いい日和だな
ユリウスが皇宮に滞在しはじめてから、三週間ほど経過した。
相変わらず彼の不安は強いようで、妾が彼の膝上で過ごす時間も未だ長い。
ユリウスの顔色が化粧のせいで分かりにくい件については、医務官・検査官の診察の際には素顔を見せているとのことであったので、良しとした。
妾もユリウスの経過が気になりはするものの、中には、彼が妾に伝えたくない情報もあろう。専門家に任せるべきだな。
「妾がおらぬとき、まだ、寒さを感じるか?」
妾の居室でユリウスの膝上に座り、彼の顔を右手の甲で撫でながら尋ねた。
ユリウスは、ふるふると緩やかに首を左右に振って応じる。
「魔法検査官どのの提案で、魔力を常に抜いておくようにしています。それからは、寒くなくなりました」
「それはよかった。…それにしても、早く言ってくれればよかったのに」
「すみません…」
ユリウスの寒さと、生者ばなれした低体温の原因は、妾の見立て通り『固有魔法暴走の可能性が高い』と報告された。
妾が社会的に貞操を捨てた甲斐もあったというものだ。
ならば、どこの王侯貴族の寝室にでもある一般的な魔力供出パネルを使って、自分の魔力をすっかり抜いてしまえば、症状を抑えられる。
代わりに一切の魔法を使えなくなる不便はあるが、日常生活は魔法なしでも十分に送れるはずだ。
そもそも、人類の殆どは、自前の魔力だけで魔法を使えない。人々は皆、王侯貴族が供出した魔力や、魔力泉から得られた魔力を魔導具に流し、生活に利用している。
ユリウスのように落ち着いた人物が、固有魔法の抑えを効かせられていない、という点が懸念ではある。だがそれも、まだ彼の心が癒えていないためだろう。
帝国の貴族、および魔力量が多いと認められた平民は、みな一様に“固有魔法暴走防止教育”を施されている。その中で、魔力の操作を学び、心を落ち着ける手法を知り、暴走を防ぐ術を学ぶのだ。
それでも完全に魔法暴走を防ぐことは難しく、例年、暴走事故は大小さまざまに起こり続けている。人の心とは、本人すらも自由にならぬものであり、乱れた心は魔力を乱し、魔法暴走につながってしまうためだ。
ユリウスの寒さなど、妙に自罰的な魔法暴走をしていることも気になる。
ユリウスが暴走を抑えられるようにするためにも、妾はいっそう、彼を癒やすことに力を入れた方が良いだろう。
「近頃は眠れているのか?」
「ええ」
「本当か?」
「眠れています。医務官どのに確認いただければ、同じ回答があるはずです」
「ふむ…。それもそうだな。そなたからすれば、代わる代わる同じ質問に答えさせていることになるか。すまぬ」
「いいえ。アナスタシア様のお心遣いに感謝しております」
「そうか」
そんな話をしていると、部屋に従僕が訪ねてきた。妾の頼んでおいた食材が到着したと、侍女のレオノーラが教えてくれる。
「よし。移動するぞ、ユリウス。ついて参れ」
「はっ。どちらに?」
ユリウスの腕が緩み、立ち上がった妾を見上げてユリウスが問いかける。
「厨房だ!」
***
妾たちが向かった先の“厨房”とは、皇宮の料理人たちが働く厨房ではなく、妾専用に造られた厨房である。
王侯貴族が趣味で使う想定のもので、実務厨房よりも内装が豪奢で美しく、乳白色を基調とした、磨き上げられた石材と整った漆喰・高級木材の家具類から成る。
使用人が使う実務厨房には、高貴な身分の者が立ち入ってはならない。品格を損ねるという理由だけでなく、使用人に迷惑がかかるからだ。
ならば、と、妾の為の別厨房を造らせ、ここで料理の実験をすることにしたのである。
使用頻度が少ないため、日持ちしない調味料や食材はここに置かず、料理する際に都度仕入れさせたり、皇宮食料庫から融通してもらったりしている。
妾たちが到着する頃には、頼んでおいた食材が作業台テーブルに並べられていた。
料理とは、身分によらず身近な存在でありながら、科学実験のごとく奥深い。同じ料理でも、調味料や素材、工程ひとつで千差万別な変化を見せる。
妾の趣味のうち、皇宮の皆も『色々な意味で比較的安全』だと見逃してくれる、貴重なものでもあった。
妾が、近くの小型クローゼットからエプロンを取り出し、さっと身に纏う姿を見て、ユリウスは目を丸くした。
「アナスタシア様御自ら、料理をなさるのですか?」
「うむ! まあ、見ておれ。妾の手さばきは、料理長のお墨付きだ」
まずは、袖をまくり、流しで両手をよく洗う。石けんをよく泡立て、指の隙間までしっかりと。
次に、イングリーズ王国風の柔らか角パンの塊をまな板に載せ、波刃のパン切り包丁で薄切りにしていく。グランツェルリヒ伝統の硬いパンは今回のレシピに向かないので、異国風パンを扱う店から仕入れさせたものだ。
パンに焦げ目を入れるため、オーブンに火を入れて余熱する。
オーブンを温めながら、次の食材を準備。レタスを1枚1枚に分けて水洗いし、トマトはヘタをとってよく洗う。
「そういえばユリウス、そなた、苦手な食べ物はあるか?」
流しに目を向けたまま、ユリウスに話しかける。
「…キノコの食感が、少々苦手です」
「了解した」
生食可能なツクリタケも、刻んで入れれば良いアクセントになるが、今回は除外しよう。
ちらりと目を向けると、ユリウスは、侍女マルグリットに勧められた丸椅子に姿勢良く腰掛け、調理に励む妾をしげしげと見守っていた。
洗ったレタスを程よい大きさに千切り、トマトは輪切りにする。タマネギは半月切りにして、水にさらしておく。
野菜を切ったら、次は肉類だ。皮付きの鶏胸肉を薄く切り分けたら、フライパンで焼く。異国の調味料2つ、料理酒と砂糖をさっと混ぜ合わせて特製ソースを作り、肉の上に垂らしていく。
ジュワワ、と音が鳴り、美味しそうな匂いが立ちこめた。
このあたりでオーブンの余熱が終わり、魔導具のブザー音が響く。ミトンを装着して、オーブンの扉を開き、中のトレイを取り出したら、先ほど薄切りしたパンを並べる。
熱が逃げてしまう前にパンを中に入れ、オーブンの蓋を閉めた。焼くのはほんの数分で、焦げ目が少しつく程度にする。
パンが焼けたら、取り出してよける。肉が焼けたら、それも取り出してよける。
パンの第二陣、肉の第二陣も、それぞれ続けて焼いていく。
すべて出そろったら、パンの上にバターと特製ソースを塗りつけ、野菜と肉とを並べ置く。その上に、おなじくバターとソースを塗った、別のパンを載せて挟む。
それを、対角線部分を空け、蜜蝋布で包む。溶かした蜜蝋で全体を浸した蜜蝋布は、人肌の熱で変形可能な硬化物質となり、食器のように扱えるのだ。
対角線に沿って、生肉を切ったものとは別の包丁で、具材を挟んだパン――ベレークテス・ブロートを切る。イングリーズ王国風に言うと、サンドイッチと呼ばれることもある料理だ。
切り口は綺麗に決まり、中の野菜と肉が美味しそうに覗いた。
それを見て、妾は満足して頷き、次のパンに取りかかる。練習の甲斐あって、鶏肉野菜サンドはどれも美味しそうに仕上がった。
次に、卵フィリングや半熟卵をメインに入れたサンドも作る。こちらも出来は上々で、特に半熟卵のサンドは、ほどよく固まった卵の黄身が断面に覗く、食欲をそそる一品に仕上がった。
「よし! できたぞ」
できあがったベレークテス・ブロートを、ずらりと並べて作業台テーブルの大皿の上に置く。どれも具だくさんで、数も多く、なかなか壮観である。
昼を過ぎているので、腹がすいてきた。
ユリウスや侍女たちも同じであるようで、彼らは、今にも涎を垂らしそうな顔をしている。
妾は、エプロンを外しながら彼らに告げた。
「今日は天気が良いし、外で食べよう。多めに作ったから、レオノーラ達も後で食べて良い」
「やった! 姫様のベレークテス・ブロート、美味しいから大好きです」
侍女ユリエッタが嬉しそうな声をあげる。
そう言って貰えると、こちらも研究した甲斐があるというものだ。
「ええ、とても美味しそうです。…しかし何故、アナスタシア様御自ら、ベレークテス・ブロートを?」
ユリウスが近づいてきて、妾にそう尋ねる。
「昔、そなたに好きな食べ物を聞いたとき、『カトラリーを使わずに食べられるものが好き』だと言っていたのでな。
ならばベレークテス・ブロートが良いだろうと思い、美味いレシピを追求した結果、妾が帝都一番の作り手となっていたのだよ」
初めのうちは、美味いレシピを探し当てるだけで、調理自体は料理人に任せるつもりであった。
だが、帝都中のカッフェーやパン屋のレシピをかき集め、それぞれ一長一短のある其れ等を組み合わせて試行錯誤するために、妾専用の厨房が出来上がり、さらには妾自身が皇宮料理長よりも上手く作れるようになってしまったのである。
「わ、私の、ために……?」
ユリウスの琥珀色の目が潤んで波立つ。妾は頷いた。
「そうだとも」
ユリウスは、感極まった様子で顔を手で覆った。覗いた目から、ぽろりと涙が一筋おちる。
「…うれしい、です。ありがとうございます、アナスタシア様」
「ふふ。まだ礼を言うのは早いぞ。食べて美味かったら、そのときに礼を言ってくれ」
「いいえ、美味しいに決まっておりますっ…!」
数々の試作を侍従らに食べさせ、「美味しい」と忖度無しの評価を得たものなので、自信はある。
なので、ユリウスの言葉に頷いて応じた。
***
作りたてのベレークテス・ブロートを沢山と、紅茶を詰めた保温水筒とをバスケットに詰め、妾たちは皇宮の庭に出た。
目的地は建物のすぐ近く、妾のお気に入りの、草原に立つ木の下である。
そこで、侍女たちにレジャーシートを敷いてもらい、ユリウスと二人で隣り合って腰掛ける。
バスケットの蓋をあけると、ユリウスは、待ちきれないとばかりにベレークテス・ブロートをひとつ取り上げた。蜜蝋布で包んであるので、手を汚さずに持てる。
「いただきます」
ユリウスが大きく口を開け、ベレークテス・ブロートにかぶりつく。もぐもぐと頬張るうちに、彼は嬉しそうに目を細めた。
「とても美味しいです」
「そうか、そうか」
料理というのは、中々いいものだ。存外に難しいところや面倒もあるが、こうして喜んで食べてくれる相手を見ると、また頑張って作ろうと思える。
皇宮の料理人たちも、こうした部分でやり甲斐を得ているのだろう。
妾もサンドをひとつ取り出し、ぱくりと口にする。
うむ、いつも通り美味い。今回も上出来である。
ベレークテス・ブロートは、基本的にはパンで具材を挟めば出来る料理だ。うんと粗末で味気なく作ることもできるし、上級貴族をも唸らせる高級品に仕上げることもできる。
“最高”を追求してみると、たかがベレークテス・ブロート、されどベレークテス・ブロート。中々に奥深い料理であった。
「本当にありがとうございます、アナスタシア様」
「ふふ、よいよい。そなたの笑顔が見られただけで、妾も手間をかけた甲斐がある」
「うれしいです、本当に…本当に」
そのように何度も頭を下げつつも、ユリウスは夢中で食べ続けた。
ひとつめがあっという間に彼の胃袋に消え、もうひとつ、またひとつと次々に消え――――
――気付けば、バスケットは空になっていた。余らせるつもりで、ざっと十人前作って詰め込んだのだが。
侍従に差し入れる分が無くなってしまった。男子の胃袋、おそるべし。
背後でユリエッタが悲しんでいる気配を感じる。
次回は、あらかじめ除けておくことにしよう。
空のバスケットを見て、はた、と、ユリウスも気付いたようだった。
「す、すみません。食べ過ぎてしまいました…」
「い、いや。よいよ。妾も、若き男子の胃袋の容量を見誤った」
「すみません……」
「なに、次はもっと多く作るさ」
「ふふっ…ええ、是非。また食べさせてくださいますか?」
「勿論だとも」
妾たちは、互いに微笑みを交わし合った。
近頃いつも彼の膝上に座っているので、隣に座っている今は、彼の顔全体がよく見える。
今の彼の笑顔は、以前とどこか違う。影を感じるが、自然だ。どちらが心からの笑みかといえば、今の笑顔がそうと感じる。
以前も別に、無理して笑っていたわけではないと思う。が、どことなくぎこちない印象であった。
多分ユリウスも、我が友人ドラッヘンフェルト公爵令嬢レオネッタのように、鏡の前で見映えのいい笑顔を練習したのだろう。ちょうど、レオネッタの夜会用と身内用との笑顔の違いに近いものを感じる。
彼が作り笑いをしないで良いと思ってくれるようになったのは、いいことだ。
妾たちは夫婦になるのだから、互いに気を許せる方がよい。
「…紅茶のおかわりを飲むだろう? 紅茶一杯でこんなに沢山、よく喉を詰まらせず飲み込めたものだ」
「はい、いただきます。…あ、私がお注ぎいたします」
「む。…わかった、頼む」
妾が手にとりかけた水筒を、ユリウスの手が取り上げる。
彼の手が丁寧に水筒を傾け、妾のティーカップ、ユリウスのティーカップと順に中身を注いだ。
注がれたカップのソーサーを取り上げ、取っ手をつまんで、中身を飲む。
魔導具の保温水筒に入っていた紅茶は、淹れ立ての温度のまま熱い。
心地の良い風が吹いた。
サアア、と小気味のよい音を立てて芝生を鳴らし、頭上の木の枝を擦れさせ、通り過ぎる。
「いい日和だな」
「ええ。そうでございますね」
妾たちが互いに見つめ合う。
なんだか、むずがゆい空気になった。
「アナスタシア様……」
ユリウスが目を細め、妾を見つめる。
彼の美貌は相変わらずで、初めて出会った頃から陰るどころか益々輝いて見えた。
「皇女殿下」
そのとき、聞き慣れた低い声が響いた。声の主を見れば、建物の側から、黒いシルエットが3つやってきている。
中でも一際背が高く、病的に細いもの――帝国宰相アーベントロート卿がその中心にいて、他二人の宰相補佐官を率いていた。
「――アーベントロート、先触れも無しに何用だ。よほど急ぎの用件らしいな」
数秒前までここにあった甘い空気を壊され、少し尖った声で妾は尋ねた。
後ろに控えていた侍女たちに至っては、あからさまに迷惑そうに表情を歪め、宰相府の行政官らを見つめ返している。
「ええ、まあ。多少」
彼らがレジャーシートの近くまで辿り着き、アーベントロートが妾を見下ろす。彼が日光を遮り、妾とユリウスの上に影を落とした。
普通の臣下であれば、座っている妾を見て、膝を折るくらいはするものだが、そういう行動を無駄と断じてやらないのが、此奴のこまったところである。
というか、この状況によく割り込んで来られるな。妾なら、目下の相手でも躊躇うぞ。
まあ、此奴相手に言っても仕方あるまい。
「多少、ね。手短に申せ」
「承知しました。では、手短に」
彼が顎で補佐官たちに合図を送る。それを受けた補佐官たちは、それぞれ、なにか一枚の書類を挟んだクリップボードと、インクと羽根ペンを載せた盆とを差し出してきた。
なにやら、署名が必要な文書であるらしい。
「こちらに、皇女殿下とアーデルシュタイン候との、おふたりの署名を頂きたく」
「うん? 妾たち二人の、だと?」
「はい」
淡々と話すアーベントロートの声を受け、頭に疑問符を浮かべながらも、妾は書類をボードごと手に取った。
結婚契約書。
甲は乙を配偶者と認め、かくかくしかじか。乙は甲を配偶者と認め、皇室の新たな一員としての義務を果たしつつ、かくかくしかじか。
最下部には、二人分の署名欄。
「署名を頂けましたら、あとはこちらで諸々の準備と手続きを済ませておきます」
「ふむ。なるほど……」
妾は、書面から目を上げ、立ったままのアーベントロートを見つめ返した。
「やっぱり、イチから丁寧に説明してもらえるか?」
妾がそう言うと、アーベントロートは、さも面倒なことを言われたかのように眉を寄せ、「はあ……」と首をかしげながら答えた。
☆ツッコミ不在――――!
特製ソースの組成は しょうゆ+みりん+酒+砂糖、つまり照り焼きのタレです。
ドイツパンはフランスパンよりも硬いそうで、塊で釘を打つショート動画まであります(?)




