身から出た錆
我が名はアナスタシア・エルスティナ・フォン・グランツェルリヒ。グランツェルリヒ帝国第26代皇帝マクシミリアンが唯一の子にして、次期皇帝を継ぐ正統の皇女。
最愛の許婚にして幼馴染みでもある、アーデルシュタイン候ユリウス・カスパール・フォン・ヴァイセンドルフを、浮気未遂によって深く深く傷つけてしまった愚か者だ。
笑いたければ笑うがいい。
……いや、笑えないな。
一点、弁明させてもらうならば、あくまで、ユリウスが妾に恋愛感情を抱いていないものと誤解したが故の過ちだった。彼が妾を女として愛してくれているのだと知っていれば、断じてあのようなことをしなかった。
なにせ、王侯貴族の結婚といえば、基本的に政略結婚。夫婦間に愛がないのは当たり前で、子供を何人か産み終えたら、互いに愛人を作ることは多々あるという。
妾は、6歳の折に初めて引き合わされ、婚約を結んだユリウスを愛していた。だが、彼の方が妾を愛しているかは不明であった。
彼を愛するが故に、妾は彼の気持ちを確かめられなかった。『恋愛感情は無い』と判明しまったらと思うと、恐ろしかったのだ。
そうした状況の中、平民を知るために変装して働いていた酒場《銀狼亭》の一人息子、レオン・ディートリヒに告白を受ける。
働き者で誠実な彼の人となりを知っていたこともあり、妾はその告白を嬉しく思った。いっそ、彼を愛人として囲ってしまえば、ユリウスからの気持ちがなくとも平気かもしれない、と考えたほどに。
平民の愛人であれば、側室に引き上げることすら困難である。したがって、ユリウスの皇配としての地位が脅かされることもない。あとは、子供の父親さえ明確にしておけば、大きな問題も起こらないはずである。
それに、珍妙な横恋慕を起こしている貴族男性たちが、ユリウスに対して行っている嫌がらせも止められるかもしれない。『この婚約に恋愛感情は関係ない』と、はっきり示せるからだ。
そうした打算もありつつ、妾は、ユリウスに「愛人を持っても構わないか」と尋ねた。もちろん、否と言われたら取り止めるつもりだった。
結果としては、聞かずに進めるよりはマシだった。ただ、そうした検討じたいが、ユリウスを深く傷つけてしまった。
ショックのあまりユリウスは魔法暴走を起こしてしまい、美しかった皇宮の《薔薇窓の間》が粉々に消し飛ばされてしまったのである。
ただ、悪いことばかりではない。この件をきっかけに、妾は自分の想いをユリウスに伝えられたし、ユリウスもまた、妾を恋い慕っていることを打ち明けてくれた。
愛人の件についても、取り止めるということで許してくれた。
しかし、ユリウスの心の傷は、そう簡単に癒えなかった。
それも当然だ。逆の立場であれば、妾とて結構なショックを受けたであろう。
妾は全身全霊をもって、ユリウスを癒やすこととした。
恋愛小説や演劇では、男女が互いの心を通じ合わせた時点、あるいは結婚した時点がゴールである。一方で、人生においては、それがスタートといっても過言ではない。
妾とユリウスの関係は、ようやく序章を終えたばかりだったのだろう。
それを証明するかのように、妾とユリウスとの関わりは、さらなる大事件へと繋がっていくことになったのだから――――。
***
ちいさな筒に、黄色の刺繍糸を指でぐるぐる巻き付け、一巻きごとに糸をクロスさせる。
「これを、15回くりかえしてな……」
「はい…」「ええ…」
妾の説明と手作業に、招待した令嬢たちは、真剣に耳と目を向けている。
「そうしたら、筒を外して……こう」
妾は、刺繍糸を一定の径で巻くため使った筒を取り外した。残った糸の輪に刺繍針を通したあと、刺繍枠で挟まれたリネン布に刺して留める。
すると、立体的なバラの花びらが一枚、布の上にできあがった。
「これで一枚できた」
ゆっくり説明しながら実演したので、分かりやすく教えられた筈だと妾は思った。
しかし、友人たちからは困惑の声があがる。
「今なにが起こりまして??」
「すみません、アナ様。わたくし、わかりませんでしたわ…」
「どうしてかしら? こんなに真剣に見ておりましたのに」
「ええー…。相分かった、もう一枚やって見せよう」
「申し訳ありません…」「お願いしますわ」
どうも妾は、他人に教えるのに向いていないらしい。だが、楽しい気持ちに変わりはなかった。
今日は久々に、昔からの友人を含めた、親しい令嬢らを招いての個人的なサロンを開いていた。テーマは、かねてより要望を受けていた“立体刺繍の実演講習”である。
この刺繍方法は、遙か海を越えた東の果てに存在する大国、《華蓮帝国》から輸入された古書に記載されていたものである。
我が国での華蓮語習得の需要は薄く、華蓮語文書じたい珍しかったため、その刺繍方法は、グランツェルリヒ帝国で知られていなかった。ましてや、現代華蓮語ではなく、古代華蓮語で書かれているとなると、読み解かれる機会はほぼ皆無だったのだろう。
妾は、趣味で現代華蓮語も古代華蓮語も学んでいたので、たまたま読み解けたのだ。
やってみると、この刺繍法で創り出される刺繍は如何にも美しかった。これを広めようと妾は考え、グランツェルリヒ語に翻訳した文書を、友人の令嬢らに配ったのだ。
しかし、訳が悪いのか元が悪いのか、その文書だけだと、友人たちには刺繍を再現できなかった。
そのような経緯で、此度のサロン開催と相成ったのである。
サロンの場は、皇宮の《手仕事の小広間》とした。その名の通り、歴代の皇后・皇女らや皇子妃らが、刺繍などを友人と共に楽しんできた部屋である。
白亜と淡金のモールディング装飾が施され、若草色の壁紙が張られた部屋であり、刺繍や糸を広げるのにぴったりな、白木と金装飾の楕円大テーブルを備えている。
明るい陽光をふんだんに利用できるよう、外壁側には大きな窓が幾つもある場所だ。
その部屋で、本日招待した7名の令嬢たちが並んで椅子に座り、妾の手元を真剣に見守っていた。
彼女たちの手にも、図案が描かれたリネン布の張られた刺繍枠と、糸を通した刺繍針とがそれぞれ握られている。
「ところで、なのですけれども」
「うん? どうした、イザベラ嬢」
招待客の中の一人、この中では一番の新参者でもあるイザベラ嬢は、ローゼンタール子爵家の令嬢である。
身分は低いが、妾が初めて出席した貴族家主催夜会である、エッセンバッハ公爵家の夜会で出会い、意気投合した相手だ。
サロンを開くにあたり、彼女にも招待状を送ったのである。
妾の友人たちは、妾とタイプが似ていることもあり、イザベラ嬢を快く迎えたように見えた。
しかし、イザベラ嬢が声をあげたとき、なぜか他6名の友人たちに緊張が走ったように感じる。
「……その。じつは、ずっとお尋ねしたかったのですけれど……。いつも、こうなのですか? その、アーデルシュタイン候は」
妾を背中からガッチリとホールドし、肩口に顎を乗せ、妾と重なり合うようにしてソファに座っているユリウスを目線で示しながら、イザベラ嬢はそう尋ねてきた。
「最近はずっとこうだ。ただ、妾のサロンないし茶会で、という話なら、これが初めてだな」
「まあ……」
イザベラ嬢が軽く目を丸くしてそう言うと同時に、旧友たちも一斉に声をあげだした。
「そうなんですの!?」
「まあ! てっきり、わたくしだけが知らないのかと思っておりましたわ!」
「わたくしもよ! 気になって気になって仕方がなかったのですけれども」
「聞いてもよろしかったのですのね??」
そう言われて、妾も驚いて目を見開いてしまう。
「『ユリウスも出席させてよいか』と、事前に承諾を得たはずだが…?」
「ええ、それは伺いました。伺いましたけれども」
「ですが、『アナ様をお膝の上に載せた状態で』とは伺っておりませんわ??」
「あー…そうだな。すまん。ダメだったか?」
「いえ、ダメとかではございませんけれども」
「『まあ、刺繍にご興味がある殿方なのかしら』とか、そう思うではありませんか」
「ええ。わたくしも、そういうことかと、てっきり…」
「まあ、よろしくってよ。アナ様、この際はっきりお伺いいたしますわ。わたくし達いったい何を見せられておりまして??」
「えっ。し、刺繍…だが…?」
「正直もうしあげまして、刺繍どころではございませんことよ」
「ええ。もう、アナ様の後ろが、気になって気になって!」
「おぉう…。そなたらの心を乱してしまい、すまなかった…?」
「それで、どういう状況なんですの?」
サロン開始から一言もしゃべっておらず、虚ろな眼差しで床を見ていたユリウスも、騒ぎを気にしてか口を開く。
「私のことは、どうぞお気になさらないでください」
「まあ! 難しいことを仰る」
旧友の中でも負けん気が強い友人、レオネッタ・フォン・ドラッヘンフェルト公爵令嬢が、ツンとした口調で突っ込む。
妾は慌てて、事の次第を説明することにした。
「えっと…妾の不手際ゆえに、ユリウスの心を深く傷つけてしまってな。彼の心身を癒やすべく、このような体勢で最近は――」
「浮気ね」「浮気ですわ」
濁したのに言い当てられてしまい、妾は動揺した。
いや、浮気じゃないが! 未遂だが!
目が泳いでしまったせいか、友人たちが顔をしかめて妾を見つめる。
「ひどいですわ」「最低ですわね」
「北部の男性は、これと決めた女性に一途に尽くしてくださる、といいますのに」
「ええ。だから北部には、娼館が無いのですって」
その情報、もう少し早く知りたかった。いやまあ、関係ないのか。
「違うんだ」
「まあ、本当に?」
「どうなんですの、アーデルシュタイン候」
友人たちの目が、肩口のユリウスの顔に向かう。妾も、おもわず彼の頭に目を向けた。
「……私が、悪いのです」
ユリウスは、ぼそりとそれだけ呟いた。
友人たちから、俄に怒気が巻き起こる。
「有罪! アナ様、有罪ですわーっ!」
「信じられませんわ!」
「わたくし、お友達やめてよろしくて??」
「わたくしもそうしようかしら」
「待て待て待て待て!!!」
こうして、状況は一転、刺繍教室から妾締め上げ会へと様相を変えてしまった。
仕方なく、事の次第を詳しく説明させられることとなった。
そうしたところ、ある程度皆の理解が得られたようで、友達をやめるのは待ってもらえた。
洗いざらい吐かされ、疲労困憊してしまったので、その日のサロンはお開きとなった。
まったく、なんて日だ。
「……どうして、誤解させるような言い方をするのだ。ひどいじゃないか」
皆を見送った後、うらみがましくユリウスを見上げて言ってみると、ユリウスは、以前とは違う印象の笑みを浮かべた。
じっとりとした、執着の滲む笑顔。
「もし、不運にも、ご友人たちがアナスタシア様から離れてしまったとしても、私はずうっと…あなた様のお側におりますからね…♡」
か、確信犯! 確信犯だ、此奴め!!
……うう。しかし、これもまた身から出た錆か?
友人関係を維持するためにも、妾は、ユリウスの信用を早急に取り戻さねばならないらしい。
こんなことをされてもなお、隣に立つ彼が、腕を回して妾を抱き寄せるのを、妾は振りほどけずにいた。
Q: 温厚で紳士な幼馴染みは何処に…?
A: そこになければないですね




