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限界を迎えたのは、夕暮れが差し込んだ執務室でのことだった。
その日もまともなコミュニケーションが取れず、エドガーからのきつい言葉を聞くのみだった。
疲れで何も考えられず、いつもだったら頭を回転させて彼の地雷を踏まないような言葉を考えなければならないが、その時は出来なかった。
ぼやけた脳みそで、思わずエドガーの言葉をなぞらえるように反論してしまったのだ。
「神経質過ぎる。そんな細かいことを気にしているのはお前の悪い癖だ」
「無神経過ぎます。細かいことを気にしないのはあなたの悪い癖ね」
この会話は、転機となった。
彼が初めてキャサリンをまともに見て、自分の言葉に反応した。
『エドガーの言葉に沿って返す』のが、唯一の夫婦のコミュニケーションだ。
それからの彼女は徹底してエドガーと同じ言葉を復唱し続けた。
「だれが君を食わせていると思っている?ウィンスロウ家のおかげだ」
「だれが社交界に招かれて商品を宣伝出来ると思っている?爵位のあるローズウッド家のおかげよ」
このコミュニケーションは、キャサリンの心を楽にさせた。
どうすればエドガーの心に届くのかを考える必要が無く、ただ彼と同じような言葉を返せば良いだけだ。
そして、これを続ける内に気がついた。
人が言う嫌みや悪口は結局その人自身が気になっていることだ。
わざわざ頭を働かせるまでもなく、同じ観点の言葉を返せば勝手に心の一番深いところに届いてくれる。
それに、キャサリンの今までの努力も無駄ではなかった。
エドガーのことを傷付けまいと彼のことを思って、彼の良いところ、触れてはいけない悪いところを紙にまとめたものがあったおかげで、ポンポンと言葉を返すことが出来た。
「お前のためを言っているんだ。そんな生意気な女は価値がない」
「あなたのために言っています。口だけの男には価値がない」
エドガーの反応は様々だった。あっけにとられ、呆然として、怒りだした。
怒鳴り声をキャサリンに浴びせ続けたが、キャサリンには聞かなかった。
全てを喋らせた後、「声が大きすぎて上手く聞き取れず、初めからもう一度話してもらえますか?」と返せば、エドガーは再度怒ろうとしたがもう怒鳴る気力は残っていなかったようで黙ってキャサリンの前からいなくなった。
それからもキャサリンは復唱し続けた。オウム返しが出来ないものはアレンジも加えた。
「義理実家とも上手くいかない出来損ないの妻が!」
「それ以外の人間関係が上手くいかない出来損ないの夫ですね」
エドガーは徐々に憔悴していった。何を言ってもキャサリンが傷つく様子は無い。
むしろ、彼女は元気を取り戻していった。
何を言っても話が通じない相手に、ようやくコミュニケーションの糸口を得たのだ。
エドガーと対照的に、キャサリンの精神は安定していった。
心に余裕が出てくれば、行動的にもなっていく。
そう、悲惨な未来を変えようと一人で勉強した本来の自分の姿を思い出したのだ。
今までは社交の場に出ても、夫よりも前に出ては、また不況を買うかもしれないと後ろに控えているだけだった。
けれど、社交界は貴族がメインの場。いくらエドガーが人気の商会を切り盛りする人間だとしても彼は平民。
例え男爵位でも、本来はキャサリンが前に出た方が交流は上手く進んだのだ。
けれど、エドガーがキャサリンを頼ることを嫌ったので、彼女の存在を無視して話しかけるも、いつも梨の礫だった。
キャサリンはエドガーを無視して、交流を開始した。
彼女は爵位こそ低いものの、学園では高位貴族が多くいる上位成績者が集まるクラスにいたのだ。
今までは彼女に気を使って積極的に話しかけてこなかったかつての旧友達は、彼女の変化を歓迎した。
そして、彼女の後ろで所在無げにしながらも、恨みの視線を送るエドガーを見て、やがて来る二人の未来も見えていた。
キャサリンは持ち前の意欲で旧友の伝手を使い、商会に新たな商品ラインを展開させた。
今までのウィンスロウ家の商会は男性貴族向けの商品が中心だったのだが、女性向け商品も始めたのだ。
市場の流れを見て、センスの良い旧友たちの好みを聞く。
勉強し続けた粘り強さで、優秀な職人たちを勧誘し作られたアクセサリーやドレスはどれも評判がよく、社交界のトレンドにもなった。
そのころには、エドガーはウィンスロウ家の執務室に引き込もり、酒浸りの生活になっていた。
夕暮れ、必要な書類を取りに来たキャサリンに、エドガーはうつろな顔で言う。
「夫に尽くすべきだ。それしか女は脳が無いだろう」
それに、キャサリンはにこりと笑って返した。
「私に尽くすべきですわ。あなたにはそもそも能力が無いのですから」
エドガーは心を病んで病院に入院することになった。
ウィンスロウ家が運営していた商団はキャサリンが主導で動かしていたので、そのまま彼女が運営し続け、何も問題はなかった。
キャサリンはゆくゆくは離縁を言い出す予定だ。
商会しか残されていないエドガーは拒否をするだろう。けれど、何度だって離婚を言い渡すつもりだ。
重要なことは念のため、念のため、復唱する。
そうすれば、いつかはわかってくれるだろう。
わからなければ、わかるまで。




