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第三回:温明の園にて董卓、丁原を叱る 李粛、金と赤兎を呂布に贈る

挿絵(By みてみん)

「赤兎躍動、裏切りの夜」


【しおの】

曹操の慧眼と何進の無謀

さて、前回、曹操(孟徳)が大将軍の何進に対し、諫言を述べた時のことです。

曹操は訴えました。「宦官のわざわいは古より絶えませんが、それは時の君主が彼らに過度な権限と寵愛を与えたゆえに、この事態に至ったのです。もし罪を正したいのであれば、元凶のみを取り除けば事足ります。獄吏に任せるだけで済むものを、どうして外部の兵をあれほどまでに呼び寄せねばならないのでしょう。宦官を皆殺しにしようという計画は必ずや露見し、私はそれが失敗に終わることを予見いたします」

何進は憤り、「孟徳までもが、私的な感情を抱いているのか」と曹操を詰りました。

曹操は退室しながら、寂しげにつぶやきました。「天下を乱す者は、必ずやこの何進であろう」

何進はついに彼の忠告を聞き入れず、密かに使者を出し、密詔を持たせて夜を徹し、各地の軍閥へと派遣したのでした。


西涼の狼、都へ向かう

その一人、前将軍斄郷侯にして西涼刺史の董卓とうたくは、以前、黄巾の乱討伐に失敗し、罪に問われかけましたが、十常侍に賄賂を贈り難を逃れた経緯があります。その後、朝廷の貴人たちと結託し、ついに顕官に就いて、西州の大軍二十万を統率するまでになりました。彼は常に、臣下としてあるまじき簒奪の野心を胸に秘めていたのです。

この度、何進からの詔を得て、董卓は狂喜しました。彼は軍馬を点検し、急ぎ洛陽へ向けて出発します。婿である中郎将の牛輔ぎゅうほ陝西せんせいを守らせ、自らは李傕りかく郭汜かくし張済ちょうせい樊稠はんちゅうらを率いて進発しました。

董卓の婿であり謀士でもある李儒りじゅは言いました。「今、詔を受けておりますが、その意図は曖昧でございます。ここは人を使わせ、正式な上表文を提出し、大義名分を確立してから事を起こすべきです。そうすれば大業を成すことができます」

董卓は大いに喜び、すぐさま上表文を奉りました。その一節には、

天下の乱れは、すべて宦官の張譲らが天の理を侮り、君主を軽んじたことによる。煮えたぎる湯を静めるには、熱源である薪を取り除くが最上であるように、腫れ物を潰すのは痛みを伴うが、毒を養うよりは勝ります。臣は軍鼓を鳴らして洛陽に入り、張譲らを排除することを請い願います。国家の幸い、天下の幸いにございます。

何進はこの上表文を大臣たちに示しました。侍御史の鄭泰ていたいは進み出て諫言しました。「董卓は豺狼(山犬と狼)です。都に入れれば、必ずや人々を食い荒らすでしょう」

何進は聞かず、「お前は疑い深く、大事を謀るには不足である」と言い放ちました。

盧植ろしょくもまた強く諫めました。「私は董卓の人柄をよく存じ上げております。見た目は善良ですが、心は残忍です。都に入れば必ず禍を招きます。彼が来ないうちに呼び止め、乱を未然に防ぐべきです」

しかし、何進はどちらの忠告にも耳を貸しませんでした。鄭泰も盧植も官を捨てて都を去り、朝廷の大臣の多くが、未来の災いを予感して職を辞していきました。何進は人を使って董卓を澠池べんちまで出迎えさせましたが、董卓は軍を動かさず、様子を窺うばかりでした。


宮廷の惨劇、血に染まる洛陽

張譲らは、外部の軍が都に迫っていることを知り、「これは何進の企みだ。我々が先手を取らねば、一族皆殺しになる」と危機感を募らせました。

彼らは嘉徳門の内側に五十人の刺客を伏せさせ、何太后のもとへ参内し訴えました。「大将軍が偽の詔で外の兵を呼び寄せ、我々を滅ぼそうとしています。どうかお慈悲を」

太后は「大将軍府に行って謝罪しなさい」と言いましたが、張譲は「相府へ行けば、生きて戻れません。どうか大将軍を宮中にお呼びになり、この企てを止めさせてください。もし聞き入れなければ、この場で死を請います」と迫りました。

太后はついに詔を下し、何進を呼び寄せます。何進は詔を受け、すぐに出発しようとしました。主簿の陳琳は必死に諫めます。「太后様の詔は十常侍の謀略に違いありません。決して行ってはなりません。行けば必ず禍があります」

何進は余裕の表情で言いました。「太后様が私をお呼びになったのだ、何の災いがあろうか」

袁紹も「謀議は露見しています。それでも入宮なさいますか」と止め、曹操も「まず十常侍を外へ呼び出させてから入るべきです」と進言しました。

何進は笑い飛ばしました。「それは小童の浅知恵だ。私が天下の権力を握っているのだ。十常侍が私にどうすることができようか」

袁紹は「公がどうしても行かれるなら、我らが武装して護衛し、万一に備えましょう」と言いました。そこで袁紹、曹操はそれぞれ精兵五百を選び、袁紹の弟の袁術えんじゅつに率いさせ、青瑣門の外に布陣させました。袁紹と曹操は剣を持って何進を長楽宮まで護衛しました。

しかし、宮門の前で黄門が立ち塞がり、「太后様は大将軍を特にお呼びになった。他は入ることを許さぬ」と告げ、袁紹と曹操を阻みました。

何進は疑うことなく、堂々と宮中へ入ります。嘉徳殿の門に着くと、張譲と段圭が出迎えてきましたが、彼らが何進を囲み、何進は驚愕しました。

張譲は鋭く何進を責め立てます。「董太后に何の罪があったとて、毒殺したのか。お前はもとは屠殺を営む卑しい身であったのに、我々が推挙して栄華を得させた恩を忘れ、今や恩人に報いるどころか、我々を殺そうとする。お前は我々が汚れていると言うが、では清いのは誰か」

逃げ場を求めて慌てる何進でしたが、宮門はすべて閉ざされ、伏せていた刺客が一斉に出てきて、彼を二つに切り裂いてしまいました。

後にこの無謀な最期を嘆く詩が詠まれました。

漢室傾危天数終、無謀何進作三公。 幾番不聽忠臣諫、難免宮中受剣鋒。

傾きゆく漢の王室は天命が尽きた証 謀略なき何進が三公の座にある。 幾度となく忠臣の諫言に耳を貸さず 宮中で殺意の刃を受けるのを免れられなかった。


大逆転:宦官の大量誅殺

張譲らが何進の首級を壁の上から投げ出し、「何進は謀反により誅殺された。他の連座した者は赦免する」と布告すると、袁紹は激昂し、「宦官が大臣を謀殺した!悪党を誅殺する者は加勢せよ」と大叫しました。

何進の部将の呉匡ごきょうが青瑣門の外に火を放ち、袁術は兵を率いて宮中に突入し、宦官を見つけては大小問わずすべて斬り殺しました。袁紹と曹操も門を破って宮中へ入り、趙忠、程曠、夏惲、郭勝の四人を追いつめ、肉塊に切り刻みました。宮中には炎が天を衝きました。

張譲、段圭らは何太后と太子(少帝)および陳留王ちんりゅうおうを捕らえて、裏道から北宮へと逃走しました。

この時、盧植は官を辞したものの都を離れておらず、甲冑を着て戈を手にし、段圭に脅される何太后を見て大喝しました。段圭が逃げ去る隙に、太后は窓から飛び出し、盧植によって救い出されました。

呉匡は内庭に殺到し、何進の弟の何苗かびょうを見つけます。何苗は宦官に買収され、兄の排除に加担していたのです。呉匡は「兄を謀殺した賊を斬れ」と叫び、何苗は四方を囲まれて切り刻まれました。

袁紹はさらに軍士に命じ、十常侍の家族を老若男女問わず、すべて誅殺させました。髭のない一般人も誤って多く殺されるという惨状でした。曹操は火を消し止めさせ、何太后に一時的な政務代行を要請し、兵を派遣して張譲らを追撃させ、少帝の行方を捜させました。


北邙山の露と蛍火

張譲と段圭は少帝と陳留王を擁し、火と煙の中を逃げ、夜通し北邙山ほくぼうざんへ向かいました。夜中、追っ手(閔貢)の喊声が上がり、張譲は事態を悟り、河に身を投げて自害しました。

帝と陳留王は恐れ、河辺の草むらに身を伏せました。追っ手は帝の所在を知らず散り散りになりました。二人は明け方まで露に濡れ、飢えと寒さで泣き崩れましたが、声を押し殺しました。

陳留王は「ここにはいられない、別の道を探さなければ」と言い、二人は着物で互いを結び、岸を這い上がりました。暗闇の中、道が見えず途方に暮れていると、突然、数千の蛍が群れをなし、光を放ちながら帝の前を飛び回りました。

陳留王は「これは天が我ら兄弟を助けている」と言い、蛍火に導かれて進みました。夜明け頃、足が痛んで歩けなくなった二人は、山のそばの草の山積みの傍らに横たわりました。

そこは崔毅さいきという人物の荘園の前でした。崔毅は先代の司徒であった崔烈さいれつの弟で、宦官の腐敗を嫌い、隠棲していました。彼は夢のお告げで二人を見つけ、帝であると知ると平伏し、酒食を差し上げました。

一方、閔貢びんこうは追いついた段圭を捕らえ、帝の行方を問いましたが、見失ったと聞き、段圭を殺してその首を馬の首に懸け、帝を捜索しました。

閔貢は崔毅の荘園で帝に再会し、君臣は痛哭しました。閔貢は「国に君主が欠けてはなりません、都へお戻りください」と請いました。

帝は痩せた馬に乗り、陳留王は閔貢と一頭の馬に跨がり、荘園を後にしました。三里も行かないうちに、司徒の王允おういん、太尉の楊彪ようひょう、中軍校尉の袁紹えんしょうら、数百人の大群が車駕を迎えてきました。

ここに、洛陽の子供たちの間に流行った歌の予言が現実となりました。

帝非帝、王非王、千乗万騎走北邙。 (帝は帝にあらず、王は王にあらず、千の車と万の騎兵が北邙山を走る。)


董卓、廃立を論ず

車駕が進んで数里も行かないうちに、今度は旌旗せいしが日光を覆い、土埃が天を遮るほどの、大軍が迫ってきました。百官は恐れおののき、帝も大いに驚かれました。

袁紹が馬を駆けさせて尋ねると、旗の影から一人の将軍が飛び出し、「天子はいずこにおられるか」と声を荒げました。帝は震えて言葉が出ません。

陳留王が馬を進め、「来たる者は何者か」と叱りつけました。将軍は「西涼刺史の董卓とうたくである」と答えます。

陳留王は言いました。「汝は警護に来たのか、それとも帝を脅しに来たのか」董卓が「特にお守りに参上した」と答えると、陳留王は「警護に来たなら、天子はこちらにおられる。どうして馬から降りないのか」と強く促しました。

董卓は驚き、慌てて馬から降りて道の脇にひざまずきました。陳留王は言葉巧みに董卓を慰撫し、最初から最後まで、一言の乱れもありませんでした。董卓は密かに彼の非凡な才気を感じ、帝を廃してこの陳留王を立てようという考えを抱きました。

都に戻った後、董卓は軍を城外に置きながら、毎日、甲冑を着た兵を率いて入城し、街を横行したため、市民は恐れおののきました。彼は宮廷にも遠慮なく出入りするようになります。

後軍校尉の鮑信ほうしんは袁紹に、董卓の異心を訴え、速やかに排除するよう進言しますが、袁紹は「朝廷が定まったばかりで、動くべきではない」と拒みました。鮑信は王允にも訴えましたが聞き入れられず、自軍を率いて泰山へ去りました。

董卓は何進の弟の部下を誘い込み、兵を掌握しました。彼は李儒に廃立の意図を打ち明け、李儒は「今を逃せば変事が生じる」と、温明園に百官を集めて決行するよう勧めました。

翌日、董卓は盛大な宴会を催し、公卿百官を招きました。百官が揃うと、剣を帯びた董卓が席に着き、酒が進んだところで、突然、酒と音楽を止めさせ、声を荒げました。「天子は柔弱で宗廟を祀るにふさわしくない。陳留王は聡明である。私は帝を廃し、陳留王を立てたいと思うが、大臣たちはいかが思うか」

群臣は恐れて声も出せませんでした。

その時、一人の男が席を蹴って立ち上がり、大声で叫びました。「いけない。貴様は何者だ、大言を吐くとは。今上は先帝の嫡子で何の過失もない。どうして廃立を論じられよう。貴様は簒奪を企てているのか」

董卓が見ると、荊州刺史の丁原ていげんでした。董卓は剣を抜いて彼を斬ろうとしましたが、李儒が「酒宴の席で国政を論じるべきではない」と止め、丁原は皆に勧められて馬に乗って立ち去りました。

董卓は百官に問いかけますが、盧植ろしょくが「公は伊尹いいん霍光かくこうのような大才もなく、強引に廃立を主導するのは簒奪に等しい」と強く諫めました。董卓は激怒して盧植を斬ろうとしますが、議郎の彭伯ほうはくが盧植の世望を説いて止めました。王允も「酒後で議論すべきではない」と言い、百官は散会しました。

翌日、丁原が軍を率いて城外で董卓に戦いを挑みました。

両陣営が向かい合うと、丁原の背後に呂布りふが、金冠に百花戦袍、唐猊の鎧をまとい、方天画戟ほうてんがげきを携えて現れました。呂布の強烈な突撃に、董卓の兵は大敗し、三十里余り退却しました。

董卓は「呂布は常人ではない。彼を得れば、天下の憂いはなくなる」と嘆息しました。すると、陣幕から同郷の虎賁中郎将、李粛りしゅくが進み出て、「呂布は勇猛ですが謀略がなく、利を見て義を忘れる性質です。私が赤兎馬と金品で彼を説得し、帰順させましょう」と進言しました。

董卓は李儒の助言も得て、喜んで赤兎馬と黄金一千両、明珠、玉帯を李粛に与えました。

李粛は呂布の陣営を訪れ、まず「赤兎馬」を献上し、呂布を歓喜させました。酒を酌み交わすうち、李粛は呂布の才能を褒め称え、董卓こそが賢者を敬う大業の主であると説きました。呂布が董卓に仕える門路がないと嘆くと、李粛は金品を見せ、赤兎馬も董卓からの贈り物だと明かしました。

呂布は「何をもって報いればよいか」と問うと、李粛は「功績は手のひらを返す間にも立てられます」と答え、呂布はついに「丁原を殺し、董卓に帰順する」という決断を下しました。

その夜、呂布は書を読む丁原の帳中へ入り、「この堂々たる丈夫が、どうして貴様の息子でいられようか」と一刀のもとに丁原の首を斬り落としました。

翌日、呂布は丁原の首級を携えて董卓のもとへ参上しました。董卓は大いに喜び、「将軍を得たのは、干からびた苗が甘い雨を得たようだ」とひざまずいて歓迎しました。呂布は董卓を座らせてから拝礼し、義父となることを請いました。董卓は呂布を厚遇し、ここに董卓と呂布の擬似的な親子関係が成立しました。

董卓は威勢をさらに増し、李儒の勧めに従って、再び宮中の省内で宴会を設け、廃立の計を実行に移しました。呂布に甲冑兵を警護させ、百官を脅迫します。董卓が剣を抜いて廃立を宣言すると、群臣は誰も声を出せませんでした。

しかし、袁紹が再び立ち上がり、「貴様は謀反人だ」と叫び、剣を抜いて董卓と対峙しました。

丁原仗義身先喪、袁紹爭鋒勢又危。

丁原は義を盾に身命を失い 袁紹は刃を交え、その勢いまた危うし。

袁紹の命運はいかに。物語は次へと続きます。


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第三回の要約:専横の梟雄と義を忘れた猛将

物語の第三幕は、四百年の長きにわたり天下を照らしてきた漢王朝の灯火が、今まさに消えようとする決定的な転換点を描き出す。玉座の輝きは色褪せ、宮廷の権威は地に堕ちる。代わって、武威をその身に宿した一人の梟雄が、天下を己が掌中に収めんとする、恐るべき時代の扉が開かれるのである。


大将軍の浅慮、都に招かれし災厄

大将軍の何進は、宦官を根絶やしにするという、あまりに純粋な大義に心を奪われていた。曹操や盧植といった忠臣たちの、血を吐くような諫言が彼の耳に届くことはない。あろうことか彼は、自らの威光の及ばぬ西涼の軍閥、董卓らを都へと招き入れるという、後戻りのできない賽を投げてしまったのである。

己の力を過信するその心こそが、彼の命取りとなった。何進は、ついに宦官らの張り巡らせた謀略の網にかかり、宮中深くへと誘い込まれ、むごたらしい最期を遂げる。

この悲劇的な死は、袁紹や曹操らの心に抑えきれぬ憤怒の炎を燃え上がらせた。彼らは宮中へとなだれ込み、宦官たちをことごとく斬り捨てるという血の粛清を行う。命からがら逃げ延びた宦官の残党は、幼き少帝と陳留王を抱えて落ち延びるも、やがて追っ手に追い詰められ、張譲らは濁流渦巻く黄河にその身を投じた。

夜の闇を彷徨っていた幼い帝と王。彼らを偶然にも保護したのは、まさに都へと到着した董卓の軍勢であった。この時、動揺する兄帝とは対照的に、毅然として受け答えをする陳留王(後の献帝)の聡明さに心を奪われた董卓は、密かに帝位を我が物とする野心を、その胸の内に宿したのだった。


梟雄の本性、赤兎は義を喰らう

武威を笠に着て都へ入った董卓は、間もなくしてその牙を剥き出しにする。百官を威圧のもとに集めた席で、おぼつかない少帝を廃し、聡明なる陳留王を新たな帝に立てるという、前代未聞の廃立を宣言したのである。

この暴挙に対し、ただ一人、荊州刺史の丁原が雷のような声で異を唱えた。その背後には、養子である天下無双の猛将、呂布が音もなく控え、その手に持つ方天画戟のかすかな煌めきが、董卓の喉元を脅かしていた。

董卓は呂布の神懸かり的な武勇に恐れを抱く一方で、その抗いがたいほどの力を渇望した。謀士の李粛は、呂布が利を目の当たりにすれば、義などたやすく忘れ去る男であることを見抜く。そして、一日に千里を駆けるという伝説の名馬「赤兎馬」と、山と積まれた金銀財宝を、その心を射抜くための矢として放ったのである。

「物」という名の魔性の誘惑に、猛将の魂は抗う術を持たなかった。一夜にして義父である丁原をその手にかけ、その首を董卓への手土産とする。董卓は呂布を新たな義子として迎え入れ、天下無双の武勇という最強の盾を得て、いよいよ誰も抗うことのできぬ独裁の道を突き進もうとするのであった。袁紹は再び董卓と激しく対立するが、もはや都には、彼の名門の威光を支える力は一片も残されていなかった。


時代のうねり、筆に託された真理

この第三回において、作者・羅貫中が描きたかったのは、単なる暴政の始まりではない。それは、人の道を支えてきた儒教という名の秩序が、むき出しの武力の前に砕け散り、時代が後戻りのできない深淵へと滑り落ちていく、その決定的な瞬間であった。

徳は地に堕ち、剣が理を語る時代へ

物語の中、忠臣の盧植らは、かつて王朝の危機を救った古の聖人、伊尹や霍光の故事を引き、廃立がいかに道義に背くものであるかを切々と説く。それは、「徳と法に基づいた権威」こそが人の世の礎であるという、古き良き時代の理性が発した、最後の抵抗の叫びであった。

しかし、董卓はせせら笑う。「天下のことは、この私にある」「我に従う者は生き、逆らう者は死ぬのみ」。その言葉は、もはや徳や秩序が何の意味も持たず、ただ剣の強さだけが唯一の法となる、新たな時代の到来を告げる冷酷な鐘の音だったのである。


猛将の心、利に揺らぐ義の天秤

呂布が、義父である丁原との血の誓いよりも、赤兎馬と金銀という「利」を選び取った一事は、当時の社会がいかに冷徹な現実主義へと傾いていたかを、痛烈に物語っている。

赤兎馬は、単なる速い馬ではない。それは、「天下無双の武」という呂布の自負にふさわしい「至上の報酬」であり、「栄誉」そのものであった。羅貫中は、かつて人が最も尊ぶべきとされた「義」というものが、どれほどの「物質的価値」の前に屈するのかを、この伝説の馬に託して描いたと言えよう。呂布は、不確かで形の無い「義」よりも、目の前にあり、触れることのできる「利」を選んだ、乱世という時代が生んだ冷酷な現実主義者の肖像なのである。


名門の失策、自ら招いた乱世の渦

名門の誉れ高き袁紹は、宦官討伐という大義名分を掲げ、地方の軍閥を都に呼び込むという最悪の一手を打った。それは、名門の権威という古い衣だけでは、もはや時代の寒さを凌ぐことができず、武力という荒々しい炎に頼るしかなかったという、旧体制の限界を露呈している。

彼のこの行いが、董卓という制御不能な怪物を都に解き放つ引き金となった。さらに、その董卓に敗れた彼が、反董卓連合を旗揚げすべく地方へと奔走することで、天下の混乱は決定的な渦となって国中を飲み込んでいく。

何進の優柔不断と、袁紹の無謀な決断。彼らは漢王朝という古き器を、自らの手で打ち壊してしまった。そして、その砕け散った破片の中から、董卓という名の「暴力的な独裁」が生まれ、天下はもはや引き返すことのできない、果てなき戦乱の時代へとその歩みを進めていったのであった。

呂布という名の華:羅貫中が仕立てた「武力の極点」と「人間性の欠落」


挿絵(By みてみん)


羅貫中が武将に託した乱世の法則

物語の前半を、その圧倒的な力で支配する呂布りふという存在は、単なる武将の枠を超え、作者羅貫中が「乱世の非情な真理」を描き出すために創造した、極めて重要な役割を担っています。

羅貫中が彼に託したのは、「勇」という一つの要素を極限まで磨き上げた絶対的な力です。彼の武力の前では、いかなる名将も策略も意味をなさず、読者はその純粋な暴力性に一種の崇高な興奮を覚えます。

しかし、その究極の勇猛さには、「知恵(謀)」と「信義(義)」という、人間として、そして英雄として最も肝要な徳が欠けています。第三回で描かれたように、彼は赤兎馬と金品という「利」の誘惑のために、ためらうことなく義父(丁原)を裏切ります。

羅貫中は、「義なき武力がいかに簡単に他者に利用され、最終的に自滅の道を選ぶか」を示すことで、劉備や関羽が貫く「忠義」の価値を、より強く、逆説的に読者に訴えかけようとしたのです。呂布は、実力至上主義の時代が産み落とした、美しくも悲しい、滅びの象徴なのです。


魔性の魅力:絶対的な光と影が織りなす悲劇性

呂布が主役ではないにもかかわらず、時代を超えて高い人気を誇るのは、彼が持つ極端な二面性に起因します。

究極の強さと美貌

彼は、理屈や常識を超えた「究極のファンタジー」の具現化です。彼の登場は常に物語のクライマックスであり、その絶対的な強さへの憧れは、読者に強いカタルシスをもたらします。さらに羅貫中が彼を「器量軒昂」な美丈夫として描いたことから、武力と美貌という二つの究極の要素が融合し、彼の存在は人間離れした偶像性を帯びました。


裏切りが生むドラマ

いつ誰を裏切るかわからない予測不能な不安定さは、物語に絶えず緊張感と劇的な転換をもたらします。彼の行動は常に周囲を翻弄し、その不安定性こそが、彼を物語の中で最も動的で魅力的な存在にしています。彼の生涯は、信じる者を持たない孤独な英雄の悲劇として、読者の心に深く響くのです。


家族愛の深層:人間的な情と知性の壁

呂布の裏切りに満ちた生涯の中で、彼が唯一、打算なく「情」で結びつこうとしたのは、妻や娘といった血の繋がりのある家族でした。この家族愛は、彼の人間的な弱さと判断力の欠如を鮮明に示しています。

本能的な情愛の優先

呂布は、妻と娘に対しては、一途で深い愛情を注ぎました。彼は妻子を守るために必死に戦い、追い詰められた際にも娘を縁談に出そうと奔走するなど、その愛は動物的で本能的なものでした。

これは、彼が「大義」や「戦略」といった理性的な知恵は持たなかったものの、「愛する者を守る」という単純かつ純粋な動機は持っていたことを示します。彼の武力が、この素朴な愛のために振るわれた時、彼は真に恐るべき強さを発揮しました。


家族愛が招いた破滅の構造

しかし、この情愛が、結果的に彼の破滅を早めます。

彼の参謀であった陳宮ちんきゅうは、常に大局的な戦略をもって諫言しました。それにもかかわらず、呂布はしばしば、妻の厳氏や愛妾の貂蝉ちょうせんといった家族の感情的な訴えや個人的な欲望を優先し、陳宮の献策を退けました。


小事への囚われ:羅貫中は、彼が「家族愛」という「小事の情」を、「天下を左右する謀略」という「大事の理性」よりも上位に置いてしまった愚かさを描きました。彼の知力の欠如は、感情と理性の優先順位がつけられないという形で現れたのです。

呂布は、「武力無敵」でありながら、その生涯を通じて「真の安寧」を得ることはありませんでした。彼は、最高の才能を持ちながら、利欲と情愛という「小事」に囚われ続け、「大義」を見失ったために滅びたのです。彼の物語は、「真の英雄とは、武力だけでなく、揺るぎない義と、大局を見通す知恵があってこそ成り立つ」という、羅貫中の最も深い思想を、その鮮烈な散り様を通して、現代の読者にまで伝え続けています。

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