大日本帝国バンザーイ
弧状列島である日本の中心地は明治維新まで江戸と大坂に分かれていた。水運に恵まれた商業都市大坂は大阪と地名を変えた後も発展をし続け、東洋のベニスとも言われたが第二次世界大戦では戦禍に見舞われた。
ここは東西日本最前線の一つ二上山。西側に米国製の装備に身を包んだ兵士達が居たが、GIではなく日本人だ。米国が正統な日本として支持する日本の軍隊、警察予備隊である。
(本当に日本人かと言われると疑わしいな)
鉄帽の下で陽に焼けた顔を見せる山田円は福岡県の生まれで警察予備隊に入り、順調に経験を積み上げて2等警察士に昇進した。創設されて5年もすれば管理職も鍛えられ揃ってくる。山田は小隊長の一人として前線である大阪に居た。兵隊は消耗品と言うが、指揮官は部下が一人死ぬと書類に追われる。生殺与奪の権利を持つと同時に一蓮托生だ。少しでも損害を押さえ敵に出血強いる場所を選定して小隊は陣地占領を行った。
高地に展開する陣地正面には奈良盆地、背後には大阪平野が広がっている。
大阪平野を取り囲む山々はわかりやすいランドマークで、大政奉還以前は国境として、明治以降は他府県との境として昔から機能していた。そして大阪府北部には警察予備隊第3管区隊の4個大隊がGOPの警戒に着いていた。山田の小隊もその一翼を担っている。
大隊はいわゆるコンバット・ティームとして砲兵の増強を受けている。山田の小隊が展開する陣地からは見えないが、後方で射撃準備を終えて待機している。10榴は米軍払い下げの中古品だが旧軍よりは火力指数も高いと言えた。
土嚢に囲まれ偽装網と偽装材料の草に覆われた陣地から東を見ると、西に銃口を向けた陣地が見える。同じ日本人だが今では敵だ。
分断国家の日本では境界線に沿って東西両軍が展開している。なぜこんな事になったのかは戦に負けたからだ。
1945年8月、怒濤の進撃で西日本を席巻した連合軍は大阪に雪崩れ込んだ。これに対して枢軸国は起死回生の策を練っていた。ドイツ軍が世界に先駆けて開発した原子爆弾を日本政府の要請で大阪平野に投下、「ダウンフォール」作戦参加の連合軍地上部隊は壊滅的打撃を受けた。
極東で上がった火の手が意味する事を科学技術で進んでいた英米は理解し、枢軸国と連合国は停戦を迎えた。それぞれに思う所はあるが、ともかく第二次世界大戦が終わった。
独立と国体こそ維持した物の、この戦争で三等国に落ちた日本は東西に分割された。ドイツが援助する東の大日本帝国と連合国占領下から独立した西の日本国である。
(同じ民族で殺し合うなんてナンセンスだ)
感慨深げに山田が東の日本を眺めていると地鳴りの様な砲声が聴こえた。いつもの示威的な演習や挑発行為ではない。念入りな攻撃準備射撃で高地を越えて順番に後方の戦砲隊陣地、指揮所、弾薬集積所等を叩いていた。
「糞! あいつら始めやがった!」
午前4時、大阪平野に日本帝国陸海軍は祖国統一、皇土解放を目的とした「ケ号特別演習」を開始した。同族による大規模な戦争が西南戦役以来の半世紀ぶりに始まった瞬間である。
山田が中隊長に指示を求めている頃、大日本帝国軍の主攻は近衛師団を含む3個師団が京都から淀川に沿って高槻方面に向かっており、その南では助攻として生駒から大東へ、香芝から柏原へ向かうそれぞれ師団規模の支隊があった。
「畜生、電話が通じない!」
受話器を叩き付けると大陸帰りの先任に後退を指示した。
「宜しいのですか?」
独断による後退。持ち場の放棄は旧軍なら、敵前逃亡で銃殺刑と言える。
「仕方ないだろう。中隊長の指示は無いんだ」
山田の職業意識が低いと捉えるか、柔軟な思考と捉えるかは判断材料が少ない。
高度に機械化された日本帝国陸軍は実戦経験者で固められていた。対する警察予備隊は実戦経験を積んだ高級士官は公職追放で存在しない。素人とプロの違いか、日本帝国陸軍は開戦3時間で大阪湾に達し、大阪北部と南部を寸断した。
ドイツ軍が大戦中に活躍させた6号戦車ティーゲル、5号戦車パンテルを装備した日本帝国陸軍戦車師団に対して国防警備隊は満足な対戦車装備を保有していなかった。
管区隊は米軍歩兵師団を参考に3個連隊基幹とした編成であったが充足率は満足な物ではなかった。2個連隊を前方に配置して充足率の低い1個連隊を管区隊予備として後方に配置した形だ。これは南部を守る第2管区隊でも同様で、まだ恵まれている方だった。発足して間もない警察予備隊は境界に張り付く第1線部隊を除くと装備も足りていない。首都圏治安維持の要である第1管区隊ですら2個連隊の維持で精一杯だった。これも大日本帝国が存続し皇民の多くが東に流出した事が原因と言える。
いわゆる泉州ポケットと呼ばれる包囲に置かれた大阪南部の第2管区隊は、残存兵力を泉佐野に後退させ海上機動で淡路島に撤退せんとした。包囲下には必死で後退した山田の小隊も在った。
大日本帝国陸軍西部方面軍司令部は京都府の舞鶴市郊外に置かれている。かつて栄えた軍港の街は、立地条件が整っており指揮統制に最適の場所だった。方面軍を指揮するのは戦時中の活躍で知将、猛将と評価される田中新一大将。田中の下へ、通信隊が受電した電報を持って参謀が駆けて来た。
「第一段階は成功です!」
米第8軍の介入前に大阪を陥落させる。それが目的だった。西部方面軍は傀儡軍を捕捉撃滅し戦果拡張すべく大阪南部へ包囲を狭めて行った。
日本はファシズムに対抗する自由主義陣営の極東における砦と言う位置付けだが、この当時、米第8軍は九州に第24歩兵師団、四国に第1騎兵師団を駐留させていたが、第8軍司令官ウォーカー中将は不用意な介入で戦端を開く事がないよう硬く注意されていた。この事から後手に回ったと考えられる。
ウォーカーの直属上司に当たる米極東軍司令部総司令官ダグラス・マッカーサー元帥はフィリピンに利権を持っていた。戦時中はフィリピンから叩き出され、さらにはレイテ湾で海水浴をさせられた経験から極度の日本人嫌いと言えた。
「薄汚いジャップめ、また騙し討ちか。今度こそ根絶やしにしてくれる」
アジア最大の都市であるフィリピンのマニラに置かれた米極東軍司令部で、東日本の攻勢を知らされたマッカーサーは断固たる処置を統合参謀本部に求めた。同時に極東軍司令官の権限の範囲内で、同盟国たる西日本政権を支持すべく部隊を動かした。
この当時、アメリカは東日本の攻勢を本格的な戦争と捉えていなかった。その一方で、楽観視からか日本を兵器や戦術を考察する格好の実験場と考えていた。
第1騎兵師団の先遣隊は加古川に展開。極東海軍も紀伊水道に入り、西進する日本帝国軍を阻止せんとした。大阪湾に入ったのは航空母艦「ミッドウェー」の護衛である戦闘巡洋艦「アラスカ」を中核とする艦隊である。
これに対して日本帝国海軍は、極東空軍最大の根拠地である淡路島に艦砲射撃を浴びせるべく連合艦隊司令長官五藤存知大将直率で麾下の艦隊を送り込んだ。栗田艦隊によるレイテ湾突入を思い出させる物だった。
当初の計画では、陸軍の西進を援護すべく敵飛行場を破壊し航空優勢を確保すると言う目的であったが大阪湾に敵水上艦隊を確認した。予定外の獲物にGF司令部は沸き立った。
「上手くいけば5年前の借りを返せるぞ」
確かにレイテで栗田艦隊は突入に成功し輸送船団と旧式戦艦群を撃滅した。しかし海軍は貴重な油と人員、艦艇を消耗した。結果、本土決戦で海軍は役に立たなかった。
(糞ったれのヤンキー共め。ここは日本人の海だ)
領海を守れず敵海軍の跳梁跋扈を許した汚名返上。敵艦隊を撃滅し、雪辱を晴らすべく燃えていた。
日本帝国海軍が淡路島砲撃に投入した挺身隊の戦力は、横須賀でドック入りをしている空母を除けば主力艦の全部だった。
砲撃隊
第一戦隊 戦艦「伊勢」「日向」
第二戦隊 甲巡「利根」「筑摩」
第三戦隊 甲巡「最上」「鈴谷」
警戒隊
第一水雷戦隊 乙巡「北上」「長良」
駆逐艦16隻
これに対して西日本海軍である海上警備隊が大阪湾に展開させていた戦力は極めて貧弱な物だった。
そもそも海上警備隊自体が再建途上の海軍であり、米軍の補助任務すら難しかった。海軍は船だけ用意すれば良い組織ではない。それなりの経験が求められるのは万国共通であり、海上警備隊に限れば旧軍高級士官の公職復帰が許されていた。
主力艦は戦艦の「扶桑」「山城」と、唯一の空母「信濃」のみ。他の戦闘艦艇は米軍供与の平甲板型駆逐艦6隻しか保有していなかった。
このうちの「信濃」は首都の守りとして北九州沖で哨戒中で、「扶桑」「山城」に駆逐艦「浦波」を付けた戦隊が急遽、泉佐野撤退の支援に投入されていた。
夕闇に紛れて輸送船団に収容された将兵が沖合いに離脱して行く中、商船「ゆぅーれか丸」の甲板にげえげえと嘔吐する山田と背中を擦る先任の姿があった。
「うぇっ! はぁ……はぁ……海は、地獄だ」
「まだ乗船して10分も経ってませんよ」
小隊は欠員を出しながらも大阪を離れる事が出来た。この撤退戦で新生日本陸軍はただでさえ少ない重火器と車輛を放棄して来た。東に比べて圧倒的に人口の少ない西にとって人的資源は装備よりも貴重だったからだ。
漁船や旅客船、運送船は良い方で、屋形船やヨットまで駆り出した雑多な輸送船団は船脚もバラバラだ。「山城」以下、海上警備隊は最後尾で殿軍を務めていた。
駆逐艦「浦波」は「山城」に金魚の糞よろしく追従している。淡路島まで一番船脚の遅い屋形船に合わせていてもそれほど時間はかからない。
「浦波」艦長の泉春夫2等海上警備士が大阪湾の暗い海面を艦橋から眺めていると「電探に感あり」と報告が入った。
中古とは言え米国製の対水上レーダーは信頼性の面で旧海軍の電探を凌駕する。消費者の要求に答え、しっかりと性能を発揮した。
「大型艦4、小型艦2の単縦陣です」
方位、位置が透明のボードに書き込まれ視覚的に情報が伝えられる。ボードと海図を見比べながら泉は呟く。
「アメ公は神戸に向かってるはずだ。これは淡路島に向かっているな」
淡路島は極東最大の軍事基地として整備されていた。飛行場にはB-35、B-36、TBY-2爆撃機、F5U戦闘機が配備され、重油タンクには真珠湾を凌ぐ量が貯蔵されていた。これを破壊されれば損害は計り知れない。
レイテ湾突入に参加した事のある泉には、東日本艦隊の襲撃と理解できた。旗艦である「扶桑」に警報が飛んだ。
数で勝り、火力で勝る敵を相手にMk.32 3インチ砲で撃ち合うのは心許ない。だが駆逐艦の指命は味方を守る事だ。
「扶桑」と「伊勢」のマストに同じ信号旗が上がっていた。二つの日本海軍が合戦準備に入った。
獲物を前にして五藤は狂暴な表情を浮かべながら攻撃を指示した。
「天祐我にあり。米帝の傀儡軍を撃滅せよ」
大日本帝国がドイツの庇護下にあるとは言え何もかもがドイツ式に成ったわけではない。海軍は日本人主導で運営されており伝統は残っている。
「北上」を先頭に露払いの水雷戦隊が突撃を開始した。立ち向かうは駆逐艦「浦波」一隻。無謀とも言えるが海軍の役目、駆逐艦乗りとしては理解できた。それでも艦の古さは目立ち「あの平甲板はえらく骨董品だな」と「北上」では失笑が漏れた。
戦前は月月火水木金金と連日、水雷の戦技向上に励んだ大日本帝国海軍だが、「北上」と「長良」からは彼らがこよなく愛した魚雷が外されていた。代わりに搭載された決戦兵器はドイツ産まれの対艦誘導弾Hs 293である。
「標的はデカブツだ。外すんじゃねえぞ」
海上警備隊に所属する「扶桑」「山城」の姿は海軍にしてみれば屈辱で、その存在が汚点だった。祖国に対する裏切りだ。
「浦波」は「北上」が雷撃を行うだろうと予測し射線に入り妨害しようとした。
レイテ湾で輸送船団を守らんと立ち塞がった旧式戦艦群に劣らぬ勇気と言える。
二隻の軽巡洋艦は「浦波」に舷側を見せた。魚雷が来ると覚悟した瞬間、閃光が見えた。夜空に打ち上げられた炎の軌跡は「山城」に向かっている。
「ロケットだ!」
見張員の叫びも虚しく回避運動を行う前にHs 293が「扶桑」に集中した。前を進む「扶桑」が爆発した瞬間は夜目にも鮮やかで「山城」からもはっきりと見えた。艦尾が海面から持ち上がり前傾した姿勢で沈降しつつある。「山城」は衝突を回避すべく取舵で進路を変更、反撃を試みた。しかし数の暴力を前に長くは持たなかった。
「出港準備を急げ!」
機関不調で淡路島に寄港していた戦闘巡洋艦「アラスカ」は東日本海軍の出現に狼狽しながらも動き出した。「扶桑」「山城」が無惨にも撃破され淡路島を守る盾は無くなった以上、自分達の番だった。
「ジャップを阻止できる位置にいるのは我々だけだ」
「アラスカ」艦長ジョン・スミス大佐は悲壮な決意を込めて出港を命じた。
しかし「アラスカ」はついていなかった。
船体襲う衝撃があった。
「何だ!?」
正体は特殊潜航艇による魚雷攻撃だった。総員退艦を命じるスミス大佐の表情は蒼白だった。
「おお、燃えとるな」
五藤は呑気な声をあげる。
炎上する「アラスカ」を尻目に日本帝国海軍挺身隊は淡路島沖に到着した。
「目標敵飛行場。左砲戦、撃ち方始め!」
半時計回りに艦砲射撃を浴びながら淡路島を一周する挺身隊。こんな機会は二度と来ないかも知れなかった。挺身隊は徹底的に淡路島を叩き、全島は火の海で極東空軍の根拠地は壊滅した。
翌日、復讐に燃える日米機動部隊が日本帝国海軍挺身隊を追跡したが津軽海峡を通過したとの報告に断念した。天皇の裏庭と呼ばれる日本海は日独の濃密な哨戒網が引かれており聖域と言えたからだ。