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目隠し皇女は、許嫁の愛が重すぎることにまだ気づいていない。アナスタシア皇女伝  作者: 佐藤みさき
第一部 第二章 ユリウス編

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【Side: ユリウス】そこじゃない

 (こう)(きゆう)()(じゆう)に通された《薔薇(ばら)窓の間》で、出された紅茶と(ちや)()()をいただきながら、アナスタシア様のお()しを待つ。


 (がい)(せん)直後の皇族にどういった仕事があるのかは見当もつかないが、2時間くらいは待つことを(かく)()していた。

 しかし、意外にも1時間ほどで()(じゆう)が来て、アナスタシア様のお()しを伝えた。居住まいを正し、最愛の人がやってくるのを待つ。


 ()(じよ)らを(ともな)い、やってきたアナスタシア様は、カジュアルなティーガウンをお()しになっていた。長旅でお(つか)れのところ、お(きら)いなコルセットを()められていないことに(あん)()する。

 アナスタシア様は、どんなお()(もの)でも最高にお美しくていらっしゃるのだから、あえて(かの)(じよ)を苦しめる必要など(かけ)()もない。


 つい先ほどまで(きゆう)(くつ)にまとめられ、(かぶと)()()まれていたであろう、(かの)(じよ)(ひか)(かがや)く黄金の(かみ)が、天の川のように背を流れて()れている。


「またせたな」


 両手でスカートを広げて(ゆう)()に一礼する()(じよ)らを後ろに従え、アナスタシア様は、スカートを片側だけつまみ、右手を胸に当てて(あい)(さつ)してくださった。


 ()(じゆう)の合図と同時に立ち上がっていた私も、(しん)()の作法に(のつと)り、(がい)(とう)をばさりと(ひるがえ)して、(かの)(じよ)に最上礼を返す。


「いいえ。ほとんど待っておりませんよ。無事のご()(かん)を心よりお(よろこ)び申し上げます、アナスタシア様」

「うむ、ありがとう。こんなに早くそなたに会えて、(わらわ)(うれ)しい」

「ええ、私もです」


 メイドの一人が()()を引き、アナスタシア様の着席を手伝う。

 すぐに熱いお湯で新しい紅茶が()れられ、アナスタシア様のティーカップに注がれた。ほかほかと湯気を立てるカップを取り上げ、流れるような(ゆう)()な所作で、(かの)(じよ)が中身を口に運ぶ。


「はあ、()()しい。パレードに()(かん)報告で(いそが)しくて、ずっと(のど)(かわ)いていた」

「お(つか)(さま)でございました。パレード中は難しかったでしょうが、ご報告の前に(のど)(うるお)されたほうがよろしかったかもしれませんね」

「うん、そう…そうだな。なんだか()()めていて、忘れていた」

「初めてのことですからね。私こそ、お(つか)れのところ、お()しいただいてしまって申し訳ありません。出直しましょうか?」


 (たず)ねると、アナスタシア様はふるふると首を左右に()った。


「いい。いいんだ、本当にそなたに会いたかったから」


 アナスタシア様が(ほほ)()む。この世の何よりも美しい(ほほ)()み、晴天の夜空よりも深いサファイア・ブルーの(ひとみ)

 (かの)(じよ)が私を求めてくれる、至上の喜び。


 これが私への(むく)いなら、これまでの人生の苦痛も、これからある苦痛も、すべて『(いた)(かた)ないことだった』と受け入れられるだろう。


「少し外してくれ」


 アナスタシア様が、部屋にいた()(じよ)たちや使用人・護衛たちに声をかける。

 (かの)(じよ)らは、すぐに礼をして応じ、《薔薇(ばら)窓の間》を出て行った。


 (とびら)が閉まるのを見届けた後、(かの)(じよ)は、()ずかしそうに顔を()せた――いつになく愛らしいお姿に、胸の(おく)がギュッと()()けられる。


「ユリウス、その…(たの)みがあるんだ」

「なんなりと」


 胸を()さえながら、食い気味に応じる。


「すこしだけ、その……(あま)えさせてほしい。……いいだろうか?」


 よろこんで!!!!!


 思わず(さけ)びかけた言葉を()()み、私はつとめて冷静に「もちろんです」と応じた。


 (かの)(じよ)が席を立ち、うながされるまま、私も席を立ってついてゆく。

 (うなが)された先には、《薔薇(ばら)窓の間》の内装に合った、ベージュ色のカウチソファがあった。


 私が先に(すわ)って、少し足を開き気味で(すわ)るよう指示される。そして――アナスタシア様が、その(すき)()に入って、私の(もも)の上にちょこんと(すわ)り、私の(むな)(もと)に身を預けた。

 女性らしい小さな(かた)、細くしなやかな(おん)()は、(うで)を回すと、すっぽりと小さく収まってしまう。

 やわらかくて、いいにおい。


 至福――。


 心臓が(はや)(がね)を打つ。(どう)(よう)(かの)(じよ)に伝わっていなければいいのだが。

 ああ、幸せすぎる。今日私は死ぬのか? いや死ねない。アナスタシア様が必要とされるなら、この胸くらい永遠にお貸しします。


「アナスタシア、さま……?」


 顔に血が上って、紅潮しているのが自分でもわかる。

 ダンス以外で、こんなに(かの)(じよ)()()うのは初めてだ。


 だが、(かの)(じよ)がしゃくりあげる音が聞こえてきて、至福も(こう)(よう)も、冷や水を浴びせられたようにサアッと消えていった。

 アナスタシア様が……泣いている。


「アナスタシア様? どうされたのですか?」

「うん、あのっ……あのな、……言えなくて。すまな、う……グスッ……」


 先の()()(かん)()(おく)(よみがえ)る。


 アナスタシア様のお帰りが(おく)れた理由は、悪天候ではなかった。

 であれば、本当は何が起きた?


「アナスタシア様。(だれ)が、あなた様を悲しませたのです?」


 自分が、かつてないほど殺気立つのを感じながら(たず)ねると、アナスタシア様は首を()った。


「……いい。そいつらは、もう…この世にいない」


 (かの)(じよ)の答えを聞き、殺意が引いていく。

 それでも、アナスタシア様の悲しみは()えないので、私はハンカチを取り出し、(かの)(じよ)(なみだ)をそっと(ぬぐ)った。


(みな)の前では、こわがっているところも、不安がっているところも、見せてはいけないんだ。なにも(こわ)くない、何者にも勝てて当然だ、という態度でいないと……そうじゃないと、(みな)を…不安にさせる、から。

 だから、今だけは……少し、泣かせてほしい……」


「…承知しました。どうぞ、ご存分に」


 私は、アナスタシア様を強く()きしめ、美しい(きん)(ぱつ)の頭を()でた。


 (かの)(じよ)が泣いていると、悲しい。しかし、私にだけ見せてくれる顔だと思うと――どうしようもなく、(ゆが)んだ(どく)(せん)(よく)が満たされ、暗い喜びが()()げた。


 アナスタシア様は、それから数分ほど泣いて――そして、すっきりした様子で顔をあげ、「もう(だい)(じよう)()だ」と笑った。


「ありがとう。そなたが泣きたいときや不安なときには、今度は(わらわ)が受け止めてやろう」


 私は、アナスタシア様のお言葉の暖かさに、思わず(ほほ)()んだ。(かの)(じよ)(ほお)に手を()れ、()でる。


「ありがとうございます。アナスタシア様のおそばに居られるなら、私には、悲しみも不安もございませんよ」

「…そうか。なら、安心だな」


 それから、私たちは再び茶会の席に(もど)り、()(じよ)たちや使用人・護衛らを()(もど)した。


 そして、いつも通りに(たが)いの(きん)(きよう)を話し合い、あらためて、これから(ひん)(ぱん)に会えることを喜び合った。


***


「アナスタシア様に、本当は何があったのか、教えてください」


 ()(しき)の自室に(もど)ってすぐ、私は、アーベントロート(きよう)に通話をかけた。

 通信機ごしに、(さい)(しよう)室のものであろう、(あわ)ただしい会話や足音、がさがさと鳴る書類らしき音や、(とびら)の開閉音が(せわ)しなく聞こえる。


『ああ……』


 アーベントロート(きよう)の声は、前に聞いたときと比べ、(しよう)(すい)していて()()がないように思われた。

 (かれ)が返答を考えている間にも、(さい)(しよう)室の(そう)(おん)()(ひび)いている。すっかり夜も()けているというのに、(かれ)も部下たちも(いそが)しく働いているようだ。


『そう…ですね。……殿(でん)()と、お話された。そう、……』


 てきぱきと()()のない会話が印象的だった(かれ)が、どこか取り留めのない口調で(つぶや)いている。

 よほど(つか)れているのだろう。罪悪感が胸をちくりと()したが、アナスタシア様の(なみだ)を無視するわけにはいかない。


『わかりました』


 アーベントロート(きよう)の声が、何かを決断したような(ひび)きをもって伝わる。


『ただ…()()()()ではお話しできません。…ので、皇女殿(でん)()にお伝えします。…開示しても構いませんと。…直接(うかが)ってください。よろしいでしょうか?』


 (てい)(こく)正規軍や各領の領軍だけが特別に使用を許されているという、秘密回線の存在を思い出す。(ぼう)(じゆ)対策に(すぐ)れた(とく)(しゆ)魔導通信網(マギネート)で、軍事作戦などの国家機密がやり取りされるらしい。

 アーベントロート(きよう)(げん)(きゆう)している()()()()とは、それと比べて(ぜい)(じやく)(せい)のある、(いつ)(ぱん)魔導通信網(マギネート)のこと――つまり、今している通話で使われているもののことだろう。


「わかりました」

『はい。では、失礼します』


 こちらが応じるのも待たず、通話は切られた。

 まとめると、『アナスタシア様を通じて、機密()(こう)である、起こった出来事について聞いて良い』ということらしい。


 私は、次にアナスタシア様にお会いできる日を待ち、事の()(だい)(かの)(じよ)に教えていただくことにした。


***


「ユリウス、よく来てくれた。アーベントロートの(やつ)が、先だっての(うい)(じん)で起きた出来事を、そなたに伝えてもいいと言ってきたよ。

 この間は、秘密にして悪かったな。いちばん親しい()(じよ)たちや女官たちにすら、まだ打ち明けていない。(こう)(きゆう)(ちゆう)(すう)の外に、とても出せる情報ではなかったから…。

 さあ、かけてくれ。話したいことが(たく)(さん)ある。……(わらわ)も、そなたに聞いてほしい」


 アナスタシア様は、ずいぶんと元気を()(もど)された様子で、私を(うれ)しそうに()(むか)えてくださった。

 この日は、きっちりコルセットを()めたデイドレス姿で、頭から(つま)(さき)まで(かん)(ぺき)に整えられていた。(ひめ)(ぎみ)らしく(かざ)られたアナスタシア様の()(ぼう)は、いつにも増して(かがや)かんばかりだ。


 今日通された場所は、《(せい)(ひつ)の間》という見慣れない部屋だった。(はな)やかな《薔薇(ばら)窓の間》とは異なり、最低限の家具が置かれ、少しばかり絵や(はく)(せい)がかかっているだけの、(かざ)()のない場所である。


「ここはな。(ぬす)()きや(のぞ)()を防ぐ()(ほう)がかけられていて、秘密の会話ができる部屋なのだ」


 アナスタシア様が説明してくださり、部屋の意図を理解した。

 気軽に客人をもてなす空間ではなく、内々で国家の機密を(あつか)うための部屋、というわけか。


 アナスタシア様と連れだって、(かわ)()りのソファに(すわ)り、お茶の用意がされたテーブルを(はさ)んで向かい合う。

 最初の紅茶を(いつ)(しよ)に口に(ふく)み、(のど)(うるお)わせている間に、私とアナスタシア様以外の人間が退室した。私たちが、ふたりきりになる。


 かちゃり、とアナスタシア様がティーカップをテーブルに(もど)す。

 そうして、(かの)(じよ)の整った形状の(くちびる)が動き、話し始めた。


「――(うい)(じん)では、(わな)にかけられた。我々は(みな)、まんまとしてやられたのだよ」


***


 アナスタシア様のご説明によると、次のような事態が起きた。


 まず、(てい)(こく)南東に位置するフェルゼンラント辺境州において、小規模な反乱が起きた。反乱勢力を構成する人間は、当初、地元の鉱山労働者たちと伝えられていた。(かれ)らは、つるはしを()(まわ)し、(たい)(ぐう)改善を(うつた)えているとのことであった。

 反乱勢力は、鉱山の一帯を領として管理するリューデル(はく)(しやく)()を取り囲んでおり、(はく)(しやく)(ろう)(じよう)()いられ、助けを求めているとの情報が、辺境州全体の責任者であるフェルゼンラント(こう)(しやく)から(こう)(きゆう)に伝えられた。


 ただ、フェルゼンラント(こう)(しやく)家軍だけでも――それで足りなかったとして、(きん)(りん)領の(えん)(ぐん)を足せば十分に(ちん)(あつ)できる程度とのことで、(てい)(こく)軍の派兵は求められなかった。


 そこで、皇位(けい)(しよう)(しや)であるアナスタシア様の(うい)(じん)として活用する、という提案が、(こう)(きゆう)内で持ち上がったのだという。

 グランツェルリヒ(てい)(こく)の皇位を()ぐ者には、戦場経験がなくてはならない。そのノルマを、この“ちょうどいい()(ごろ)な内戦”で片付けてしまおう、という話だった。


「――“(うい)(じん)”という言葉に()()がって、(わらわ)は、報告を聞いて(いだ)いた()()(かん)を、すっかり忘れ去ってしまったのだ。もっと、よく考えるべきだった。

 その反乱勢力は、規模が小さすぎた。いくらなんでも、勝ち目がなさすぎる。鉱山労働者たちは、そんなに(おろ)かなのか? と。――まあ、結果論だな」


 その反乱は、そうして(てい)()(はな)れるアナスタシア様を(ねら)った、(こう)(みよう)に仕組まれた(わな)だったのである。


 (てい)()アイゼンシュタットを(はな)れるまでの間、アナスタシア様と護衛の(せい)(えい)からなる(てい)(こく)軍は、情報を規制し、いくつかの小隊に分かれて()(みつ)()に移動していた。

 しかし、(てい)()(はな)れた後は合流し、ひとつの中規模軍として堂々と行軍して進んだ。アナスタシア様の軍事演習を()ねているためである。


「直前までは、そう、和気あいあいと進んでいた。『ピクニックだ』と、(はばか)りもせずに言って、兵(たち)が笑っていたよ。

 否定はしなかった。実際、着く(ころ)には(ちん)(あつ)が終わっている()()みであったし、(わらわ)のすることといえば、現地兵(たち)(けん)(とう)(たた)えて、帰ることだけ。

 ちょっとでいいから取りこぼしでもあって、多少、作戦行動らしい空気を味わえないか――そんな風に思っていた。まったく、(あま)えた考えだった」


 道中に問題はなく、あとひとつ領境を()えれば(ふん)(そう)地帯、といったところで、事は起こった。

 報告にあった反乱勢力とはまるで(ちが)う、正規の訓練を受けた軍隊が(とつ)(じよ)として現れ、アナスタシア様たち(てい)(こく)軍を包囲しつつあることが分かったのだ。


 それら敵対勢力は、(りん)(せつ)するルーメリア共和国の軍であった。敵軍は3つの軍団に分かれ、三方からアナスタシア様たちを包囲しようと近づいてきていた。

 その総数は、アナスタシア様たち中規模軍の優に2倍であった。


 どんなに(ゆう)(しゆう)(せい)(えい)も、数の前では無力である。強さが2の兵が1人より、強さが1の兵が2人いるほうが強い。さらに、戦略上、包囲しているほうが、包囲されているほうよりも有利に戦える。


 (せい)(えい)(ぞろ)いのはずの軍は、()()(きよう)(かん)のパニックに(おちい)った。

 アナスタシア様を()がそうにも、三方包囲のせいで、どこに向けても追いつかれてしまう。()()()の小隊を複数走らせたとて、アナスタシア様が(つか)まらずに済むかは(うん)()(だい)だった。


(おそ)ろしかった。名ばかりの総司令官の(わらわ)とは(ちが)う、歴戦の司令官や将校たちが、(みな)して青ざめ、()(せい)をとばして指揮系統を()()しようとした。笑っていた兵(たち)も、真っ青な顔をしていた……。

 あんなに学んできた戦略・戦術の数々を、1パーセントも思い出せなかったように思う。()(じよう)と戦場とは、全然ちがった。強いプレッシャーと死の(きよう)()とが、頭を真っ白にしてしまう。

 だけど、(わらわ)がやらなきゃと思った。(わらわ)も血の気が引いていたし、手も声も(ふる)えて、(さけ)び出さないのがやっとだったが、自身に()(すい)()(ほう)をかけて、(きよう)()()()させた。

 ――軍の規定で、術式を()めてきていたんだ。()(りよう)用だと思っていたよ。()(りよう)にも使うだろうが、かすり傷ひとつ負っていなくとも必要になるだなんて」


 そうしてアナスタシア様は、うろたえる(てい)(こく)軍に(げき)を飛ばした。


『うろたえるな、(てい)(こく)軍人たちよ! (わらわ)には策がある! 《常勝の金()()》の(まつ)(えい)たる、このアナスタシア・エルスティナ・フォン・グランツェルリヒの名において約束する! (わらわ)が必ず、()が軍の勝利を得てみせる!』


 (てい)(こく)軍兵たちは、大の男が()(ろた)え青ざめる(じよう)(きよう)のなか、(ゆう)(かん)にそう言い放った14の(ひめ)(ぎみ)(あつ)(とう)され、落ち着きを()(もど)した。


 アナスタシア様は、近くの高台を(きよ)(てん)として防衛(じん)を固めるよう、司令官と将校らに命じた。(かれ)らは、アナスタシア様の策を(たず)ねた。


『今から大規模出力の(こう)(げき)術式を書き、それで敵軍を最低1団(ぜん)(めつ)させ、包囲に穴を開ける。なので、防衛(きよ)(てん)を立ち上げ後、30分――いや、15分ほど時間が()しい。

 次善の策として、今すぐ(えん)(ぐん)(たの)む伝令を出し、助けが来るまでここで持ちこたえることとする』


 戦場その場で術式を書くなど、(ぜん)(だい)()(もん)のことであった。簡単な()(ほう)なら()(かく)、軍事利用可能な規模の術を(そく)(せき)で編み上げるなど、不可能としか思われなかった。


「正直、()(すい)()(ほう)で正気をなくしていなければ、(わらわ)とて、とても冷静に術式を書いていられなかった――と、思う」


 アナスタシア様は、大判の作戦地図をひっくり返し、(うら)(めん)にペンを走らせ、術式を書き始めた。


『信じろ』


 アナスタシア様のお言葉に、司令官・将校らは同じく(かく)()を決めた様子で敬礼を返した。


 そうして、15分で編み上げられた術式は、運良く動作し、アナスタシア様の(ぼう)(だい)()(りよく)(ほとん)ど使い切り――


 敵軍を2団、まるまる()()ばした。


「ありえない()(ちや)だった。()が方が()()んでも、ちっとも不思議じゃなかった。だが、()(せき)(てき)にうまく動いて――それで、(ねら)い通り(だん)(ちやく)したんだ。残ったのは、()が軍より数の少ない1団のみ」


 アナスタシア様が起こした()(せき)に、(てい)(こく)軍は()いた。士気はこれ以上ないほどに上がり、その名に()じぬ(せい)(えい)軍たちは、残ったルーメリア軍を(ゆう)(ゆう)()らい()くした。


***


「――と、いうわけだ。士官教育を受けてきたはずが、まんまと敵の策略に乗ったあげく、戦略も戦術もない、(ちから)(わざ)()(じゆつ)()()けてしまった。

 もうな、()ずかしいだろう? 色々と。(わらわ)も、(こう)(きゆう)の者たちもしてやられて、あわや(せい)(えい)(たち)(ぜん)(めつ)(わらわ)は敵国に(とら)われの身となりかねなかった。一大スキャンダルだよ」


 アナスタシア様に、(うそ)をついておられる様子は(いつ)(さい)ない。

 だが、にわかに信じがたい話であった。


 アナスタシア様おひとりの力で、文字通り(いつ)()(とう)(せん)の働きをしてしまうだなんて……。

 そんな、物語ではあるまいし。


「本当の、話なのですか?」


 思わずそう(たず)ねてしまったが、アナスタシア様は気を悪くした様子もなく、くすくすと笑って応じた。


「信じられないよなあ。わかるよ。高火力術式を、試験もせずに実戦投入だなんて。(わらわ)に術式製作を教えた、教師のクビが飛びかねない行いだ」


 アナスタシア様は、おどけたように手で首をはねるジェスチャーをしてみせた。


 ちがう、そこじゃない。そこじゃないのだが、それ以上は()()まないことにした。


「――それで、非常に()ずかしい失態であるからして、(おおやけ)の発表は、事実と異なるものにすることとなった。だから、内密に(たの)む。

 ああ、打ち明けられてすっきりした!」


 アナスタシア様は、にこにこと()(じや)()にお笑いになりながら、冷めてしまった紅茶を取り上げ、(のど)(うるお)していた。

バカップル、永遠にイチャイチャしろ。幸せであれ……。

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