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名無しの覆面探偵  作者: 冬目 賢


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1話

───彼は、海岸で目を覚ました。

冷たい砂が全身の肌に張り付き、うつ伏せで半開きの口に海水が容赦なく流れ込む。

咳き込み、身体を震わせ、自分が生きていることを理解した。

───衣服は、無かった。

覚えていたのは、滝壺で何かに後頭部を強くぶつけた衝撃。

それ以前も以後も、名前も過去もパーソナリティも、何一つ覚えていなかった。

「おじさん、大丈夫?」

少年が怯えながら水の入ったコップを差し出している。

男はすがり付くように、しかし力の流れを把握しているように自然に少年の手からコップを奪い取り、一気に飲み干した。

「っあぁ〜……」

「…父さんの服を持ってくるね!」

そう言うと少年は浜辺を駆け抜けて行った。

「私は……」

男は身の回りに自分の手がかりを探した。

やがて濡れて崩れた手帳を拾うと、ページを素早くめくる。文字は滲み、大半が判読できない。それでも男は迷わず視線を走らせる。少年が戻ってくるより速くその処理は終わっていた。

「私は…探偵…アーサー…」

「おじさん!お待たせ!」

男はわずかに顔をほころばせた。

「あぁ、ありがとう」

「それにしてもおじさん…白いねぇ」

「あぁ…私はどうやら袖も丈ももっと長い服を着ていたようだ。それに腕時計もしていた、らしい」

「おじさん、どこから来たの?名前は?」

「……少なくとも、名前は…」

逡巡。わずかな時間で男は判断した。自分が死にかけていたこと。この状況を作った何者かがいること。

───自分が生きていることを、その何者かに知られてはいけないこと。

「…ジョン・ドゥ、だ」

「ジョンおじさんだね!よろしく!」

その時、少年が走ってきた方向から声が響いた。

「ルカァ……急に服持ってって何してんだぁ…?」

ルカと呼ばれた少年は笑顔のまま口を開いた。

「親父!この人はジョンおじさん!」

ヒトを拾ってきたことに驚きを隠せない様子だったが、それ以上にジョンには気になる点があった。

「あなた…酔ってますね?相当」

「親父はこれが平常運転!むしろ酒が入るほど腕っ節も強くなっていくんだ!…って、もしかして親父…!」

「あぁ…!大事な息子に近づく不審者は俺がぶっ飛ばしてやるぜぇ!」

男が拳を握り込むと、わずかに空気が歪む。

───魔法。それも極めて単純な、体術の威力を、握力を、拳の硬さを、増強するだけの物。しかしそれ故に。

「……面倒だな」

しかしジョンは自分でも気づかないうちに、にやけていた。

(…速い!)

男の鉄拳が、泥酔している人間のそれにしてはありえない速さで繰り出される。

しかしジョンにはひとつも届かない。全てを読んでいるように防御を“置いて”いく。

誰にも仕掛けは分からない。ジョン自身も例外ではない。

(…これが…)

ジョンの脳裏には先程の手帳の一節が浮かんでいた。

(この世界へ来る際に授かった…スキル…ということか)

柔らかく受けた手のひらをわずかにずらす。重心が、ぶれる。

「うおっとっとっと…」

隙を作ったのもまぐれでは無かった。

ジョンの拳が男の脇腹にめり込む。

「ぐふっ……」

「親父さん、私は…」

ジョンは両手を上げた。

「…不審者じゃないですよ」

「ど…こが…」

「私は善良な」

「この俺を…返り討ちに…」

その緊張を破ったのはルカだった。

「ジョンおじさんすごいや!親父は昔、剛腕のドレイクって評判だったんだよ!そんな親父を一撃で…!」

ルカはドレイクを見やると、思ったより深刻そうな痣を見て駆け寄った。

「え、えぇ…!?さっきのパンチ…えぇ…!?」

「とりあえず落ち着けるところで話を。彼の手当ても。安心して、内臓までは傷ついてないので」

ドレイクはいつの間にか大きないびきをかいていた。

「いいお店ですね。客もいなくて過ごしやすい酒場だ。」

包帯を巻いた脇腹を押さえながらドレイクは酒を喉へ流し込む。

「っぷはぁ……なんだ、イヤミか?ガキ一人食わせるには十分なんだよ」

「親父はお宝探しをしたり賞金首をとっ捕まえたりしてたんだけど、俺の母ちゃんが死んでからこんな田舎の島に引っ込んじゃったんだよ」

「こらルカ、好き勝手言うな!あとお宝探しじゃなくてトレジャーハンターだ」

ドレイクはまんざらでもなさそうな様子でルカの頭を乱暴に撫でる。

「それにしてもあんた、ジョン・ドゥ……だっけか?はっ、明らかな偽名なのは置いといて……これからどうするんだ?」

「偽名!?ジョンおじさん、偽名なの!?」

「記憶喪失でして」

ジョンは即座に答える。

「できればこの島を離れてもっと人のいるところへ行きたいですね」

「そうかい、定期船は3日後だ、それまでは野宿でもするんだな」

「ええ、そうさせてもらいます。どうもありがとう」

「ジョンおじさん、行っちゃうの?」

立ち上がったジョンはルカの言葉を聞いてから人差し指を立てて振り返った。

「ああ、最後にひとつだけお願いが」

───「ジョンおじさん、行っちゃったね」

「ああ、最後にズタ袋を持っていくなんて、ずっと意味の分かんねぇやつだったな……」

「覆面にするって言ってたけど、あれでよかったのかな?」

「はっ、知るかよ」

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