お兄様を奪った嫌な女だと思っていた婚約者は、私の人生を変えてくれました。
ジュテリーヌ・アレド伯爵令嬢は気が弱い令嬢だ。
幼い頃から、いつも兄テリウス・アレド伯爵令息の後ろに隠れて、くっついて歩いていた。
テリウスはとても優しい妹思いの兄だ。
だから、ジュテリーヌは困った事がある時は兄の手を両手でぎゅっと握って、兄の微笑む顔を見るのが好きだった。
金髪碧眼のとても美しい兄テリウス。同じ兄妹なのに、ジュテリーヌはくすんだ金髪で、あまり美人ではない。
そばかすだってあって、自分に自信がなかった。
だから、王立学園に入る歳になって、兄が先に学園に入学する為に王都に行くのが嫌で嫌で。
母は幼い頃に亡くなっていたから、父に頼んで、
「私も王都の屋敷で暮らしたいの。お兄様の傍にいたい」
父アレド伯爵は、
「お前はテリウスにべったりだからな。いいだろう。王都の屋敷で暮らすがいい」
と許してくれた。
これからもずっと兄と一緒にいられるとジュテリーヌはとても嬉しかった。
だから、兄が婚約をすると聞いた時にとても寂しさを感じた。
兄はアレド伯爵家を継ぐ為に、政略でスイード伯爵家からフェレンシア・スイード伯爵令嬢と婚約を結ぶことになった。
テリウス16歳。
ジュテリーヌ15歳の時である。
父と兄と一緒にスイード伯爵家に行き、スイード伯爵夫妻と共にいたフェレンシアに面会することになった。
フェレンシア18歳。
テリウスより年上のフェレンシア。
会った途端、ジュテリーヌは気に食わないと思った。
きつい顔立ちの金髪碧眼のフェレンシア。
上から目線で兄に言ったのだ。
「これからはわたくしが何でも教えて差し上げるわ。だから貴方はわたくしの言う事を聞いていればいいのよ」
さすがのその物言いに、父アレド伯爵の顔がこわばった。
慌てたようにスイード伯爵夫妻が、
「フェレンシアは気が強くて、でも。しっかりとした伯爵夫人になること請け合いですから」
「そうですわ。ですからフェレンシアをよろしくお願い致しますね」
兄テリウスはフェレンシアの手を取って、
「これからよろしくお願い致します」
手の甲に口づけした。
フェレンシアは微笑みながら、
「ええ、しっかりと面倒を見て差し上げますわ」
嫌な女だとジュテリーヌは思った。
それから、王立学園の休みの日に、兄は婚約者フェレンシアに、いそいそと会いに行くのだ。
今まで休みの日は、ジュテリーヌと一緒にいてくれた兄なのに。
兄はフェレンシアの悪口を一切言わない。
婚約者としての義務を果たしているだけだと思った。
あんな女のどこがいいの?
上から目線できつい女じゃないの。
「ねぇ、お兄様。婚約者との約束なんて一回位、お断りしたっていいでしょ?休みのたびに何も会いに行かなくても」
兄は首を振って、
「婚約者としての義務だから。私はしっかりと義務を果たしたいと思っている。そういえば、フェレンシアの誕生日が近かったな。何がいいのか、プレゼントを考えないとな」
「私の誕生日だって近いのに。お兄様、一緒に買い物に行きましょう」
「フェレンシアとの約束があるから、それは出来ない」
どうしてなんで?前は良く一緒に買い物に行ってくれたわ。
もうすぐ私の誕生日なのよ。
「だったら私もついていくわ。お兄様」
「婚約者との交流にジュテリーヌが着いてくる必要はないと思うが」
「お兄様。私が不安な時にいつも手を握らせてくれたわ。私、今、不安なの」
兄の手を両手でぎゅっと握る。いつも安心しろとばかりに優しい笑みを浮かべてこちらを見てくる兄。
でも違った。
「そろそろ時間だから。大人しく留守番をしているんだぞ」
行ってしまう。
あの女の所へ。
嫌だった。
だから、馬車に兄が乗り込んだ時に強引に乗り込んで。
「私も行くっていったら行くっ」
「仕方が無いな。今回だけだぞ」
二人でカフェの個室でデートをするという。
カフェに着くと、店の前で兄は立って待っているようだ。
「エスコートをするために、こうして立って待っているんだ。馬車から降りるフェレンシアを店まで手を添えて連れていかないと」
「なんで?そこまでするの?」
「婚約者の女性をエスコートしない訳にはいかないだろう」
フェレンシアが馬車に乗ってやってきた。
優雅に馬車から降りるフェレンシアに手を差し出して、馬車から降りるのを手伝う兄テリウス。
フェレンシアはちらりと、ジュテリーヌを見て、
「あら、今日は妹さんが一緒なのね」
「強引について来てしまったんだ。今日だけは勘弁して欲しい」
「仕方ないわね」
カフェの個室に店員に案内されて、兄とフェレンシアは対面の席に座った。
ジュテリーヌは兄の隣に座り、
「私はお兄様ととても仲のいい兄妹ですの。ですから、私は兄の隣に座りますわ」
強引に座った。
フェレンシアは微笑んで、
「構いませんわ。それにしても、テリウス、いつも気遣ってくれてとても嬉しくてよ。今日のカフェもわざわざ個室を予約してくれて。わたくしが甘いものが好きだって知っていらしたの?」
「勿論、君が好きな物をあらかじめ、君の母上に手紙で聞いておいたんだ。婚約者のフェレンシアには気持ちよく過ごして欲しいからね」
「まぁ嬉しい。以前、わたくしが何でも教えて差し上げるわ。だから貴方はわたくしの言う事を聞いていればいいのよって言ってしまったけれども。わたくし、貴方の家に嫁ぐにあたって、言い過ぎたって反省しているのよ。姉だから、しっかりしなさいと父や母にいつも言われていたわ。弟達が三人いるから、ついきつくなってしまって。ごめんなさいね」
「いや、構わないよ。私は結婚するなら、しっかりした女性を妻に迎えたいと思っていたんだ。だって母がいないから、家の事をきちっとやってくれる女性が妻に欲しいと常々思っていた。だから、君みたいなしっかりした女性が嫁に来てくれるなんて、とても嬉しいよ」
傍で聞いていたジュテリーヌはショックを受けた。
私がずっと家に居て、お兄様を支えたいと思っていたの。
だって、私、どこにも嫁ぎたくない。
美しくないし、気が弱いし、お兄様の手を握っていないと不安で不安で。
思わず隣の兄の手をぎゅっと握ってしまった。
兄テリウスはジュテリーヌの方を見つめて、
「どうしたんだ?ジュテリーヌ」
「私、不安で不安で。とても不安なの」
フェレンシアは微笑みながら、
「何が不安なのか言ってごらんなさいな」
「え?ただ、とても怖いの」
そう、お兄様が目の前の女に取られるのが怖い。
お兄様はずっと私の物だと思っていた。
だから、怖い。
兄にぎゅっとしがみつく。
兄は困ったような顔をして、
「婚約者の前で、困るだろう」
「ずっと私、お兄様と一緒にいるわ。ずっとずっと……」
フェレンシアが、
「そういえば、妹さんは学園で友達もいないって、わたくし聞いているわ」
テリウスは頷いて、
「妹は人と話すのが苦手なんだ。だから私がいつも傍にいて、妹が私の手を両手で握って安心して落ち着くからって。母が早く亡くなっていたから、妹も寂しいのだろうって。でも、そろそろ妹を甘やかすのも卒業しないとと思っている」
そう言って握っていた手を離された。
そして言われたのだ。
「ジュテリーヌ。伯爵家の娘として、生まれたからにはいずれ家を出て行かなくてはならない。伯爵令嬢として、他の家の令息と婚姻することが、お前の生きる道だ。だから、私からいい加減に離れて、しっかりと伯爵家の娘として自覚を持って王立学園で学んで欲しい。他の令嬢達と交流して欲しい」
兄に突き放されたような気がした。
今まで優しかった兄。
手を握り締めたら微笑んでくれた兄。
それなのに。
ジュテリーヌは泣き叫んだ。
「なんでそんな事を言うの?この女のせいね?この女のっ。私っ。絶対にこの女との結婚を許さないんだから。全力で妨害するんだからっ」
バシンッ!
フェレンシアに頬を叩かれた。
フェレンシアに言われた。
「テリウスの言う通りよ。伯爵家の娘なら、いつまでもテリウスに甘えていないでしっかりと生きなさい。気が弱い?友達がいない?何を甘えた事を言っているの。わたくしが貴方の面倒を見るわ。しっかりとしなさい」
酷い女。私を叩くなんて。
ジュテリーヌはこの女がもっと嫌いになった。
お茶会の招待状が届いた。
初めてのお茶会。
今まで、怖くて怖くてお茶会になんて行かなかった。
だって、女性ばかりなのだから。
フェレンシアがそのお茶会に一緒に行くと言い出した。
アレド伯爵家に訪ねて来て、
「わたくしが共に参ります。そこでしっかりと他の家の夫人や令嬢達に挨拶なさい」
「出来ない。嫌よ。とてもじゃないけど無理っ」
「無理もへちまも無いの。いい?行くのよ」
断った。
あの女とお茶会?絶対に嫌。
兄と居間で話をした。
兄は真剣な面持ちで、
「甘やかし過ぎた。不安そうなジュテリーヌのいつも傍にいた。でも、それじゃいけない。私は結婚をして、このアレド伯爵家を継ぐ立場だ。そしてジュテリーヌは家を出て他の家に嫁がなければいけない。いつまでもこの家に置いておくわけにはいかないんだ」
「どうしてよ。私の事が嫌いになったの???私がいたっていいじゃないっ」
「この間、ギルドに薬草を仕入れにいったんだ。そこで、会ったヴォルフレッド辺境騎士団の騎士団長と話をする機会があった。お前との関係を話したら、伯爵令息としての自覚が足りないと言われた。確かにお前にべったりで、彼に言われなかったら、お前の事が心配で婚約者であるフェレンシアをないがしろにするところだった。
だから、私は……ジュテリーヌ。ジュテリーヌの事が大切だから、幸せになって欲しいんだ。母上が亡くなった時に泣いたね。
お墓に収められる母上を見たあの霧雨の降る日に、幼いお前の手を握り締めて、私は涙をこらえていた。お前を守ってやるって兄として誓ったんだ。
でも、私は伯爵家を継ぐ立場だ。妻となるフェレンシアを大事にし、尊重し、家と家の結びつきを最優先しなくてはならない。そして今のままではお前は不幸にしかならないんだ。だから、どうか、私を許して欲しい。しっかりと自分の足で立てるようになって欲しい」
兄が両手で自分の手を握り締めて、涙を流す。
ジュテリーヌはそんな兄の涙を見て、
胸が痛んだ。
こんなにも自分を心配してくれる兄……
大好きな兄……
でも、しっかりと兄離れして、自分の足で歩かないと、不幸になるのは自分だ。
「解りました。お兄様。私、気が弱いなんて言っていられない。しっかりと自分の足で歩きます。お茶会にも出るし、お兄様に付き纏わないわ」
ジュテリーヌは決意を新たにした。
フェレンシアに頼んでお茶会に連れて行って貰った。
彼女が他の夫人や令嬢達にジュテリーヌを紹介してくれた。
上手く話しをすることは出来ない。
フェレンシアが傍に居て、しっかりと会話を広げてくれる。
色々な夫人や令嬢達と話をすることが出来た。
フェレンシアに礼を言う。
「有難うございます。フェレンシアのお陰で色々な方と話をすることが出来ました」
フェレンシアは微笑んで、
「いいのよ。貴方は義妹になるのだから、少しは力にならないとね」
馬車での帰り道、共に馬車に乗って、街に出た。
帽子屋に寄って、フェレンシアが、帽子を買ってくれた。
水色のリボンがついた、水色の帽子。
「貴方は薄い色が似合うから、とても素敵よ。わたくしは派手な色しか似合わなくて」
そう言って赤いリボンの帽子を被るフェレンシア。
何だかこの人の事が好きになる。
兄を盗る人ではない。これから家族になる人だ。
そう思ったら、抱き着いていた。
「よろしくお願い致します。お義姉様」
「まぁ、こちらこそよろしくね」
何だかとても嬉しかった。
王立学園でも努力して令嬢達との交流を深めた。
話題が豊富になるように、情報を執事に集めて貰った。
そして、父アレド伯爵が持って来た婚約話。
「カイル・ファンテ伯爵令息。ファンテ伯爵家の長男だ。お前を王立学園での交流で気に入ったとの事だ」
カイルの事なら良く知っている。
同じクラスで、最近、話をするようになった。
カイルはジュテリーヌが他の令嬢達と話をしていると声をかけてきて、
「前は暗い顔をしていたのに、最近の君は笑っているね。だからつい声をかけてしまった」
カイルに向かってジュテリーヌは、
「私、少しはしっかりしないとって思って、今、勉強中なのですわ。こうして皆様方と話をしていると楽しくて」
「私も話に加わっていいかな」
他にも令息や令嬢が加わって皆で楽しく話をした。
カイルの話は特に面白くて。色々と知っていて、気になっていたのだ。
そんなカイル・ファンテ伯爵令息との婚約話。
ジュテリーヌは父に向かってはっきりと、
「このお話、受けますわ」
「そうか。お前も嫁入りしなければならないのだから。良い話だと思う」
兄に報告したら、凄く喜んでくれた。
「お前がファンテ伯爵家に嫁ぐのはとても嬉しい。良く努力したな。本当に嬉しいよ」
男泣きに泣きながらそう言われた。
ずっと握り締めていた兄の手……
その手を離してしまったのは寂しいけれども、
でも、私は伯爵令嬢。しっかりと自分の足で歩くわ。
婚約の話をフェレンシアに報告したら喜んでくれた。
「良かったわ。貴方の亡きお母様も喜んでいらっしゃると思うわ」
と言ってくれた。
雨が降っている。
シトシトと雨が。
そんな中、カフェの個室でカイルと共にお茶を飲む。
カイルに向かってジュテリーヌが、
「私ね。お兄様にずっと依存していたの。お兄様の手を握り締めて、私が不安そうな顔をしていたら、兄が私に向かって微笑んでくれて。そして私は安堵したの。でも、私はお兄様から離れないとならなくて。今まで貴族として生きる為に頑張って来たわ。でも、ちょっと寂しい」
手元にある紅茶のカップを見つめる。
赤い液体がゆらゆらと揺れていて。
カイルはどう言うだろう。
伯爵令嬢として甘いと言われるだろうか?
カイルは真面目な顔をして、
「私も歳が離れた姉がいて、姉が嫁ぐまでずっと依存していた時期があったんだ。でも、姉が嫁いでいってから、これではいけないと、必死に努力してきた。
君の寂しい気持ちも解る。でも、これからは不安な事は私に話をして欲しい。ファンテ伯爵夫人にいずれ君はなるんだ。そして私の妻になる。
私は精一杯、君の不安を無くすために頑張るよ」
懸命にそう言ってくれるカイルの言葉が嬉しかった。
兄の手を握り締めて来た自分に、今度こそサヨナラをするべきだと強く思えた。
婚約して一年過ぎた。
婚姻する前に、ファンテ伯爵家に住んで色々と伯爵夫人から学ぶ為に家を出る事になった。
家を出る前日に、先月、嫁いできてアレド伯爵子息夫人になったフェレンシアに挨拶に部屋に訪れた。
部屋に招き入れられて、ソファに座って二人でお茶を飲む。
フェレンシアはジュテリーヌに、
「あの時は叩いてしまってごめんなさい。わたくし、色々と貴方に対してきつかったでしょう」
「いえ、お義姉様のお陰で、私、こうして家を出て貴族として生きていくことが出来るのです。感謝しておりますわ」
「出ていくからには、戻って来ては駄目よ。貴方はファンテ伯爵家に嫁いだのだから」
「ええ、その覚悟ですわ。お義姉様に教わりましたの。貴族として生きる覚悟を」
「でも本当に困った事があったら手紙を寄越しなさい」
フェレンシアは立ち上がると、ぎゅっと抱き締めてくれた。
「どうかお元気で。義姉として貴方の幸せを願っているわ」
義姉フェレンシアには色々と教わった。
お茶会には付添ってくれて、色々と交流を増やす手助けをしてくれた。
共に買い物に出かけて、色々と美しい物を楽しんだ。
きつい女性フェレンシア。
大嫌いだったフェレンシア。
でも、共に過ごした時間は楽しかった。
この人になら兄を任せて大丈夫。そう強く思えた。
フェレンシアに感謝した。
翌日、父と兄が門の外に泊っている馬車。
乗り込むジュテリーヌを見送りに来てくれた。
父アレド伯爵が、
「しっかりと伯爵夫人に教わるんだ。いいな?」
「はい。伯爵夫人にしっかり学びます」
兄テリウスが、
「どうか、元気で。私はいつでもお前の幸せを願っているよ」
と……
そっと兄の手を握り締めた。
もう、握らないと誓ったその手……
でも、最後になるのだから、握っても良いでしょう。
涙が零れる。
ずっとこの手に縋って来た。
この手を握って不安を押し殺して来た。
最後だから…‥もう、決して握らないから……
兄は昔のように微笑んでくれて。
「困った事があったら、まずはカイルに相談するがいい。それでも、手に負えなかったら手紙で知らせてくれ。私はお前の兄なのだから」
そう言ってくれた。
嬉しかった。
「お父様。お兄様。有難うございました。アレド伯爵令嬢として恥じないように、ファンテ伯爵家に認められるように頑張りますわ」
二人は頷いてくれた。
馬車に乗り込む。
遠のく父と兄の姿……
私は強くなる。もっともっと強くなる。
生きる為に‥‥‥
こうして私は兄の手を離した……
その手の温もりを忘れないように、そっと自分の両手を重ねて握り締めた。




