【Side: ユリウス】私の、唯一
次に帝国宰相アーベントロート卿から連絡を受けたのも、会う約束の前日で、アナスタシア様とのお茶会の前に皇宮で会うこととなった。
急な連絡ばかりなのは、多忙のなか時間を捻出しているせいだろう。
アナスタシア様にお会いする以外は、トレーニングをするか、アーベントロート卿に付けられた家庭教師らの授業や課題に取り組んでいるだけなので、急な約束でもこちらとしては困ることもない。
ふたたび《静謐の間》に通され、中を見れば、アーベントロート卿が先に来て待っていた。他には誰もいない。
顔色が悪く見えるが、疲労のためなのか元々こうだったからかは分からない。
「どうも。そちらにおかけください」
彼に手で対面のソファを示され、テーブルを挟んだ向かいに座る。テーブルには、ティーセットが既に用意されており、空のティーカップが2組、私の前とアーベントロート卿の前に置かれていた。
私が座ると、アーベントロート卿は手ずからお茶を注いだ。メイドの出入りを待つ手間が省けるなら、女中の真似事をすることも厭わないらしい。
やたらと尊大で、どんなに手間が省けても女中の仕事など絶対にしないであろう【父上】と思わず比較し、貴族男性にも色々な人がいるのだな、と思った。
「皇女殿下に、さきの内戦の真実を伺いましたね」
アーベントロート卿に切り出され、私は頷いた。
アナスタシア様から真の事情を伺ったあと、新聞を介して公の発表も見た。
新聞の中では、帝国領土内に侵犯したルーメリア共和国軍の狙いは“リューデル伯爵家”ひいては“フェルゼンラント辺境州”だった、ということにされており、アナスタシア様と随行軍が狙われたことについては触れられていなかった。
忌まわしきルーメリア共和国は、無知な帝国臣民の鉱山労働者たちを甘言で騙して協力させ、帝国が把握していない廃坑のルートを使って侵入した。そして、まずは労働者たちに先陣を切らせ、のちにルーメリア共和国軍も加勢する形で、リューデル伯爵領は一時制圧された。
そうした危機的状況に陥ったリューデル伯爵領を救ったのが、予定では形式的な行軍をするはずだった、アナスタシア様の見事な機転と作戦指揮であった。
斯くして、偉大なる救国の英雄アナスタシア皇女殿下の手腕により、ルーメリア共和国による帝国領土の簒奪が阻止されたのである。
――と、いうのが、表向きの話となっていた。
「世情に疎く、申し訳ないのですが、その…。こういうことは、よくあるのですか? 一人の魔法使いが、軍団を2つ全滅させてしまう、といったことは」
「3キロメートル離れた距離から狙い撃ち、二度とも正確に着弾させたうえ、合計およそ3個中隊規模の軍を殲滅させる威力の魔法が、たった一人の魔法使いによって放たれること、ですか。
あるわけございません。前代未聞です。今回のことが漏れれば、戦争の常識が根本から覆るでしょうな」
全滅は、隊の3割を損耗し、指揮系統が崩壊する敗走ラインであるのに対し、殲滅は、10割を失った状態を指す。
アーベントロート卿の発言から、はじめて具体的な規模と数を知り、おもわず息を呑んだ。
彼の言う通り、よくあるわけがない。そんなことが起こりうると知られていれば、私が北部で学んだ軍事教練とて、大きく様相が異なっていただろう。
「皇女殿下は…、常人の数倍か数十倍も物事をおできになることが、多々あります。幼い時分よりずっとそうで、最初こそ、念願の直系子に神童を授かった、と、皇宮中に歓喜の声が溢れました」
アーベントロート卿が身を乗り出し、さきほど自分で淹れた紅茶のカップを手に取り、中身を口にする。時間が経ったわりに湯気が出ていて、カップが実は保温機能つきの魔導具なのだとわかった。
「――ですが、殿下は失敗もなさいます。当然です。最初から完璧な人間など、皇族であろうと有り得ない。ただ、その失敗の代償もまた、常人の数倍から数十倍の規模でした。
不都合な情報は、今回のように隠ぺいさせていますが…、彼女に対して“畏怖”ではなく、“恐怖”を感じている人間も、すくなからず居ます。
グランツェルリヒ皇家の始祖は、ヴァン神族と人の間に生まれた半神だと伝えられていますが、これは単なる王権強化の為の作り話ではないのかもしれない。もしかすると、この話は真実であり、皇女殿下は、先祖返りで神力を得たのかもしれません。
神が人の世で暮らす物語は、神と人双方の悲劇で終わる。さりとて、今さら皇女殿下を神の国にお返しするわけにもいかぬ。我々は、彼女が何者であったとしても、彼女がいる帝国を、良き未来に導かねばなりません」
アーベントロート卿の灰色の目がギラリと光り、私の目をまっすぐ見つめた。
「あなたに問いたい。この話を聞いたうえで、それでもなお、皇女殿下と添い遂げる覚悟はございますか?」
私は、一も二もなく頷いた。
「当然です。私の居場所も幸福も、アナスタシア様の隣以外にはありません」
「では、もし今後、魅力的な居場所や幸福が他に見つかったとしたら? 彼女を見捨てる可能性はありますか」
「まさか! それでも、アナスタシア様から頂いた御恩は既に計り知れません。彼女自身が私を遠ざけたいのでない限り、私はアナスタシア様のおそばにいます」
そう答えると、アーベントロート卿は鷹揚にうなずいた。
「結構」
彼がテーブルにカップを置く。そして、用は済んだとばかりに立ち上がり、背筋を伸ばして、両手を背後で組んだ。
見下ろされた灰の瞳は、どこか穏やかに思われた。
「では、貴殿も“皇女派”の一員です。この船の行き着く先は、黄金郷か、海の底か…。結果は誰にも分かりませんが、前者であることを祈るとしましょう。
この部屋は、もうしばらく空いております。ごゆっくりお寛ぎいただいて構いません。私は、仕事が溜まっておりますゆえ、これにて」
そう言い残すと、アーベントロート卿は挨拶もそこそこに、さっさと歩き去って部屋を出て行ってしまった。
彼と入れ替わりに皇宮の従者が入室してきて、お茶のおかわりや軽食が必要か私に尋ねた。私はそれを丁重にお断りし、代わりに少しの間、思考をまとめる時間を貰うことにした。
***
「うれしいな。これからはこうして、そなたと頻繁に会って、共に過ごせる」
ニコニコと嬉しそうにアナスタシア様が両目を細め、バラの庭園を先に歩きながら、私を見つめ返す。長いまつげの隙間から、国一番のサファイアが見える。
燦々と降り注ぐ陽光に照らされ、揺れる黄金の髪は、光り輝かんばかりだ。
パレードでは白い甲冑をまとっていたアナスタシア様が、今は淑女らしいデイ・ドレスに身を包んでいる。ふんだんに使われた豪奢なレースに、美しい刺繍とリボンがあしらわれたドレスは、アナスタシア様の美しさをよく引き立てていた。
首元は空いていて、彼女の艶やかな白磁の素肌が覗く。陽光の中で見ると、その肌も煌めいている。
私の最愛の、うつくしい人。私の恩人。
私に、愛と言葉を惜しみなくくれた人。
私に、生き延びる機会をくれた人。
私の、唯一。
――彼女をけっして手放さない。何があろうとも、私は彼女の味方で居続けるだろう。
「どうした? ぼーっとして」
ふと気がつくと、彼女は目の前に近づいてきていて、私をふしぎそうに見上げていた。
私は、いそいで社交的な微笑みを取り繕う。
「なんでもございませんよ。アナスタシア様に見とれておりました」
「ほう。紳士らしい世辞が身についてきたな」
「世辞などではございません」
「そうか?」
それ以上アナスタシア様は追求されず、エスコートを求めて右手を差し出された。
左腕を曲げて差し出し、彼女がそこに手をかける。
皇宮自慢のバラの庭園を、光に包まれ彼女と歩む。
人生最高に幸福な時間。
これからはきっと、こんな時間を毎日のように刻んでいくのだ。
***
「……はぁ」
今日は、アナスタシア様の16歳のお誕生日。喜ばしき日だが、今年からは少々勝手が違う。
今晩は、彼女の社交界お披露目が控えている。
お披露目前の未成年は、通常、親族や家の使用人たち以外と接触しない。
これまで、アナスタシア様という至高の宝玉は、外部の貴族の目にさらされてこなかった。初陣のときですら、侍女だけの天幕内以外では兜を取らなかったという。
彼女を目の当たりにして、恋に落ちずにいられる者がどれだけ居るだろう?
きっとトラブルが起きるに違いない。叶うなら、彼女を誰の目にも触れさせたくない。
しかし、彼女のお立場を考えれば、誰が望もうと、そうするわけにはいかないのだ。
化粧台の鏡ごしに、私の姿を見やる。一人きりで私室に居る私の顔には、昔、北部ヒグマの攻撃でつけられた傷跡が残っている。
左目を縦断する、大きな傷跡。左の眼球は摘出となり、今は、魔導具の義眼が入っている。見た目は一見して義眼と分からぬほど自然であり、視界にも不自由はなく、暗視機能も備わった優れものだ。
毎朝の習慣で、この傷跡を隠すための化粧を私は施す。従者にさせてもよかったが、他人をアテにするのはどうも気が進まず、自分でやり方を学んだ。
上等な粉おしろいを、濃淡に注意しながら塗っていくと、みにくい傷跡も、目のクマも、綺麗に隠される。
アナスタシア様がお好きで、美形だと仰ってくださった、私の顔ができあがった。
「……さて。支度をせねば…」
気乗りのしない夜会に向け、私は支度のつづきに取りかかった。
男性側が化粧して傷跡を隠してたら「「「エモ」」」だな…と思いませんか?




