【Side: ユリウス】なにも、知らないくせに
若い個体のヒグマを何頭か見つけ、いつものように仕留めていった。
母熊のもとを離れたばかりなのか、確かに、ヒグマにしては近隣に集中している気がする。
だが、小さい個体ばかりで、話にあった大型個体は見当たらない。
長生きした大型個体は賢い。狩りの騒ぎを聞きつけて、とっくの昔に逃げ出したのだろう。
いつものように血抜きをして、魔法で軽量化を施し、ヒグマの死体を森の外まで運ぶ。
入り口ならば村からそう遠くないので、後ほど住民に回収しに来てもらう予定だ。
私の討伐は、討伐実績が欲しいという自己都合によるものだ。村の彼らの親切は、生活の安全が欲しい彼らとの、いわば利害一致の結果にすぎない。
とはいえ、命令されたことだけに従うことだって、彼らにはできる。私が頼んでいないことも先回りして、進んで世話を焼いてくれることは…たぶん、彼らの厚意なのだろう。
貴族は、おいそれと平民に頭を下げてはならない。仕えられ尊ばれることは、当然のこととして悠然と受け止めねばならない、と教わった。
なので私は、彼らの厚意に礼を言えない。
だが、感謝は行動で示せば良い。
私自身には『討伐した』という結果さえあればよく、本当は、害獣の食肉加工を見越した血抜きをする必要はない。貴族の食卓に上る上質な肉はこのあたりでは取れないので、私自身が食べることもない。
それでも、食用に適した獣の討伐で欠かさず血抜きを行っているのは、これを引き取り食べる村人たちのためだ。
魔法で仕留めるほうが楽でも、弓矢とナイフで仕留めているのは、獣の内臓を破って肉質を悪くしないためだ。
どのような身分の者が相手であっても、してもらった親切には、親切で返すほうがよい。そうすれば、相手も「もっと親切にしよう」と思うし、何より、そのように振る舞う方が自分も幸福を感じられるから。
そう教えてくださったのは、アナスタシア様だ。
彼女が言ったとおり、獣の食肉化を意識するほうが手間は増えているのに、そうしなかったときよりも気分が良い。
やはり、アナスタシア様は素晴らしい方だ。彼女の言うことに間違いなどない。彼女のそばにいられれば、彼女に従っていれば、きっと誰もが幸せになれる。
そう考えた直後、屋敷での兄上たちとのやり取りが記憶に蘇った。
私を案じる言葉を言う彼ら。そんな彼らに冷たく当たる私……。
じくり、と、不快な感覚が胸を侵食する。
「……私は、悪くない」
そう口に出す。言葉にするのと同時に、頭の中で誰かが『お前が悪い』と言った気がした。
「全部あいつらのせいだ」
『本当に?』
「私は、あの家族に殺されかけた」
『じゃあなぜ、彼らはお前の安否を気にかける?』
「…全部、今更だ」
一人で暇になると、いつも“これ”が喋り始める。
私ががむしゃらに動いている理由には、一刻も早くアナスタシア様のおそばで暮らしたいことだけでなく、“これ”を黙らせたい、という理由もあった。
『お前が“悪い子”だったからいけない』
「違う……」
『両親は知っていたんだ、あのメイドも』
「違う。私は、何もしていない。アナスタシア様も、そう仰るはずだ」
『そうか? あの方は、よく知らないだけじゃないか? お前の真実を知ったら、あの方はどう思うかな』
「うるさい!」
“これ”に返事など、するべきではなかった。悠長に会話など、しているべきではなかった。
きちんと耳をそばだてていたなら、気づかないはずは無かったのに。
目の前に、大きな暗い影が落ちる――大型のヒグマ、のような。
振り返ったときには、遅かった。大型ヒグマの巨大なツメが、猛烈な勢いで私に迫っていた。
***
傷が、熱い。
大型ヒグマは倒した。最大出力の風切魔法を放って、粉々の肉塊に変えた。
私は、ヴァルトガイストが待つ、森の入り口に引き返していた。
片目が見えない。腹部の傷は、一歩あるくたびに地面に血を滴らせる。止血の応急手当魔法をかけたが、気休めでしかないようだ。
ヴァルトガイストの姿が見えた。私の姿を見て、彼は激しく動揺し、いなないていた。
私は、彼に騎乗しようとした。しかし、うまく足に力が入らなかった。
視界が、暗くなっていく。ふらりとよろめいて、そのまま地面に倒れた。
うまく起き上がれない。
ヴァルトガイストが激しくいなないている。
私は――死ぬのか?
薄れゆく意識の中、ヴァルトガイストのいななきも聞こえなくなっていく。
あぁ、ここから――ヴァイセンドルフ領から、出たかった。
こんなことなら……こんなに努力しても、苦しいばかりの人生なら――
「『最初から……生まれずに済んだら、よかった……』」
ああ、寒い。
最期に、そう思った。
***
目を開くと、自室のベッドの天蓋が目に入った。部屋は暖かい。
ここは冥界だろうか、と一瞬思ったが、兄上たちの声がして、現世だと知った。
「ユリウスッ! 目が覚めたのか!?」
「ああ、よかった……!」
目だけを動かして辺りを見回すと、アウグスト兄上とマティアス兄上が、真っ赤に泣きはらした目をして側にいた。周囲には、治療器具と思われるものや、医者らしき男、看病にあたっていたらしき使用人たちの姿もある。
どうやら、私は助かったらしい。
「アウグスト兄上、マティアス兄上……」
私は、二人の名を呼びかけつつ、身を起こそうとした。瞬間、ぴりりと痛みが走り、うめいてベッドに再び沈む。
「ユリウス、まだ動くな!」
「そうだぞ。お前、ついさっきまで酷い高熱でうなされていて、…医者にも、助かるかどうかは天次第だと言われてっ…!」
言われたとおり、私はベッドに仰向けたままでいることにした。
そして、二人から事情を教えてもらった。
森の入り口で倒れたあと、ヴァルトガイストは、直前に訪れたエーベルグルント村まで一頭で向かい、異常を知らせて村人を呼んできてくれたそうだ。
ヴァルトガイストは賢い馬だし、待たせている間、できるだけ不自由にさせたくなかったので、いつも、手綱をどこかに結びつけるなどの拘束はしていなかった。それが今回、功を奏したようだ。
いつも大人しいヴァルトガイストが、尋常ではない様子で騒いで暴れていて、しかも主人を連れていなかったので、村人もただ事ではないと察し、ヴァルトガイストの先導で森に向かった。
そうして、血まみれで倒れている私を発見し、村に運んで手当を施したあと、屋敷に連絡を寄越してくれたのだという。
「そうですか。ヴァルトガイストにも、エーベルグルントの村民たちにも、感謝しなければなりませんね……」
「ああ。私たちから礼を言っておいた。それにな、ユリウス、他にも良い知らせがある」
アウグスト兄上が、顔をほころばせて続けた。
「ようやく、父上の許可が下りたぞ! お前は、帝都のタウンハウスに移っていいそうだ。だから、もうこんな無茶をするんじゃないよ」
私は、その知らせに目を見開いた。
「本当に…?」
「ああ、そうだよ!」
「私とアウグスト兄上で、父上を詰めたんだ。『この調子でユリウスが死にでもしたら、皇室になんと申し開きをなさるおつもりか』、『あなたのせいでヴァイセンドルフ家は取り潰しになるだろう』とね」
「そう、『あなたが真相を隠しても、我々が事実を証言するから無意味ですよ。なにせ、そうなったら、継ぐ家すら無いでしょうから!』とな」
「『ヴァイセンドルフ辺境伯家史上最悪の当主フリードリヒ! その汚名は、北部人の記憶に長く刻まれることでしょう』とも」
「『亡き前当主のお祖父様のお言葉は、まさしく真実であった、とも語り継がれることでしょうな!』とかな」
どうやら、兄上たちが説得してくださったおかげで、私はついに目的を果たせたらしい。
涙がこぼれた。私は、あんなにひどい言葉ばかり浴びせてきたのに、どうして彼らは、私なんかに親切にしてくれるのだろう……。
「アウグスト兄上、マティアス兄上……、ありがとうございます」
そして、ごめんなさい。
そうは言葉にできなかったが、兄上たちは優しく微笑んでくれた。
「かわいい弟のためなのだから、当然だ」
「そうだよ、ユリウス。やっと、大好きな皇女殿下の許に行けるね。……今度こそ、幸せにおなり」
二人の温かく大きな手のひらが、私の頭をなでた。
***
冬が始まる直前の秋、いつもとは違う時節に着いた帝都アイゼンシュタットの空気は、いつもより少しひんやりとしていた。
それでも、ヴァイセンドルフ領と比べれば随分と暖かい。
帝都に入る直前、私は馬車を降り、ヴァルトガイストに騎乗して、タウンハウスに向かうことにした。
ヴァルトガイストを伴い、領を離れるのは初めてだった。見慣れぬ景色に、彼もどこかうきうきしているように見える。
帝都のヴァイセンドルフ家タウンハウスに着くと、使用人たちが玄関の前で待ち構えていた。
私がヴァルトガイストから降り、扉に向かうと、彼らが一斉に頭を下げる。
「おかえりなさいませ、アーデルシュタイン侯爵閣下」
「「「おかえりなさいませ」」」
私は、軽くうなずいて応じ、屋敷の中に入っていった。
毎年過ごしている屋敷だが、今日はどこか雰囲気が違うように感じる。
私につづき、使用人達も中に入ってくる。
すかさず私に話しかけてきたのは、家令のアルノルト・ヘルヴィッヒだ。
「お部屋のご準備はできております」
「ご苦労。どこにした?」
「当主様のご寝室に」
「……【父上】の部屋に? 彼が来るときに文句を言われないか」
「旦那様からも、お許しが出ております」
「そうか? なら、いいが」
これも、兄上たちの采配かもしれない。
寝泊まりできればどの部屋でもよかったが、彼らの気遣いならば、ありがたく受け取っておくことにしよう。
2階に上がり、元は【父上】の部屋であった寝室に向かう。
その後ろから、ヘルヴィッヒもついてくる。
「本日は、もうお休みなさいますか」
「ああ。そうする」
本当はすぐにでもアナスタシア様に会いに行きたかったが、珍しく彼女から手紙の返事がなく、約束をとりつけられていなかった。
明日、再度この屋敷からも手紙を送り、様子をみるつもりだ。
「何か必要なものがございましたら、このヘルヴィッヒに何なりとお申し付けください」
「わかった。……ああ、そうだ」
寝室に入る直前、私はヘルヴィッヒの方に振り返った。
灰色の髪を短く刈り上げ、黒藍色の燕尾服を身に纏った老齢の家令と目が合う。
「聞いているかは知らぬが、私は、5つの頃まで、本邸の離れに監禁されていた」
「は……?」
「そこで私は、唯一の世話係のメイドから虐待を受けており、食事も暖房もろくにない環境で、言葉すら話せぬまま、両親二人共に放置されていた。理由は、『三人目は娘が欲しかった』だとか何とか。
それで、皇室からの縁談が来てから、いそぎ必要な教育を受けたのだが、おそらくはまだ不足がある。なんというか、……本来の、普通の…まっとうな家庭で育った人間にはある、なにかが。
そういったものを補填できる、家庭教師かなにかを手配してくれ」
アナスタシア様は、孤児院や、家庭内暴力から逃げたい母子などを守るシェルターなどへの出資に関心が強く、そうした施設を積極的に支援していると教えてくださっていた。
平民の中には、生みの親から迫害される不幸な子供も珍しくなく、そうした子供のために特別な支援が必要で、そのための職員教育を推し進めているとも話されていた。
なので私は、貴族に生まれ、そういった状況に追いやられた人間のための支援策も、てっきり帝都にはとうに存在していると考えていた。
だが、ヘルヴィッヒは驚いた顔でこう応じた。
「ご冗談…ですよね?」
「は?」
私は、彼の答えに眉を寄せた。だが、ヘルヴィッヒは首を振り、苦笑しながら続けた。
「そんな。…旦那様と奥様が…帝国に二つしかない、辺境伯家の当主ご夫妻が、実の息子を……そんなはず、ございませんでしょう?
若様、ご冗談がすぎます。ええ、ええ、確かに、こちらにお越しのとき、旦那様は随分と若様にそっけないとは感じておりました。しかし、だからといって……」
彼が話せば話すほど、私の中で、猛烈な殺意と怒りがこみ上げてくるのが分かった。
あんな父親でも、私は、親として大目に見てやっていたのだと、そのとき分かった。
赤の他人に、自分の苦しみや存在を否定されると……こんなにも、怒りが湧いて仕方が無い。
なにも、知らないくせに。
「…ええ。若様は、そういった年頃でございますからね。私の息子も、そんな時期がございました。なんといいましょう、両親に厳しい目を向けすぎる、といいますか。ですが、」
「もういい」
この家令はここまで察しが悪かったのか、と、どこか遠くのほうから見つめている自分が言った気がした。
私が、冷え切った声と目でそう告げるのを聞いて、ようやく、愚鈍な老人は事態に気づいたようだった。
得意げにまくしたてていた老人の顔が、一瞬にして蒼白になる。
「ならば、お前に頼める仕事は、なにもない」
ふと、以前アナスタシア様に伺ったお話が頭によぎった。
我々貴族や皇族の暮らしは、顔を見る機会のある使用人たちや侍従だけでなく、出会う機会が通常無い使用人たちからも支えられている。
皇宮や貴族の屋敷には、使用人専用の通路や部屋というものがあり、そこに王侯貴族が立ち入るのはマナー違反である。
そこでは、貴人に対するマナーや教養をもたない下級使用人たちが働いていて、直接会う機会は無いが、それぞれ、我々のために熱心に働いてくれているのだと。
「……きさまの顔を二度と見たくない。これより、下級使用人と同様、私の目に触れぬよう働け。もし破れば……」
私は、腰に佩いていた剣に手をかけた。老人が、ひゅっと息を呑む。
「……代わりに、私から命令を聞く人間を寄越せ。以上だ」
私は、新しい自室の扉をあけ、中に入って扉をしめた。
中には、指示した通り、私の宝を入れた箱がそのまま置かれている。
その箱のひとつを開けた。中には、アナスタシア様から贈られたプレゼントが詰まっている。
そのひとつである、絹に縫われた見事な刺繍のハンカチを取り上げた。刺繍糸のひとつひとつを、指でなぞって感触を味わう。
「アナスタシア様……」
こうしていると、気持ちが落ち着いた。
「ようやく、あなた様のおそばで暮らせます」
自分に言い聞かせるように、呟いた。
???「虐待と精神疾患の描写ばっかり妙にうまくないですか?」
私「やめろォ!!!!!!!!!!(吐血)」




