【Side: ユリウス】悪い予感
帝都アイゼンシュタットに到着してから、3日が経った。領から必要最低限だけ持ち出した荷物はすべて、とっくのとうに荷解きを済まされている。
だが、アナスタシア様からのお返事は、まだ来ていなかった。
念のため、使ったことのなかった魔導通信メッセージもお送りしてみたが、そちらからの返信もない。
なにかがおかしい。
焦燥が募る心地ではあったが、今日やってくる予定の客人のおかげで、疑問は解消できそうであった。
帝国宰相ヴォルフラム・ヨアヒム・フォン・アーベントロート。
北部を出身とする、かの宰相が、到着翌日に短い文を寄越してきた。曰く、『急で申し訳ないが、話があるので訪問する』とのこと。
私の記憶が正しければ、これは貴族としてかなり無礼な振る舞いらしい、と習った。
貴族が貴族の家に訪問するならば、遅くとも1ヶ月は前に約束を取り付けねば礼にもとる。しかも、『訪問してよいか?』ではなく『訪問する』と一方的に決めつけるなど、論外だ。
ただ、近日中に皇宮を訪ね、情報を得たかったところなので、今回は渡りに船だ。しかし、彼がどういうつもりなのかは注視したほうがいいだろう。“舐められている”のであれば、放置するべきではない。
彼について、『ヴァイセンドルフ麾下の北部出身であるくせに、辺境伯家当主への礼儀がなっていない』と、【父上】は悪し様に罵っていた。
一方で、アナスタシア様からの評価はそう悪くなく、『意地悪だが、言うことは正しい』と仰っていた。それに、お父君である皇帝マクシミリアン陛下の側近として召し上げられた経歴もある。
いずれにせよ、会っておいて私にも損はない。
一時伝達係としたメイドから知らせを受け、居室を出て、応接室に向かう。
扉のそばに控えた従僕たちが、私の到着を中に知らせ、応接室の扉を開いた。
中では、ソファにゆったりと座り、瘦せぎすの青白い男が茶を飲んでいた。明るい日照の差す応接間で、ふしぎと彼の居場所だけが暗く影を落として見える。
黒地の文官服には豪奢な刺繍が施されており、彼の地位の高さを物語っていた。
ソファの後ろでは、似たような黒の式服を身につけ、ぴしっと両手を背に回し、微動だにせず直立する護衛官らが従っていた。
彼の視線が私に向いたとき、その眼光がぎらりと閃いたように見えた。
なるほど。彼こそが、帝国最恐と畏れられる、宰相アーベントロート卿に間違いないだろう。
「はじめまして。帝国宰相の任を賜っております、ヴォルフラム・ヨアヒム・フォン・アーベントロートと申します。この度は、突然の訪問をお許しいただき感謝いたします、アーデルシュタイン候。――それと、侯爵位のご継承、おめでとうございます」
ティーカップをテーブルに置きながら、何の感情もない平坦な低い声で、アーベントロート卿はそのように簡素な挨拶と祝辞を述べた。
なるほど、【父上】が嫌いそうなタイプだ。私が皇配候補だということに、まるで忖度するつもりがない。
ただ、見下しているような雰囲気も、今のところは感じられない。『社交辞令や愛想のたぐいを完全なる無駄と信じている』という、アナスタシア様の見解が思い起こされる。
私は一旦、無礼への反撃をしないことに決め、同じく淡々と応じることにした。
テーブルを挟んだ、アーベントロート卿の反対側のソファに向かい、彼の正面に腰掛けながら言葉を返す。
「はじめまして、アーベントロート卿。ユリウス・カスパール・フォン・ヴァイセンドルフです。お噂はかねがね、伺っております」
「さぞ悪い噂ばかりでしょうな」
ふん、と鼻で軽く笑いながら彼が応じる。私はゆるく首を振って応じた。
「そうでもありません。アナスタシア様は、『意地悪だが、正しいことを言う』と手紙で仰っておられました」
軽い社交辞令のつもりで言ってみると、予想外の反応が返ってきた。
温かい感情というものを何ひとつ持ち合わせていない、といった様子を前面に出していたアーベントロート卿が、ほんの僅かだが、ふわりと微笑を浮かべたのである。
「そうですか」
それは一瞬のことで、彼はすぐに鉄面皮に戻っていた。
どうやら、アナスタシア様のお味方だという点だけは、信用してよさそうである。
「失礼を重ねて申し訳ございませんが、私にはあまり時間がありません。手短に本題をお伝えしたく存じますので、お人払いをお願いします」
アーベントロート卿の言葉に私は頷き、使用人たちに軽く手を振って退室を促した。アーベントロート卿の後ろに控えていた護衛官らも、それに続いて部屋を出て行く。
扉が閉まると同時に、アーベントロート卿は話し始めた。
「まずは…そうですな。皇女殿下からの連絡がない件について、気になっておいでと思います」
彼の言葉に、私は深く頷いて応じた。
「帝都に移る旨の手紙を送ったのですが…あの、たいへんに筆まめなアナスタシア様から、一向に返事がなく」
「ええ、そうでしょうな。これは極秘事項でお願いしますが、殿下は今、南部の紛争地に向かっておられ、ご不在なのです」
「なんですって?」
アナスタシア様を紛争地に? 皇宮はいったい何を考えて??
そう考えた私を宥めるように、アーベントロート卿は軽く右手をあげて制した。
「落ち着いてください。少々長めの――そう、2週間ほどかかるピクニックに出かけられただけです」
「それは、どういう」
「なに。グランツェルリヒ皇室の、くだらぬしきたりですよ。『グランツェルリヒの皇位を継ぐ者は、自ら戦場に立てねばならぬ』という。つまり、戦場経験がない者は皇位を継ぐべからず、というルールがあるのです。
私に言わせれば、大切な皇位継承者を無闇に危険に晒すなど、逆賊どもに有利な条件をくれてやるようなものですがね」
アーベントロート卿が、苦々しげに吐き捨てる。心底不満に思っているであろうことが、その態度から察せられた。
「…まあ、そういう訳で。ちょっとした小競り合いが南部で起きましたので、精鋭で守りを固めた皇女殿下に向かって頂き、到着する頃には鎮圧を終えているであろう現地の領軍に、ねぎらいのお言葉をひとつふたつかけ、戻ってきていただこうかと。
そうして、しきたりのノルマをご達成いただく。そういった泊まりがけのピクニックに、今は出かけておいでです」
彼の説明を聞き、私は、ホッと胸をなで下ろした。
南部の紛争については初耳だが、それも含めて秘匿されているのであろう。
アナスタシア様に危険が及ばないのであれば、それでいい。
「安心しました。いつお戻りの予定ですか?」
「ちょうど来週です。お戻りの際は大々的に凱旋パレードを行いますので、嫌でも分かるでしょう。貴殿にも皇宮で出迎えていただければ、殿下がお喜びになると思います」
「ええ、そうします。…ああ、彼女にお会いするのが楽しみです」
私は、おもわず顔をほころばせながら応じた。
豪奢に飾り立てられた愛馬のリュシエールにまたがり、意気揚々と凱旋されるアナスタシア様の勇姿が目に浮かぶ。無骨な鎧すら、絹のドレスや宝石に負けじと、彼女を美しく引き立てていることだろう。
「…と、いうのが一つ目の用件です。もう一つの用件ですが――私が、貴殿の皇配教育の主任担当者となりましたので、ご承知おきの程をよろしくお願いします」
アーベントロート卿の平坦な声がつづき、私は慌てて想像の世界から目の前に意識を戻した。
多忙であろう帝国宰相が、私への皇配教育を?
首をかしげた私に、アーベントロート卿は、私の考えを読んだように頷いて応じ、説明をつづけた。
「皇太子妃や王妃ならば兎も角、皇配――皇太女配とでも言うべきでしょうか? まあ、言いづらいので皇配としますが――皇配候補の教育役となると、前例が少なく、都合のよい人員確保もできませんでな。
私以外にも担当者を置きますし、直接の教育には各科目の専門家を呼びます。私ではご不満でしょうが、そうですな…14の若さで一人、ご生家を離れて暮らす侯爵の、保護者がわりと申しますか。あくまで皇宮側の人間として、ですが、そのようなつもりではおります。
貴殿が心身ともに健やかにあることも、国家の重要事項でございますから。ある程度は、宰相としての通常業務を差し置いてでも、貴殿への対応を優先します」
アーベントロート卿は、あくまでも淡々とした口調で低い声を響かせながら、そのように述べる。
意外にも、冷酷と聞く帝国宰相殿は、ずいぶん私に気を遣ってくれているようだった。
「ですので…そう。何か、お困りのことや、悩み事がおありでしたら、私に相談なさっていただいて構いません。…まあ、気が進まないでしょうから、もう少し、お話しやすそうな部下を遣りますが――」
「それでは、」
私は、もう一歩踏み込んで、彼の真意を探ってみることにした。
「ひとつ、ご相談しても?」
私が尋ねると、アーベントロート卿は意外そうに目を少し見開いたあと、すぐに無表情に戻った。
「ええ、どうぞ」
「じつは、こちらの屋敷の家令が、先日私に無礼を働きまして。今は一旦、私の目に触れぬよう働けと命じておりますが、不便な状況です。
私は、6年後には家から籍を抜く身ですし、そうでなくとも、辺境伯家の家令を任せられる人材を別途確保することは難しいでしょう。
このまま我慢してもいいのですが――」
「でしたら、こちらで目ぼしい人材を選定して、寄越しましょう」
話を聞きながら既に心当たりを思いついた様子で、アーベントロート卿は私の言葉に被せるようにして、そう提案してきた。
「…見つかりますか? 6年ぽっちで居なくなる侯爵のために働く人材が」
「働きと相性が良いようなら、貴殿の婿入りについて来させ、そのまま皇宮でも補佐官なり侍従なりにお使いになればよろしい。未来の皇配殿下の側仕えになるチャンスですから、優秀な人材が自ずと殺到してくることでしょう」
彼の言葉を聞いて、私は少し驚きつつ、納得して頷いた。
さすがは、歴代でも優秀と言われる宰相だ。無知な14歳の子供では思いつかない解決策を、すらすらと出してくれる。
「参考までに、どういった無礼を働かれたのですか」
「……その。過去に嫌な出来事があって、それに絡んだ指示を出した…のですが、冗談だろうと、その出来事を否定されまして」
「はあ、それはクビにするべきですな。再就職先の紹介状をくれてやる必要もございません、今すぐ屋敷を追い出してよろしいでしょう」
あっさりとそう切り捨てられ、私は少し動揺した。
「でも…いいのでしょうか。私がそのような、勝手なことをして」
「貴殿は侯爵で、今はこの屋敷の主人です。使用人を管理し、場合によっては解雇する権利がございます。あなたが過ごしやすい家になさってください。
お父君やお母君から苦情が出て困るようでしたら、私が説得しても構いません」
説得、という言葉に含みのある響きをもたせ、堂々と言い放った彼に圧倒されて、私はおもわず身を少し引いた。
すると、彼は少しばつの悪そうな顔をして、ソファの背もたれに身を引いた。同時に、彼の威圧感がふわりと和らいだ気がする。
「失敬」
彼はそう謝ると、ティーカップを取り上げ、すっかり冷めた紅茶を口に運んだ。
自分の唇が乾いていることに気づき、私も同じように紅茶を飲む。
「……それで、新任の家令ですが、どういった人物をご希望されますか?」
アーベントロート卿に尋ねられ、私は考えた。
「そうですね…。あまりプライベートに踏み入ってこない…黙々と、口数少なく働いてくれるような方、でしょうか」
「承知しました」
そう彼が応じたあと、アーベントロート卿の灰の瞳が、ちらと部屋の柱時計に向けられる。
「すみませんが、本日はここまでに。また伺います。それと、私の魔導通信の連絡先を差し上げますので、何かあればこちらに。――それでは」
そう言いながら、懐から1枚のカードを取り出し、テーブルの上にスッと載せる。
カードには、帝国宰相ヴォルフラム・ヨアヒム・フォン・アーベントロート、と書かれた下に、魔導通信の宛先が記載されていた。
彼が立ち上がり、胸に手を当てて軽く頭を下げる。私が同じように略礼を返すのも待てないといった様子で、彼は足早に応接室の扉に向かった。
「見送りは結構です。お邪魔いたしました」
去り際にそう言い残し、扉を開け、彼は去って行った。
***
アーベントロート卿の最初の訪問から一日と経たず、皇配候補の学習カリキュラムについて、書類と手紙が届けられた。それらに目も通し終えていないうちに、翌日、私の現状を知るために皇宮の教育官が遣わされ、いくつか試験を受けた。
僅か3日後、彼から「家令の候補者を3名ほど見繕ったので、面接可能な日時を教えてほしい」と早々に魔導通信がきた。
皇宮内の時間は、ヴァイセンドルフ領の3倍は速く進んでいるに違いない。すさまじい速度で、私のやるべきことがどんどん積み上げられてゆく。
しかし、悪い気はしなかった。やるべきことが不明瞭のまま、無意味に思われる努力を漠然と強いられていた頃に比べると、ずっと安心感がある。
だが――1週間が経過しても、アナスタシア様の凱旋パレードは行われなかった。
アナスタシア様からのお返事も、まだない。彼女は、まだ帝都に戻ってきていない。
行軍が予定通りに進まないことは、まあよくある話だ。ヴァイセンドルフ領軍での任務でも、悪天候や、害獣・盗賊への緊急対応で日程が遅れたことは多くある。
行きはともかく、帰りを急ぐ必要はない。さらに、皇族を護りながらの行軍とくれば、安全第一で日程を遅らせる理由も増えることだろう。
アーベントロート卿や、派遣された家庭教師らからの課題に取り組み、日課のトレーニングもこなし――3日が経ち、5日が過ぎ――さすがに、胸騒ぎを抑えきれなくなった。
『アナスタシア様のお帰りが遅いようですが、なにかあったのですか』
アーベントロート卿に魔導通信を送る。すると、1分と経たないうちに返事が来た。
『悪天候がつづき、安全のために中継地点で逗留されております。じきにお戻りになりますよ』
……本当に?
そう聞き返したくはなったが、送信直前に踏みとどまった。
大丈夫。アナスタシア様は、お強い。帝国軍の兵士や騎士たちも。
そもそも、戦闘があるわけでもない。かならず無事にお戻りになる。
そう自らに言い聞かせて、私は、今やるべきことに集中することにした。
***
翌日、帝都アイゼンシュタット中に『皇女凱旋』の先触れが響き渡り、初陣から帰還したアナスタシア様と、彼女を護る精鋭の帝国軍たちが華々しく迎えられた。
その報を受けて、私はさっそく身なりを整え、皇宮でアナスタシア様をお出迎えするべく、馬車に乗り込んだ。
御者に指示を出し、皇宮に向かう大通りのそばで止まる言って、凱旋パレードの先頭を窓越しに見る。
アナスタシア様は、白く美しい鎧を纏い、赤い外套を靡かせ、堂々と背筋を伸ばしてリュシエールにまたがっていた。
美しいお顔と金髪は、白い兜に隠されている。見えるのは、きゅっと引き結ばれた形のいい唇と顎だけだった。
人々の歓声に包まれ行進する彼女は、まさしく次代の皇帝にふさわしい威厳の持ち主である。
「アナスタシア様…よかった」
私は安心して、おもわず顔をほころばせながら、彼女の勇姿をじっと眺めていた。
「若様。そろそろ参りませんと、皇女殿下がお先に宮殿へ着いてしまいますよ」
御者にそう言われるまで、私はついパレードを眺め続けてしまっていた。
「そうだな。出してくれ」
「御意」
私は、窓から目を背け、皇宮で彼女を出迎えることに意識を戻した。
ああ、もうすぐ彼女に会える。
そう考えると嬉しくて、幸せだった。
***
アナスタシア様はまず、総司令官として、皇帝代理の皇后陛下に帰還報告をするべく、玉座の間に向かう。
なので私は、玉座の間に向かう通路の途中で、アナスタシア様の侍女らや、出迎えを希望した皇宮使用人らなどと並び、彼女が来るのを待った。
侍女やメイドらは、アナスタシア様の帰還を喜び、和気藹々と談笑しながら待っていた。
やはり、トラブルなど何も無かったのだ。皇子ならまだしも、姫君を連れているということで、多少の小雨でも「お風邪を召されぬように」と、途中の街に留まりでもしていたのだろう。
私が護衛軍の立場でも、おそらくそうする。
やがて、白い鎧をまとったアナスタシア様が、兜を小脇に抱えて歩いてきた。
歓喜で身体中が震える。彼女を見つめていると、ふと目を上げたアナスタシア様と目が合う。彼女が笑みを浮かべた。鏡映しのように、私の頬も自然と緩む。
「ユリウス!」
それまで堂々と闊歩していたアナスタシア様が、年相応の少女らしく駆け出し、私の元に来てくれた。抱きつくため、腕を広げながら。
侍女たちでも、使用人たちでもなく、最初に、この私に。
私は、ぞくぞくとする優越感の喜びを感じつつ、両腕を広げて彼女を受け止めた。硬い鎧のせいで、彼女の柔らかな肉体を感じ取れないのが惜しい。
「ユリウス、どうしてここに? 北部に居る時期だろう」
「ご不在の間に、こちらに越してきたのです。これからは、ずっとお側に居られますよ」
「ああ…! そうか、嬉しいよ。ちょうど、そなたに会いたかったから」
「ふふ。私もです、アナスタシア様。あなた様にお会いしたかった。
悪天候で遅れたと伺っております。災難でしたね」
「悪天候…?」
私の言葉に、アナスタシア様がきょとん、とした表情を浮かべ、首をかしげた。
それを見て、ざわり、と、鎮まったはずの胸騒ぎが再び込み上げる。
「え…?」
「あ、ああ。そうだな。天気が…そうだ。いかん、そなたと話していたら、母上への報告が明日になってしまうな。行ってくる。また後で話そう、ユリウス」
ぽんぽん、と私の胸を軽く叩き、アナスタシア様は私の元を離れた。
そして、侍女らや使用人らにも軽く手を振り挨拶を交わしつつ、そそくさと玉座の間に向かっていく。
「……悪天候が理由では、ない?」
確信を得た悪い予感が、私の胸に渦巻いていた。




