表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/23

言葉が…見つかりません

「ふっ、ぐ、…グ、…うぅー!!」

(ひめ)(さま)! こらえてくださいませ!」


 (わらわ)は今、すべての貴婦人が()けて通れぬ(ごう)(もん)()えている。つまり、コルセットで()()げられている。

 苦しみにうめきながらも支柱をつかんで直立を()()する(わらわ)のうしろでは、()(じよ)らがコルセットの(ひも)(よう)(しや)なくグイグイと引いていた。


「ぐえ、苦しっ、も、もう少し(ゆる)く」

「まあ、(ひめ)(さま)。まだまだイケますわ、ちまたの(しゆく)(じよ)はもっと()めておいでですよ」

「無理ッ、ほんとにもう無理、だ…!」

「レオノーラ様、ですが、(ひめ)(さま)()(だん)コルセットをお()しになっておりませんわ。あまりご無理をさせては、(たお)れてしまうやも。今日は大事な日でございますのに」


 専属()(じよ)の中で最年少のユリエッタがそう意見する。ユリエッタは、(わらわ)(とお)(えん)(しん)(せき)でもあり、(わらわ)にとって昔から姉のような存在でもある。そのせいか、皇女付き()(じよ)となった今でも、なにかにつけて(わらわ)(あま)やかす人物であった。

 ユリエッタの意見を聞き、レオノーラが気まずそうに「ううん、」と応じる声がする。


「……(いた)(かた)ありませんわね。これくらいで()(きよう)いたしましょう」


 しぶしぶ、といった様子でレオノーラの声がするのと同時に、(わらわ)への(こう)(そく)(ゆる)くなる。(わらわ)は、ようやくマトモに息ができるようになった。

 姿見の前に移動して、()(じよ)らから()(づくろ)いの続きを受けつつ、(わらわ)はおもわず毒づく。


(わらわ)が皇位を()いだ(あかつき)には、最初に、コルセットを()めるなどというふざけたマナーを(てつ)(ぱい)する。絶対にだ」

「まあ、(ひめ)(さま)。女たちの美への(しゆう)(ねん)(あま)()てはなりませんわ」

「これを好き好んで()めたい変人()(じん)どもは、好きにすればよいわ。だが、(わらわ)はこんな()まわしい(こう)(そく)具、金輪際着けんからな。反コルセット派の筆頭となってくれる」

「きっと、(ひめ)(さま)に共感する(しゆく)(じよ)たちも大勢おられますわ」


 そんな雑談をしつつ、()(じよ)らの手によって(わらわ)(かざ)りつけられていく様子を鏡()しに(なが)めた。


 (わらわ)のデビュタンティンである今日この日、『伝統やぶりの皇女』と(うわさ)されているらしい(わらわ)であったが、今日だけは伝統的で格式ある(よそお)いにすると決めていた。

 ()(だん)(わらわ)ときたら、コルセットどころか男のようにズボンを穿()きたがるし、(きゆう)殿(でん)の通路は()(じよ)らが小走りで追うほど(おお)(また)(かつ)()するし、()()(だん)の訓練にまざって(けん)をふるうし、乗馬すれば早()けせずにはいられない。伝統やぶり、(おきて)やぶりと(そし)られるのももっともである。

 だが今日この日、(こう)(ぐう)の外にいる貴族たちに初めて(わらわ)の姿を見せる今日は、できうる限り伝統に(のつと)り、ドレスも、(てい)(しつ)()()がれてきたデビュタンティン用のものを着ることにした。いずれこの国に様々な変化をもたらすつもりだが、『伝統を大切にする』という意志を示したかったからだ。


 (わらわ)は決して、伝統をないがしろにしたいわけではない。そもそも、歴史ながき(てい)(しつ)にある()()じたい、伝統的なもののひとつだ。

 だが、時代は変わるし、それに(ともな)って適切なやり方も変わる。伝統を大切にすることと、変化を追い求めることとは両立できる、と(わらわ)は信じている。


 デビュタンティン用のドレスは、純白のシルクでできている。純白は()(こん)と清純の(しよう)(ちよう)であり、デビュタンティンの(れい)(じよう)たちはこれをまとうのが(いつ)(ぱん)(てき)だ。

 (かた)()(しゆつ)させ、両手には()(うで)まで(おお)う長さのオペラグローブを身につけ、頭にはティアラや生花か白の(かみ)(かざ)りを(よそお)い、(くつ)(ぞこ)(かわ)でできた白い(くつ)()く。これがデビュタンティンの伝統的な基本型である。


 (わらわ)がまとうドレスは、代々の(てい)(しつ)女性が着てきたもので、オーガンジーとシルクサテンを重ねて作られた、(なめ)らかなシルクの(こう)(たく)と、(かすみ)のようなオーガンジーの層とが神秘的な美しさを放つ(いつ)(ぴん)であった。

 (むな)(もと)をハートカットされたビスチェから、細く(しぼ)られたウエストラインにつづき、なだらかにAラインのスカートへと広がる形をしている。(こし)から(あし)(もと)にかけては、(いく)()にも重ねられたチュールとオーガンジーが流れ、歩くたび雲のようにふわりふわりと()れる。

 (むな)(もと)には、(てい)(しつ)(しよう)(ちよう)たる(わし)(つばさ)が金糸の()(しゆう)(ほどこ)されており、スカートの(すそ)には、おなじく金糸の()(しゆう)で草花や(から)(くさ)が広く散りばめられていた。

 背中側には、(せん)(さい)なレースで(かざ)られたチュールのトレーンが引かれている。これは高貴な身分の女性ほど長くあるべきもので、デビュタンティン最高位の女性にふさわしい()(げん)を放っていた。


 そうした(てい)(しつ)の美しき宝物の1つが、(わらわ)の身体に合わせて()い直され、(わらわ)の身をつつむ。金の(かみ)は、頭頂から後頭部にかけてを(ゆる)やかなボリュームをもたせて後ろにまとめられ、ねじり()みを作って()められていた。(うし)(がみ)は、背中側に流されている。


 (おお)(つぶ)のダイヤモンドと白金(プラチナ)でできた、(ごう)(しや)なティアラが頭の上に()せられた。首には、(おお)(つぶ)(かがや)くパールのネックレスを、耳には、(しろ)(ちよう)(がい)のイヤリングが着けられる。

 仕上げに、白いシルクのオペラグローブを身につけ、合わせの白い(くつ)()く。


「さあ、完成ですわ」


 ()(じよ)に声をかけられ、(わらわ)()(しよう)(だい)の前から立ち上がり、三面の姿見の前に立った。後ろに立つ()(じよ)たちやメイドたちから(かん)(たん)()(いき)があがる。

 (かの)(じよ)たちの反応どおり、(わらわ)の姿は、なかなかのものであった。


 (わらわ)()(だん)、男装めいたズボンで過ごすことが多かったが、美しいものや愛らしいものを好いていないわけではない。()(だん)(わらわ)の運動量にスカートでは追いつかないだけで、ふわりと()れるスカートも、きめ細かく編まれた美しいレースも、きらきら(かがや)く宝石も好きだ。おそらく、人並みには。

 そんな(わらわ)の目から見ても、鏡()しに見る(わらわ)の姿は、ティアラの宝石の(かがや)きと、シルクの(こう)(たく)と、(せん)(さい)な金糸の()(しゆう)(かがや)きとを身にまとい、なんとも美しい姿であった。


「きれいだ。(みな)、よくやってくれた」


 ねぎらいの声をかけると、()(じよ)たちが口々に声をあげた。


「まあ、とんでもございませんわ!」

「わたくし共はほとんど何もしておりませんわ!」

「素材がよろしいのですわ!」

「まるで天使、いえ()(がみ)のようですわ!」


 口々に()めそやす()(じよ)たちの声がこそばゆい。

 おべっか、というと言葉が悪いが、こうした(かの)(じよ)らの世辞も、これから(いつ)()(いち)(だい)(おお)()(たい)に乗り出す(わらわ)にとって重要なものであった。


 社交界には()(もの)(ひそ)んでいる、という。(わらわ)の地位がどれほど高くあろうとも、不敬を問われぬよう言い回し、口さがないことを言われることもあるだろう。

 だが、社交界に出ることも大切なつとめだ。()けて通ることはできない。ゆえにこうして、味方に心を支えてもらうことが重要だ。


「アーデルシュタイン(こう)もおよろこびになりますわ」


 マルグリットがそう言うのを聞き、そういえばユリウスにエスコートしてもらうのだと(ようや)く思い出した。

 考えてみれば当たり前のことなのだが、あまりにも目まぐるしくて失念していた。


「ユリウスはもう来ておるのか」

「ええ。百合(ゆり)の間のほうにお通ししたと」

「わかった。では参ろう」


 百合(ゆり)の間は、(わらわ)の居室に近い応接間のひとつで、(わらわ)や母上に近しい客をもてなす際によく使われる部屋である。

 いつもよりも(せま)()(はば)(しん)(ちよう)に歩き、百合(ゆり)の間に向かう。使用人たちが(とびら)を開くのを待ち、その中へと進んでいった。


 中では、いつもよりめかしこんだユリウスが待っていた。(わらわ)の姿を見て、かけていたソファからすぐに立ち上がる。


 出会った(ころ)のユリウスは、花も()じらう美少年といった様相であったが、16(さい)になった今は、(かた)(はば)もがっしりと大きく、立派な()(じよう)()に成長していた。今日は特に、そうと強く感じられる。

 (かれ)()(しよう)は、(いつ)(ぱん)(てき)(てい)(こく)礼装をベースにした、伝統的で格式ある(えん)()(ふく)であった。デビュタンの伝統に(のつと)り、上着とタイとスラックス、それにドレスシューズも黒色。深みのある青の(こう)(たく)がわずかに()かぶ上質な()()を下地に、上襟と(そで)(ぐち)には白銀糸の()(しゆう)――ヴァイセンドルフの(もん)(しよう)たる白き谷の文様が(えが)かれている。(ぐん)(ばつ)貴族らしく、おなじく白銀糸で編まれた(しよく)(しよ)が2本ほど(かた)にあしらわれ、それが光を反射して美しい。

 ()(しよう)は、(かれ)(きた)()げられ()()まった身体にぴったりと合わせられ、(かれ)の体格の美しさを引き立てていた。


「またせたな。そして、()(ちが)えたぞ。その服、よく似合っているよ、ユリウス」


 (わらわ)()(なお)に賛辞をのべるも、ユリウスは(ほう)けたようにこちらを直視するばかりで反応しない。

 (わらわ)たちが(こん)(わく)していると、ユリウスはぐしゃりとその場に(ひざ)から(くず)()ちた。


「どうした!?」


 なにごとかと使用人たちが()()り、どこか悪いのかと(たず)ねる。だがユリウスは手を()って退け、(りよう)(ひざ)をついて(すわ)りこみ、顔を()せたままで――なぜか、(いの)るように両手を前で組んだ。本当にどうした。


「……言葉が…みつかりません、アナスタシア様。……あまりにも…あまりにも、お美しくて……」


 (ずい)(ぶん)とオーバーなリアクションをする。協力的な(こん)(やく)(しや)(うれ)しいかぎりだが、そこまでされると、なんか、さきほどの(わらわ)の反応が素っ気なく感じられるではないか。

 なぜだか、周囲の()(じよ)らや使用人たちまでウンウンと(うなず)いて同調している。なんだ? 先に根回しされていたのか、そなたら?


「あー……ユリウス。せっかくの()(しよう)(よご)れるぞ」

「グスッ…はい」


 ユリウスが立ち上がる。すると、その(ほお)(なみだ)がひとすじ流れていた。泣いてる……??

 すかさず、メイドの一人がハンカチをユリウスに差し出した。それを受け取り、ユリウスが顔をぬぐう。


「具合が悪いのか?」

「いえ、問題ございません。失礼いたしました」

「そうか。ならよいのだが、無理はするなよ」

「はい。ありがとうございます」


 (じゆう)(ぼく)(ひざ)(した)をパタパタと(はら)われたあと、ユリウスが(わらわ)に歩み寄り、手を差し出す。


「お待たせいたしました。参りましょう、アナスタシア様」

「うむ。()(よい)はよろしく(たの)む」


 そうして、(わらわ)たちは夜会に備え、(ひか)(しつ)へと連れだって向かっていった。


 この後、世にも(おそ)ろしい大事件が待っているなどとは、(つゆ)も知らずに。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ