プロローグ
雨が降っている。二度と止むことがないのではないかと思うほどの豪雨だ。道路を車が走るたび、水しぶきがあたりへ飛び散る。
似たような家が建ち並ぶなか、ある家の敷地から赤い首輪をした黒猫がゆっくりと出てきた。雨でずぶ濡れのせいか毛並に美しさはなく、本来はぴんと立っているだろう耳も垂れてなんとも貧相な黒猫だった。
流れていく雨水に足を取られながらも黒猫は一歩一歩道路を進んでいく。目指している場所があるのかないのか、猫の歩みはとてもゆっくりだった。一台の車が黒猫のすぐ横を通る。大量の水が体にかかってもなお、猫はただ歩き続けた。
「猫さん、どこに行くの?」
頭の上から聞こえてきた声に黒猫は顔を上げると、少女の笑顔があった。しばらくその少女の顔を眺めていた黒猫は先程よりもさらに耳と尾を垂らして再び歩き始めた。大きな道路を横断するように猫は歩いていく。
「危ないよ!」
少女の悲鳴に近い叫び声と、耳を劈くようなブレーキ音が重なった。ブレーキを踏んだ車は雨にハンドルを取られて勢いよくスリップする。黒猫が車の存在に気が付いたのは車体が目の前に迫ってからだった。逃げる間もなく、黒猫の体は回転する車に激突して空中へ投げ出される。しなやかな体は放り投げられた雑巾のように伸び縮みを繰り返し、最後には雨で冷たい道路へ叩きつけられた。
スリップした車は徐々に勢いをなくして一旦停止し、そのままどこかへ走り去ってしまった。少女もいつの間にか母親に連れられて姿を消し、後に残ったのは赤い首輪をした黒猫の変わり果てた姿だけだった。