【Side: ユリウス】この地の全部が大嫌い
単独での自主遊撃任務93回。領軍に加わっての正規任務54回。
討伐実績、北部ヒグマ110頭、北部イノシシ160頭、ノルトリヒオオカミ480頭、ヘラジカ280頭、キツネ・テン・イタチ類210頭、ワシ・フクロウ・カラスなど指定鳥類80羽。
盗賊・山賊等、162人。隣国の斥候等は、会敵なし。
【父上】に害獣駆除と賊討伐を指示されてより、2年と半年。アナスタシア様に会える4月から5月の期間以外を、私は“実戦経験”獲得に費やしてきた。
武功をあげられる戦争でなく、日常の治安維持・防衛のために泥と血にまみれながら自身を危険にさらし、戦いに出るような魔法の使い手――つまり貴族は貴重らしい。
さらに、横柄な態度も見せずに進んで前線で戦う私は、領軍兵士たちや、対応を後回しにされていた農村住民らの信頼を勝ち取っているそうだった。
だがそれでも、【父上】を満足させるには至らなかった。
領軍指揮官らと共に書き記した戦績記録文書を提出するとともに、今日も【父上】に帝都への移住を願い出た。
しかし【父上】は、提出された文書をめくることもせず、「まだ早い」と切り捨てた。
記録文書がぞんざいに机に積まれ、私は退室を求められる。
私は、歯がみしながら、踵を返して廊下に出た。
あとどれだけ殺せば、【父上】は納得するのだろう。
94回目の単独遊撃に出るため、【父上】の部屋から離れる。
幸い、ヴァイセンドルフ領には、害獣も賊も尽きることなく湧き出てきたので、いくら狩れども獲物に事欠かなかった。
廊下を歩き、通りかかった使用人の1人を呼び止め、遊撃任務に必要な物資の用意を命じる。
そうしていると、聞き覚えのある声が私に呼びかけた。
「また、狩りに出るのか? ユリウス。…帰ったばかりじゃないか」
振り返ると、長兄のアウグスト兄上と、次兄のマティアス兄上がいた。話しかけてきたのは、アウグスト兄上だった。
アウグスト兄上は6つ上の20歳、マティアス兄上は3つ上の17歳。髪色は私と同じ青灰色だが、彼らの瞳色は灰緑色である。
二人とも、どこか憐れむような表情で私を見ていた。
「はい」私は短く応じる。
「そんなに根を詰めては、体を壊してしまうぞ。少しは休んでいったらどうだ?」
マティアス兄上が、心配そうに言う。
私は、そんな兄上にそっけなく応じていた。
「問題ありません」
「この前、怪我だって負ったのだろう? こうも休みなく動いていては、治るものも治るまい」
「たいしたことはありません」
「そんなに無理をせずとも、父上だってじきに分かってくださるさ」
「……どうだか」
分かってくれないから、私はこうせざるを得ないのだ。
「私は、一刻も早く、アナスタシア様のもとで暮らしたいのです。放っておいてください」
「そんな…、こんなに無理をして、死んでしまったら元も子もないだろう」
「そうだぞ、ユリウス。皇女殿下を悲しませることになるかもしれない」
ああ、うっとうしい。
私は、二人の兄上たちをギロリと睨み据えた。
「暖炉の火もついていない部屋に閉じ込められて、飢えと寒さで死にかけていた昔に比べれば、自由に動ける今、命の危険など在って無いようなものですよ!
どうぞ、あのとき同様、私のことなどお気になさらないでください!」
いらだちまぎれに怒鳴りつけると、今の自分は【父上】にそっくりだと感じて、嫌になった。
何も悪いことをしていない私を、飢えと寒さの苦しみの中で殺そうとしたこの家族が、この家の人間たちが憎い。あの【父上】の血を自分が引いているという事実が、嫌で嫌でたまらない。
ヴァイセンドルフの雪と寒さが嫌い。この地の長い冬が憎い。
この家族も屋敷も、この地も、全部が大嫌いだ!
早く、この場所から解放されたい。早く、暖かくて優しい場所へ――アナスタシア様の許へ、行きたいのに。
私に怒鳴られた兄上たちは、ひるんだように肩をビクリと震わせた。
「そういう、わけじゃ……」
アウグスト兄上がつぶやき、うなだれる。マティアス兄上も。
帝都に移り、アナスタシア様のおそばで暮らして、気持ちが落ち着いた今となっては、兄たちに申し訳ないことをしたと思っている。
聞けば、彼らは「末の弟は重い病気で、離れで寝ていなければならないから、そっとしておかなければいけない」と両親に言い含められ、それを信じていたのだという。
事態を知った彼らは、「ひと目だけでも様子を見に行っていれば」と悔やんだそうだ。
しかし、このときは追い詰められて焦っていて、彼らも、あのメイドや【父上】【母上】と同じ“敵”だと思い込み、彼らの気遣いを拒んでいた。
「……ともかく。外でだって暖も食事もとれるし、怪我も自分で手当できます。放っておいてください」
ちょうどそのとき、頼んだ使用人が、物資を用意して持ってきてくれた。
私は、それをひったくるようにして受け取ると、大股で歩き、屋敷の出口へ向かった。
兄上たちは、それ以上、私を引き留めようとはしなかった。
***
領境までヴァルトガイストを走らせ、近隣の農村に入る。
ここは、獣害も野盗被害も多く、もとは治安維持を後回しにされていた場所でもあったため、私が任に就いてからは、馴染みの場所となっている。
ヴァルトガイストの蹄の音を聞き、家から出てきた住民たちが、うれしそうな表情で私を出迎えた。
手綱を引いて速度をゆるめ、村の入り口あたりでヴァルトガイストから飛び降りる。
「おかえりなさい、…ああいや、いらっしゃいませ、ユリウス様。また来てくだすったんですねえ」
村に済む中年女性の一人が、私にそう声をかける。
彼女の言い間違いに、不快感はおぼえなかった。そう言われるのも自然なほど、確かに私はこの村へ通い詰めていた。
「ああ。村長はいるか」
「ええ、ええ。さっき見ましたよ。今の時間なら、家に帰ってるんじゃないですかねえ」
「わかった」
「ヴァルくんの面倒みときましょうか」
「頼む」
ヴァルくん、と呼ばれた騎馬ヴァルトガイストの手綱を、差し出された女性の手に渡す。
ヴァルトガイストは、村長の家に向かう私と軽く目線を交わしたあと、おとなしく女性に従って歩いて行った。
あの女性は、村唯一の宿屋でもある酒場の夫人であり、私が訪れた際は、宿泊客用の厩舎でヴァルトガイストの世話をしてくれた。
一度、様子を目にした際、彼女はわざわざヴァルトガイストのために湯を沸かし、温かいお湯にひたした布で丁寧にヴァルトガイストを拭いてくれていた。
ヴァルトガイストのほうも、彼女の世話を気に入っているのか、常にも増して親しげに懐いているようだった。
村長の家を訪ねると、酒場の夫人の言ったとおり、この村の村長を務める老いた男性が居た。
「これは、これは、ユリウス様。おはやいお戻りで」
「ああ。村の様子はどうだ」
「おかげさまで、今年は作物の被害も少なく、野盗を見かけた、襲われたって話も、とんと聞かなくなりました」
「そうか……」
とうとう獲物がなくなったかもしれないな、と懸念し、無意識に目を伏せ、眉を寄せた。
村にとっては幸いなことと、理解はしているのだが……。
私は、村長の目の前で顔を曇らせてしまっていただろうが、村長はふっと笑っただけで、私を責めるような様子は見せなかった。
代わりに、あごひげを軽く撫でながら、天井のあたりに視線を巡らせてみせる。
「そういえば、狩人連中が、大きな北部ヒグマを見かけたと話しておりましたなあ。それに、中小のヒグマも複数いたと。
今はまだ、村への被害はございませんが、近くに居るとなると、心配ですなあ……」
「なら、狩ってくる」
私は、すかさずそう応じた。村長は、血気盛んな私を見て、おもわずといった様子で苦笑をもらしていた。
「本当ですか。いやあ、助かります」
「頭数と、見かけた場所の情報をくれ」
「承知いたしました」
村長の家で狩人らから話を聞き、情報を得た私は、酒場までヴァルトガイストを迎えに行った。
厩舎から出てきたヴァルトガイストに飛び乗り、情報にあった場所へと向かう。
「お気をつけて!」
酒場の夫人が声をあげる。私は、片手をあげてそれに応じた。
***
「……ユリウス様は、ますます、追い詰められたお顔をしなさるようになった」
領主令息の後ろ姿が見えなくなるまで見送る、酒場の夫人の隣に歩いてきた村長は、そう呟いた。
「そうよねえ…。あたしらにゃ、お貴族様のことは何も分からないけれど、あんなに若い子供が、必死になって……。一体、どうしてなんだろうねえ」
夫人には、令息と同じく14歳のドラ息子がいた。どうにか仕事を教えて、食い扶持を稼げるようにしてやろうというのに、さぼって逃げて遊んでばかりの困った息子だ。
それに比べ、あの令息のなんと働き者なことか。
ただ、いつも苦しそうで、あまりに必死な様子であることが、同じ年の息子を持つ母として、他人ながら気がかりでならなかった。




