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笑っていいぞ

「笑っていいぞ」


 開口一番、(わらわ)がそう告げた。なかば()(ぼう)()()な口調である。

 許婚(いいなずけ)としての定期茶会のため(こう)(きゆう)に来ていたユリウスは、はじめ(こん)(わく)した表情を()かべ、それから、(わらわ)を安心させようと温かい()みを()かべた。


「アナスタシア様、その……お顔にお()しになっているものは?」

「うむ。後で説明する」


 するするとデイドレスの(すそ)をカーペットと()(さつ)させながら歩き、(わらわ)は、ユリウスと向かいの席に着席した。丸テーブルには、(すで)に茶会の準備がされている。

 (わらわ)たち二人が着席したのを見ると、ティートロリーと共に待っていたメイドが静かに近づき、紅茶の用意をはじめた。

 コポコポコポ……と、熱い湯が茶葉に注がれる音とともに、湯気が立つ。


 (わらわ)は、今日のドレスに合わせてライトグリーン、オーガンジー素材でできた(おび)(じよう)()(しゆう)入り()(かく)しを着けていた。日常使い用と異なり、固定部も無骨なバックルではなく、リボン結びになっている。

 これも、着けている(わらわ)の視界は良好で、ユリウスの姿も部屋の全容もよく見えている。一方で、自室で()()えを受けているときに見た鏡()しには、目元がまったく分からぬ(わらわ)の姿があった。


 (わらわ)は、部屋の中を見回し、ユリウス以外に男性の姿がないことをよくよく(かく)(にん)したあと、後頭部のリボンをひっぱり、するりと()(かく)しを取り外した。


「ふう」


 ()(かく)しを軽く折りたたみ、テーブルの(はし)に置く。

 ようやく()(がお)(さら)して、ユリウスと目を合わせると、ユリウスは、どこか安心したような表情を()かべていた。


「お体の具合はいかがですか、アナスタシア様」

「うむ、大事ないぞ。先日は世話になった。手紙にも書いたが、あらためて礼を言う」


 そう言葉を()わしたところで、メイドが最初の(いつ)(ぱい)をサーブした。トポポポポ、と小気味のいい音をたて、ティーカップから良い香りと湯気が立ちのぼる。

 仕事が済んだところで(いつ)(たん)(かの)(じよ)(ふく)め、部屋の使用人および護衛らには退室してもらった。手で合図を送り、(かの)(じよ)らが静かに出て行くのを見守る。


「この、()(かく)しだがな――」


 二人きりになったことを(かく)(にん)してようやく、(わらわ)は、先日のアーベントロートとの会話、事の()(だい)を説明した。


「そうですか、アーベントロート(きよう)が…。おそれながら私めも、この対策について賛成です。アナスタシア様にご負担をおかけしてしまうことだけは、(まこと)に心苦しく思います…。

 ですが、先だってのような(そう)(どう)で、アナスタシア様がまた()()を負われたら、と思うと…」


 ユリウスは、そう言って心配そうに(まゆ)を寄せる。

 (わらわ)は、うなずいて応じた。


「まあ、あれもそれなりに手を()くしてくれたようでな。こう見えて、裏からは全く視界を(さえぎ)られぬし、装着感も悪くない。…そうだ、着けてみるか?」


 (わらわ)がいたずらっぽく提案すると、ユリウスは少し目を丸くした。


「えっ。いえ、私は…」

(えん)(りよ)するな、さあ」


 (わらわ)()()から立ち上がり、()(かく)しを持ってユリウスの側に近寄った。

 ユリウスは(どう)(よう)した様子だったが、(てい)(こう)することはなく、後ろに(まわ)()んで()(かく)しをつけようとする(わらわ)を、好きにさせた。

 ユリウスの、深い黒に(ほど)(ちか)いスレートブルーの(かみ)ごしに、くるりと()(かく)しをかけ、(かれ)の目元に合わせてリボン結びをする。


 それから、正面に(まわ)()んだ。……()(かく)しされたユリウスが、こちらからは見えない目で(わらわ)をとらえ、顔を動かしている。

 ふうむ、()(かく)しされた美形……悪くないな。いけない(しゆ)()(とびら)が開きそうだ。


「どうだ?」


 あやしい考えは心の(おく)(そこ)にしまいつつ(たず)ねる。


「アナスタシア様がよく見えます。たしかに、視界が(さえぎ)られませんね。着け心地も、よろしいようで…」


 言いつつも、ユリウスは早々に()(かく)しを自ら取り外して、(てい)(ねい)(たた)むと、両手でうやうやしく(わらわ)に差し出した。それを受け取り、(わらわ)は席に(もど)る。


「だろう? はじめは『なんの(じよう)(だん)だ』と思ったがな。慣れればどうということはなさそうだし、そうなるのに時間もかかるまいよ」


 (わらわ)()()(すわ)る。ユリウスはまた、(やさ)しい()みを()かべた。


「そなたは、(わらわ)()(がお)を見せても(きよう)()(おちい)らぬようで、助かった。アーベントロートも、あくまで(とし)(ころ)が近ければ確率が高いというだけで、必ず起きるわけではないと言っていたが、それにしても幸運なことよ。

 幼なじみだからか? そなたの態度は、ずっと変わらないものな」


 そう言いつつ、砂糖を(いつ)(ぱい)カップに足したあと、取り上げて茶を一口すする。うまい。

 気のせいか、ユリウスの表情が(いつ)(しゆん)こわばったような気がした。だが、カップから目線を(かれ)(もど)すと、いつもの(やわ)らかな()(がお)があった。


「……ええ、そうでございますね」


 それからは、(たが)いの(きん)(きよう)など()(あい)のない話をして、いつもの茶会は(おだ)やかに終わった。


***


「皇女殿(でん)()。アーベントロート(さい)(しよう)閣下が、(えつ)(けん)をお求めです」

「アーベントロートが…? わかった、通せ」


 (しつ)()(づくえ)から顔をあげ、マイリンク補佐官に返事する。


 無事とはいえないが、()にも(かく)にも社交界デビューを果たした(わらわ)は、母上たちが父上に代わってこなしてきた政務の一部を(ちよう)(だい)し、仕事を始めていた。

 政務に(たずさ)わるにあたり、(わらわ)には、代々皇太子の(しつ)()(しつ)として使われてきた部屋と、男女両方の補佐官一名ずつを(あた)えられた。マイリンク補佐官が男性で、ヴァルモンド補佐官が女性である。二人とも、(しん)(しん)()(えい)(ゆう)(しゆう)な若手文官であり、とても(たよ)りになる人物だ。

 そして、アーベントロートが用意した()(かく)しのおかげか、マイリンクに異常が生じる様子もない。(かれ)と顔を合わせる前に、()(かく)しをするようになっていて良かった。

 初めてのことばかりで、まだ()(こう)(さく)()は続くが、これまで学んだことを()かして実務の(たずさ)われるのは、楽しい。


 ほどなくして、(しつ)()(しつ)(とびら)が開き、アーベントロートと(かれ)の補佐官らが入ってきた。なにやら、ティーセットが()りそうな大きい銀(ぼん)に、大量の手紙を山と積んで運んでいる者がいる。

 アーベントロートは、相変わらず(あい)(さつ)のひとつもなく、きびきびと机に歩み寄ると、背中に持っていたらしい新聞を(わらわ)に差し出した――いや、新聞ではない。タブロイド紙だ。それも、貴族のゴシップを(あつか)う出版社の。


「こちらをご覧ください」


 早々に本題をぶつけられるのも(わらわ)には慣れたもので、言われるままにソレを広げて(なが)める。視界の(はし)では、ヴァルモンド補佐官が苦々しい顔をアーベントロートに向けていた。


~~~~~

 ――(てい)()上層に(しよう)(げき)走る――今世紀最大の夜会として注目を浴びた、皇女アナスタシア・エルスティナ・フォン・グランツェルリヒ殿(でん)()のデビュタンティン(社交界正式お()()())にて、(ぜん)(だい)()(もん)の『集団(きよう)(れん)事件』が(ぼつ)(ぱつ)したことが、(きゆう)(てい)筋の取材により明らかになった。

 長らく皇族のご英姿を間近に拝する機会のなかった社交界。ついに明かされた殿(でん)()のご尊顔は、『()(がみ)か天使かと見まごうほど』『この世の理を()るがす()(ぼう)』とまで(しよう)され、多くの若き貴族男性らがその場で理性を失い、(きよう)()的な(れん)()(おちい)ったという。


 夜会の(ちゆう)(ばん)殿(でん)()のダンスパートナーの座を(めぐ)って、複数の男性が声を(あら)らげ、やがて(なぐ)()いにまで発展。(こぶし)()()い、血が流れ、悲鳴が(ひび)いた大広間。その混乱の最中、殿(でん)()ご自身が(たお)れ、後頭部を強打――殿(でん)()はその場を退かれる事態に。

 皇室広報局は「命に(べつ)(じよう)なし。(こう)()(しよう)なども(かく)(にん)されていない」と発表。


 この“集団(きよう)(れん)事件”により、(けん)()に加担した複数名の貴族()(てい)が、皇女に危害を(およ)ぼした罪に問われ、(そく)(じつ)(こう)(そく)・貴族(ろう)(しゆう)(かん)()(しゆう)(かん)者の中には(ぼう)(めい)(もん)(こう)(しやく)家の次男、(はく)(しやく)()(ちやく)(なん)など、将来を(しよく)(ぼう)された若者の名も並び、社交界に(げき)(しん)が走っている。

 事態はそれだけにとどまらない。(しゆう)(かん)(まぬが)れた貴族男性たちも、生家の反対を()()って殿(でん)()への(きゆう)(こん)(じよう)を次々に送付。現在、(こう)(きゆう)には日ごとに数十通以上の(きゆう)(こん)(じよう)が届いており、関係筋によれば「職員の手が足りず、読み切れない」とのこと。

 さらに、当日出席していた貴族男性のうち、(すで)(こん)(やく)(しや)がいた者の一部で(こん)(やく)()()、あるいはその危機が発生中。(なみだ)する元(こん)(やく)(しや)たちの声も、我々のもとへ届いている。

~~~~~


「……『日ごとに数十通以上の(きゆう)(こん)(じよう)』?」


 大げさな()(ちよう)はタブロイド紙の常だ、と大半を読み流したものの、気になったその()(しよ)だけを声に出しつつ顔を上げる。

 すると、アーベントロートは、銀(ぼん)を持った補佐官に目で指示を送った。合図を受けた(さい)(しよう)補佐官は、どっさりと手紙の()った銀(ぼん)を、(わらわ)(しつ)()(づくえ)に置く。

 (ぼん)の上には、こんもりと山のような手紙がうずたかく積まれていた。数は百、いや二百に(およ)ぶだろうか。


「これは…まさか、」

「ああ、お読みいただく必要はありません。殿(でん)()のお目を(よご)す価値は、どの一通にたりともございませんので」


 一通手にとろうとした(わらわ)に、アーベントロートはすかさずそのように制す。(わらわ)は、()ばしかけた手をぴたりと止めた。


「…(わらわ)との(けつ)(こん)を求める、(きゆう)(こん)(じよう)か?」

「さようです」

「なぜ? (わらわ)には、ユリウスがいるのに」

「さあ。(きよう)(じん)どもの考えなど、臣には分かりかねます。

 これらは外信局で処理済みの――無論、一律で(きやつ)()と回答されたものです。殿(でん)()にも、事態のご(にん)(しき)だけはしていただいたほうがよいと考え、こうしてお持ちいたしました。

 後ほど、まとめて火にくべておきます」


 (わらわ)は、手紙の山と、タブロイド紙との間で目線を行ったり来たりさせた。

 あの(きよう)(らん)が、まだこれほどの(えい)(きよう)を残しているとは……。


(こん)(やく)(しや)のある者たちにまで、(あく)(えい)(きよう)(およ)んでおるのか」

(ちよう)(ほう)()によれば、はい。どうやらそのようです」

「…(わらわ)のせいで…?」


 おもわず、目線を落としてしまう。

 もしも(わらわ)だったら。もしも、ユリウスとの関係が(とつ)(ぜん)悪化したら、と思うと、胸が痛む。こんな思いを、なんの罪もない(れい)(じよう)たちに味わわせているのか……。


殿(でん)()のせいではございません」


 アーベントロートの(するど)い声が否定し、(わらわ)は顔をあげた。


「あなたがこのような事態を(ほつ)しないことは、あなたをよく知る者なら(だれ)もが存じております。

 あなたの顔を見ることによって、この現象は起きる。しかし決して、殿(でん)()のせいではございません。そのことは、お()(ちが)えなきよう」


 アーベントロートが、(かれ)にしては感情のこもった強い口調でそう言い立てる。

 ……(かれ)なりに、(はげ)ましてくれているのだろうか?


「わかった。だが、(こん)(やく)がある、またはあった者たちで、この件で関係に問題が起きた者たちについては、できるだけの()(えん)をしてやってくれ」

(ぎよ)()


 アーベントロートが胸に手をあて、うやうやしく頭を下げる。


()(かく)これで、殿(でん)()()(かく)しをして、(おおやけ)の場に出ることへの反発は減りましょう。たとえ先に()(かく)しをしていたとして、(おそ)かれ(はや)かれ同様の事態になったはずです」

「……そうだな」


 アーベントロートの言い分は正しい。

 もしも、デビュタンティンの夜会で事前にあの()(かく)しを(わらわ)がつけていたとして、参加した貴族たちは当然(こん)(わく)しただろうし、皇族が、皇位(けい)(しよう)(しや)が顔を見せられないのか、という反発も当然起きただろう。

 そうなれば、外さざるを得ず……。つまり、どうしても一度は、外せば何が起こるかを客観的に、(だれ)もが理解した(じよう)(きよう)を作らねばならなかったのだ。


 はぁ、と大きく()(いき)をひとつつく。


「まったく、なんと(やつ)(かい)なことか……」


 (わらわ)は、この()(みよう)()(かく)しを絶対に人前(一部を除いた男性の前)では外すまい、と改めて心に(ちか)った。


***


 夜会での事件については()(かく)、初めての政務については順調だった。

 まだ、母上たちから多くを回してもらえる実力に至っていないからだろう。三日もしないうちに、午前中で一日の仕事が終わってしまうようになった。

 補佐官の二人に(たず)ねたところ、直近の仕事はもうないとのことだったので、空いた時間を気分(てん)(かん)にあてるべく、(しつ)()(しつ)を出る。


 リュシエールに乗って森の散策をするか、ピアノかバイオリンでも()くか、それとも、外庭でソロ・オペラを歌うか……。


 そんなことを考えつつ、(こう)(きゆう)の外(ろう)()を歩いていると、()()たちの(けん)(げき)の音が(ひび)いてきた。訓練場が見える位置にいたので、視線を向けてみれば、なにやらいつもより人数が多い。

 社交シーズンで集まった家々の()()・兵士団らが、(こう)(きゆう)()()・兵士団との合同演習に来ているのだ、と思い至る。


(わらわ)も、久々に手合わせを(たの)みに行こうか」


 そんなことをボヤきつつ、訓練場へと足を向けた。


 訓練場に近づくと、なにやら(さわ)ぎが起きていた。群衆が何かを囲んで、(だれ)かを(おう)(えん)している。

 うん? 今、アーデルシュタイン(こう)と言ったか?


 輪の中をよく見れば、見慣れた暗めのスレートブルーがいる。ユリウスだ。訓練用の()(しよう)をまとい、(けん)を持って立っている。

 対するは、どこかで見た覚えのある(きん)(ぱつ)(へき)(がん)――思い出した。初めての夜会で、ユリウスのすぐ次に(おど)った男――レーヴェンタール(こう)(しやく)(ちやく)(なん)だ。名は、ジークベルトといったか。(かれ)も訓練着をまとい、(けん)を持っている。


 もしや…試合か!? 試合だな、ユリウスと! これはこれは、良いところに立ち会った。

 ユリウスや、ヴァイセンドルフの()()(だん)長とは何度も手合わせしたが、レーヴェンタール(こう)(しやく)家とは接点がない。いずれ(おと)らぬ有名な武人家系、どのような(わざ)()()すのか、ぜひ見てみたい…!

 世界最強を争う、グランツェルリヒの(たけ)き血が()()つようだ。


 (わらわ)は、見通しのよい場所から戦いを見ようと、2階の外(ろう)()で一番訓練場に近い場所まで向かい、バルコニーの(さく)前に(じん)()った。ユリウスとレーヴェンタール(きよう)は、群衆に囲まれてできたリングの中央で(たい)()している。

 やがて、(けん)(けん)がぶつかり合い、二人の対戦が始まった。(わらわ)は、わくわくしながらソレを観戦する。


 ユリウスの顔が険しい。(わらわ)との手合わせではしない顔だ。それに、勢いもすごい。足運びも(けん)(あつか)いも、前に見たときよりずっと(するど)く洗練されている。

 対するレーヴェンタール(きよう)も負けていない。ヴァイセンドルフや、(こう)(きゆう)直属の()()・兵士らと異なる動きだが、こちらはこちらで洗練されており、ユリウスと()(かく)に戦っている。


 いまだっ、いけっ! おお、うまい(ぼう)(ぎよ)だ! そこだ! よし!


 (じや)()にならぬよう、内心に言葉をとどめつつ、(わらわ)は勝敗の(ゆく)()を見守る。

 ユリウス、勝利! ……ん? まだやるらしい。三本勝負といったところか?

 次はレーヴェンタール(きよう)が一本! 二人とも、強いな。

 最後は……おお、なかなか勝負がつかん。両者、相手の戦術に慣れたか。()める、守る、()める、守る……ユリウス、勝利! さすがは()許婚(いいなずけ)


 (わらわ)は、群衆の(かん)(せい)に交じって、2階から(はく)(しゆ)を送った。すると、ユリウスとレーヴェンタール(きよう)(わらわ)に気づいたのか、二人の視線がこちらに向く。

 (わらわ)を見て、ユリウスは()(がお)で手を()った。対して、一勝二敗で負けたレーヴェンタール(きよう)は、くやしそうに顔をゆがめている。


 (わらわ)は、はやる気持ちに()かされるように(ろう)()()()け、階段を下り、訓練場の二人の元に向かった――ベルンシュタイン夫人に見られたら「殿(でん)()! (ろう)()を走ってはなりませんと何度いえば!」と金切り声をあげられていただろう。


 (わらわ)が訓練場に着くと、()()たちが(ひざ)をついて敬礼の姿勢をとる。「楽にせよ、訓練に(もど)れ」とすぐに命じ、(わらわ)はユリウスのもとに()()った。


「やったな! 見ていたぞ。さすがは()許婚(いいなずけ)!」

「アナスタシア様…! ご(こう)()の最中とうかがっておりましたが」

「今日の分はもう済んだのでな、気分(てん)(かん)に向かうところだった」

「そうでしたか…。(ぐう)(ぜん)とはいえ、アナスタシア様に勝利を(ささ)げられ、大変光栄にございます」

「ああ、良い戦いであったぞ。さあ、受け取れ」


 そう言いつつ、(わらわ)はポケットからハンカチーフを取り出し、ユリウスの額に流れる(あせ)(ぬぐ)ってやった。(わらわ)の愛用品、吸水性のよいタオル素材のふわふわハンカチーフである。今日はちょうど、まだ使っていなかった。

 貴婦人が()()(おく)るハンカチーフは、()()にとっての最高の(えい)()とされる。まあ()(つう)は、(うす)()ペラペラの手()(しゆう)入りハンカチーフらしいが。


「ありがとうございます」


 ユリウスが(うれ)しそうに(ほほ)()み、(わらわ)の手に自身の手を重ね、ハンカチーフを受け取った。


「…アナスタシア皇女殿(でん)()ッ!」


 声をかけられ、()(かえ)る。(わらわ)を呼んだのは、先ほどと(ちが)って(しん)()(てき)()みを()かべたレーヴェンタール(きよう)であった。


「デビュタンティンの夜会ぶりですね。その、…()(かく)し? は、どうされたのですか」

「これか。目の()()ではなく、こう見えて(わらわ)からは周囲が見えているので安心せよ。

 まさに、(くだん)の夜会での(そう)(どう)をきっかけに、人前に出るときは、これを欠かさず着けねばならなくなってな」


 (わらわ)(かた)をすくめて見せた。(だれ)から見ても異様なこの()(かく)しについて、しばらくこのように同様の説明を()(かえ)さねばならぬだろう。今日は(しつ)()上がりのため、日常使い用の黒一色でバッスル固定の()(かく)しをしていた。

 あとで広報局に指示を出して…いや、それにはアーベントロートが(すで)に手を回しているか。


 レーヴェンタール(きよう)は、得心したように(うなず)いた。


「ああ……なるほど。あの(そう)(どう)の末、頭を打たれたと聞き、身体の(しん)まで(こお)りつく思いで心配いたしておりました。お体の具合はいかがでしょうか?」

「うむ、大事ないぞ」

「…安心いたしました。あのとき、私がおそばにおりさえすればと、(こう)(かい)しきりで…」

(だい)(じよう)()だ、ユリウスが来てくれたからな」


 そう応じると、レーヴェンタール(きよう)はまた顔をゆがめた。……そういえば(かれ)も、(わらわ)()(がお)を見てしまった、(とし)(ころ)の近い男性であったな。

 (かれ)(きよう)()()まれてしまったのか? (わらわ)のせいではない、と、アーベントロートには言われたが、やはり申し訳ない…。


「……手紙は、読んで頂けましたか?」

「手紙? …あー…手紙は…」


 たぶん、(わらわ)の目には一度も()れず、アーベントロートが火にくべた。


「その、()(およ)んでおるか分からんが、最近、(わらわ)()ての手紙が多くてな。外信局の者たちが、必死に()()けてくれているようだが…、まあ、()もれてしまったやもしれん」

「そうでしたか…」

「あー、あー、その! そなたの戦いぶりも、見事であったぞ! レーヴェンタールの戦術を直接見るのは初めてだ。非常に興味ぶかかった。

 そう、よければ、(わらわ)とも一戦交えていかないか?」


 (わらわ)は、あわてて話題を()らしつつ、レーヴェンタール(きよう)に対戦を(もう)()んでみた。

 もともと、()()(だん)長に手合わせを願うつもりだったので、ちょうどよい。


 すると、レーヴェンタール(きよう)はわずかに目を(みは)った。


「…皇女殿(でん)()とですか?」

「そう。手合わせだ。どうだ? 初めての対戦で勝手が分かりにくいであろうし、(たが)いに(ぼつ)(けん)としよう。おなじく()(ほう)禁止三本勝負、筋力差解消強化のみ許可ルールの対戦とする」


 筋力差解消強化とは、対戦する二人が異性の組み合わせである場合、生まれついて自然に生じる男女の筋力差を解消するべく、女性側の(りよ)(りよく)()(ほう)で強化するものだ。

 (けん)(じゆつ)強化を目的としたトーナメントや試合は、(てい)(こく)各地でよく行われており、()(ほう)(へい)(よう)は禁止されていることが多い。ただ、全盛期比三倍にも(およ)ぶという性別筋力差を()(てん)しないことには、いくら(きた)えても女性に勝ち目がない。

 そのため、(てい)(こく)の男女別統計平均を元に算出された固定値のみ物理強化を(ほどこ)す、筋力差解消強化()(ほう)のみ異性間対戦において女性側に許可する、というルールが、(こう)(へい)(せい)を担保するルールとして周知されている。


「……それに私が勝ちましたら、(こん)(やく)(しや)の再考について、いまいちど検討いただけますか?」

「は?」


 まだ、そんなことを言っているのか…。これも(きよう)()()まれたせいだろうか? だから、無いと言うておるのに。

 しかし、そんなことよりも、何よりも。


「『(わらわ)に勝てたら』か……。よかろう」


 (わらわ)に勝てる前提で話していることが、()()(かい)きわまりない。()めおって…。これは、『わからせ』てやるしかないな。


(わらわ)も訓練着に()()えてくる。それまでに回復を済ませておくように」


 レーヴェンタール(きよう)に向かってそう言い置いて、(わらわ)は、()()えのために自室に向かって(ろう)()をまた()けていった。


 グランツェルリヒ家の家訓第一条、『()められたらブチ殺せ。(みなごろし)にしろ』(※要約)。

 まぁ殺しはしないが、ただでは捨て置けぬ!


 そうして走っていたところ、今度はベルンシュタイン夫人に見つかって(かみなり)を落とされたので、そこからはしょんぼり歩いて自室に向かった。

帝国(侵略上等の軍事国家)の皇族なんて、どんなに煌びやかで上品に振る舞っていても、戦闘狂と戦闘狂を長年掛け合わせた特濃サラブレッド武人しかいないよな(※個人の偏見です)。

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