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隣の席の《悪意》が、世界を救うらしい。

作者: 九条 綾乃
掲載日:2025/12/24

1. 異界の記憶、現代の不協和音

俺、雷鳴らいめいヒビキは、16歳の高校生だ。 ずいぶん前のことに思えるが、赤信号を無視したトラックに轢かれたかと思えば、異世界に転生、魔王を討ち果たした。だが、今、見慣れた日本の教室の椅子に座っている。全身に感じる、妙な浮遊感。指先からは、前世で「勇者」として授かったはずの、まだ制御しきれない澱んだ魔力の残滓がバチバチと音を立ててくすぶっている。


魔王を討ち果たした後、あの真っ白な空間で、自称・女神が言った。 「貴方を別の異世界へ転送します。チート能力を一つ選んでください」 俺は迷わず「そこでも最強の魔力で魔王を討ち、平和な世界を築きたい!」と熱く語ったはずだ。だが、この現実はどうだ? 窓の外に見えるのは、魔王城の代わりにそびえ立つ大手企業のオフィスビル群。


(女神の野郎……手配ミスどころか、まるでタチの悪いイタズラじゃねーか……!)


そして、そのタチの悪いイタズラの元凶こそ、俺の隣の席に座る転校生、影宮かげみやシンだった。


初めて彼の顔を見た時、教室の空気が変わったのを肌で感じた。整いすぎた容貌は、どこか人工的で冷たい。黒曜石のような瞳には感情が宿らず、唇は常に薄く弧を描いている。だが、何よりも俺の魂を震わせたのは、彼から放たれる圧倒的な「魔力」だった。まるで深海の底に渦巻くかのような、どす黒く、深く、底なしの闇。それは、かつて俺が激闘の末に討ち滅ぼした「冥界の覇王」と寸分違わぬ波動だった。背筋を冷たい汗が伝う。


「…………」


俺は全身の毛が逆立つ感覚を覚えた。あの女神の奴、マジでやらかしやがったな。俺と魔王を、この平和な現代日本に同時に送り込みやがったんだ。俺は無意識に、右手の拳を強く握りしめる。魔力を込めれば、一瞬でこの校舎を吹き飛ばすこともできるだろう。だが、今はその時ではない。まだ彼は動かない。


影宮シンは、転校初日、自己紹介でこう言った。 「影宮シンだ。この退屈な日々を、少しでも面白くできれば、幸いだ」 その薄い笑みには、底知れない悪意が潜んでいるようにしか見えなかった。俺の脳裏には、前世で奴が言っていた言葉がフラッシュバックする。 『フン……人間など、私の退屈を紛らわせるための、取るに足らぬ玩具に過ぎぬ』 ……まさにその通りの、悪魔の笑みだ。


2. 《悪意》の囁き、そして奇妙な連鎖反応

影宮は、転校してきてから「奇妙な事件」を起こし始めた。 いや、「事件」と呼ぶべきか、それとも「悪意に満ちた奇跡」と呼ぶべきか。


ある日の昼休み。 クラスのマドンナ的存在、清水がランチボックスを忘れて、机に突っ伏して落ち込んでいた。彼女の肩は小刻みに震え、昼食抜きという絶望に打ちひしがれている。


その様子を冷めた目で見ていた影宮は、ゆっくりと立ち上がり、清水に近づいた。教室の誰もが息を呑む。 そして、耳元でこう囁いたのだ。


「君のその落ち込んだ顔は、醜いね。見ているだけで、僕の貴重な昼休みの気分が台無しになる」


清水の顔はみるみる青ざめ、琥珀色の瞳には大粒の涙が浮かび始めた。俺は思わず立ち上がりかけた。こんな卑劣な言動、勇者として見過ごせるはずがない! だが、その直後、影宮は続けた。


「……これでも食って、少しはましな顔になれ。僕の食欲が失せる前にね」


そう言って、彼は自分のランチボックスを清水の前に差し出した。その弁当は、色鮮やかな野菜と肉がバランス良く詰められ、まるで高級レストランのテイクアウトのようだった。清水は驚きと困惑の表情でそれを受け取った。


「え、でも、影宮くんの……」 「構わない。君の醜い顔を見るよりはマシだ」


影宮はそう言い放ち、さっさと自分の席に戻ってしまった。机の上には、わずかに残されたパンが寂しそうに転がっている。


清水は恐る恐る弁当を一口食べ、その美味しさに感動したのか、はたまた影宮の不器用な(?)優しさに触れたのか、目元を赤くしながらも、ふわりと花のような笑顔になった。 「影宮くん……っ、ありがとう! すごく、美味しい!」


清水の感謝の声に、影宮は振り返ることなく、わずかに口角を上げたように見えた。その唇は、誰にも聞こえない声で「……フン、愚かな人間め」とでも呟いているかのようだ。


(……なんだ、あれは!)


俺は呆然とした。奴の魔力は、たしかに清水の周囲に漂う「不幸のオーラ」を刺激し、増幅させていた。だが、結果として清水は救われた。まるで、一度どん底に突き落としてから、手を差し伸べるような……。そのやり口は、あまりにも悪辣だが、結果だけ見れば「善」なのだ。混乱が、俺の脳内を駆け巡る。


3. 《陰謀》の影、そして特訓と覚醒

次の標的は、体育祭のリレーでバトンを落とし、クラスを最下位に転落させてしまったクラスのいじめられっ子、山崎だった。 山崎はグラウンドの隅で肩を落とし、小さな体でうずくまっている。周囲からは「また山崎のせいだ」という陰口がちらほら聞こえてくる。


影宮は無言で山崎に近づくと、その肩に冷たい手を置いた。


「君の足は、まるでナメクジのようだね。見るに堪えない。その醜い敗北者の顔を見るだけで、吐き気がする」


俺は「またか!」と身構えた。山崎の顔が恐怖と屈辱で歪む。 だが、影宮はそのまま山崎の腕を掴み、体育倉庫へと引きずっていった。


「おい、何を……! やめろ、魔王!」


俺は慌てて後を追った。 倉庫の中では、影宮が山崎に、ひたすら腕立て伏せと腹筋、そして短距離ダッシュをさせていた。まるで地獄の特訓だ。


「こんなこともできないのか? その体たらくでは、一生誰からも必要とされないゴミ屑で終わるぞ。二度と、君のような怠惰な人間が、僕の視界に入らないように努力しろ」


影宮の冷酷な言葉が、倉庫内に響き渡る。山崎は歯を食いしばり、必死に体を動かす。その目には、悔しさだけでなく、どこか「見返してやる」という強い光が宿っていた。汗でびしょ濡れになり、息も絶え絶えになりながらも、彼は走り続ける。


数十分後、ボロボロになりながらも、山崎は額の汗を拭った。彼の体は震えているが、その表情には以前にはなかった「覚悟」が刻まれている。


「影宮……ありがとう……! 俺、もっと、強くなるよ! 絶対に、次こそは!」


山崎の言葉に、影宮は鼻で笑っただけだった。 だが、山崎の周囲から放たれる「自信」と「向上心」のオーラは、以前とは比べ物にならないほど強く輝いていた。


「奴は……《悪意》を使い、人間の奥底に眠る《負の感情》を刺激し、それを《成長》の糧に変えているのか……?」


俺は震えた。魔王の魂は、相変わらず深淵のような漆黒だ。だが、その漆黒が悪意を撒き散らすたびに、周囲の人間は光を放っていく。俺の持つ「勇者の魔力」では、こんな芸当は到底不可能だ。俺はただ、光で闇を打ち払うことしかできない。だが、影宮は闇で光を生み出している。


4. 《悪意》の目的、そして狂った論理

耐えきれなくなった俺は、放課後、屋上で影宮を呼び出した。 夕暮れの風が、俺たちの髪を激しく揺らす。校舎の屋上からは、遠くの街並みが模型のように小さく見えた。


「おい、影宮! いい加減にしろ! 何が目的だ、お前は! 《冥界の覇王》の生まれ変わりだろうが! こんな回りくどい方法で、一体何を企んでやがるんだ!?」


俺は怒りをぶちまけた。影宮はゆっくりと振り返った。その瞳は、紫色の光を宿し、どこか寂しげだった。夕日の赤が、彼の顔を不気味に照らす。


「……やはり君は《勇者》だったか、雷鳴ヒビキ。その雷のような名、懐かしいな。あの血と硝煙の匂いがする大地が。僕の右腕を切り飛ばした、君の雷撃の切れ味もね」


彼はあっさりと認めた。俺は右手に魔力を込める。今すぐ叩き伏せてやってもいい。だが、奴の言動の真意を探るまでは、手を出せない。


「目的だと? ……そうだな。僕は《人間》という存在に、心底、絶望しているんだ」


影宮は冷淡な声で語り出した。その声には、億年の時を過ごしたかのような疲弊が滲んでいた。


「僕がかつて支配した世界では、人間は常に愚かだった。争い、妬み、潰し合う。僕がどれだけ力を振るっても、彼らの本質は変わらなかった。暴力と恐怖で押さえつけても、また反旗を翻す。優しく手を差し伸べても、すぐに甘え、堕落していく。……だから、決めたんだ。転生したこの世界では、《悪意》の力で彼らを《覚醒》させようとね」


「覚醒……?」


「そうだ。人間は、優しさだけでは変わらない。時には絶望や屈辱を味わい、心底から『変わらねば』と奮い立つことが必要なのだ。僕は彼らの奥底にある《怠惰》や《弱さ》を抉り出し、そこに《絶望》という名の起爆剤を仕込む。そうすれば、彼らは自ら《希望》を掴み取るだろう。僕の《悪意》は、そのための触媒に過ぎない。言わば、病んだ魂を治療するための、劇薬だよ」


影宮の瞳は、底知れない狂気……いや、あまりにも壮大で、歪んだ「人間愛」に満ちていた。 魂が黒いのは、純粋な悪意のせいではない。人間の本質を深く見抜きすぎたがゆえの、極端な「教育論」だったのだ。まさに、恐ろしき魔王の陰謀、としか言いようがない。


「雷鳴ヒビキ。君が僕を倒しに来たのはわかっている。だが、今の僕を倒せば、君は《多くの人間を救済へと導く唯一の存在》を抹殺したことになる。彼らは君を英雄とは呼ばないだろうね。むしろ、僕を殺した《悪魔》と呼ぶかもしれない。……どうする? 討つかい? 君の雷撃は、僕の魂を貫くか?」


影宮は無防備に両手を広げた。その表情は、まるで死を恐れない殉教者のようだ。 俺は……右手の魔力を、静かに霧散させた。


「……ッ、チクショー……! やり口が......いい人すぎんだろ、お前は……! 俺の勇者としての《役割》が、お前のせいでメチャクチャになっちまった!」


5. 《勇者》の苦悩、そして共犯者としての日常

それからの俺は、魔王……いや、影宮の「悪意による人間覚醒計画」を、渋々手伝わされる羽目になった。


「雷鳴。あの不良グループのリーダーは、まだ《甘さ》が残っている。奴のバイクのタイヤを全てパンクさせ、愛着のあるものを奪ってみろ。深い絶望を与えるのだ」 「おい、魔王! 俺は勇者だぞ! 人間に手を出すのは本意じゃねえ! それに、器物損壊は犯罪じゃねーか!」 「フン。君のその甘い正義感では、人間はいつまでも愚かなままだぞ。それに、人間社会のルールなど、些末なこと。目的のためならば、多少の犠牲は許容範囲だ」


俺たちの関係は、周囲からは「ちょっと仲の悪い、でもお互いを認め合っている奇妙なコンビ」に見えているらしい。いや、むしろ影宮が俺を「便利屋」か「手足」のように扱っているようにしか見えない。 影宮は相変わらず、時に冷徹な言葉で、時に無慈悲な行動で、周囲の人間を「覚醒」させ続けている。そのたびに、俺は影でコソコソとフォローに回る羽目になる。


ある日、影宮が、学校の備品を壊して責任を逃れようとしていた生徒を、周囲の人間が見ている前で徹底的に糾弾し、自ら謝罪と弁償を申し出させる場面を目撃した。生徒は涙を流しながらも、その責任を果たした。その生徒はその後、驚くほど真面目な人間に変わった。 その時の影宮の瞳には、ほんのわずかだが、満足げな色が宿っていたように見えた。俺はそっと、彼の背後で、魔力を使って修理代を少しだけ増幅させておいた。多めに払えば、学校への信頼回復にも繋がるだろう。


(……もし、こいつの《悪意》が、本当に世界を良い方向へ導くとしたら……)


俺は、自分の「勇者」としての正義が揺らぐのを感じていた。 異世界で剣を交えるはずだった俺たちは、今、日本の片隅で、歪んだ形で世界を救済する共犯者となっている。勇者の俺が、魔王の悪行(に見える行為)を影からサポートする。こんな皮肉な状況、前世の俺が見たら雷に打たれて死ぬだろう。


「……まったく、とんでもねぇ《悪意》だな」


俺は嘆息し、影宮が次に標的を見つけたように紫色の瞳を細めるのを見て、また一つため息をついた。 今日もまた、影宮の「悪意の陰謀」が、誰かの未来を少しだけ変えるのだろう。そして、俺はそれを止められないまま、共犯者として巻き込まれていく。 勇者雷鳴ヒビキの、受難の日々は続く。

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