そんな口はふさぐ
翌日、ユリウスは余程よく眠れたのか、昼を過ぎてもまだ眠っていたらしい。
水差しの水や置かれた食事は減っていたらしく、途中で起きて飲食したと思われる。そして、すぐに寝直したようだった。
化粧をするほど身ぎれいにするユリウスのことだ。眠気でボンヤリしている最中、妾に訪問されるのは迷惑であろう。
彼がゆっくり休めるよう、十分な休息と食事をとるようにと書いたメッセージカードを用意し、ユリウスの身の回りを担当する侍従に届けさせた。これを、食事などに添えて渡しておいてもらう。
今朝はユリウスの訪問がなかったので、いつも通り一人で朝食とトレーニングを済ませ、予定を変えて執務室に赴くことにした。
昨日、ユリウスに会うのでスカートドレスを着ていたが、今日はいつもの男装服を着た。平服として愛用している、オーバースカートやレースを足した特注品であり、これはこれで十分かわいらしい。
しかし、意中の男には少しでも『可愛い』と思われたいのが、乙女心というもの。
ユリウスに会うときは極力、スカートドレスのほうを着るようにしていた。
***
帝国原産の、ダークブラウンの楢材で造られた両開きの扉が開かれると、中では、我が補佐官たちが既に出席している姿が見て取れた。
補佐官たちは、妾の入室に先立って立ち上がり、右手を胸に当てて敬礼していた。
左手には、濃い茶髪の女性――セリーヌ・フォン・ヴァルモンド補佐官がおり、右手には、淡い金髪の男性――コンラート・フォン・マイリンク補佐官がいる。
彼らの執務机は向かい合うように置かれていて、それらの奥で窓を背にしているのが、妾の執務机だ。
「おはよう」
「「おはようございます、皇女殿下」」
挨拶を交わしながら、妾は手を振って敬礼を解くよう指示する。補佐官たちは、慣れた様子でそれに従い、それぞれ着席した。
「欠席のご予定と伺っておりましたが、何かございましたか?」
目線は自身のモニターに向けて仕事しながら、ヴァルモンドが尋ねてくる。
「うむ。しばらくは我が婚約者の為に時間を取るつもりだったのだが、どうも、報告で聞いていたより彼の容態が悪くてな。とくに寝不足が酷いようだったので、昨晩、睡眠薬などを飲ませて寝かしつけた。
今朝もよく寝ているようだったから、今のうちに仕事を片付けようと思ってな……」
「そうでしたか。了解しました」
妾のコンピュータ上でタスクを並べ、6つのモニターへ展開していく。
内容に目を通し、やるべきことを判断して、指示や文書をまとめて関係部門へ送る。
西部港湾都市ヴァルトハーフェンからの入港税一時免除要請――理由は嵐による船舶滞留――承認。免除期間三十日、対象は登録商船のみ、治安部門と情報共有すること。
南部穀倉地帯ミュールフェルト――農具の更新補助申請――規模に対して申請額の高さが少々気になるな――却下。金額の根拠を求める。
帝都近郊で下水管の圧力異常――妙だな、緊急を要する事態か?――即時点検を指示。
届いていた魔素子メッセージ文書に次々目を通し、必要な指示を送るべくキーボードを叩けば、心地よいキーの感触が指に伝わり、連続した軽やかなタイピング音が響く。
「そんなに急がなくても大丈夫ですよ」
マイリンクがそう言って、肩をすくめながら妾を見た。
配属当初こそ、突然の大抜擢に怯え緊張し通しだった彼も、今ではすっかり慣れたものだ。『共に仕事する仲なのだから、公の場でないときに畏まる必要はない』と妾が言ったのを、近頃は実践できている。
「そうか?」
「ええ。だって、殿下の初・枢密会議ご出席の余波で、まだ大臣たちと各部署がヒイヒイいってるって聞きますもん。もう1・2ヶ月くらい、アーデルシュタイン候とイチャイチャ蜜月を過ごして頂いて大丈夫ですよ」
「イチャイチャ蜜月て。いくらなんでも、それは長すぎないか?」
「いーや。絶対、それくらいが丁度いいです。あなた様は、ご自身の処理速度のエグさがわかっておられない。
ボクは確かに凡庸で、本来であれば、次期皇帝たる皇女殿下の補佐官に抜擢されていい人間ではありませんけれども、凡人ってのは多数派なんです。皇宮の中だって、例外ではないはずですよ」
「むう……」
そうはいっても、ようやく公務を許された以上、やりたいことは沢山あるのだが。
幼い頃より書きためてきた公共事業などのアイデアは、いまや千二百件ほどに及び、魔素子の文書データとして皇宮行政サーバーコンピュータ内に格納してある。
もちろん、過去の事例や統計を参照し、現役の行政官をして『書式や内容に問題なし、このまま検討のため会議に出せる』と確認させたものだ。
皇宮各所でのバラバラな評価基準を一つに統合し、8つほどの指標を元に評価して、優先度順にソートも済ませてある。国家統治において、物事の優先順位は常に考えるべきことだからな。
最高政策会議《帝国枢密会議》に初めて出席を許されたときは、いきなり新規の提案を持ち込むのは出しゃばりすぎだろうと考え、まずは様子見するつもりだった。
根回し…というものも必要だと聞いている。本格的に提案するのは、先達の仕事を見てからでも遅くない。
次期皇帝として、現皇帝代理たる母上と並んで座り、各部門の最高責任者たる大臣たちとの会議だ。宰相アーベントロートも、勿論その場に居た。なかなかの緊張感であったな。
すると、それぞれの大臣たちの提案が、どれもこれも妾が検討済みで、計画書をまとめてあるものばかりであった。
素晴らしい! 妾は、大喜びで賛成の意を述べるとともに、こんなこともあろうかと共有アクセス領域に置いておいた、妾の書きためた政策企画文書の何番を参照せよと伝え、概要から具体計画まで記載した文書を皆に見てもらった。
なぜか大臣たちの顔が青くなった。
妾、なにか不味いことをしてしまったのだろうか……。
思わず母上とアーベントロートに視線を送ると、二人とも黙って首を振る。
二人とも、何に対して否定しているのだ…?
それから、妾の企画文書を精査する時間を設けるとして、その提案は判断保留となった。その次も、そのまた次の提案も、だいたい同じ流れで保留となる。
それ以来、枢密会議への出席はしばらく延期するよう言われ、参加させてもらえていない。
一応、妾が問題を起こしていたわけではないと、母上もアーベントロートも言っていたのだが……。
「それに、アーデルシュタイン侯爵が殿下を必要としているのなら、尚のこと侯爵に時間を使ったほうがいいと思いますよ。『仕事と私、どっちが大切なのよ!』じゃないですけれど、いざって時の優先順位を間違えるな、っていうのが、ボクの父の口癖なんです」
「そうだな……。確かに、お前の言う通りかもしれん」
妾は頷いて応じた。
とりあえず今は、ユリウスが妾を呼びたがる等あれば連絡を、と侍従長に魔素子メッセージを入れておく。呼びかけがあるまでは、引き続き仕事をこなしておこう。
……と思ったのだが、呼び出しのないまま、午後1時過ぎには手元の仕事が片付いてしまった。
マイリンクの言う通り、急ぐ必要はないのかもしれない。
「妾は先に退席する。急ぎの連絡があれば通信端末で知らせるように」
いつもの言伝を言い置いて、妾は執務室を出た。
彼が訪問する、または妾を呼ぶかもしれなかったので、残りの時間をデイドレスに着替えて過ごすことにした。
いつでも対応できるよう、居室から出ず、小説の新刊をゆっくり読む。
しかしその日、ユリウスから呼び出されることはなかった。
報告によれば、午後に彼が目覚め、医務官と魔法検査官に診察と問診を受けたり、部屋で食事をとったりして過ごしたそうだ。
彼がきちんと療養していることを聞き、安堵するのと同時に、少しばかりの寂しさがチクリと胸を刺す。
明日は、こちらから少しだけでもユリウスを見舞わせてもらおう、と決めた。
ほんの数分でも会話できれば、この寂しさが慰められるかもしれない。
まさか翌日から、ユリウスと離れて過ごす時間がほぼ無くなり、逆に一人で過ごした時間を懐かしむ羽目になるとは、このときはついぞ知る由もなかった。
***
翌朝、妾が見舞う以前に、妾の部屋までユリウスが朝食の迎えにやってきた。
化粧も身なりも綺麗に整えられ、あの顔の傷も隠されており、彼の顔色を窺い知れない。
ただ、目つきは和らいでおり、十分な休養がとれた様子を見せていた。
「おはようございます、アナスタシア様」
「おはよう、ユリウス。具合はどうだ?」
「良好でございます」
「……本当か?」
彼の手をとって食堂に向かいつつも、どうも疑わしく感じてしまい、妾は訝しげに首をかしげる。
ユリウスは、こまったように微笑んで返した。
「療養が済むまでの間、化粧を控えてもらいたいのだが」
「それは……。傷が、露わになってしまいますので……」
そう言うと、ユリウスは、左目のあたりで左の人差し指を上下させる。化粧で覆い隠された下、指の軌跡が示したあたりには、縦型の傷跡が残っていた。
「人に見せたくないのか?」
「人といいますか、あなた様にお目にかけたくないのです」
「妾に? 何故だ?」
理由がわからず、妾はますます首をかしげてしまった。
一方、ユリウスは物憂げに目を伏せる。
「……あなた様が、綺麗で好きだと仰ってくださった顔を、このように醜く傷つけてしまって……嫌われてしまったらと思うと、恐ろしくて」
「なんだ、そんなことか。嫌ったりしない。箔がついたな、程度にしか思っておらぬよ」
傷は、ヴァイセンドルフ領で治安維持のための害獣駆除を務めていた際、大型の北部ヒグマにつけられたものだと聞いた。
ヒグマの力は恐ろしい。被害者の中には、顔ごと剥がされてしまった者も少なくない。左目を失ったのは痛手だが、今は良い魔導義眼があるし、顔の原型を損なうほどでない傷で済んで、幸運といえる。
とはいえ、帝都貴族の中には、口さがないことを言う連中もいるであろう。化粧で傷を隠したのは、良い判断である。
一方で、妾を含む武人家門にとって、戦傷は勲章。誉れの証しだ。それに、ユリウスの整った顔を損なう程、ひどい傷でもない。
妾には、気にせず見せて良いと思うのだが。
相変わらずユリウスは、妾の返答を素直に受け止められぬようだ。物憂げな表情が晴れない。
だが、妾は秘策を用意していた。つい昨日読んだ、恋愛小説から得たものである。
「ユリウス、少し屈め」
妾が立ち止まり、そう言うと、ユリウスは不思議そうな表情を浮かべたあと、言われた通り身を屈めた。
彼の顔が、妾の目線と同じ位置になる。
彼の両頬にそっと手を添えて挟み、妾の顔を寄せ、唇にチュッとキスをした。
……ユリウスはひどく驚いた様子で目を見開き、硬直していた。
驚くだろうな。なにせ、これがファーストキスだ。
初めての唇の感触は、想像以上に心地よいものであった。
「……嫌われる、嫌われると。そんなことばかり言う口は、こうして塞ぐ」
護衛騎士やら侍女やらが居る通路で実行したことを、妾は少なからず後悔した。周りの視線が生暖かい。
人前で実行したのは失敗だった。はずかしくて照れくさくて、仕方がなくなってしまった。
小説では、ヒロインと恋人が二人きりのとき、自信のないヒロインを励まそうと、恋人の男が実行した行動である。
顔がぽっぽと熱くなり、耳も目元も真っ赤になっている気がする。
だが、けっして恥ずかしがらない。姿勢だけは胸をはり、堂々としておく。なぜなら、恥じらえば恥じらうほど、こういうときは恥ずかしくなるからだ。
「……あ……えっ……?」
ユリウスの反応を窺い、見つめていると、ややあって彼の耳や首がサッと朱色に染まった。
ようやく何をされたか理解した様子で、両手で口元を覆い、目線を逸らす。背が高く、筋肉質でガタイのいい男だというのに、どこか恥じらう乙女を思わせた。
……かわいいな。妾も、たまには恥じらう姿を見せて良いのかもしれない。
「……アナスタシア、様」
「うむ」
「……それでは…、また、同じ話をすれば…キスして、くださるのですか…?」
おっと。そう来るか。
「キスしたいときは、『キスしたい』と言えばいい。また同じ話をしそうなときも、代わりに『キスしたい』と言うように」
「は、……あ、は、はい……」
それからは無言のまま、生暖かい空気と、ぎこちない動きのユリウスと共に、食堂へ行って朝食を済ませた。
居室に戻り、前回同様の体勢でユリウスとのんびり過ごす間、彼は「嫌わないでほしい」と言う代わり、「キスしてほしい」と言うようになった。その都度、彼の望み通り、妾はユリウスと口づけを交わした。
慣れてくると、照れを心地よさが上回り、ふわふわとした喜びの感情が胸を満たす心地がした。
ユリウスも、同じように感じて、心を癒やされているといいな……。
彼とお喋りして過ごしながら、妾はそう願っていた。
普通の乙女作品なら「えーでもでも/// そんなことするなんて恥ずかしい///」で5話は引っ張るところ、アナスタシアは発案→実行がほぼノータイム。
何につけても仕事が早い女です。
5秒でラブコメを終わらせる系ヒロイン…と、作者が自分で面白がっております。




