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婚約破棄されたので、距離を取ったら溺愛されました  作者: 月岡紬


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第7話 名前を呼ばれる距離

その変化に、私はすぐには気づかなかった。


朝の庭を歩いていると、

管理人が遠くから声をかけてくる。


「今日は、風が出そうですね」


「そうですね」


それだけのやり取り。

けれど、呼び止められたこと自体が、少し珍しかった。


以前なら、必要な用件がない限り、

彼は私に話しかけなかったはずだ。


理由は分からない。

ただ、こうして言葉を交わす時間が、少しずつ増えている。


 


昼前、屋敷に届け物があった。

町の方から来たという青年が、門のところで待っている。


「こちらに、いらっしゃると聞いて」


私が応対に出ると、彼は一瞬だけ間を置いた。


「……ああ。そうでしたか」


肩書きも、確認もない。

それで話は通じたらしい。


荷を受け取ろうとしたとき、

青年が、ふと口を開いた。


「名前、聞いてもいいですか」


王宮では、そんな聞き方はされなかった。

知っていて当然、という前提があったから。


「……私ですか」


「はい」


少しだけ迷ってから、答える。


「リリアです」


青年は素直に頷いた。


「リリアさん。分かりました」


それだけ。


敬称を変えることも、

距離を縮める言葉もない。


ただ、名前を呼ばれただけなのに、

胸の奥が、静かに揺れた。


 


午後、川のそばに行くと、

数人が日陰で腰を下ろして休んでいた。


作業の合間らしく、

私に気づいた一人が軽く会釈する。


「こんにちは」


「こんにちは」


「……リリアさん、ですよね」


誰かから聞いたのだろう。

私は頷く。


「はい」


「よかった。

あの、ここ……座っても大丈夫ですか」


聞かれているのは、場所のこと。

でも本当は、距離の確認だ。


「ええ」


そう答えると、

彼らは少しだけ安心した顔で腰を下ろした。


会話は、とりとめがない。


天気のこと。

仕事のこと。

この川の水が、思ったより冷たいという話。


私は、聞いているだけだった。


「……話しやすいですね」


ふいに、誰かが言った。


「そうですか」


「はい。

何を言っても、変にされない感じがします」


評価されない。

訂正されない。

急かされない。


それが、彼らには大事らしい。


 


日が傾く頃、屋敷へ戻る道で、

森で会った青年と、またすれ違った。


「こんにちは」


「こんにちは」


短い挨拶のあと、彼は少しだけ立ち止まる。


「……この前は、どうも」


「?」


「話してもらって。

あれから、少し楽になりました」


私は首を傾げた。


「私は、何もしていません」


「ええ。だから、です」


彼はそれ以上、説明しなかった。


「リリアさん」


自然な調子で、名前を呼ばれる。


「また会ったら。

挨拶くらいは、してもいいですか」


どこか、確認するような言い方だった。

踏み込みすぎない距離を、彼自身が測っている。


「ええ」


それで十分だった。


 


部屋に戻り、窓を開ける。

夕暮れの空気が、静かに流れ込む。


私は考える。


王宮では、

名前は役割と結びついていた。


婚約者としての名。

立場としての呼ばれ方。


ここでは違う。


リリア、という名前は、

ただ私を指すための音だ。


それだけなのに、

距離は、確実に近づいている。


「……不思議」


そう呟いて、わずかに笑う。


何かをしたわけではない。

変わったつもりもない。


それでも、

私を名前で呼ぶ声が、少しずつ増えている。


その事実を、

私はまだ、重いとは感じていなかった。


むしろ――

静かに、受け入れていた。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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