【Side: ユリウス】勝つか、死ぬかだ
焦燥が、日々募っていった。
アナスタシア様からのお手紙には、彼女を取り巻く人々が数多く登場した。
特に気がかりだったのは、皇宮使用人や官吏の息子たちだ。そいつらは、アナスタシア様のお近くに住んでいるというだけで、畏れ多くもアナスタシア様に近づき、皇宮の庭で彼女と遊んでいる。
ただの遊び相手以上の関係になることを、臣下たちは当然許さないだろう。
だがもし、アナスタシア様ご自身が望まれたら?
そう考えると、ちりちりとした焦燥感が脳を焼くようだった。
ヴァイセンドルフ領は、アナスタシア様から――帝都アイゼンシュタットと皇宮から、遠すぎる。
一年間のほとんどを、私は、アナスタシア様と共に過ごせない。
他方、皇宮や帝都ないし近郊に住む者たちは、いつでもアナスタシア様にお会いできる。
私は一刻も早く、ヴァイセンドルフ領を離れ、アナスタシア様のおそばに居を移したかった。
もとより、ここには、私を惜しむ人間など誰もいないのだから。
10歳になったとき、私は、思い切って【父上】に話を持ち掛けた。
私を、帝都のタウンハウスに移り住ませて欲しい、と。
アナスタシア様とお会いしてから、私にとっても、自分の誕生日は記念日と呼べるものになっていた。毎年、彼女から心のこもった祝いの手紙と、プレゼントが届けられるようになったためだ。
年に一度のその日は、アナスタシア様のお手紙を通じて、自分が何歳になったのかを知る日となっていた。
10歳は、皇族や上位貴族の従者が召集される年齢の目安である。
ならば、私が一人で帝都に移り住み、皇宮で皇配教育を受けるなりしていいはずだ。
しかし、父の答えは「否」であった。
理由は、私が未熟すぎるから、だという。
一人でタウンハウスに移り住むのであれば、かねてより持参金代わりに持たせる予定の、アーデルシュタイン侯爵領を治める能力がなくてはならない。
領主たるもの、領民を守るため、内外の敵を討つ力があるべきだ。しかし、私には、その経験も能力もない。
だからせめて、皇女殿下との結婚予定である20歳になる2年前、18歳になるまではここで精進しろ、と言われた。
それでは遅すぎる。もたもたしている間に、アナスタシア様が心変わりでもされたら、どうしてくれる。
それに、あとで分かったことだが、父の言い分は詭弁に過ぎなかった。
そもそも帝都には、帝都の貴族学校に通うべく、無爵位のままタウンハウスに住む令息がたくさんいた。
学校のカリキュラムには、領主教育に関連するものも多く、剣術や戦術の訓練も含まれる。さらに、学生は貴族同士であるため、社交界のように交流を重ねることも可能であるためだ。
加えて、内地かつ帝都近郊にあるアーデルシュタイン領に、外敵と呼べるものは来ない。北部より遥かに治安がよく、人材も潤沢にある。農園地帯の鳥獣駆除にしろ、領主が出張る必要はないのだ。
領政には辺境伯家の名の威光さえあればよく、実務をすべて家令に任せても十分なほど、管理も楽なほうであった。
だからこそ、この地は、ヴァイセンドルフ直轄領の片手間に管理できていたのである。
さらに、そもそも父は、皇宮から「ご子息を皇配教育のために皇宮に預けないか」と申し入れを受けていたらしいことを、帝都に移り住んでから知った。
私を疎んで止まない父が、どうしてそうまでして私をヴァイセンドルフに留め置こうとしたのかは分からない。
【母上】とて、【父上】のように怒鳴りつけたり腹を立てて見せたりはしないものの、私に関心を示すことはなかったのに。
帝都で遊ぶ理由が惜しいなら、「息子の様子を見に行く」とでも偽って行けばいい。
もしかすると、私が喜びそうなことだから、反対していたのかもしれない。
あるいは、私が手元から離れることで、己の怠慢が露見することを恐れたか。
ともあれ私は、【父上】に帝都行きを認めさせねばならなくなった。
***
5歳まで言葉すら知らずに生きてきた私が、一般教養と貴族教育の基礎から始まり、領主教育、剣術などの戦闘訓練まで修めようとすれば、そもそもが駆け足のところを、死にもの狂いで取り組まねばならなかった。
私は、家庭教師たちに教えを請い、そのすべてを吸収せんと学び、寝る間も惜しんで復習した。
素振りと走り込みと筋トレとで体を鍛え、ヴァイセンドルフ領軍の兵に教えを請い、剣や弓や槍、騎兵戦闘、魔法戦闘を学んだ。
アナスタシア様は、すさまじい知識量、そして学習能力と知性をお持ちのうえ、剣と魔法では敵なしの強き戦士でもあられる。
貴族として、いち領主として一人前の知識と能力を身につけることだけではいけない。アナスタシア様に相応しい存在になるためには、凡百の貴族よりも優れていなくてはならないのだ。
訓練途中で地面に倒れ、そのまま不足した睡眠をとることもままあった。
アナスタシア様は、そのことを知ってお心を痛め、くれぐれも無理をしないように、とお手紙に書いてくださった。
だが、私のような人間は、無理をしなければ到底アナスタシア様に釣り合えない。
限界があるなら、それを超えるのだ。
アナスタシア様と共にいられない私に、何も残りはしないのだから。
***
はじめて父に帝都行きを願い出てから2年が経った。
幸いなことに、家庭教師や訓練担当の兵たちからは、いち侯爵領を継ぐ人間として十分な能力を認められた。
皇配として十分かは不明で、それについては皇宮で教えを請うほうがよいだろうと言われた。
しかし、それでもなお【父上】の許可は下りなかった。
おまえは敵を討ったことがない。おまえには実戦経験が足りない。
軍人思考の強い【父上】は、そのような言い分を繰り返した。
実際にそう考えていたのか、ただ難癖をつけて私を留め置こうとしていたのかは、わからない。
私は、ならばどう実戦を積むべきかと尋ねた。
北に隣接する隣国ノルトリヒト王国とは小競り合いが絶えないものの、現在のところ戦闘は起きていない。武功を立てられるような機会はないのだ。
【父上】は、しばし言葉に詰まった様子を見せたのち、領内に出没して物流を滞らせる盗賊山賊や、侵入したノルトリヒトの斥候、農民や農園に被害をもたらす北部ヒグマや北部イノシシなどの害獣を仕留めろと言った。
無理だろうがな、と最後に言い添えて。
そうして、私のやるべきことが決まった。
***
社交期を終え、心地よい夏を過ぎると、ヴァイセンドルフ領は寒さに包まれはじめる。
雪が降り出すのはまだ先でも、秋は短い。
冷たい風を浴びながら、私は、ヴァイセンドルフ邸厩舎に向かった。
その中に、青みを帯びた光沢を持つ黒い馬――青鹿毛の大きな馬がいる。
私の騎馬、ヴァルトガイストだ。私と同じく北部に生まれた、軍用品種の馬である。
出会った頃は私も彼も小さかったが、今では互いに成長していた。
愛馬のリュシエールが何を話しているか詳細に把握できるアナスタシア様と違い、私は、ヴァルトガイストの言葉を解することはできない。
ただ、相手を圧倒する威圧的な見た目に反し、彼はやさしく、温厚で賢い牡馬であることは分かっていた。
私が厩舎に入ってきたのを見て、ヴァルトガイストは「でかけるのか?」といった様子で近づいてくる。
私は、彼に馬具をとりつけ、手綱を引いて外に向かった。ヴァルトガイストは、大人しく歩いて外へ進む。
ヴァルトガイストが目で合図するのを受け、私は、鐙に片足をかけて、もう片方の足を高く跳ね上げ、ヴァルトガイストの背にまたがった。
「前進」と声をかけ、手綱をパシンと打つ。ヴァルトガイストは、飛ぶような速度でぐんぐんと駆け出し、無駄に広い領屋敷の敷地を抜け、正門へと向かった。
***
農民から被害報告のあった森を、ヴァルトガイストと共に探索する。
成体のイノシシが周辺の畑を荒らしており、作物に被害が出ていた。かなり大きいらしく、罠にかかっても壊して逃げてしまうという。
獣狩りに慣れたおかげか、痕跡はすぐに見つかった。いくつかある森の獣道のひとつに、成体イノシシの新しい足跡があった。
ヴァルトガイストを待たせておき、気配を消して足跡を辿る。森を1時間ほど分け入ったところで、大きな獣の気配を感じた。
息を殺し、風向きに注意を払って回り込みつつ、気配の中心に目をこらす。
草藪を揺らす姿がちらりと見えた。背中から弓を取り出し、静かに矢をつがえる。
息を止める。全神経を集中させ、獲物に狙いを定めた。
そして、矢を放つ。弦が鋭く鳴り響き、風よりも早く矢が飛んだ。
イノシシの悲鳴が聞こえた。素早く次の矢をつがえつつ、獲物のもとに駆け寄る。
一発では仕留められず、イノシシは逃げ出した。だが、その速度は遅い。血の跡が道を描く。
二本目の矢を放つ。イノシシの悲鳴が響く。また放つ。イノシシがまた鳴き、逃走をやめ、その場でのたうち回る。
私は弓を背にしまった。代わりに、腰の鞘からサバイバルナイフを取り出す。
イノシシの急所に、その切っ先を刺した。イノシシは、完全に動かなくなった。
「……よし」
すぐに頚動脈を切り、血抜きを始める。秋のイノシシは脂のりがよく、駆除後は、近くに住む領民の糧にするためだ。
真っ赤な生命が、イノシシから噴き出すように流れ出ていく。
今日は、ずいぶん早く済んだ。
気をよくしていると、どこからか動物の甲高い鳴き声が聞こえた。
音は、人里の方向からする。
音を頼りに近づき、音が大きくなってくると、それは、複数の動物の鳴き声らしいとわかった。
やがて、音の源にたどり着く。山の斜面に掘られた巣の中に、子イノシシが何匹かいた。
気配を探るも、親イノシシらしい姿は見つからない。
さきほど仕留めた成体は雌のイノシシだったので、この子イノシシたちの母親だったのかもしれない。
私は、魔導具のブレスレットをはめた手を巣の中に向け、かまいたちを起こす魔法を発動させた。
子イノシシの声が止み、あたりは静かになった。
***
私を鍛えてくれた領軍兵は、「人を初めて殺すときには、覚悟がいる」と教えてくれた。
覚悟のことは、よく分からなかった。ただ、人間の本能のせいか、人の死体を見ると、獣の死体を見るより不快感があった。
しかし、殺すのは獣より楽に思えた。
訓練された戦士を相手取るならまた違うだろうが、山賊や盗賊程度ならば、獣よりも逃げ足が遅く、弱い。
教わったとおり、多対一になる状況は避け、陽動し撹乱し、一人一人確実に仕留めていくだけだ。
そうして今、最後の一人に剣の切っ先を向けている。相手の男は、このあたりを通る商人などから略奪を繰り返していた、山賊一味の頭領であるらしい。
人里はなれた森の中にひっそりと存在していた賊のアジトには、私が既に仕留めた一味の連中の血と死体が散らばっている。血の臭いが辺りに充満していた。
男は、樹木を背にして両手をあげ、両目を見開いて恐怖に震えている。
「ゆ、ゆるしてくだせぇ、辺境伯令息サマ。どうか、命だけは…!」
この男はなぜ、さっさと逃げないのだろう、と不思議に思った。
こちらには彼を生かしておく理由などないのだから、命が惜しいならば、死に物狂いで逃げればよいのに。
「どうか、おねげぇします。後生です。女房と子供がいるんです…!」
保安隊の兵によると、賊どもは、妻子が居るというウソをよくつくらしい。
それを聞いて私は、真偽がどうあれ、気になっていることがあった。
「……それが?」
妻子がいるから、だから、なんだというのだろう。
どんな答えがあるかと戯れに尋ねてみたが、男は「ひっ」と息をのんで青ざめただけで、なにも言わなかった。
私は、小さく溜め息を吐き、剣を横に振り払い、男の首を一太刀に落とした。
男の首から鮮血が迸り、頭がどさりとその場に落ちる。頭を失った体も、つづいて崩れ落ちた。
私は、その首を拾い、持ってきた麻袋につめた。袋には、既に始末した他の一味の首が入っている。討伐の証拠として、死体をまるごと運ぶのは大変なので、人相と数の確認のために、首だけを回収するようにしていた。
この点についても、食肉として血抜きや運搬が必要な獣狩りより楽でいい。
人間を食べたがる者は、いないから。
袋の口を開け、首の数を数える。生臭い血の臭いが強くなった。
情報に間違いが無ければ、この一味はこれで全員のはずだ。
私は、麻袋の口をしっかり縛り、それを肩にかついで、ヴァルトガイストが待つ場所まで戻った。
近くの村で借りた荷車に麻袋を載せ、ヴァルトガイストが纏う馬具に荷車をひっかける。
賊の検分を頼むため、ヴァルトガイストの隣を歩いて領都に向かう道すがら、私は物思いにふけった。
なぜ、「妻子がいる」とウソをつくことに、意味があるのだろう。
妻子がいようが、貧しかろうが飢えていようが。
互いの利害が衝突し、争いになった時点で、勝つか、死ぬかだ。
世界とは、そういうものだ。
それは、獣でも、平民でも貴族でも変わらない。
……そのはずだ。
アナスタシア様なら、理由をご存じだろうか。
そう頭によぎったが、その考えを振り払うように私は頭を振った。
アナスタシア様に、このような血腥い話など、するべきではない。
考え込んでいたせいか、ヴァルトガイストが鳴き、憂うような眼差しを私に向けてきた。
私は、「大丈夫だ」とヴァルトガイストの頬を撫でて応じた。




