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目隠し皇女は、許嫁の愛が重すぎることにまだ気づいていない。アナスタシア皇女伝  作者: 佐藤みさき
第一部 第三章

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結婚してしまった

「イチから…、ですか」


 ()(けん)(しわ)を寄せたアーベントロートが、「おかしなことを」と言わんばかりの態度で聞き返してくる。


 いや、(わらわ)はおかしくない。(わらわ)たちの(けつ)(こん)は、(たが)いに20歳のとき、つまり4年後を予定している。なぜ“多少”なりとも急いで今、(けつ)(こん)(けい)(やく)(しよ)にサインする必要があるのか。


(いま)(さら)、ご(けつ)(こん)(ため)()う理由があるので?」


 そしてまた、ユリウス本人の前でなんつう質問をしてくるのだ、きさまは。

 理由があっても言えないだろうが! ないけど!


「ない! ないが、予定では4年後であっただろう。急ぐ理由は何だ?」

「ここでは申し上げられません。後日、余計な耳のない場でご説明いたします」

「理由も分からぬのに、(けつ)(こん)(けい)(やく)(しよ)にサインしろと?」

「はい」


『はい』ではないが。


 (わらわ)の心情を知ってか知らずか、アーベントロートは(かた)をすくめて見せる。なんだ、その『やれやれ』みたいな顔。


「……実態に、書類上の()(さい)を合わせるだけです。(しん)(しつ)におふたりきりで数時間()ごし、ここ数週間は日中べったり密着されている。(すで)に、下手な(ふう)()よりも、よほど(ふう)()らしくしておいででしょう。

 まさか、まだ(こん)(やく)中の単なる独身者のおつもりで?」


 うっ。そ、そう言われると…確かに……。

 アーベントロートの(ろん)()されつつも、(わらわ)は、せめてもの(てい)(こう)とばかりに、クリップボードで(はさ)まれた(けつ)(こん)(けい)(やく)(しよ)を指さした。


「…それにだ! こんな重要な書類を、(おく)(がい)で机もなしに書かせるやつがあるか。荷物の受け取りサインではあるまいし」

「それは、おふたりが庭に出ておいででしたから。それに(しん)は、荷受けサインのほうが、これより重要と考えます」


 なんでだ!

 いや、聞いても仕方がない。()(やつ)には所々、こうした独自の価値観がある。


 ――よし。ベレークテス・ブロートも無くなったところだ。この()(すい)者の(さい)(しよう)と《(せい)(ひつ)の間》にでも行って、話を聞いてやるとしよう。ユリウスと(いつ)(しよ)に。

 楽しいピクニックは終わりだ、まったく。


 そう心に決めて目をあげたとき、二人の補佐官たちが、(さい)(しよう)に向かって口々に声を上げはじめた。


「「だから言ったじゃないですか!」」


「皇女殿(でん)()、我々は(さい)(しよう)閣下をお止めしたのです!」

「ええ!『ご(れん)(らく)を差し上げ、明日にでも《(せい)(ひつ)の間》で事情をお伝えしましょう』と」

「いえ、『ピクニックを終えて(もど)られるのを待ち、区切りのよいタイミングで声をおかけしましょう』と」


 どうやら、アーベントロートの部下たちは、(かれ)らの上司よりデリカシーを身につけているらしい。

 だがその上司は、(めん)(どう)くさそうに部下たちへ目線を流す。


「それでは、皇太子夫妻の元両居室の改装手配が、今日の定時に間に合わぬ」


 それが理由か。


「ご(けつ)(こん)(ため)()う理由はなく、実態もこの通り。(けい)(やく)(しよ)に目を通して一筆名前を書いて頂くだけなら、3分と()からぬ。ピクニックの合間で十分ではないか」

「もうちょっと十代の(おと)()(ごころ)()()ってくださいよ!」

「そうです! 一生に一度の(けつ)(こん)を決断するんですから!」

「? 一度とは限らぬであろう」

「「やめてくださいよ!!」」


 アーベントロートが補佐官にくだけた話し方をされる姿を初めて見たが、なかなかに(えん)(りよ)のないやり取りだ。意外にも、アーベントロートは(さい)(しよう)府で独裁政権を()いていないらしい。


 部下たちにやいやい言われている(さい)(しよう)から目線を外し、ユリウスの様子を見ようと()(かえ)る。

 ユリウスは、(さい)(しよう)補佐官の一人がレジャーシートに置いた(ぼん)の上から羽根ペンを取り上げ、『よろしければ先にサインしましょうか?』という顔でこちらを見ていた。


 (わらわ)は首を()り、「屋内の机で書こう」と小声で耳打ちする。ユリウスは()(がお)(うなず)き、そっと羽根ペンを(ぼん)(もど)した。


 それからしばらく、部下たちから責められるアーベントロートを(なが)めた。


 (かれ)が責められる姿は(もの)(めずら)しくて(おも)(しろ)く、ピクニックを中断させられた不満を(やわ)らげた。


***


 ピクニックを中断した(わらわ)たちは、アーベントロートの呼んだ使用人らに後片付けを任せ、全員で建物へ(もど)った。行き先は、やはり《(せい)(ひつ)の間》である。


 ()(じよ)たちは例の如く部屋の外で待機とされ、(わらわ)とユリウス、それとアーベントロートと補佐官たちが中に入った。

 さきほどの会話から察するに、補佐官たちは(すで)に事情を()(あく)しているのだろう。


 着席を(うなが)された先は、いつものソファではなく、机のそばに置かれた()()。書き物をするのにちょうどよい座高、天板高さである。


 まず(わらわ)が着席し、その(となり)()()にユリウスが着席すると、アーベントロートは、我々の正面に(じん)()った。

 補佐官たちが(さき)(ほど)とは一転、(しゆく)(しゆく)(うやうや)しく、(わらわ)の前に(けつ)(こん)(けい)(やく)(しよ)と羽根ペンとインク(びん)を置く。それから、アーベントロートの後ろにピシリと姿勢を正して立った。


「それで、」


 (わらわ)は口火を切った。


「4年後の予定を、なぜ急ぐ必要が?」

「いくつか、問題が起こりまして」

「問題?」

「ええ。アーデルシュタイン(こう)(しやく)に関し」

「ユリウスに…? 暴走事故についてか? (こん)(やく)を解消するほどの()()とは思えんが」


 ()(ほう)暴走を起こすことは()けるべきだが、()(りよく)を多く持つ者――つまり、(おう)(こう)貴族すべてが起こしうるものである。

 暴走を起こした人間を()()に批判すれば、次の日、自身なり一族の者なりがそっくりそのまま同じ非難を受ける()()()うかもしれない。


 死人を多く出しでもしていれば、また話が(ちが)ってきたかもしれないが、ユリウスの件で人的()(がい)はほぼ無いのだ。

 (けつ)(こん)を反対される理由にはならないと思う。


「まあ、全く無関係とは言えませぬが、それだけが理由ではございません。

 重要なのは、問題がなんであれ、“大公派”が()()()()くる(すき)になりうること」


「大公派?」

「お忘れですか。まあ、(ずい)(ぶん)前から虫の息で、存在感はございませんが」

「いや、忘れてはいない。まだ(あきら)めていなかったのだな」

「ええ。(おう)(じよう)(ぎわ)の悪いことで」


 大公派とは、()が父マクシミリアンの弟、ルートヴィヒ・アルブレヒト・フォン・ライデンローゼ大公を、もしくはその(むす)()カール公子を次の(こう)(てい)()()(ばつ)である。


 ルードヴィヒ叔父(おじ)上やカール公子がどのくらい皇位(かく)(とく)に前向きかは不明だが、正統な血統があり、現(こう)(てい)は病で()せっており、()()ぎは皇女ひとりだけとあって、当初はそれなりに大きい()(ばつ)だったらしい。

 らしい、というのは、(わらわ)が6つか7つになる(ころ)にはすっかり弱体化していて、(ひと)(づて)にそう聞いただけなのだ。


「それと、……医局の報告によると、アーデルシュタイン(こう)には、今しばらく()(りよう)が必要です。少なくとも、1年か2年程度は」

「なに? どういうことだ」

「先だっての()(ほう)暴走以前に、(かれ)は…あー…ご病気を(かか)えておられることが、判明しました」

「なんだと…?」


 (となり)のユリウスに目線を向ける。(かれ)は、こまったように(まゆ)を寄せ、(ほほ)()むばかり。

 アーベントロートもユリウスも、病気について(くわ)しく説明するつもりはないらしい。


「家族でない相手には、少々共有しづらい病気です。…(じよう)(きよう)によっては、家族相手にすらも」


 アーベントロートの低い声が、正面から(わらわ)(くぎ)()す。

 (わらわ)は、(いささ)(なつ)(とく)いかないまま、前に目線を(もど)した。


 アーベントロートの手が()び、ずい、と、例の(けい)(やく)(しよ)(わらわ)に向かって()す。


(てい)()のタウンハウスには、(かれ)のご家族がおられず、北部の(ごつ)(かん)のご生家では、病気(りよう)(よう)に不向きです。このまま(こう)(きゆう)で長期的な()(りよう)(ほどこ)せるよう、(かれ)(せき)を皇室に加えてしまうのがよろしいかと」


「なるほどな……」


 どのような病かは気になるが、(てい)(こく)(さい)(しよう)(けつ)(こん)(すす)めている以上、()()ぎにかかわる病気ではなさそうだ。

 それにしても、先日の()()(そく)以外、ユリウスに具合が悪そうなところは無いのに、一体どういう病気なのだろう。


 ちら、と、またユリウスを見やる。書いてほしい、といった表情で、()(はく)(いろ)(ひとみ)を細めて(わらわ)を見つめていた。


 それから、アーベントロートにまた視線を(もど)す。無愛想で顔色の悪い(さい)(しよう)は、ユリウスよりよほど病人じみた顔つきをして、(わらわ)を正面から見定めている。


「教会も神父もなく、(きよう)(しゆく)ですが。(すこ)やかなるときも()めるときも、アーデルシュタイン(こう)(しやく)()()い、(かれ)(まも)ることを……(ちか)えますな? 殿(でん)()


 最後はやや(ちよう)(はつ)(てき)な口調で、アーベントロートが(わらわ)(たず)ねる。

 背後の補佐官たちは、「あちゃ~」という表情をあからさまに()かべ、一人は額に手を当てて(うな)()れていた。


 補佐官たちの()(づか)いは()(がた)いが、それでも、アーベントロートは(わらわ)を動かす術をよく心得ていた。


 (わらわ)は、力強く羽根ペンを取り上げ、先をインク(つぼ)(ひた)して余分を落とすと、迷い無く(けい)(やく)(しよ)(こう)(らん)に自分の名前を書き記した。


 アナスタシア・エルスティナ・フォン・グランツェルリヒ。


 一字一句(あやま)たず、(てい)(ねい)に、(おのれ)の名を書いた。


(ちか)う」


 (わらわ)は、アーベントロートの()(あつ)(てき)(まな)()しを真正面から受けて立ち、()()えて返しながらそう宣言した。

 すると、アーベントロートの目付きは(やわ)らぎ、(かれ)が満足げに小さく(うなず)く。


「ようございました」


 アーベントロートが、背後の補佐官らにまた合図を出す。

 (かれ)らは、あわてて(わらわ)たちの側に近づき、(けい)(やく)(しよ)と羽根ペンとインク(つぼ)の一式を回収して、今度はユリウスの前へと(てい)(ねい)に置いた。


 ユリウスは、(だれ)(うなが)されるでもなく、自ら(おつ)(らん)に名前を書き記した。


「お(たず)ねするまでもありませんな」


 その様子を見て、アーベントロートはそうコメントした。


 最後に、(けい)(やく)(しよ)と筆記用具がアーベントロートの前に置かれる。(かれ)は、我々のサインの(さら)に下にある、小さな証人(らん)に自身の名前を書き記した。


「これにて、(けい)(やく)(てい)(けつ)となります。皇女殿(でん)()、そして――ユリウス(こう)(はい)殿(でん)()。ご(けつ)(こん)、おめでとうございます」


 アーベントロートが、パチ、パチ、と、ゆったりとした(はく)(しゆ)を送る。補佐官たちも続いて、()(がお)()かべながらパチパチと(はく)(しゆ)をした。


 思っていた形と大分ちがう(けつ)(こん)となったが、あらためて賞賛されると、悪い気はせず、(わらわ)はユリウスに()(がお)で目をむけた。(かれ)もまた、(うれ)しそうに(ほほ)()んでこちらを見つめ返している。


「お時間を(たまわ)りまして、ありがとうございました。あとの手続きはこちらで済ませておきます。近々、おふたりの新しい居室や(しん)(しつ)について、デザイナーを()()します。ご希望があれば、そちらに。(けつ)(こん)(しき)()(ろう)(えん)につきましては、また後日()めましょう。では失礼」


 そう言うと、アーベントロートはさっさと立ち上がり、補佐官(たち)は文書と道具を(すみ)やかに回収した。相変わらずの仕事中毒ぶりである。


 (わらわ)たちも立ち上がり、アーベントロートたちに続いて部屋を出ようとした。

 すると、アーベントロートがふと立ち止まった。


「ああ、そうそう」


 (かれ)()(かえ)り、(わらわ)と目が合う。


(こう)(はい)殿(でん)()のご病気や()(りよう)の件について、表向きは秘密とし、健康に問題ないという(てい)でご(けつ)(こん)を発表いたします。よろしいですな?」


「あ、ああ。それでよい」

「承知しました」


 アーベントロートは、右手を胸にあて、(うやうや)しく一礼を返す。

 それから、(かれ)と補佐官たちがようやく退室した。


***


 夜、(しん)(しつ)に向かうユリウスを見送った後、居室で(わらわ)()(じよ)たちとだけとなり、(わらわ)は大きく()(いき)をついた。


 (けつ)(こん)してしまった。

 ウェディングドレスを着ず、神父の前で(ちか)いを立てるでもなく、(けい)(やく)(しよ)一枚にサインして。


 まだ、ユリウスと(ふう)()になった実感が()かない。

 (しん)(しつ)が続き戸の(ふう)()部屋に移るのもこれからであるし、そんなものだろうか。


 ()()(たく)をしながら、(しん)(らい)する()(じよ)たちに事情をかいつまんで話す。

 書類上ユリウスと(けつ)(こん)したこと。表向き秘密だが、(かれ)は病気を(わずら)っているらしいこと。その()(りよう)には、最低でも1年2年は時間が必要で、(こう)(きゆう)で引き続き()(りよう)するため、(せき)を入れてしまうのが都合がよかったこと。


「あら。そうしますと、ご(けつ)(こん)を早めた表向きの理由は『(ひめ)(さま)がご(かい)(にん)された』ことになるのでしょうか」


「は???」


 マルグリットの言葉に、(わらわ)は間の()けた声をあげてしまった。

 (だれ)が、なんだって?


 マルグリットは、平然と続ける。


「だって、そうでございましょう? (こう)(はい)殿(でん)()のご体調の件は秘密で、(ひめ)(さま)(こう)(はい)殿(でん)()の仲(むつ)まじさは(こう)(きゆう)中、いえ(てい)()中に知られておりますもの」


 ――――たし、かに、そうだ。

 (わらわ)は、顔がみるみる紅潮していくのを感じた。


 社会的に(てい)(そう)を失ったと思ったら、今度は社会的に(にん)()にされてしまった。


 アーベントロートの(やつ)め! 知っていて、わざと最後に何でもない風を(よそお)って(かく)(にん)したな!


「……この間は、本当に何もなかったんだ」


 不満を声に(にじ)ませて(わらわ)が言うと、レオノーラが(ほほ)()みながら応じた。


「まあ、(ひめ)(さま)。ご安心めされませ。かの(こう)(はい)殿(でん)()であれば、今に(うそ)を真にしてくださいますわ」


 そういうフォローが()しかったわけではないのだが、(わらわ)も、レオノーラの考えを否定しきれなかった。

エンダーーイアアアーー!!

アナスタシアとユリウス、結婚しました。

しかし、話はまだまだ続きます。この先もお付き合い頂ければ幸いです。


Q: なぜアーベントロートは荷受けサインの方が重要だと思っているの?

A: 交際期間を経た結婚相手は間違えようがないけど、荷物を受け渡す相手は間違える可能性があるから。

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