北の侵攻に対してアメリカが支援してくれないとしたら
朝鮮戦争(韓国戦争)開戦時、韓国軍は朝鮮半島南部に幾つかの師団を貼り付けていた。これは共産ゲリラの討伐の為である。
朝鮮半島南部のゲリラは、仁川上陸後に北朝鮮軍残党が合流した事で肥大化し掃討に時間がかかった。
史実より早く、開戦前までに韓国国内の共匪討伐が済んでいたらどうなっていたであろうか。
これはフィクションの妄想である。
1948年10月19日、韓半島南部、麗水と順天に駐屯していた第14連隊が反乱。南朝鮮労働党シンパによる扇動だった。これに対する韓国政府の対応は苛烈を極め、住民多数を巻き込む掃討戦となった。
生き残った敗残兵は智異山を中心とする全羅南北道周辺の山岳地帯に潜伏し、完全掃討するには時間と兵力を割かねばならなかったが、韓国政府としては不穏分子を放置できるはずもなかった。断固とした処罰を求めて1950年、第5師団長李応俊少将は卓越した指揮でゲリラの討伐に成功。
韓半島南部の治安が回復したことで李大統領は、5月30日の選挙に先立ち国民の支持をさらに受ける為、対日政策を強化する。
「今こそ日本人に裁きの鉄槌を下す時だ。殺しつくし、奪いつくし、犯しつくせ!」
日韓併合により朝鮮半島が日本統治下に置かれていた時代、青年時代の李大統領は日本からの祖国独立の活動を行っていた。今回行ったのは政治的パフォーマンスであると同時に実利を求めていた。
生粋の民族主義者である大統領にとって宿願である日本への復讐、すなわち対馬奪還作戦である。
日本は武装解除され、軍事力を持たないため抵抗は無いと判断できた。対馬の制圧には第3師団第23連隊から1個大隊が抽出された。渡洋能力の低い韓国軍でも十分輸送可能な兵力だった。
4月27日、漁船や民間船舶を徴用した攻略部隊が釜山を出港した。
「何だ、あんたら」そう言う漁民の前で次々と陸揚げされる韓国軍の兵士達で、対馬に上陸した大隊は分散して対馬全土の制圧にかかる。警察官や在郷軍人等も居たが物の数ではなかった。
李大統領の命令では対馬の日本人は皆殺しにされるはずだったが、ゲリラ掃討を経験した大隊長は「略奪、暴行、虐殺は許さない」と軍規を引き締めさせた。住民を敵に回した場合、苦労させれる事の方が多いからだ。それに職業軍人としては非戦闘員は守るべき物だと言う認識がある。いくら大統領の命令でも信念は曲げられなかった。
午前4時、マッカーサーはアーモンド参謀長からの電話で叩き起こされた。韓国軍による対馬占領の報告である。
「閣下、緊急事態です。南朝鮮軍が日本の対馬を占領しました」
「何だって?」
寝ぼけていた頭が一気に冴えてくる。韓国の行動はアメリカの植民地と言える日本に対する侵略であり、総督の立場にあるマッカーサーへの挑戦と受け止められた。
(奴等、気でも狂ったのか。アメリカの支援が無ければ存続できない小さな半島国家の首領ごときが、舐めた真似をしてくれる)
不快感を感じたマッカーサーは在日米軍を九州に集結させ李政権へ無言の圧力をかけた。一方でホワイトハウスの大統領は「北に共産主義の脅威を抱えていると言うのに、李政権はアホばかりか?」と李政権への評価を大幅に下げていた。
マッカーサーは「大統領閣下、朝鮮人の思考は複雑怪奇であります」と報告した。
ワシントンでは国家安全保障会議が開かれ、この事態を収拾すべくダレス大統領顧問が訪韓。李大統領と会談するが、「対馬は我が国固有の領土で、日帝が不当に奪った物だ。取り返して何が悪い」と韓国側に撤退の意思はなく交渉は決裂した。
「全く話にならん。貴国への援助は打ちきりだ」
アメリカは軍事顧問団と邦人の引き揚げを決定した。
「これは合衆国の権益を侵す事だ。日本への手出しは許さん」
マッカーサーは事態の悪化を危惧し、横浜の第8軍司令部に対して警戒を指示、第24師団に待機命令が出た。
米韓が仲違いを誘発した結果、金日成は当初の南侵計画を進める事にした。
「アメリカは飼い犬に手を噛まれ、李承晩政権に対する不信感は根強い。彼らは韓国を手助けしないだろう」
1950年6月25日、対馬奪還に燃える日本はマッカーサーの後押しで創られた警察予備隊を実戦投入した。
島を取り囲む日米の艦隊。その中に一際目を引く戦艦が居た。かつて日本が降伏の調印をした戦艦「ミズーリ」が頼もしい味方として砲身を陸地に向けている。
島を守る韓国軍は警察大隊の増強を受けていたが、師団規模の戦力を投入してきた日本側との差は大きい。構築した陣地も事前の空爆と艦砲射撃で破壊されてしまった。
元陸軍大佐で1等警察正である西竹一は第4管区隊管区副総監として上陸第1波に加わっていた。新たな日本軍である警察予備隊では、政治的思想を持たないが優秀な指揮官を求めていた。
「西大佐、敵の抵抗は殆どありません」
「そうかい」
水際での抵抗を想定していたが、韓国軍は内陸部に逃げ込み抵抗は散発的な程度だった。敵から解放された港にLSTから陸揚げされるのM4戦車。米陸軍歩兵師団の編成をお手本とした管区隊はM4戦車1個大隊を備えていたが、島を占領する韓国軍に戦車はおろか満足な対戦車兵器も無かった。
(さすがアメリカだな。良い戦車をくれた)
戦時中、西の指揮した97式中戦車や95式軽戦車とは歴然とした性能差がある。新しい玩具手に入れた西は、部隊を錬成し短期間で戦力化した。
同じ日、北朝鮮は38度線を越えたがアメリカは動かなかった。頼みの綱であるアメリカが北の侵略をこのまま傍観する姿勢に、韓国政府は予想外と混乱した。幾ら対馬問題で揉めていようと、正義は自分達にあると信じていたからだ。
「何が間違っていたと言うのだ?」
李大統領は自らの思惑と違った状況に歯噛みした。アメリカの援助無くして祖国防衛は難しい。
釜山に後退した韓国軍は抵抗むなしく粉砕され、臨時政府の置かれた建物から太極旗が引きずり下ろされた。北による朝鮮半島の武力統一達成である。