【Side: ユリウス】私も、あなた様を愛しております
今年のデビュタンティンにのみ許された、純白の夜会ドレスを纏ったアナスタシア様。
月の女神。明けの明星の輝き。
己の語彙の無さが悔やまれる。
あまりの美しさに気が触れるとは、まさに今の私の状況に違いない。
眩しくて、衝撃が強すぎて、気づいたら床に膝をついていた。
本当に私ごときが、この女神をお連れしていいのだろうかと自問してしまう。
それでも、どうにか動揺を押し殺し、アナスタシア様をエスコートして、彼女の初めての舞踏会を控えた大広間の扉の前に立てた。
「はあぁあ…! 緊張する…!」
アナスタシア様がそう言うのを聞いて、私はくすりと笑ってしまった。
この先にいる連中は、精々、媚びるか裏をかくかくらいしか企んで考えていない、くだらない奴らばかりだというのに。
あなた様ほどの方が、緊張などする必要はない。ただ悠然と立っているだけで、人々が敬い平伏してしまうほどに、格が違う。
それでも、アナスタシア様は謙虚なお方であるから、下々相手にすら緊張なされてしまう。私は、彼女を鼓舞できそうな言葉をかける。
そうこうしているうちに、広間の扉が開け放たれた。皇女アナスタシア様の、初お披露目の始まりだ。
――アナスタシア様は、大変にご立派で、威厳のあるスピーチをされた。シャンパングラスを手に取り、彼女を称えて乾杯を交わす。
それから、彼女をエスコートして階段を降り、彼女と共に広間の中心に立つ。優雅なワルツのテンポに沿って、彼女と共に何度も練習してきたダンスを舞う。
「今宵のそなたは、いつにもまして男前だ。格好良い。素敵だよ、本当に」
ああ…! 嬉しい。アナスタシア様、私は、あなた様だけの為に――
「この後きっと、令嬢たちがそなたを放っておくまいよ」
――ああ、そうだった。
思わず舌打ちしかけるのを、すんでのところで止めた。
アーデルシュタイン侯爵位継承の祝いという名目で一足早く行われた、私自身の社交界お披露目は、よく言えば学ぶところが多く、悪く言えば――社交界の醜さを、改めて実感させられた。
明らかに“次期皇配殿下”に取り入ろうとする大人の貴族たちに、アナスタシア様との婚約関係を知っていながら、色目を向けてくる失礼な令嬢や既婚の夫人たち。
最初から気乗りしていなかった社交に、ますます勤しむ気になれなくなった。それで、私が社交界に出たのも、それっきりだ。
このまま、アナスタシア様とだけ踊っていたい。
それに、今年デビュタンティンの令嬢たちは皆おなじ白のドレスを着ているし、容姿も、醜いわけではないだろうが、アナスタシア様に比べれば尋常一様だ。比べる相手が悪いのは自覚しているが、実際、一緒に踊ったところで名前も顔も記憶できそうにない。
互いとだけ踊っていても社交とは言えない、とアナスタシア様に窘められ、嫌々ながら彼女の手を離す。
――アナスタシア様が仰ったとおり、白いドレス達が集まってきた。期待に満ちた目がいくつも私に向き、挨拶と社交辞令をいろいろとさえずる。
仕方がないので、適当に選んだ令嬢を誘い、アナスタシア様のお望み通りに踊る。自己紹介をしあったが、聞いた瞬間に名前を忘れてしまった。
ああ、つまらない。退屈だ。
選んだ令嬢がなにやら熱心に話しかけてくるのを、適当に返す。
笑みを貼り付ける気にもなれない。
私がこの令嬢にしてやれる最大限の礼儀は、せめて足を踏んだり引っかけたりはしないよう気を配ることくらいだ。
次の曲も、その次の曲も、虚無のまま形式的に礼儀をなぞり、淡々と踊ってやり過ごした。
――そうしていたら、騒ぎが起きた。
暴動じみた男たちの乱闘の中から、アナスタシア様の悲鳴が聞こえ、全身から血の気が引く。
「アナスタシア様っ!!」
互いに掴み掛かり殴り合う、細くひ弱な貴族男性たちを、掴んでは投げ、掴んでは投げとどかしながら群衆を掻き分け、声のした方向に急いで向かう。
アナスタシア様が、後頭部を両手でおさえてうずくまっていた。
じゃまな者どもを押しどかし、彼女のそばに駆け寄って、彼女を助け起こす。
涙に濡れた青い瞳が、かなしげに潤んで私を見上げていた。
「うう……ユリウス、頭を打った……」
「すぐに医務室へお連れします」
「頼む……」
豪奢な白いドレスは重く、いつもの彼女より抱き上げるのに苦労したが、なんとしても急ぎお運びせねばならない。
己の底力を奮い立たせ、彼女を抱え上げた。
「痛い…いたいよ、ユリウス…」
アナスタシア様がすすり泣いている。
ああ、おかわいそうなアナスタシア様。あなた様が一体なにをしたというのでしょう。
やはり、このような連中に、あなた様を見せるべきではなかった……。
――アナスタシア様への診察が済んだ後、私は、今回の事件に関わった連中を一人残らず始末し、その首を並べて彼女に献上するとお伝えした。
後になって考えると、私は少々冷静を欠いていた。始末するのはいいとして、アナスタシア様に汚い死体をご覧に入れるなど、どうかしている。
アナスタシア様はお優しく、彼らを生かしておけとお命じになられた。
少し残念だが、彼女の望みならと、受け入れることにした。
***
アナスタシア様のご容態は、大丈夫であろうか……。
悪夢のような夜会のあと、アナスタシア様の検査結果を確認したかったが、舞踏会へ戻るよう女官に促され、とどまることはできなかった。
戻る気には当然なれず、私は皇宮をあとにした。
その翌日、翌々日も、アナスタシア様のご様子は分からなかった。
私は、すべてが上の空のまま屋敷で過ごし、教師からの課題の一行目だけを無為に眺めるなどしていた。
三日目の朝、アナスタシア様からのお手紙が届いた。新しい家令――カール・アルノルト・フォン・ブレンナー男爵が盆に載せて差し出したそれを、半ば引ったくるようにして受け取り、すぐに自室に駆け込む。
元皇宮官僚だというブレンナー男爵は、アーベントロート卿が紹介してきた人物だ。他にも何人か候補がいた中で彼を気に入り、雇い入れることにした。
彼は、私がアーベントロート卿に依頼した通りの人物であり、これまでの2年間、良い働きをしてくれている。
自室に入った私は、ペーパーナイフを取り出して手紙の封を切り、中の便せんを取り出した。ふわり、と、花のような良い香りが漂う。
――アナスタシア様のご容態に、問題はないようだ。お元気だと、そう書かれていた。
その文言に目を走らせ、ほっと息をつく。
夜会で取り乱したことへの詫びが書かれていた。そんなこと、お気になさらなくてよろしいのに。
『そなたのような立派な婚約者がいて、妾は幸せだ』
「…ッ……!! アナスタシア様…!!」
愛しい。愛しくて愛しくて、おかしくなりそうだ。
あなた様は、手紙の一通だけで、こんなにも私を幸せにしてくださる。
思わず便せんを胸元に寄せ、ここにはいないアナスタシア様の温もりを感じようとする。
額に入れて飾りたい。いや、そうすると使用人の目に触れる。この手紙は、私だけが見るものにしたい。
結局いつも通り、アナスタシア様のお手紙を、鍵付きクローゼットの中にしまう。
この中には、金銀財宝よりもずっと重要な宝――アナスタシア様から頂いたお手紙や、贈り物たちが詰まっている。
幼い頃に頂いた丸い石や、何かを編もうとした毛糸の作品から、最近いただいた見事な刺繍のハンカチまで。
彼女からの愛情が、いっぱいに詰まった宝箱。
「ああ…私も、あなた様を愛しております。アナスタシア様……」
本人を前にしては中々言えない言葉を、それらに向かって語りかけた。
***
アナスタシア様との次のお茶会に出向いたとき、アナスタシア様は、奇妙な…目隠し? のようなものを身につけておいでだった。
笑っていいぞ、と言われたものの、ただ困惑していた。
聞けば、あのアーベントロート卿の提案で、ご尊顔をお隠しになることとされたらしい。
これから彼女は、お父君と、私に対するほかでは、異性に素顔をさらすことがない。
お父君以外では、私だけに――!
アナスタシア様のご不便を思えば申し訳ないのだが、たまらなく嬉しかった。
けっして独占できない彼女のことを、ほんの少しでも、自分だけのものにできる気がした。
ただ、
「そなたは、妾の素顔を見せても狂気に陥らぬようで、助かった」
そのお言葉が、嫌な音をたてて脳裏を引っ掻いた。
私は――、取り繕っているだけだ。変に思われぬように、――アナスタシア様から嫌われぬように、紳士然とした態度を。
彼女に対する、この重すぎる感情を隠すために。
もしかしたら私も、とっくに彼女に狂っているのかもしれない。
いや、きっとそうなのだろう。彼女を前にして、誰が正気を保っていられる?
だから、彼女に知られてはならない。
「……ええ、そうでございますね」
私は、落ち着いた微笑みを浮かべて、言葉を返した。
***
それからは忙しかった。
アナスタシア様に一目惚れし、貴人牢に放り込まれず済んだ連中から、連日のように嫌がらせや誹謗中傷の手紙を受けた。
アナスタシア様なしに社交場に出る気になれないので、社交にはそもそも出ていなかった。屋敷に引きこもっている人間相手でも、これだけできるのかと感心した。
【父上】の辺境伯か、アーベントロート卿に知らせるべきだとブレンナーに提言され、宰相殿に知らせておくよう指示した。
一方で、決闘を申し込んできた相手には、片端から承諾を送り返すよう指示する。ブレンナーは困惑した。
「『負けたら婚約者の座から退け』など、ばかげております。そもそもが皇室からのご命令で決まったご婚約でございますのに、勝手なことを」
彼の言葉に、私は頷く。
「そうだな。だから代わりに、貴族の誇りと、騎士の誇りをかけて戦う、と応じる」
「しかし、決闘でございますよ? 大怪我を負うだけでなく、お命を落とすリスクもございます」
答える代わりに、私は、北部からずっと共に過ごした剣を取り上げ、鞘から刃を少し抜いて見せ、それからまた戻した。カチン、と鍔が音を立てる。
おもえば、実戦経験が大切だという【父上】の言葉だけは、真実だったのだろう。
「そうなれば、私もそれまでの男だということ。とはいえ、負ける気はしないが」
帝都の貴族は、あまり戦闘訓練をしないらしい。アナスタシア様が熱心に鍛えておられたので、北部での噂はウソかと思っていた。しかし、夜会で見かけた者たちを見る限り、どうやら噂は本当のようだ。
「――北部の猟犬が末裔の実力、望むならば、その身にしかと刻んでやる」
どうもタイトルを考えるのが苦手でして、エピソードを書いたあと、タイトルになりそうな文言を引用しがちです。




