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謎の目隠し

 ()(づくろ)いを済ませたあと、(わらわ)は、ネグリジェの上から厚手のカーディガンを羽織り、(ない)(てい)医局に向かった。そして、M(エム)T(テー)(ふく)めた一通りの検査を受けた。

 結果は、異常なし。特筆すべき(しよう)(じよう)(いま)だ見られず、とのことで、最低でも明日1日までは安静に過ごすこととなった。


 夜会で軽い食事も()る予定だったが、なにも口にできなかったので、自室に夕食を運ばせる。()(よい)のビュッフェ料理を盛り付けた皿が用意され、それを食べた。母上や料理人、典礼官らを交えて(かん)(しゆう)(がん)()った甲斐(かい)あってか、なかなか()()かった。

 食事の合間に、ユリウスはどうしたか、夜会はあのあとどうなったか等の報告を女官たちから受ける。


 ユリウスは、(わらわ)(ない)(てい)医局に入室するのを見送ったのち、(ぎよう)(こう)の間には(もど)らず、そのまま帰宅したらしい。検査が終わるまで私を待ちたい様子だったそうだが、いつまでかかるか不明のため、女官らが、夜会に(もど)って食事を()るよう(すす)めたそうだ。

 今夜は(かれ)にとても世話になってしまった。あとで礼の手紙を送らねばなるまい。


 夜会の(そう)(どう)については、あばれた者どもを護衛()()らが確保し、それぞれ貴人(ろう)に収容したとのこと。その後の場は母上が収めたが、デビュタンの半数弱が(ろう)につながれてしまったこともあり、以降のダンスは中止としたらしい。

 ()(よい)の夜会は、半分程度は(わらわ)が取り仕切る予定であった。まさかこんな、想定外のトラブルが起きようとは。結局、ほとんど母上にお任せすることとなってしまい、無念でならない。


「そうだ。(さい)(しよう)室に…アーベントロートに(こと)(づて)(たの)む」


 食事を済ませ、ナイフとフォークを置きつつ、(わらわ)は、(ひか)えていたレオノーラに声をかけた。

 それから、筆記机の前に向かい、紙とペンを一式とりだして、簡単な指示をしたためる。


『こたびの夜会で暴れた者たちに、薬物が使われた(けい)(せき)、あるいは洗脳()(ほう)などの術がかけられた(こん)(せき)がないか調査せよ。アナスタシア』


 書き終わり、折りたたんだメモ書きをレオノーラに(わた)す。レオノーラは、うやうやしく頭を垂れつつメモを受け取ったあと、早足で部屋の外に出て行った。


 今日中にしなければならぬことは、こんなものか。あとは、()()に言われたとおり安静に――まあ、(ねむ)ってしまうとしよう。


 ()る、と()(じよ)らに伝えたのち、(しん)(しつ)に向かい、ベッドに入った。

 ここ数日の(いそが)しさのせいもあってか、()(ろう)がたまっている。(ゆか)についてすぐ、(わらわ)(ねむ)りに落ちた。


***


 翌朝、いつもの()(しよう)時刻に目が覚めた。だが、起きて何かをしようという気に中々ならなかった。よほど、昨夜のことが(こた)えたのだろうか。

 安静にしろと言われた日だからだろう、()(じよ)が起こしに来る様子もない。(わらわ)は、うとうととそのままベッドに2時間ほど居た。それからようやく、(のど)(かわ)きと便意のために起きた。

 (しん)(しつ)に置かれた()(どう)保冷水差しから、よく冷えた薔薇(ばら)水をグラスにあけて飲み干し、トイレに向かう。用を済ませた後は、ふたたびベッドに(もぐ)()んで、(ねむ)った。


 昼下がりになってようやく、(わらわ)(ねむ)りから覚めた。()(りん)()り、()(りよく)の呼び出し音で()(じよ)らに合図を送る。ほどなくして、レオノーラたちが(しん)(しつ)にやってきた。


「よくお休みになれましたか?」

「うむ」

「具合はいかがです?」

「少し(だる)い…が、問題ないと思う」

「さようですか。まずは、軽いお食事でも? ()()を呼んで、本日の(しん)(さつ)もさせましょう」

「うん、(たの)む」


 湯に(ひた)した布で顔を()かれたあと、ベッド(わき)に立ち、ユリエッタとコルネリアがネグリジェを取り去って、代わりにモーニングドレスを着せてくれるのを見守る。


 (わらわ)は、男性用ズボン()(しよう)をベースに、明るい色の()()やレース、(かざ)りのオーバースカート等を合わせる形で、みずからデザインを指示して仕立てさせた、()()()()男装()(しよう)()(だん)愛用している。

 (いつ)(ぱん)(てき)(ひめ)らしいドレスはというと、周囲の者たちの意志で大量に作られたはいいが、一度も日の目を見ることなく()(しよう)部屋で(ねむ)ったままのものが大半だ。

 ()(じよ)らは、それを(もつ)(たい)ないと感じているらしく、(すき)あらば(わらわ)にそうしたドレスを着せようとしてくる。今日は絶対安静なのだから、ズボンが必要なほど活動しませんね? と、すかさずドレスを着せているというわけだ。

 (ちよう)(しん)()を使う(しん)(さつ)がこの後(ひか)えていなければ、より時間帯に合った()(えり)のデイドレスを着せたいところであったろう。

 まあ、たまには良い。


 居室で食事を済ませたあと、()()がやってきて、(わらわ)(しん)(さつ)をする。結果は、本日も特に異常なし。引き続き24時間は絶対安静にするよう言われた。


 ()()が部屋から出て行ったあと、まずは、ユリウスへの礼の手紙をしたためることにした。

 花びらが()()まれた便せんを取り出し、昨晩見せた(しゆう)(たい)についての謝罪、それと、たいそう世話になったことへの感謝を(つづ)る。

 たかが頭を打った程度でめそめそ泣くなど、本来であれば、皇族としてあるまじきこと。ユリウスが失望していないといいのだが…。

 今どき、()(どう)通信でメッセージを送るほうが早いだろうが、こういうものは気持ちも大切だ。(ひつ)(せき)には、書き手の判別だけではなく、感情や体調など多くの情報が宿る。タイピングした文字には宿らないものだ。

 そなたのような立派な(こん)(やく)(しや)がいて、(わらわ)は幸せだ、見習いたい、と()める。

 書き終えて、(わらわ)の好きな(こう)(りよう)を少しばかりつけてから(ふう)(とう)に入れた。(あて)()書きをし、皇女の(もん)(しよう)印で(ふう)(ろう)()す。

 これをユリウスに、と、ちょうど目があったマルグリットに(ふう)(とう)(わた)した。ユリウスは現在、(てい)()にあるヴァイセンドルフ(こう)(しやく)家所有のタウンハウスに住んでいるので、今日中に手紙が届くだろう。


 それから、部屋で過ごすからと早々にネグリジェ姿に(もど)させ、()(じよ)らをガッカリさせたあと、お茶を飲んだり、ベッドでごろごろしながら本を読んだりして過ごした。

 夕食も部屋で軽く済ませ、()()みと()(づくろ)いをして、今日も早めに(ゆか)につく。すぐに(すい)()がやってきて、(わらわ)(ねむ)りについた。


 (わらわ)の誕生日パーティーである夜会で起きた不可解な出来事について、調査結果を知るべく(わらわ)が動いたのは、さらに翌日、今度はいつもの()(しよう)時刻に起き、()()から問題なしと(しん)(だん)を受けてからのことである。

 (わらわ)は、ドレスを着せようとするレオノーラ(たち)に「いつものズボンを(たの)む」と(ほほ)()んで伝え、しゅんとした様子で指示どおりの服を着付けてくれるのを見守った。(さい)(しよう)に会うので、役割としてはデイドレスに近い、フォーマルな立て襟を着る。

 (かみ)(がた)は、頭頂に近い場所でまとめたハイポニーテールを(しよ)(もう)した。これが(わらわ)の一番お気に入り、平時の(かみ)(がた)である。(じや)()になりにくく、運動して乱れたら自分ででも直せるシンプルさがいいのだ。

 留め具はゴム輪で、その上からリボンで(かざ)()ける。


 だが、それではコルネリアのヘアアレンジ術の使いどころがないと不満がられたので、ポニーテールにまとめる手前の()(しよ)を小さな複数の三つ編みにする、といったアレンジは許容している。

 何事も、お(たが)いの歩み寄り、()(きよう)は大切だからな。


 ()(たく)を済ませたあと、(わらわ)はレオノーラに(たの)み、(さい)(しよう)と会って話す時間がとれそうか(かく)(にん)させた。時間を空ける、との回答と、『(せい)(ひつ)の間』でお待ちします、という(もん)(ごん)と共に時間の指定が返ってきた。


 皇女と会うのに時間や場所を勝手に指定するなど、臣下としては本来分不相応ではあるのだが、この男――(てい)(こく)(さい)(しよう)ヴォルフラム・ヨアヒム・フォン・アーベントロートという男については、あまり気にしていない。

 この男の()(ぼう)さは承知しているし、(あい)()のなさ、(ごう)(がん)()(そん)さを補って余りあるほどの才覚と実力を、()しみなく(てい)(こく)(ささ)げていることも知っているためだ。

 それに、(かれ)は最初期から(わらわ)の皇位(けい)(しよう)(こう)(てい)(てき)であった人物である。いまだ女を無条件に下にみる(けい)(こう)の根深い(てい)(こく)において、(さい)(しよう)たる(かれ)(てつ)(てい)した実力主義・公平主義的思想は、(わらわ)が次期皇位(けい)(しよう)(しや)として立つにあたり、かなりの追い風になったと言っていい。

 (かれ)には頭が上がらない――などということは全くないものの、お(たが)いに頭を上げたまま(たい)()することを許容できる程度には、有用な人物である。


 (てい)(こく)(さい)(しよう)ヴォルフラム・ヨアヒム・フォン・アーベントロートは、(てい)(こく)北方にあるユリウスの生家ヴァイセンドルフ(こう)(しやく)家の()()、北方を領地とするアーベントロート(はく)(しやく)()を生家に持つ人間だ。

 ()(なん)(ぼう)であり領を()ぐ立場になかった(かれ)は、()が父上と年が近かったこともあり、幼少の折りに(そつ)(きん)候補として(こう)(きゆう)に招集された。当初は一文官として勤め、やがて、(こう)(てい)に次ぐ最高権力者とも言うべき、(てい)(こく)(さい)(しよう)の地位に成り上がった。

 父上とは幼なじみであり、(とし)は2つ上の50。妻子は「必要ない」と言い切って、いまだ独身の身である。


 アーベントロートには私欲がなく、(わい)()の類いが(いつ)(さい)きかないことで知られている。無論、すべての臣下がそうあるべきなのだが、()が差す気配すら見せない、究極の無私(ぼう)(こう)を体現した者こそ、アーベントロートだという。

 ただ、関係の深い(わらわ)からすれば、(かれ)は無私でも私欲のない人間でもない。しいていえば、私欲が人と(ちが)う。(かれ)は、(おのれ)の理想とする国家を作り上げることに、心血のすべてを注いでいる。ある種、(かれ)こそが最も公私を私欲に極()りしている人間かもしれない。

 これについては、(わらわ)より(やつ)との付き合いが長い父上とも見解が(いつ)()した。


 アーベントロートは、目上の者に()びるということをせず、言っていることは(おおむ)ね正しいのだが言い方が良くないことでも有名で、(てい)(こく)の最高決定機関たる『(てい)(こく)(すう)(みつ)会議』でも、他の(たい)(てい)の大臣や長官らから()(きら)われている。

「権力を持つ者は、それに見合った(こう)(けん)を国家に(ささ)げるべきだ」という強い思想があるゆえに、目下の者には()(かく)(てき)やさしい一方、同等以上の格相手には厳格な態度をとるのだ。

 父上によると、「余が(うし)(だて)でなければ、あいつは数十回殺されていてもおかしくない」とのことである。

 聞いたところによると、その(れい)(てつ)さと無表情さ、氷()(ほう)研究に強い北方の(いえ)(がら)から、『氷の死神』『笑わぬ(あく)()』などと()(めい)()(あだ)()をつけられてもいるそうだ。


 とはいえ、(わらわ)は、(かれ)を第二の父として無意識に(した)っているように思う。


 (かれ)は、(わらわ)が次期(こう)(てい)となることに賛成する一方で、そうあるべく学ぶべきこと、やるべきこと、姿勢については、(だれ)よりも厳しく(わらわ)に言いつけてきた。

 (びよう)(しよう)にある父上は、(しん)(だい)に横になっているだけの身で、(わらわ)()(せい)(しや)として厳しく指導はしづらい(じよう)(きよう)にある。できることといえば、父としての愛を(わらわ)に伝えることだけで、結果、(あま)やかしてばかりになりがちだ。

 その不足を補うかのように、思えば、()(ぼう)(さい)(しよう)の身でありながら、アーベントロートはよくよく(わらわ)に構ってきていた。無論、(かれ)の理想を実現するために不可欠なことだからだろう。それでも、()(がお)ひとつ()かべず厳しいことばかり言う(かれ)が、それ以上の情のようなものを(わらわ)に感じているように思うのは、きっと気のせいではあるまい。


 笑わぬ、とは事実その通りで、それなりに長い付き合いだが、(わらわ)でも(やつ)が笑ったところはただ一度しか見たことがない。

 あれは確か、5(さい)の折であったか。(こう)(きゆう)の庭で、文字通り花を()んで遊んでいた。見通しが良いので、護衛()()たちは(はな)れた場所にいた。(やつ)(そば)にいて、たまたま()(じよ)らは席を外していた時だったと思う。

 話の流れで、(やつ)が理想とする国家について聞いた。いわく、(ばん)(にん)が生まれに左右されることなく、(おの)(おの)の実力と適性と意志に応じ、()(さわ)しい立場と役職を手にできる国だという。現在のように、身分や生まれ順などで職責が決まってしまうのは、不公平なばかりでなく非効率的である、とのことだった。

 それに対し、(わらわ)は確か「それはとても良い国だ」と同意した。「そうするのは難しそうで、どうしたら実現できるか分からないけれど、(わらわ)もそんな(てい)(こく)を作りたい」と応じたのである。

 それを聞いたアーベントロートは、()(だん)(せつ)(こう)じみた(かた)い表情筋を(ゆる)め、()(しよう)()かべた。(かれ)のそんな表情を見たのは、後にも先にもこの一度きりで、(みよう)に印象に残っている。


***


 指定された時間どおりに『(せい)(ひつ)の間』に向かうと、アーベントロートは一人で室内に居た。

 (ゆか)から(てん)(じよう)まである大窓から()()む日光の中に立っていながら、(かれ)の居る場所だけ黒く()りつぶしたかのように暗い長身(そう)()(ひと)(かげ)と、対照的にギラギラと光って見える(するど)い灰色の眼光とを見ても、見慣れた(わらわ)(おび)えることはない。

 ()()ってきてくれたレオノーラとユリエッタはというと、いまだに小さく息を()む。そなたらも()(すが)に、そろそろ慣れてくれてもいいと思うのだが。


()(じよ)殿(どの)らは退室させてください」


 (あい)(さつ)もなしに、アーベントロートは(さつ)(そく)そう言ってきた。レオノーラが(まゆ)()()げる。


「なにを…!」

「まあ、待て」


 (わらわ)が手を上げ、(かの)(じよ)の不満を制す。


「内密の話があるのであろうよ。(わらわ)のために、席を外してくれるか?」

「……ッ…承知、いたしました。ですが、(とびら)のすぐ(そば)で待機しています」

「うむ。(たの)んだ」


 レオノーラもユリエッタも、(うし)(がみ)をひかれながら、といった様子で部屋を出て行く。

 (とびら)が閉まったあと、(わらわ)は部屋のソファに向かい、先に(こし)()け、アーベントロートにも向かいに(すわ)るよう(うなが)した。それを見て、アーベントロートもきびきびとした足取りでソファに近づき、静かに(こし)()ける。


「それで?」


 (わらわ)が軽く(あご)をあげつつ(たず)ねると、アーベントロートは軽く首を左右に()った。


「先日の殿(でん)()の生誕祭にて暴れた者どもからは、()()の薬物が使われた(けい)(せき)、および、洗脳()(ほう)の類いが使用された(こん)(せき)は見られませんでした」

「むう……そうか。(やつ)(かい)だな」


 (わらわ)は、口元に指を当てつつ、小首をかしげた。


「未知の薬品、あるいは()(ほう)の可能性があるわけか」

「その可能性もございますね」

「そなたは(ちが)うと?」

(ちが)う、とまでは申しません。ですが、殿(でん)()のお考え――すなわち、なんらかの反体制勢力が、あの夜会に出席して暴れた者たちに、あらかじめ()()けたものである――という可能性は、低いと見ています」

「ほう? ならば、なんだというのだ」


 そう(たず)ねると、アーベントロートは、(たが)いの間にあるローテーブルの上に置いてあった、なにかの小箱に手を()ばし、(わらわ)の側に軽く()して()()した。


「……これは?」

「まずは、お開けください」


 そう言われ、(わらわ)は、その箱の(ふた)を持ち上げ、中身を見てみた。

 中には、黒い布でできた、額から(ほお)(ぼね)までを(おお)う、(かざ)()のない仮面のようなものが入っていた。いや、黒一色で目の穴すらないので、()(かく)しというべきか。


「…なんだ、これは」

「それをお着けください」

「なぜ?」

「着けていただけましたら、説明いたします」


 ()(げん)に思いつつも、まあこやつがそう言うならばと、(わらわ)はその(なぞ)()(かく)しを顔につけてみた。

 表から見たときは視界が(さえぎ)られるように思ったが、実際つけてみると、意外にも布の(すき)()が多く、向こう側がよく見える。さらに、()(どう)()でもあるらしく、後頭部で留め具を合わせて完全に装着すると、糸が(とう)()し、視界をまったく(さえぎ)らなくなった。通気をよくする術も入っているようで、布地の(はだ)(ざわ)りの良さに加え、まるで着けていないかのような装着感である。


「視界はいかがです」

「良好だ。表からは()(かく)しのように見えたのに、裏からは周りがよく見える」

「装着感はいかがでしょうか」

「悪くない」

「ようございました。殿(でん)()には今後、お父上かアーデルシュタイン(こう)以外の男性が同席する場において、それを欠かさず装着していただきたい」

「は?」


 予想だにしないことを言われ、(わらわ)(こん)(わく)した。

 こんなものを身につけていては、(わらわ)の顔が周囲の者に全く分からないではないか。


「なんの(じよう)(だん)だ?」

「残念ながら、(じよう)(だん)ではございません。殿(でん)()

「……どういうことだ」


 そう聞くと、アーベントロートは(ようや)く、(くわ)しい説明を始めた。


「まず、(いつ)(さく)(じつ)のような出来事は、初めてのことではございません。殿(でん)()の周囲に居た男たち――護衛()()や文官、(こう)(きゆう)使用人などになりますが――(とし)(ころ)殿(でん)()に近しい者ほど多く、夜会で暴れた者たちと同様の(きよう)(らん)(おちい)った事例が多々ありました」

「なんだと…?」

(かれ)らにつきましては、殿(でん)()のお目につくまえに対処可能でした。理由は不明だったものの、殿(でん)()の周囲に男性を置かぬよう、(さい)(はい)することも容易でした」


 言われて、気づく。いつのころからか、そういえば、護衛()()にしろ文官にしろ使用人にしろ、(いつ)(さい)の男性を見かけなくなっていた。()()は女性に、(かん)()は女官のみに、男である(しつ)()(じゆう)(ぼく)などとは会わなくなっていた。

 ともに庭を()(まわ)っていた庭師の男児たちなども、とんと見かけなくなった。(わらわ)自身、家庭教師の授業や、図書館で自習すること、皇族と親しい(いえ)(がら)の女子との茶会などが増え、遊べる時間が減ったせいだと思っていた。

 それこそ、父上とユリウスを除けば、(すう)(みつ)会議の大臣や長官――中でも、アーベントロートくらいとしか、直接会話することがなくなっていた気がする。


「……気づかなかった」

「まあ、知らずともよろしいことです。問題は、そうした()(ねん)だけで、社交界でも男性たちを遠ざける、あるいは、殿(でん)()ご自身を社交界から遠ざける、この()(かく)しを事前につけていただく、といった()()はできなかったこと。

 有力貴族が多数出席しますし、確たる(しよう)()もないまま、次期(こう)(てい)たる殿(でん)()のデビュタンティンを()(がい)するような()()はできませんでした。

 ですので、実際に(きよう)()(まん)(えん)する()(たい)となり、なんらかの対処ができる(じよう)(きよう)が整うのを待つことにしたのです」


 (わらわ)は、(まゆ)を寄せて首をかしげた。


「そなたにしては、(ずい)(ぶん)(ゆう)(ちよう)で、危険な策をとったな」


 わざとらしく後頭部を()でながら言うと、アーベントロートは、(かれ)には大層めずらしいことに、うやうやしく頭を深く下げてきた。


殿(でん)()がお()()をする事態に発展するとは、予想外でございました。臣の不徳の(いた)すところです。このような結果となってしまい、(まこと)に申し訳なく存じております。どのような処分も()むなし、(つつし)んでお受けいたす所存です」


 声は(たん)(たん)としているが、本当に自責の念に()られているとわかったので、少しばかり()いた(わらわ)(いら)()ちは、すぐに消え去ってしまった。

 話題を変えて、(なぞ)()(かく)しについて(さら)(たず)ねる。


「それで…この()(かく)しを(わらわ)が着けることと、どう(つな)がるのだ」


 アーベントロートが頭をあげた。


「はい。(きよう)(らん)(おちい)った者たちを調査したところ、(かれ)らの共通点として『殿(でん)()()(ぼう)()(たた)えて(ねつ)(きよう)していること』『殿(でん)()のお顔を直接見たことがあること』があると分かりました。

 一方で、(げん)(ぞう)や絵画を(かい)した場合、どれほど(せん)(めい)殿(でん)()のお顔が判別できる状態であっても、同様の(きよう)()が現れませんでした。

 以上のことから、『殿(でん)()の顔を直接()(にん)した男性は(きよう)()()まれうる』と仮定しました。その対策として作らせていたものが、その()(かく)し型()(どう)()でございます」


 (わらわ)は、アーベントロートから(わた)された()(かく)しを()でた。視界は(さえぎ)られておらず、()(かく)()しに()れる手のひらがよく見える。鏡がないので分からないが、表から見ると、(わらわ)の顔の上半分はすっかり(おお)(かく)されているのだろう。


「……固有()(ほう)だろうか?」


 (わらわ)は、そう(たず)ねた。


 少なくとも()(てい)(こく)において、()(ほう)は、()(どう)()()(りよく)を流すことで発動させるのが(いつ)(ぱん)(てき)だ。あらかじめ()(どう)()に術式を()めておくことで、複雑な処理結果も簡易、かつ効率的に呼び起こせるためである。

 しかし、原初の()(ほう)は、そうではなかった。各人がそれぞれの意識で術式を構築し、発動の都度組み上げ、大量に()(りよく)を消費し、いくつかの単純な()(ほう)を発動していたのである。

 そうした原初の()(ほう)のことを『固有()(ほう)』とよぶ。術式の共通言語化が未だできておらず、近しい感覚と()(りよく)を持つ、家族(しん)(せき)同士でしか同じ()(ほう)を共有しにくかった頃、それぞれが一族固有の()(ほう)として(あつか)われていたことに由来する(めい)(しよう)だ。

『固有()(ほう)』が、マイナーとなった現在でも意図せず発動してしまう事故は、()(りよく)の多い(おう)(こう)貴族を中心によくあることである。中には、()(りよく)量の多い幼子が固有()(ほう)を発動してしまい、(だい)(さん)()に発展した事故もある。

 大事になりやすい固有()(ほう)として、直接(ばく)(はつ)(こう)(ずい)などを起こしてしまうものの他に、代表的なものが1つある。精神に作用する、いわば()(りよう)()(ほう)と呼ばれるものだ。


 (わらわ)は、それかと思ったのだが、これにもまた、アーベントロートが首を左右に()った。


「断言はできませんが、それも考えにくいです」

「なぜ?」

「女性の場合、同様の(きよう)()(おちい)った者が一人もありません。()(りよう)系固有()(ほう)の暴発であれば、同性異性を問わず発動するのが(いつ)(ぱん)(てき)です。また、顔を見る必要もなく、近くにいるだけで効果が出ます。

 さらに申し上げるならば、殿(でん)()は、皇族であることを加味しても規格外の()(りよく)をお持ちではございますが、()(りよう)系の固有()(ほう)を持ちうる(じよう)(きよう)にはございません」

「…と、いうと?」

「固有()(ほう)は、それを持つ者の強い欲望に呼応して発現するもの。()(りよう)系の固有()(ほう)を発現する者は、かならず『自分を見てほしい』という強い(かつ)(ぼう)(いだ)いていることが、過去の事例から判明しております」


 アーベントロートの説明を聞いて、(わらわ)(なつ)(とく)した。

 確かに、(わらわ)は『自分を見てほしい』という欲求をほぼ持たない。皇女として、両親からも周りの者たちからも、逆に(うつ)(とう)しく感じるほどの注目を常に浴びて生きているようなものだ。

 他人の目を(ぬす)んで(とう)(そう)したい欲求ならまだしも、もっと自分を見てほしいなどと思う余地はない。そう考えると、(おん)(みつ)系固有()(ほう)の発現のほうが、まだ可能性はある。


 今度(ため)してみるか、と思ったことは、心の(かた)(すみ)にそっと置いておくとして。


「なるほどな。ちなみに、過去、(きよう)(らん)(おちい)った者たちについても、薬物や洗脳()(ほう)(こん)(せき)は…」

「ございませんでした」

「それらしい理由についても…」

「申し上げましたとおり、まったく不明の状態です。ご不便をおかけしますが、殿(でん)()に顔をお(かく)しいただくのが、最小の労力で最大の効果を発揮する策と考えました」

「…そうか…」


 (わらわ)は、()(かく)()しに両目を(かく)すように、両手で()でてみた。(かん)(しよく)は布に(さえぎ)られるのに、目では、(わらわ)自身の両手のひらだけが見える。着けていることは分かるが、着けていないのに近い、ふしぎな(かん)(しよく)だ。


「…どこの世界に、臣民に顔も見せられぬ()(せい)(しや)がおるのか」


 ()()と知りつつ、(わらわ)()(いき)と共にそうこぼした。


「おらぬとしても、殿(でん)()に第一人者となってもらう他ありませんな」


 (たん)(たん)とアーベントロートが告げる。


 (わらわ)は、大きな()(いき)をもうひとつ()いた。

相手役男性よりも第二の父親の描写が濃くなってしまった感は否めませんが、のちのちユリウスについて語りますので、ご容赦ください。

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