告に召集された閣僚は顔をしかめる。

「何の為の安保だ。これまで幾ら思いやり予算を払って来たと思っているんだ。これだから毛唐の奴等は信用できん!」

 その声に対して内閣情報調査室室長が「イラクに兵力を拘束されており、抜け出せない状況ですから」と軍事情勢を説明する。

 90年8月2日に始まったイラク軍のクウェート侵攻はアメリカが黙認しなかった事で湾岸戦争へと拡大した。翌年1月17日に始まった多国籍軍によるクウェート解放を目的とする砂漠の嵐作戦は、最左翼第18空挺軍団を撃破し迂回したイラク軍に後背を衝かれて頓挫した。

 中東戦争でイラクと共に戦ったイラン、レバノン、シリアが参戦しイラク軍を支えた事で、事態は長期戦の様相を呈していたのだった。

 世界規模で兵力展開をしているアメリカでも無い袖は振れない。

「仕方ないな。警察予備隊に頑張って貰うしかないね」

 総理大臣の一言は重い。日本は自国民を救出する為に戦後初めて、自らの意思で戦闘部隊の派遣を決定した。

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