【Side: ユリウス】きっと、何もかも大丈夫
「ぐえ! ぐぎゃあ! がっ! やめっ、やめてくれ、ギャアアッ!」
ヴァイセンドルフ辺境伯家のタウンハウス地下で、男の汚い悲鳴が鳴り響いている。
剥き出しの石造り壁と床でできた地下空間は、不始末をした使用人の躾のほか、秘密裏に拷問や尋問をするためにも使われてきたという。
鉄格子のついた牢屋も幾つか存在し、人間を閉じ込めることができた。
薄暗い地下に向かって階段を下りていくと、男の悲鳴がはっきり聞こえるようになる。
この世で最も貴いお方に狼藉を働いた、平民の汚らしい男は、拷問を始める前と同様に拘束椅子に座っていた。雇った拷問係に随分と可愛がってもらったらしく、開始前と比べて生傷が増え、威勢もなくなってきたようだ。
「これはこれは、若旦那様」
足音に気づいたらしい拷問係は、先ほどまで振るっていたらしいバラ鞭を脇に置き、私に向かって恭しく膝をついた。
「進捗は?」
「まだ『殺してくれ』とは言わせられておりません。卑しい人間ほど、生き汚いものですからね。ですが、もう1日2日も頂ければ、かならずや、若旦那様のご希望に添ってご覧に入れますよ」
「そうか。では、このまま続けろ。『殺してくれ』と懇願したら知らせるように。殺すなよ」
「はい、もちろん。もちろんです。お任せください」
拷問係が、ニチャアと嫌らしい笑みを浮かべて返す。
不快感に思わず眉を寄せた。
しかし、私は何も言わずに上階へ戻った。
どれほど罪深く、おぞましい存在が相手であっても、拘束された無抵抗の人間を甚振るには、そのための適性がある程度必要らしい。
そいつを徹底的に苦しめ、殺してくれと懇願させるまで甚振ってやりたい気持ちはあるのに、実際やろうとすると、心の芯が強く抵抗する感覚がして、非常にストレスがかかるのだ。
そういえば、北部で見せしめ死体が作られるときも、息の根を止めた後に傷がつけられていた。
やはり、一般の人間には、抵抗できない生きた人間を甚振りにくいのだろう。
一方で、報酬が無くとも無抵抗な人間を甚振ることが大好きで、さらに報酬もあれば天職だという人間もいる。この拷問係がそうだ。
色々な人間と、色々な職があるものである。
彼は宣言通りに仕事をこなし、翌朝には、ブレンナーを通じて“完了報告”が届けられた。
朝食後に地下を見に行くと、全部の爪と歯を剥がれた男が「ころしてくれ」と泣いて懇願していた。
私は、その様子に満足した。横で手揉みしながらニコニコと待っている拷問係に、従僕を介して報酬の金を渡す。
盆に載せられた袋を取り、中に詰まったグランツ金貨を見て、拷問係は一瞬目を剥く。それからすぐに満面の笑みを浮かべ、いそいそと袋を懐にしまった。
「へへっ。これはこれは、ありがとう存じます。ありがとう存じます。またぜひ、ごひいきに」
「ああ。ご苦労であった」
拷問係は、従僕にうながされて帰路につく間も、何度もこちらを振り返り頭を下げていた。
「ころしてくれ」
拷問を受けた側の男は、椅子に拘束されたまま、力なく頭を垂れてそう呟く。
「いいだろう」
私は、用意していた毒薬を手に取り、男の口に差し込む。男は、抵抗せず中身を飲んだ。
「っ……!! ぐぇ、あああっ!! ぎゃぁあああ!!」
男が毒に苦しみ、拘束されたまま動ける限り暴れる。やがて、事切れた。
「……さて。あとは、これの処分か」
「身元不明遺体の埋葬場所に、少々銀貨を握らせれば処分可能ですが」
ブレンナーがそう提言してくれる。皇宮で勤めていたころ、そういった仕事もしたのだろうか。
私は、首を左右に振って応じた。
「これが死んだことを公にしておきたい。アナスタシア様のために。……ついでに、他の被害女性らのためにも」
「なるほど。どうなさいますか」
私は考えにふけり、首をかしげた。
数秒後、良い考えが浮かんだ。
「“ゴミはゴミ箱へ”。近くのゴミ収集所に置こう。このままでは捨てるのに苦労するだろうから、小さく切り分け、袋詰めにして。ただ、中を検めてもらえるよう、首だけは外に置いておくか」
「……ゴミを捨てに来た、罪のないご婦人がたが腰を抜かしますな」
「そうだな、そうなっては申し訳ない。保安隊に銀貨を握らせて、一般市民より先に発見するよう手配してくれ」
「御意」
私は、事切れた男を拘束椅子から取り外し、それを床に転がした。
白目をむき、泡を吹いて静止している。
「切り分けと血抜きは私がやる。害獣駆除には慣れているから」
そう言うと、ブレンナーはごくりと唾を呑み込むような音を立てた。しかし、彼は恭しく頷いた。
「御意。その前に、汚れてもいい服をお召しになったほうがよろしいでしょう」
「そうする」
その後、私は上階に着替えに行った。それからまた地下に降り、慣れ親しんだ仕事をこなした。
***
今宵は、アナスタシア様の、はじめての貴族家主催夜会ご出席。
あの悪夢の夜会から警備体制が見直され、エスコートもダンスも全て私が担わせていただけることとなった。
それ自体は願ってもないことだが、本音を言えば、アナスタシア様には社交界に出て頂きたくない。淑女だけのお茶会やサロンならば兎も角、男が居る場所に出てほしくなかった。
目隠しのおかげで多少軽減されようが、アナスタシア様に魅了されたままの男性は少なくない。それに、アナスタシア様の輝きは隠せるものではない。光に群がる虫のように、男どもはアナスタシア様の歓心を求めて寄ってくることだろう。
だが、着飾ったアナスタシア様の輝きときたら!
夜会のために着飾られたアナスタシア様を前にして、不安も不快もどこかに吹き飛んでしまった。
眩いばかりであるのは、数多く光るダイヤモンドの所為などではない。
天使。女神。フレイヤの化身。
文字通り呼吸を忘れてしまい、アナスタシア様が叩いて起こしてくださった。
アナスタシア様が与えてくださるものは、痛みさえも愛おしい。
夜会行きの馬車に乗り込めば、アナスタシア様は、纏っていた目隠しをお外しになる。目隠しが外されると、何より美しいサファイア・ブルーの煌めきが露わになった。
私だけが見ることを許された、絶世の美貌。
この幸福を得られるならば、他の男どもを散らすぐらい、どうということはない。
ただ、平民と交わるのは辞めてほしいという懇願を、アナスタシア様は聞き入れてくださらない。
平民がすべて危険な野蛮人でないことは、私も知っている。アナスタシア様のお考えなのだから、きっと正しいことだというのも、分かっている。
ただ、アナスタシア様のように慈悲深く美しい方を前にして、狂わない男はいない。貴族の男どもを露払いするのも一苦労なのだから、このうえ敵を増やして欲しくない。
「何も問題など起きていない」
嘘つき。私は知っている。あの悍ましい下賤の男が、アナスタシア様に触れたうえ、侮辱したことを。
だが、それを伝えることはできない。私も、アナスタシア様に内緒で、彼女を見張っていると知らせてしまうから。
闇夜に紛れるには、街と森とでは勝手が多少異なるものの、気配を断って隠れる術を応用できた。もし、アナスタシア様がご存知であれば、彼女の性格上、既に言及されていることだろう。
皇宮の護衛や影はどうか知らないが、私の監視は、まだアナスタシア様にはバレていない。
――それで、いい。問題が起きたら、私がまた対処してさしあげればいいのだから。
エッセンバッハ公爵家の夜会では、アナスタシア様のご希望で、以前練習していた“社交ダンス選手権プロフェッショナル部門・昨年度優勝ペアのワルツ”を披露することとなった。
練習当時は苦労したものだが、アナスタシア様と触れ合える時間はすべて幸せだ。それに、意外な嬉しい効果も齎された。
この夜会に居合わせた、アナスタシア様を狙っていた貴族男性どもの殆どが、息ぴったりの我々のダンスを見て、横恋慕を諦めたのだ!
あのレーヴェンタール卿すら、自ら白旗をあげたのである。これは嬉しい誤算であった。
こんなことで良いなら、もっと練習して、ワルツ以外のダンスもマスターしよう。
さすがはアナスタシア様だ。私が思い悩んでいたことなど、斯様に簡単に解決してくださる。
もしかしたら、私が色々と心配しすぎているだけで、本当は、悩むべきことなど何もないのかもしれない。
あの卑しむべき男も、私が先走ってしまっただけで、本当は始末の算段がおありだったのかもしれない。
きっと、何もかも大丈夫なのだ。
私たちの仲を引き裂くものなんて、何もない。
――そう、少しでも楽観視してしまった自分自身を、私は呪うことになった。
この世界にはまだ人権が無く、貴族が平民を56してしまっても罪に問われません。
理不尽な虐○の場合は他の貴族にヒソヒソされるくらいはあるものの、今回のように相応の理由がある場合は、悪評にすらならないでしょう。
第二部ユリウス編、ようやく完走です!
次回から久々にアナスタシア視点に戻ります。




