魔法ではない魔法の手
今作はカクヨムの公式企画のお題「手」用に書きおろしました。
王都エディール。
その一角にあるアミューは、どこにでもあるような普通の装身具店に見える。
首飾りや耳飾り、お守りに使われる腕輪や指輪。ほかにも剣につける飾りひもや剣帯から若い娘が好みそうなリボンまで、幅広い品が揃えられていた。
しかしアミューでは他の店とは少し違うものが売られていた。
完全オーダーメイドの「装身具」だ。
*
「すごいわ……」
喘ぐように感嘆の声をあげたのは、客であるリオラス・ライド卿本人ではなく、彼に付き添って来た姉のほうだった。リオラスは、緊張した様子で店員であるキャンディスを見つめる。
最終調整をした「装身具」を付けた姿を、リオラス本人はまだ見ていない。よくできているであろうことは姉の様子を見ればわかるが、それでも期待と不安がないまぜになっているのだ。
「鏡をご覧になりますか?」
キャンディスに尋ねられ、彼がこくりと頷く。
それに微笑みながら彼女が両手で抱えるように大きな鏡を移動させ、埃除けの布に手をかける。リオラスは覚悟を決めるように軽く目を閉じた後、ゆっくりと上げて鏡に映る自分の姿を見た。
「あ……」
言葉にならない声を上げたリオラスの頬を、不覚にも一筋の涙がすっとこぼれた。
そこに映っていたのは、リオラスの以前の姿だった。
*
二年前。
魔災と呼ばれる魔獣戦で大けが負ったリオラスは、命こそとりとめたものの顔の半分を失ったといいと言ってもいい姿だった。龍の炎をよけきれなかった結果だった。
とっさに覆った腕で目は守れたが、左腕と鼻から頬までは焼けただれ、耳も半分以上がちぎれた。
リオラスはライド伯爵家の跡取りとして、王都を守る騎士として、その端正な顔も相まって、以前は年頃の令嬢から憧れのまなざしを受けていた青年だ。しかし魔災のあと、治癒をしたあとのリオラスを見たものは彼の姿を見て悲鳴を上げた。
半分が端正な顔のままであるのも相まって、もう半分がまるで違う生物のようだと、彼の姿を見た子供に怯えられ、泣き叫ばれたこともあった。
当たり前になってはいけないことだが、魔災で騎士が体の一部を欠損することは珍しくはない。
日々訓練されているとはいえ、災いはその時その時で状況が違う。市民の命と仲間、そして自分の命を優先し、それでも怪我は付き物なのだ。
町を守るため前線で踏ん張り続けたリオラスは、彼に逃がされ命を救われた市民にとっては英雄だ。
それでも、包帯を取った彼の姿を見て婚約者は失神した。口には出さなかったが、かつて美しい青年だった婚約者が、今は化け物にしか見えなくなったのだろう。
倒れたことを恥じ、懸命に変わらず接しようと努力してくれた婚約者だったが、自分の意志とは別に頻繁に過呼吸を起こすようになるのを、リオラスは気づいていた。しかしその原因であるリオラスでは、彼女が気を失っても抱き上げることさえできない。
優しい娘だったが繊細過ぎたのだと慰めるものもいたが、彼女の反応はごく当然のものだ。リオラスはそう思った。逆ではなくてよかったのだとも。
そうして両家双方とも合意の上で、この婚約は解消になった。
仮面で顔を隠し、訓練にも復帰したライド卿だったが、心の傷は深かった。
自分の顔が自慢だったというわけではない。むしろ興味がなかったくらいだ。しかし半分を失ったも同然になったとき。そしてかつての婚約者の反応を見たとき。家族の、同僚の、そして町の人々の恐れや憐れまれるような目を向けられるたび、自身の心が削られるのを感じた。
もし欠けたのが手足だったなら、医者を通じて魔塔へ義手や義足を依頼することができる。
今の魔塔には伝説級とも言われる優秀な魔道具士と魔術師のコンビがいるそうで、多少のぎこちなさはあっても、自身の手足のように使えると評判だったからだ。魔力を持つものなら、ほぼ違和感なく自身の手足のように使えるとも聞く。騎士なら職業柄優先されるし、当然金はかかるが、それだけの価値はあるといえた。
しかしリオラスは五体満足の身で、しかも男だ。
顔が醜くなったからといって、それを嘆くことはない。
そう思っていたのに、日がたつにつれ、自分がもう人ではないような錯覚を起こすようになっていた。以前の人だった自分はもういないのだと。
そんなことを思うなんておかしい。この傷は名誉あるものだ。むしろ誇りに思っていい。
自分が最後にかばった娘は傷一つ負わなかっただろう。
そう自分を鼓舞し、仮面は父の勧めで作った。
仮面で顔の半分を隠せば、周りの反応は以前と変わらなくなったように見えた。繊細な装飾を入れた仮面が神秘的な印象を与えると、何も知らずに褒めてくれる人さえいた。
しかしリオラスは笑顔を浮かべても、自分が本当に笑っているのかわからなくなっていた。表情とはどうやって作るものなのか。それさえもわからなくなっていたのだ。
それでも淡々と訓練に励み、業務をこなす。はたから見れば大けがを乗り越えたように見えただろう。
しかし心が死んだままでいることを、年の離れた姉は気づいていたのだろう。
嫁ぎ先からやけに帰ってくる日が増えていることには気づいたが、ある日買い物に行こうと言われてギョッとした。しかもそれが装身具店だったから余計だ。
「お待ちください、姉上」
落ち着いた雰囲気の装身具店アミューは、病院のすぐ裏手にあった。
馬車から降りて軽やかに歩く姉を引き留めようとするが、強引に腕を組まれ引きずるように店に連れ込まれてしまう。姉に力で負けることは絶対ないはずなのに、幼い時のように連れていかれてしまうとどうにも逆らえない。
店に入った姉が満足するまで隅で影のように待っていようと思ったが、姉は陳列された商品には目もくれずカウンターの女性に二言三言声をかけると、そのまま店の奥にずんずんと入っていく。
奥は病院の待合所のような佇まいで、質素なソファが二つおかれていた。
その雰囲気に、もしかして隣の病院とつながっているのだろうか? と思い当たったリオラスは、姉の足を止めるべく彼女の腕を軽く引く。しかし姉は「おとなしく着いていらっしゃい」と、幼子をなだめるように微笑んだ。
「姉上。もしわたしに治療をと考えているなら無駄です。もう傷は完全に治っているのですから」
ひきつれや疼きやしびれがあっても、完治には違いない。日常生活はきちんと遅れるのだ。だから医師は必要ない。そう訴えようとしたとき、奥のドアが開き、若い女性が二人出てきた。一人は患者で一人は医療従事者だろうか?
女性たちを怯えさせないようリオラスが姉の陰に控えると、先に出てきたほうの女性が嬉しそうな声をあげた。
「まあ、次の客ってモリィ様のことだったのね!」
どこかで聞いたことがある声だと思い、失礼にならない程度に姉の名を呼んだ女性の顔を見る。
キラキラと輝く緑色の目をした、自分と年が変わらないくらいの女性。
どこかで見たことがあると思ってハッとした。
(アリィ・サラグラ嬢?)
あまりにも印象が違うが、母の開くサロンによく参加していた令嬢だ。
挨拶程度しか交わしたことがないが、リオラスから見たアリィは内気で、他の娘のように髪を結いあげることはせず、そのせいで野暮ったい印象を与える娘だった。いつも下を向いていたし、挨拶をするときも囁くような小さな声だった。
でも目の前にいる彼女は快活で、誰が見ても美しい大人の女性だ。
そのアリィがリオラスに気づくと丁寧に一礼し、怪我をしたことへの見舞いと無事だったことへの祝いの言葉を口にした。まるで詩を読むような美しい声に、リオラスの心の塊が少しだけ緩んだような気がする。
しかし次の瞬間彼女から両手を握られてギョッとした。
「リオラス様も運がいいですわ!」
それは淑女らしからぬ行動だったが、輝く瞳にはリオラスへの怯えも憐みも何もない。彼女の言っていることは意味不明だったが、まるで楽しいことを共有しようと言われたようでドギマギしていると、姉がクスッと笑った。
「アリィ。うちの弟はあなたの事情を知らないのよ」
「事情?」
「あ、そうでしたのね?」
姉の言葉にリオラスが戸惑うと、彼女が一つ頷いておろしていた髪を耳にかける。
その仕草が色っぽく見えて戸惑っていると、アリィがその耳を見せるように体を斜めに向けた。
「この耳、どう思いますか?」
「え? ああ、美しい耳だと思います」
耳を賛辞したことなどないが、それは正直な気持ちだった。可愛らしいハート型の額から形のいい眉に視線を投げ、緑色の美しい目、薔薇色の頬、少し上向きの可愛い鼻とバラの花びらのような唇。その顔の左右にある耳は小ぶりだが形よく、先ほど店でチラリと目に入った、エメラルドのイヤリングを付けたらよく映えるだろうと思い、そんなことを一瞬のうちに考えた自分に驚いた。
なぜならそのイヤリングを彼女に着けてあげる光景までもが、ありありと浮かんだからだ。
ありえない。
そんな考えを知る由もないアリィは、リオラスの賛辞に嬉しそうに微笑み、次いでいたずらっぽい表情になる。後ろにいた店員らしき女性にちらっと笑顔を向けると、次の瞬間、片方の耳を取ったのでギョッとした。
「アリィ嬢⁈」
とっさに傷がないかと確かめるが、耳の下から出てきたのは赤ん坊よりも小さな耳だけで傷一つない。ホッとすると同時に、どういうことかと首をかしげると、アリィは「この耳は生まれつきなのです」と言った。
生まれたときから片方の耳が異様に小さかった。
聴力には問題ないが、この耳では嫁ぐことはできないと母は嘆き悲しんだという。
耳を隠すため、他の令嬢のように髪を結うことはなかった。耳のことをバレたくないから、できるだけ目立たないよう小さくなって過ごした。
縁談が来ても当然断った。
なぜ生まれてきたのだろうと思うと悲しかったが、自分が生まれて以来身体を壊した母の世話をするためなのだと、無理やり納得した。自分が生まれなければ母は健康で幸せなままだっただろうからと。
ずっと引きこもっていたアリィを引っ張り出したのは、リオラスの母だ。サロンに誘い、姉のモリィも彼女の面倒をよく見たという。耳のことを知っても態度を変えないモリィを慕い、彼女と話せるのが嬉しくて、サロンに参加したそうだ。
「でもその耳はいったい……」
もう一度耳を付けたアリィに問うと、彼女の後ろにいた店員を紹介された。
「造形師のキャンディスです」
「キャンディス・エメラルダ嬢?」
その声で彼女の正体が分かった。
しかし、伯爵家の令嬢が装身具の造形師?
「ここでは技術者ですので、ただのキャンディスです」
不思議に思うリオラスにキャンディは猫のような笑みを見せると、「どうぞ」とリオラスたちを部屋に迎え入れた。姉が予約を入れていたらしい。
「私が作る装身具は、すべてオーダーメイドです」
そう言ってキャンディスが笑う。
例えばアリィの耳のように。例えばかけた指を補うように。
義手や義足の類ではない。体の一部を補う「装身具」を作る造形師なのだと彼女は説明した。
「わたくしが作る装身具は、もちろんなくても困らないものです。でも、他の装身具が、身に着けることで気分が良くなったりするのと同じよう、その人のための一品をお作りします」
たとえば完全に形が変わった鼻。ちぎれた耳。ただれた頬。
それらを治すわけではない。
ただ、着脱可能な装身具を作ることで、自身の気持ちを上向ける。
説明を聞いて、自分には必要ないと踵を返そうかと思った。
しかし、先ほどみたアリィの目の輝きを思い出し、少し考えさせてほしいとその場は帰ることにした。
「姉上は、わたしの顔に装身具を付けるべきだと思われますか?」
考えて考えて問うたリオラスに、姉はきょとんと首を傾げた。
「むしろ駄目だと思う理由は何? あなたのその仮面とどう違うのかしら?」
「あ……」
そうだ。着脱可能な装身具を付けているのは今でも同じ。その形が変わるだけではないか。
目からうろこが落ちたリオラスは、その後何度かキャンディスのもとに通った。
質のいい装身具を作るのには手間暇がかかるからだ。
通ううちに、キャンディスの過去のことも思い出した。
十二年前、最悪と言われた魔災の犠牲者であるキャンディスは、災害に巻き込まれ、一時期視力と聴力を失っていた。そのためそれらが戻っても賑やかなところが苦手なのだと社交にあまり姿を見せなかったのだが、雑談の折にその話になると、彼女は茶目っ気のある笑顔になった。
「だって、パーティーって面倒じゃない?」
噴き出した。深窓の令嬢として有名だったキャンディスは、かなりおちゃめな女性だったのだ。
「探している人がいるから、一応顔は出すんだけど、いないと分かったら参加する意味もないから」
「尋ね人ですか? でしたらわたしも手伝いましょう」
「ありがとう。リオラス様は親切ね」
「いいえ。単純にお代以外の礼もしたいという、ただの我儘ですよ」
キャンディスの探し人は、魔災の時に自分を助けてくれた人だという。
なにかの爆発の影響で目も見えず、耳もほとんど聞こえない中、ずっと手を引き、頭をなで、肩を叩き、ずっと励ましてくれた誰か。その手をずっと探しているのだと。
「男ですか、女ですか?」
「わたくしより年上だと思う以外は曖昧なの。つないだ手の感じから女性だとおもっているのだけどね」
顔も分からない。声も分からない。
ただ、もう一度手を握れば気づく。そのような確信があるのだそうだ。
「残念ながらリオラス様は違うわね」
手を握った時に開口一番で言われた言葉の謎が判明した。
*
三か月後、すべての作業が終わったと連絡が入った。
姉と一緒に向かい、まずはキャンディスにひとつひとつ取り付けてもらう。のりで着ける装身具は、湯を使って簡単に外せるものだ。姉が息を呑んで見守る中、筆を持ったキャンディスが最終調整をした。
「これなら口づけをするときだって装身具だとバレないわよ」
冗談めかした彼女の言葉に姉が息を呑む音が聞こえた。
「すごいわ……」
喘ぐような姉の声に、リオラスの口が緊張で乾く。
鏡を見るのが怖いと思ったが、大きな鏡の中にいたのは以前見慣れていた自分の顔だった。
知らず流れ落ちた涙に驚いてグイッと拭う。我ながら情けない姿だと思った。でも胸にこみあげる感謝と感動に、目の奥が熱くなるのを止めることができない。
「ありがとうございます!」
深く深く首を垂れた。
リオラスに抱き着いていた姉も同じく頭を下げた。
普通の顔がある。
それがこんなにも心を軽くしてくれるものだとは夢にも思わなかった。
*
「ライド卿、以前の美男子に戻りましたね」
リオラスを見送った後、助手のマークがキャンディスにそう言った。
マークは造形師の師匠のもとにいた青年で、今はキャンディスのもとで仕事を手伝ってくれている。
事故で左手の指を数本失っているマークは、魔道具による義指を付けているそうだが、革の手袋をいつもつけているので、キャンディスは彼の手を見たことはない。おまけに家名も年もよく知らない。
ただよく気が利くし、一緒に仕事がしやすい相手なので、父を説得して彼を助手に着けてもらったのだ。
「リオラス様、いい笑顔だったわ。今度は素顔を見ても愛してくれる人と出会えると思う」
脳裏に浮かんだ女性が彼とならぶ姿を想像し、キャンディスはふふっと笑った。彼が恋に落ちる瞬間をこの目で見たのだ。今のリオラスならきっと、彼女を大事にしてくれるだろう。その逆もしかり。
「ところでお嬢は、まだ恩人探しをするんですか?」
手を握ったところで、大人になっているであろう相手ではわからないだろう。
マークが言外にそう思っているのが伝わり、それでもキャンディスは頷く。
温かいあの手をずっと探してる。おかしいかもしれないけれど、彼女、もしくは彼に恩を返せないままは絶対に嫌なのだ。
魔獣によって負った傷を魔獣を使った素材で補う。それを厭う人もいるし、治らないならただのまやかしだと嘆く人もいる。
でもリオラスたちのように笑顔を取り戻せる人を見られるから、キャンディスはまた頑張ろうと思えるのだ。
「きちんとお礼がしたいし、あなたのおかげで、わたくしも誰かの役に立つことができてますって、元気な姿を見せられたらいいなって思うのよ」
小さくこぶしを握って小さく頷くキャンディスに、マークは「そう」と微笑んで、書類を棚に戻すため背を向けた。
怖いだろうに、懸命に泣くのをこらえていた少女の姿を、マークは今も鮮明に覚えている。偶然見つけた子供の手を引き一緒に逃げたのは、偶然が重なりあったからに過ぎなかった。
その結果指を失ったことに絶望と、どこへ向けていいのか分からない怒りに染まっていたころ、偶然助けた少女――キャンディスに再会した。
その頃には造形師になる夢をあきらめずに済んだけれど、義指になかなかなじめなかったこともあり、理不尽だとわかっていても彼女の顔を見るたびに、仄暗い感情が胸の奥を染めていったのだ。しかし――
「君こそ、ぼくを救ったんだよ」
指がなじむよう、魔力の流し方を一緒に考えてくれた。誰よりも応援してくれた。深海に沈む石のように冷たくなったマークの心は、いつのまにか春の陽だまりの下に置かれた氷のように全て溶けてなくなってしまった。
本来なら高嶺の花であるキャンディス。だからこそ彼女に見つかってあげる気はない。
終
本当はキャンディス視点で書く予定だったんですけど、リオラスを描くにあたって三人称神視点にしてみたんですけど、難しいですねぇ




