研究ノート断片:大津京の痕跡 ──噛み砕かれし木(楢崎教授の未発表手記より)
令和〇年 十一月二日(京都市内・研究室にて)
『水底記』第四節──大津京大極殿における弘文大王と大海人皇子の凄惨極まる決戦の記述を訳し終えた私は、激しい幻肢痛のような感覚に襲われている。私の喉の奥、顎の骨のあたりが、まるで硬い鉄や肉を強引に噛み砕こうとするかのように、ミキミキと音を立てて内側から激しく軋むのだ。
私は、この奇妙な身体の疼きに突き動かされるように、滋賀県大津市の大津京跡(錦織遺跡)周辺の発掘調査報告、および未公開の出土品細目を漁り始めた。
天智天皇が築き、壬申の乱(672年)ののち、わずか五年で忽然と放棄された大津京。歴史学では「敗者の都だから忌避された」と美しく片付けられているが、考古学の現場には、常に文字通りの「割り切れない歪み」が残される。
私が注目したのは、昭和の後期に錦織の地下水脈近く、かつての大極殿の北西にあたる深い泥土層から出土した、一本の「炭化を免れた古代の建築部材(ヒノキの角材)」であった。宮殿の柱の一部とみられるその木材には、火災によるものではない、異常な破壊の痕跡が遺されていた。
報告書には「地圧による不自然な圧壊、および小動物による食害の可能性」と素っ気なく処理されていたが、私は大学のツテを利用し、その現物の高精細3Dスキャンデータを入手した。
モニターに映し出されたその曲面を拡大した瞬間、私は研究室の椅子から転げ落ちそうになった。
──それは、食害などでは断じてない。「巨大な顎によって、凄まじい力で噛み砕かれた痕跡」だったのだ。
木材の表面には、人間の歯とは明らかに異なる、しかしネズミや猪のそれとも絶対に違う、「何重にも並んだ、剃刀のように鋭い円錐形の牙の痕」が、幾十も深く穿たれていた。その配列の直径は、優に人間の頭部を丸呑みできるほどの大きさである。
さらに悍ましいのは、その傷跡の角度だった。木材を横から噛み砕くのではなく、上から下へと、獲物を「捕食」する際に、凄まじい力で捩じり切ったような歪みを見せていた。不比等の手記にあった「大友皇子の首筋に牙を突き立て、その頸椎を一息に噛み砕いた」という大海人皇子の、あの裂けた大口のサイズと、その牙の形状が、ミリ単位で完全に一致するのだ。
それだけではない。その噛み痕の奥深くに、化石化した「緑色の硬質な魚鱗の破片」が、まるで剥がれ落ちた爪のように今も数片、木肌に突き刺さったまま遺されているのが確認できた。
不比等は嘘を書いていなかった。
大津京は、人間同士の合戦で焼けたのではない。琵琶湖の底から溢れ出た濁流のなかで、人間の大王を生きながら貪り食った「深海の王子」の、あの凄まじい顎の力によって、文字通り建物ごと「噛み砕かれ、捕食された」のだ。五年で放棄されたのではない。あそこは、怪物の生臭い粘液と人間の血によって汚染され尽くし、二度と人間が呼吸できる場所ではなくなったからこそ、封印されたのだ。
同日 深夜一時三十分
データを検証した直後から、私の口腔内の異変は加速している。
鏡を見ると、私の歯茎が異常に腫れ上がり、古い歯が次々と抜け落ちていくのが分かった。しかし、痛みはない。その抜け落ちた穴の奥から、今、「白く、驚くほど鋭利な、幾重にも並んだ新しい牙」が、ぬるりとした粘膜を突き破って、急速に生え揃いつつある。
私の顎は、地上の生ぬるい食物をもう求めていない。
私が今、無性に噛み砕きたいと欲しているのは、あの箸墓の溜池の底にある冷たい巨石であり、あるいは、大津京の底で怪物の牙に引き裂かれた、人間の大王たちの清浄なる骨の硬さである。
レコーダーのスイッチを入れ、私は自分の喉から漏れる「カチ、カチ」という、鱗と牙が擦れ合う音を記録し続けている。私はもうすぐ、この乾いた京都を去らねばならない。大津の地下深く、今も泥の中で眠るあの噛み砕かれた木材が、私の新しい顎を、そして水底への帰還を、生臭い波の音とともに祝福しているのだ




