アイツ大丈夫なんかな
「号外~号外~! アナスタシア皇女殿下が、アーデルシュタイン侯爵閣下とご結婚!」
新聞屋が高らかに声を張り上げ、帝都アイゼンシュタットにある下町シェネ・ガッセ地区に、号外新聞をバラ撒いて回る。
撒かれた新聞のひとつを、酒場《銀狼亭》の息子レオン・ディートリヒが拾い上げた。
新聞の一面には、絶世の美少女と名高い皇女殿下。それと、その片割れとなる、これまた美形青年のモノクロ幻影写真が印刷されている。
「へえ、お姫様と王子様のご結婚、か。お祝いムードで、うちの酒場にも儲けが出るかなあ」
レオンは、皇女アナスタシアのご尊顔を見たことがあった。無論、直接の拝謁を賜る身分にはないので、カラー幻影写真のブロマイドなる代物を通じて知ったのである。
それは、皇女自身の主導のもと、チャリティー商品として販売されたものだった。製造流通コストや皇女自身以外の人件費を除き、商品の売り上げは、孤児院援助や貧困層支援に役立てられる。
特大肖像画サイズ・文書サイズ・手のひらサイズといった様々な形態・価格で皇宮から売り出された“皇女の肖像”は、売り出されると瞬く間に完売した。
なんでも、貴族の男性たちが幾ら積んででも買い取ろうと躍起になるそうで、興味本位で小さなブロマイドを一枚買っていた庶民が、それと引き換えに一夜にして大金持ちとなった、などというわらしべ長者伝説まである。
――そんな代物を、アンナ・シュタルクは何故か『ツテで手に入れた』と言い、「絶世の美少女と名高い皇女殿下のお姿を、一度でいいから見てみたい」とボヤいていたレオンにプレゼントしたのである。
その、たった一枚のブロマイドは、今なおレオンの部屋で大切に飾られている。
「……てかアイツ、大丈夫なんかな」
突然やってきて、突然去って行った、美しく優秀な少女アンナ・シュタルク。
レオンと彼女の最後の邂逅で、レオンは想いを打ち明け、貯めた小遣いで奮発して買った花束を贈った。アンナは喜び、それを受け取った。
しかし、アンナには許婚がいるとのことであった。レオンは、恋の成就を元より期待していなかったこともあり、それを聞いて潔く身を引こうとした。
なのになぜか、アンナは「愛人にならないか」と提案してきた。
駄目だろう。自分がいいとしても、許婚の方は絶対駄目だろう。
レオンはアンナを説得し、「まずは許婚の意志を確認してからにする」と約束させた。
そして、「急なことだが酒場を退職する」という旨の手紙だけが届き、今に至る。
「『なんでも相談できる仲だ』なんてアイツ言ってたけど、アイツみたいな女の子が許婚で、相手が愛人つくっていいと思ってる男とか、居るわけがねぇんだよな……」
無事だろうか。許婚の男が逆上して、アイツがどこかに監禁されたり、めちゃくちゃ束縛されたりしていないだろうな。
会ったこともない許婚の男が、アンナの言葉で逆上し、嫉妬に狂い、アンナに拘束具をつけて閉じ込めてしまう様子を思わず想像してしまう。
初夏の暖かい朝だというのに、レオンの背中にゾクッと悪寒が走った。
***
――皇配ユリウス・カスパール・フォン・グランツェルリヒが、その名と位を変更する、少し前のこと。
まだアーデルシュタイン候と呼ばれていた彼ユリウスは、とある皇宮メイドを通路の壁際に追い詰め、氷のように鋭く恐ろしい眼差しで見下ろしていた。
メイドはというと、「皇女殿下のお部屋を担当しているメイドか」と問われ、是と恭しく応じただけで、何故このような恐ろしい目に遭っているのか分からず、ただ震えて涙ぐんでいた。
「今、皇女殿下のお部屋にある生花を、一本残らず、すべて廃棄しろ」
ユリウスはそう言うと、グランツ金貨を一枚とりだし、メイドのポケットに滑り込ませた。
恐怖に潤んでいたメイドの瞳が、その輝きに吸い寄せられる。
「理由を聞かれたら、『痛んでいたから捨てた』と言え。代わりに、これから殿下に届く、新しいバラを飾っておくように。そして、」
ユリウスは、昏い瞳をギラリと不穏に光らせた。
「私からそう命じられたということは、黙っておくこと。――わかったか?」
メイドは、コクコクコクと何度も頷いて応じた。
すると、ユリウスは満足した様子で、メイドを解放して立ち去った。無辜のメイドは、ホッと胸をなで下ろす。
愛しい婚約者の元へと戻りながら、ユリウスはブツブツと呟いた。
「私以外の男が贈った花だなんて。そんなもの、アナスタシア様のお傍に、在ってはならない」
無意識の癖か、親指を口元に当て、がちがちと爪を噛む。その顔には、見た者を震え上がらせる、恐ろしい形相が浮かんでいた。
しかしその形相は、アナスタシアの待つ音楽サロンに着くと同時に霧散し、柔らかな紳士の微笑みに置き換わる。
「おかえり! 手洗いには迷わず行けたか?」
ピアノの椅子に座ったアナスタシアの声が、ユリウスを温かく出迎える。
ユリウスは、にっこりと笑顔を浮かべた。
「少し、迷ってしまいました」
「やはりか。案内をつければよかったな」
「いえいえ。侍女どのについてきて頂くのは、さすがに問題がございますから」
「あー…。それもそうか」
アナスタシアは、納得した様子で頷いた。
ユリウスが、自分のために用意された、ピアノ奏者そばの一人掛けソファに腰を下ろす。
「よし、次は何を聴きたい?」
「そうですね…。すみません。芸事には疎く、曲名に詳しくないのです。よろしければ、アナスタシア様がお好きな曲を教えて頂けませんか?」
「ふむ…。そうだな。弾いてみれば、名前が浮かばずとも、聴いたことのある楽曲もあろう。では、ラ・カンパネラを」
アナスタシアの白い指が、鍵盤の上を自在に転がり、美しい音楽を奏で始める。
自分だけのために奏でられるそれに包まれ、ユリウスは、至上の幸福の中にいた。
彼は、なんとしても、自分からその幸福を奪う存在を一つ残らず排除せねばならない、と考えていた。
***
「さて、そろそろ部屋の清掃は済んだ頃だろうか」
ひとしきり演奏を終え、アナスタシアは言った。
このところ居室にいる時間が長く、使用人が掃除できるタイミングが無かったため、別室で娯楽を楽しんでいたのである。
「確認してまいりますわ」
「ああ、頼む」
侍女レオノーラが申し出、アナスタシアは頷いて送り出した。
すると、彼女と入れ替わるようにして、使用人の一人が訪ねてくる。侍女コルネリアが戸口に立ち、用件を聞いた。
その後、彼女は、アナスタシアにではなく、ユリウスに視線を向ける。
「アーデルシュタイン候のお届け物が到着したそうです」
「わかりました」
ユリウスが立ち上がり、扉の外にいる使用人に対応しに出て行った。
それを見送りつつ、アナスタシアはピアノの前から立ち上がり、メイドが用意した紅茶を飲むため移動した。長時間演奏して渇いた喉に、香りのよい暖かな紅茶が染み渡る。
数分としない内に、ユリウスは、一抱え分もある大きな赤バラの花束を持って戻ってきた。
アナスタシアが、それを見て驚いて目を見開き、ティーカップを少し揺らす。
「それは?」
「すばらしい演奏のお礼に。――いえ、それ以外のすべてについても。あなた様への感謝と……私の、愛を込めて」
最後の言葉を、少し恥ずかしがりながら続けつつ、ユリウスはアナスタシアの前に跪き、大輪の赤バラでできた、大きな花束を差し出した。
「愛しております。アナスタシア様」
アナスタシアはパッと顔を赤らめ、おずおずと立ち上がると、ユリウスが差し出した花束を受け取った。
「あ、ありがとう……うれしい。妾も…愛して、いる」
ぎこちなくも、そうはっきりと言葉にして返し、アナスタシアは、花束を大切そうに抱きしめた。
彼女が受け取ったのを確認し、ユリウスが立ち上がる。
「……本当に驚いたよ」
落ち着かなげに髪を耳にかけ、目線をあちこち忙しなく彷徨わせながらアナスタシアが続ける。
予想外に投げかけられた直球の愛の言葉と、想いの込められた贈り物とが、彼女を心底動揺させていた。
「…ふふ。本当にお花がお好きなのですね」
ユリウスが微笑みながら言うと、アナスタシアは、恥ずかしそうに頷いた。
「うん……」
「どれほど上等な花屋の花であれ、皇宮で日々栽培される花を上回りはしないでしょうから、てっきり見劣りするかと。盲点でございました」
「どちらも質はいいのだろうが、なんというか……。想いを込めて贈られる花束は、また特別なんだ。……いいものだ」
「左様でございますか。アナスタシア様が喜んでくださるのなら、私は毎日でも花束をお贈りしたいです」
「ありがとう。だが、それは止しておいてくれ。あまり多いと飾りきれなくなるし、粗末にしたら花卉農家に悪いし、……それに、有り難みが薄れてしまうと、勿体ないから」
「承知しました」
ユリウスは、にっこり微笑んで頷き、右手を胸に当てて一礼して、御意を伝えた。
彼らがアナスタシアの居室に戻ると、部屋の中は、同じ大輪の赤バラで隅々まで飾られており、アナスタシアと侍女たちは再び驚かされた。
これもまたユリウスの贈り物と種明かしされ、彼女たちは各々驚きを分かち合う。
ふと、アナスタシアは、レオン・ディートリヒから貰った花が無くなっていることに気付き、「しまった」と内心で思った。
それが枯れるまで片付けないようにと、指示を出すことを失念していたのである。
今日清掃を担当したメイドに花の行方を確認しようかと一瞬考えるも、その考えをすぐに捨てた。
『皇女殿下が特別にとっておきたい花を廃棄してしまった』などと知らせれば、担当したメイドは解雇や処罰を恐れ、肝を冷やしてしまうだろう。
「……アナスタシア様? どうかされましたか?」
しぶい顔をしていたアナスタシアに、ユリウスが心配そうな声をかける。
アナスタシアは、すぐに笑みを浮かべ、ユリウスに「なんでもない」と首を振って応じた。
***
――時は戻り、現在。書類上の結婚を遂げたアナスタシアとユリウスは、夫婦となった自覚をいまひとつ持てないまま、これまで同様の二人の時間を過ごしていた。
数日ののち、帝国宰相アーベントロートから面会の申し入れがあり、結婚が無事承認されたことと、いくつかの今後の予定について、二人は情報共有された。
一つ、結婚に伴い、アナスタシア・ユリウス両名の居室が変更となること。元々皇太子夫妻用の各居室であった場所が改装され、それが二人それぞれの新たな居室となる。およそ二週間後に設計デザイナーが聞き取りにやってくるので、カタログを参考に、改装での希望を固めておいてほしいとの由。
二つ、二人の結婚式および披露宴は、2年後の18歳時点開催予定となること。次期皇帝の結婚式ともなれば、諸外国の王侯貴族も招待する国際イベントであるので、格式と威厳あるものとするべく色々と準備を進めることになるので、両者心構えをしておくこと。
結婚を早めた表向きの理由(として推測されるであろう事柄)についてアナスタシアが苦言を呈すると、アーベントロートは「どうせ近いうち真実になるでしょう」と応じた。
アナスタシアは否定できず、顔を赤らめて押し黙った。代わりに、アーベントロートはユリウスの方を見て、「ですが、事を急ぎませぬように」と注意した。
ユリウスは頷いて応じた。
***
「――先日のピクニックでの一件から、なんと目まぐるしいことか」
居室のソファで、いつものようにユリウスの膝上に座り、彼の胸と腕に包まれたまま、アナスタシアはぼやいた。
もはや、この状況に違和感を持つ者は、この部屋の中に残っていない。
「そうでございますね」
ユリウスは嬉しそうに笑い、言葉の上ではアナスタシアに同調した。
この状況に彼が喜んでいることは、誰の目にも明らかであった。
「……別に嫌なわけじゃない。嫌なわけじゃないんだが、心が追いつかないよ」
「ええ、承知しております。どうぞ、アナスタシア様の良きペースでお進みください。私も、あなた様に合わせて歩みますから」
「ん……。感謝する」
「とんでもございません」
ふと、アナスタシアは、何かに思い至ったように目をぱちくりさせた。それから、困ったように眉を寄せる。
その様子を見て、ユリウスは不思議そうに首を少し傾げた。
「どうかされましたか?」
「……伝えていない」
「何を? …どなたに?」
「例の……、その、愛人にと一度考えた…例の彼に、『気持ちに応えられない』と伝えていない…と、思って……」
おそるおそる、といった様子でアナスタシアがユリウスに伝えると、心なしか部屋の温度が数度下がる。
「……そうですか。手紙を送られては?」
「いや、それはいかん。向こうは、勇気を出して直接言ってくれたのだ。妾には出せなかった勇気を出して。なのにこちらは紙一枚でお断りでは、誠意に悖る。
断るにしても、きちんと対面、口頭で、だ。それは譲れない」
アナスタシアが、真剣な眼差しでユリウスを見つめ、そう言う。
ユリウスは、美しいサファイア・ブルーの瞳としばし見つめ合い、やがて、深く溜め息をついた。
「……立ち会わせていただけますか?」
「わかっている、構わない。ただ、妾は平民という設定ゆえ、一緒に変装してもらいたい」
「わかりました」
こうして、アナスタシア――もとい、アンナ・シュタルクとレオン・ディートリヒとの再会が計画された。
それがレオンにどんな災いをもたらすのか、アナスタシアには知る由もないままに――。
ヤンデレ男はまだガンには効かないがそのうち効くようになる。
地の文は元々第三者視点カメラ派なので、今回すごく書きやすかったです。
令嬢ロマンス作品は一人称視点カメラが多い印象があり、がんばって書いてきましたが、上手く使い分けようとすれば出来なくもなさそうですので、今後は第三者視点カメラな描写も入れていこうと思います。
アナスタシアの美貌で発狂する効果は、幻影ごしには作用しないと分かっているため、ブロマイドのアナスタシアは目隠しせず素顔を晒しています。




