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目隠し皇女は、許嫁の愛が重すぎることにまだ気づいていない。アナスタシア皇女伝  作者: 佐藤みさき
第一部 第一章 アナスタシア編

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氷雪の王と彼の真実

 その日、ユリウスとの定期的な茶会は、昼下がりに《()()(まど)()》で行うことにした。


 時期は6月の(じよう)(じゆん)で、(こう)(きゆう)()(まん)()()(えん)()(ごろ)の季節だ。天気がよければ、気候もいいので()()(えん)(あずま)()(かい)(さい)しようと思っていたのだが、今日はあいにくの(くも)(ぞら)である。

 空気がしっとりと水気を(ふく)んでいるので、じきに雨も降り出すだろう。


()()(まど)()》は、(こう)(きゆう)の南(とう)にあり、庭園に面した小広間である。主に、皇族が私的な茶会や密談などを行うために使う部屋だ。

 庭園側の(かべ)には、(てん)(じよう)まである複数の大きなガラス窓が並んでおり、その中心に、薔薇(ばら)(えが)いた大型の丸いステンドグラス窓があしらわれている。採光がよく、日中は(やわ)らかい光が(ゆか)に模様を(えが)いて落ちる部屋だ。

 ガラス窓の下には薔薇(ばら)(はち)()えが並べられており、本物の薔薇(ばら)を楽しむこともできる。(はち)()えの薔薇(ばら)も、外の()()(えん)と同様に()(ほこ)っていた。


 ただ、(はち)()えの1つの薔薇(ばら)が数本、しおれて()れつつあるのが見えた。メイドが見落としたのだろうか?

 少し気にはなったが、たかが花数本、見落とす日もあるだろう。

 背景の窓から見える空は、(どん)(てん)のくすんだ灰色だった。


 (わらわ)は、ユリウスを連れて部屋の中心に向かい、(ちや)()()と食器がセットされた丸テーブルに寄せられた()()のひとつにかけた。

 ユリウスに手で合図し、(かれ)にも()()にかけるよう(うなが)す。(かれ)も、慣れた様子でスッと()()(こし)()けた。


「エッセンバッハ(こう)(しやく)家での夜会ぶりだな、ユリウス。雨には降られずに済んだか?」

「ええ。先ほど登城した際は、まだ雨は降っていませんでした」

「そうか。空模様と、空気の湿(しめ)()からするに、帰りには降るかもしれん。強く降るようなら、(こう)(きゆう)()まっていくとよいぞ」

「ありがとうございます。その際は、お言葉に(あま)えさせていただきます」


 (わらわ)の言葉に、ユリウスは、人当たりのよさそうな(ほほ)()みを()かべて(うなず)く。


 (わらわ)たちが()(あい)のない(あい)(さつ)()わしている間に、世話についていたメイドが、そばに置かれたティートロリーの上で紅茶の用意を進める。薔薇(ばら)の香りを(ふく)んだ(にお)いが湯気とともに立ち上った。

 小さな砂時計の砂が落ちきったタイミングで、メイドが、慣れた手つきでティーポットを持ちあげ、二客のティーカップにそれぞれ注ぐ。

 それらが、かすかな音だけを立て、(わらわ)とユリウスの前にそれぞれ置かれた。


 仕事を終えたメイドは、静かに(かべ)(ぎわ)に下がった。


 (わらわ)は、()(かく)しをはずそうと思い、部屋に男性がいないか(かく)(にん)するべく見回した。

 護衛は、(そう)(よく)(たい)の女性()()のみ。安全な(こう)(きゆう)内ゆえか、今日は若手の隊員がついていた。

 使用人は、()(じよ)とメイドだけ。()(じよ)では今日、ユリエッタとマルグリットがついてくれている。


 ユリウス以外に男性がいないと(かく)(にん)できたので、(わらわ)()(かく)しをとった。

 アーベントロートが指示して作らせたという()(どう)()()(かく)しは、極限まで装用感が減らされているが、やはり外せるなら外したほうがよい。


 それに、(わらわ)()(かく)しを外して顔を見せると、ユリウスの表情も(ゆる)む。事情を理解してはいても、目元を(かく)した人間と向かい合う不安感は少なくないのだろう。


 さて。(かれ)には今日、大切な話をしなければならない。


「ユリウス。このあいだな、――」


 (わらわ)は、レオンの(しよう)(さい)()せ、とある男性から告白を受けた話をした。


***


「――『(みさお)はやれないし(けつ)(こん)もできないが、それでも良いなら(こい)(びと)になるか?』と(たず)ねたのだ。いわゆる愛人というやつだな。それで、……」


 ひとつだけ言い訳をさせてもらうならば、(わらわ)とて、このあたりで『まずい』と気がついた。


 ユリウスの顔から、表情というものがすっぽりと()()ちていたから。


 (かれ)のこんな顔は初めて見た。(かれ)はいつだって(にゆう)()(ほほ)()んでいたのだと、このとき初めて気がついた。

 (いか)り? (こん)(わく)? (おどろ)き? 悲しみ? ――どれともつかない、無表情。ただ、()(ぶた)をわずかに大きく開き、(わらわ)をまっすぐ見つめている。


 その(ひとみ)は、いまに()きずり()まれそうな、底の見えない光なき(しん)(えん)(たた)えていた。


「……あ…、…その……」


 言わないと。(かれ)は『許婚(いいなずけ)(かく)(にん)したほうがいい』と言って、(わらわ)も確かにそうだと思ったと。そなたが(いや)なら、(こい)(びと)になるという話はナシにするつもりなのだ、と。

 いや。ユリウスが(いや)だというのはもう分かったので、告白はやはり断ってくる、と。


 だが、言葉が(のど)()まったように出てこない。

 すごく、こわい。心臓がバクバクして、(いや)(あせ)が流れている。こんなことは初めてだ。


「…ユリウス、今の話は――」


 ようやく出てきた声に(かぶ)せるように、ユリウスの口が動いた。


「だれですか?」


 (よく)(よう)のない、静かな声。なのに、ぞわっと寒気を感じた。


(だれ)、というほどの者では…」

「だれなんですか?」


 ユリウスの追求はつづく。だが、()(なお)に教えたらまずい――非常に、まずいことになりそうな気がする。


「あの…すまなかった。(わらわ)が悪かった。告白の件は、やっぱり断るから――」

「だれなんですか?」


 ユリウスは質問を()(かえ)す。


 どうしよう。どうしても、レオンの()(じよう)()かねば許してくれないのか。

 (わらわ)(ひら)(あやま)りしたら、なんとか許してもらえないだろうか。


 (わらわ)は、体を大きく前に(たお)し、深く頭を下げた。

 ドレスに合わせて流した(かみ)が、さらりと前に落ちて(ほお)()れる。


「すまない、…いや、ごめんなさい。どうかしていた。ちゃんと、ダメだと言ってくるので、許してもらえないだろうか…。この通りだ」


「どうして、教えてくださらないのですか?」


 ユリウスの声が耳に届く。


 どうしよう。許してくれないらしい。だが、言ったら絶対にまずい。レオンの身が危ない気がする。


 (わらわ)はただ、(だま)って頭を下げ続けた。


「そんなに…その男が、大切なのですか?」

「いや、その…大切、というのは(ちが)う…いや、(ちが)わないかもしれないが…」

「その男を、愛していらっしゃるのですか?」


 話がまずいほうに転がっていく。


 (わらわ)は、おそるおそる顔を上げ、ユリウスの顔色をうかがった。

 (かれ)の表情は変わらなかった。(しん)(えん)が、こちらをじっと見つめ返している。


「…そこまでじゃ、ない。…あの…ただ少し、うれしかっただけなんだ。政略(けつ)(こん)の相手としてでも、皇女の身分でもなく、(わらわ)個人を、好きだと言ってもらえて。

 それだけだ。だから――」


 言い切る前に、ユリウスが急に立ち上がった。勢いで()()が後ろに(たお)され、ガタンと音を立てる。

 直後、ユリウスが力強くテーブルに両手を打ち下ろした。ダァン! と天板が大きな音を立て、(しよう)(げき)(ちや)()()も皿もティーカップも()()び、ぐちゃぐちゃに(たお)れ、いくつか(ゆか)に落ちる。


「わっ!」


 (わらわ)はおどろき、()退()くように同じく立った。

 (かべ)(ぎわ)に立つ()()や使用人たちの(どう)(よう)が聞こえる。だが、対応に困り、(わらわ)の命令を待っていた。


 テーブルに両手をついたユリウスは、顔を下に向けていた。黒に近い青灰色(スレートブルー)(かみ)が流れてかかっている。その表情は、今の位置では見えない。


「…どうして…」


 (しよう)(どう)(てき)な行動に反し、ユリウスの声は静かなままだった。


「…私は、…私、だって…」


「ユリウス…」


 (わらわ)は、ユリウスの(かた)()れようと歩み寄った。どうにか、落ち着かせたかった。

 そのときだった。


 ユリウスが、両手で顔を(おお)い、よろり、と後ろに一歩、二歩と下がる。


「ああ、…あぁあ、ああああぁあああぁああーーーー!!」


 聞いたことのない金切り声をあげ、ユリウスが(さけ)んだ。

 それと同時に、正面から(とつ)(ぷう)が飛んでくる。


 パキン! と、(ぼう)(ぎよ)(けつ)(かい)()(ほう)の自動展開音が(ひび)いた。


「わああっ!」

「キャアア!」「うわああーー!」


 おどろいた(わらわ)の声とともに、部屋にいる人間たちの悲鳴が(ひび)(わた)る。

 パリィィン!! と、(かべ)一面のガラス窓とステンドグラスが割れて()()ばされる(ごう)(おん)、それに、室内で重い物がぶつかったり(たお)れたりする音もつづく。


 (ぼう)(ぎよ)(けつ)(かい)ごしに届いた風――とっさに閉じた目を(おそ)(おそ)る開いてみると、実際には、食器もテーブルも(いつ)(さい)(がつ)(さい)ふきとばす(ほど)の強風を弱めたもの――は、真冬の風よりも冷たかった。

 みるみるうちに、残っていた薔薇(ばら)(はち)や、(かべ)に追いやられたテーブルや、(ゆか)のカーペットが、白い粉――雪に(おお)われていく。


 ()(ぶき)は、ユリウスを中心として、(かれ)の四方八方に()きすさんでいる。


 ――固有()(ほう)の、暴走だ。


()(ほう)暴走だ、総員退(たい)()しろ! 退(たい)()ーー!!」


 (わらわ)は、声をかぎりに(さけ)んだ。


 後ろを見れば、みな(ぼう)(ぎよ)(けつ)(かい)に守られたらしく、(たお)れた者や()()をしたらしい者はいないようだった。

 (わらわ)の命令を聞き、メイドたちと()()たちが急いで(とびら)に向かった。


 (わらわ)や貴族生まれの()(じよ)たちは()(りよく)量が多いので、自身の()(りよく)を使う(ぼう)(ぎよ)(けつ)(かい)()(ほう)()めた()(どう)()を持っている。

 一方、平民出身の人間は、同じ()(ほう)では十分な(けつ)(かい)を展開できない。そのため、(こう)(きゆう)勤めの者であれば、()(しよう)(せき)()(どう)式の(ぼう)(ぎよ)(けつ)(かい)()(どう)()を支給されている。しかしそれも、長くは持たない。

 メイドたちや、今日いる()()たちは後者であった。


「だめ、(とびら)が…!」


 メイドの一人が悲痛な声をあげる。(かの)(じよ)(とびら)の取っ手をつかみ、必死に引いていた。

 (ちよう)(つがい)(ゆが)みでもしたのか、(とびら)が開かないらしい。


(はな)れて!」


 ユリエッタが言い、メイドに代わって(とびら)の前に()()ると、両手を(とびら)の面にあてた。(かの)(じよ)()(どう)()ブレスレットの宝石が、()(ほう)の発動に応じてチカッと(かがや)く。


「えーい!」


 バキ! と、音を立てて(ちよう)(つがい)が外れ、(とびら)自体も真っ二つになり、外に()しやられた。


「行って!」


 ユリエッタの声に応じてメイドたちと()()たちが走り、部屋を出て行った。


 残ったユリエッタとマルグリットは、(わらわ)()(かえ)る。


(ひめ)(さま)もお早く!」「(ひめ)(さま)!」


 声をかけられたが、(わらわ)は首を左右に()った。


(わらわ)はユリウスのそばに残る! ()(どう)()隊を呼んできてくれ!」

「そんな!」「だめです、(ひめ)(さま)!」

(ひめ)(さま)を置いていけませんわ!」

「…ッ、しかし…、ユリウスを置いていくわけには…!」


 そのとき、ウー…ウー…と不協和音の警報が()(ひび)きだした。(こう)(きゆう)にいる(だれ)かが警報器を鳴らしたらしい。


()(ほう)暴走警報。これは訓練ではありません。()(ほう)暴走警報。(こう)(きゆう)(とう)3階にて、()(ほう)暴走が発生しました。これは訓練ではありません。規則に従い、ただちに()(なん)してください。()(かえ)します――』


 (わらわ)は、ユリウスのほうに目を向けた。(かれ)(ゆか)(くず)れるように(すわ)()み、目を見開いたまま、(しよう)(てん)のあわない目で()()かを()()えている。

 (かれ)は、(きよう)()の表情で顔をゆがめていた。


 ()(ぶき)は弱まる気配を見せない。


「ユリウス!」


 (わらわ)は、ユリウスの元に()()った。近づくほど風は強まり、(ぼう)(ぎよ)(けつ)(かい)外にはみ出したドレスの(すそ)が引っ張られる。

 こんなことなら、今日もズボンを穿()いてくればよかった。


「ユリウス…!」


 呼びかけながら近づき、ようやく(かれ)のもとに辿(たど)()く。周囲は、みるみる雪で(おお)われていく。


「ユリウス!」


 名前を呼びながら(となり)(かが)んで、(かれ)(かた)に手を()れる。氷そのもののように冷たく、おもわず手を離す。

 しかしすぐに、(かれ)(かた)を両手で包んだ。


「ユリウス、聞こえるか!?」


 返事はない。(かれ)の視線が(わらわ)に向くこともない。


 (かれ)(くちびる)が動いている。なにかを(つぶや)いているようだ。

 (かれ)の顔に耳を近づけ、言葉を拾おうとする。


「……さむい……」


 ユリウスは、そのように(つぶや)いていた。


「だろうな! ユリウス、()(ほう)を止めてくれ!」


 (わらわ)は声を張って呼びかける。しかし、ユリウスに聞こえた様子はない。


「……たすけて……だれか……」

「ユリウス、(わらわ)はここにいるぞ!」

「……ここから出して……」

「《()()(まど)()》から? かまわないが、まずは()(ぶき)を止めてくれんと…」


 もはや《()()(まど)()》というより《()きさらしの()》になってしまった部屋を軽く見回しながら、そう応じる。

 窓だった大穴から、(おく)(がい)(けん)(そう)(じよ)(じよ)に大きく聞こえてくる。点呼をとっているような声もした。()(なん)を済ませた(こう)(きゆう)の人々が、外に集まりつつあるようだ。


「ユリウス、深呼吸しろ! それと、草原とか青空とか――とにかくリラックスできる景色を(おも)()かべるんだ!」


 “固有()(ほう)暴走防止教育” で習った対処法を思い出しながら、ユリウスに指示を伝えてみる。

 だが変わらず、ユリウスは(きよう)()の表情を()かべ、あらぬ方向を見つめたままだ。ぶつぶつと、場にそぐわない言葉を(つぶや)き続けている。


(ひめ)(さま)! 今は(はな)れましょう!」


 後ろで待つユリエッタが悲痛な声で呼びかけてくる。()(かえ)れば、ユリエッタもマルグリットも、こまりはてた様子で(わらわ)を待っていた。

 ()(じゆう)たる(かの)(じよ)たちが、(わらわ)を置いて()(なん)できないのは道理。しかし、ユリウスを置いていくわけには――特に、あんな会話をした後で――!


 どうすべきかと(なや)んでいるうちに、ドカドカと重い足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。

 (わらわ)()(じよ)たちの3人が、(こわ)れた入り口に目線をやる。


 やってきたのは、(こう)(きゆう)()(どう)()隊の一団であった。見慣れた(もん)(しよう)のついたローブ型の軍服を見て、(わらわ)たちはホッと息を()く。


「皇女殿(でん)()、どうしてまだここに…!? とにかく、お下がりください!」


 隊員の一人に声をかけられ、(わらわ)はユリウスのそばから退いた。


「ずっと呼びかけているのだが、聞こえていない様子なのだ。まるで、ここではない場所に心だけが飛んでいってしまったように」


 (わらわ)が伝えると、隊員は(うなず)いた。


「一度、(ねむ)っていただきます」


 ()(どう)()隊員たちがユリウスを囲み、(かれ)()(どう)()(つえ)を向ける。

 (わらわ)は、ちくりと胸が痛む感覚を()()みつつ、おもわず両手を(いの)るように組んで、ユリウスの様子を見守った。


(ドライ)(ツヴァイ)(アインス)……(ねむ)れ!」


 ()(どう)()たちの(つえ)から(むらさき)の光が(ほとばし)り、ユリウスの体を包んだ。

 すると、()(ぶき)が弱まりはじめる。


 ぐらり、と、ユリウスの体が(かたむ)いた。


「ユリウス!」


 (わらわ)は急いで(かれ)に寄り、(ゆか)に落ちる前に(かれ)の体を()きとめた。

 (かれ)のうわごとは()み、すう…すう…と規則的な()(いき)が聞こえる。


「……ユリウス……」


 お茶会の開始前に比べ、《()()(まど)()》は見るも()(ざん)な有様となってしまった。


 とりあえず事態の収束に(あん)()しつつも、(わらわ)はユリウスを()き支えたまま、様々な()(ねん)()(こう)に思いを(めぐ)らせ、()(いき)をついた。


***


 皇室典礼院長でありマナー講師でもあるベルンシュタイン夫人は、顔を真っ青にして悲鳴をあげ、(なげ)きながら(わらわ)に苦言を(てい)した。


「なぜ――(ひめ)(さま)、どうして――なんということを! どうしてですの!? あんなに…あんなにお二人は、昔から(むつ)まじくていらっしゃったではありませんの!

 ああぁ、申し訳ございません、皇后陛下! わたくしは、わたくしは――(ひめ)(さま)の教育を、()(ちが)えてしまったようです…! あああぁあ、ああぁあぁ…!!」


 現場に同席していた、姉のような存在の親族でもある()(じよ)ユリエッタは、ゆるゆると首を()りながら言った。


「言葉を(かざ)らずに申し上げれば『最悪』だと思います、(ひめ)(さま)…。本当に、どうしてなんですの? アーデルシュタイン(こう)とは、あんなに仲良くされていて、お(たが)いに(いつく)しんでおられたではありませんか…」


 ()が母上たる皇后陛下は、こまったように(ほほ)()みながら(わらわ)(たしな)めた。


「アナったら…そんなことを言うなんて、ひどくってよ。ユリウス君に、きちんと誠意を()くして(あやま)っていらっしゃい」


 (てい)(こく)(さい)(しよう)アーベントロートは、深く()(けん)(しわ)を寄せながら言った。


貴女(あなた)は…全く。よりにもよって、何してくれてるんです?」


 ――といった具合に、(わらわ)は精神的にボッコボコにされ、打ちのめされた状態で、ユリウスが(ねむ)るベッドの横で()()(すわ)っていた。


 (かれ)()まる際によく貸している客室に、()(ほう)(ねむ)らされたユリウスは運ばれた。

 先ほどまで医務官や()(ほう)検査官らが来ていて、ユリウスの体調を(かく)(にん)していたところである。


 今は、(わらわ)一人が(かれ)のそばについていた。

 少しでも早く、(かれ)(あやま)りたかった。


「ユリウス……」


 (かれ)の手をとり、両手で(にぎ)って、(いの)るように額を寄せる。


「本当にすまなかった。(あやま)らせてくれ…もう、あんなこと二度と言わないから…」


 そう(つぶや)いていると、ユリウスから(うめ)(ごえ)が聞こえた。


「う……」


 (わらわ)は、ぱっと目をあげる。


「ユリウス?」

「う、……んん…アナスタシア、様…?」


 (かれ)()(ぶた)がゆっくりと開かれ、()(はく)(いろ)(ひとみ)(あら)わになった。

 今は、その(しよう)(てん)も正しく(わらわ)に合っている。


「ユリウスッ…!」


 (こう)(てい)となる者は、不用意に泣いてはならない。

 そう教わっているが、(なみだ)があふれるのを止められなかった。


「すまない、ユリウスッ…! すまなかった。(わらわ)が悪かった。(あやま)る、(あやま)るからっ…(こん)(やく)()()は…それだけは、しないでくれ!」


 声を(ふる)わせながら(わらわ)はそう(こん)(がん)し、(かれ)に向かって深く頭を下げた。


『これでは(こん)(やく)()()と言われても仕方がない』


 ベルンシュタイン夫人から言われ、(わらわ)は大きく(どう)(よう)していた。

 ユリウスとの(こん)(やく)が無くなるだなんて、考えたこともなかった。


 (わらわ)の夫は、絶対にユリウスでなければ(いや)だ。


 (なみだ)がぽろぽろと落ち、スカートに()みをいくつも作る。

 泣き落としなんぞに(たよ)りたくはなくとも、悲しくてたまらなかった。


「……(こん)(やく)()()だなんて、まさか」


 幸いにも、ユリウスは身を起こしながら(やさ)しい声でそう言い、(かれ)の右手をつかんだままの(わらわ)の手に、左手をそっと()えた。


「私から(こん)(やく)()()を言い出すことなど、ありえませんよ。アナスタシア様」


「……ほんとう、か?」


 (わらわ)が顔をあげる。()(かく)しを外して()(がお)(さら)し、べそべそと泣いている(わらわ)は、ひどい顔をしていただろう。

 常より少し白い顔をしたユリウスは、いつものように(やさ)しく(ほほ)()み、ゆっくりと(うなず)いた。


「ええ」

「よ、…かった…!」


 (わらわ)はおもわず、ユリウスに飛びつくようにして()きついた。

 幼い(ころ)はよくこうしていたが、「(しゆく)(じよ)がみだりに()きつくのは(ぎよう)()が悪い」と教わってから、やらなくなっていた。


 (わらわ)は、(おのれ)の浅はかな行動の理由を――(かれ)が目覚めるまでの間ずっと考え、整理していた心の内を、この場で打ち明けることにしていた。


「あのな、ユリウス。(わらわ)は――(わらわ)は本当は、ずっとそなたのことが大好きだ。はじめて出会ったときから、ずっと、一番な。


 だがそなたは、(わらわ)によく(うそ)をつくだろう。好きじゃないものを好きだと言ったり、楽しくないのに楽しいと言ったりして。それに、いつも何かを(かく)している――(わらわ)との間に、(かべ)を作っている。

 それで――わからなくなったのだ。(わらわ)はそなた個人のことが好きでも、そなたはそうではないかもしれないと。

 それに、政略(けつ)(こん)(ふう)()には愛がないと、よく言われるだろう? それで、(たが)いに別の愛人を持つのだと。

 (わらわ)たちもそうなるのかと思うと、苦しくて。


 そう決めつける前に、そなたに確かめるべきだった。――だが、(こわ)かったんだ。

 そなたが好きだから、『(わらわ)個人のことが好きか?』と(たず)ねて、もしも『ちがう』と言われたら――あるいは『好き』と返されても(うそ)だったらと思うと、胸が苦しくなった。


 レ――ごほん。例の人物に告白を受けたとき、思ったんだ。もしもそなたに好かれていなかったとしても、他の(だれ)かが(わらわ)個人を心から愛してくれるなら、平気かもしれない、と。


 そなたを傷つけてしまったのは、(わらわ)(おく)(びよう)だったせいだ。だから、本当に――本当に、すまない。申し訳なかった。

 どうか、許してほしい。これからも(わらわ)(いつ)(しよ)にいてくれるなら、(つぐな)うために、そなたを()やすために、なんでもするから」


 そう語ったあと、(わらわ)はユリウスから(はな)れ、(かれ)と見つめあえる(きよ)()まで身を引いた。

 ベッドに(よこ)(ずわ)りの姿勢となり、両手をそれぞれユリウスの手と軽く(にぎ)り合う。


「……なんでも、してくださるのですか?」


 ユリウスが、軽く頭を横に(かたむ)けながら(たず)ねる。

 (わらわ)は、うんうんと何度も(うなず)いた。


 思えば、いつも(わらわ)の要望をユリウスに(かな)えてもらってばかりで、ユリウスの要望を(わらわ)(かな)えたことはない。伝えられた覚えすら、ほとんどないのだ。


「それでは、まず……。私と、必ず(けつ)(こん)なさってください」


 (わらわ)は、おもわず(ほほ)()みながら何度も(うなず)いた。


(もち)(ろん)だとも」


「それから、愛人も側室も、絶対に(いや)です。私だけを(ゆい)(いつ)の相手としてください」

「うむ、(もち)(ろん)だ。そうする」


 うんうんと(うなず)く。


「私と、ずっと(いつ)(しよ)にいてください」

「うむ!」

「私だけを愛してください」

「んん? ……う、うむ!」


 いずれは(こう)(てい)として、すべての臣民を愛さねばならぬ立場なのだが……まあ、そういうものは除外と考えよう。


 (かれ)との仲直りは、順調に進んでいるように思われた。……なのになぜか、ユリウスの目がまた光を失い、(くら)(しん)(えん)(たた)え始める。


「ユリウス…?」

「あなた様に()れたいです」

「お、おう。いいとも」

()きしめたい。美しい()(ぐし)()れて、(ほお)ずりしたい。かぐわしい香りを()ぎたいです」

「んんっ…ま、まあ…いいぞ」


 (わらわ)が許可を出すと、ユリウスは(わらわ)()()せ、(ひざ)の上にのせた。

 それから、(わらわ)(かみ)(ひと)(ふさ)手に取り、宣言どおり(いじ)りはじめる。指の腹で(かん)(しよく)を楽しむように(すべ)らせると、次に顔へ寄せ、本当に(かみ)(ほお)ずりした。


 ……なんだろう。とてもいたたまれなくて、顔が熱くて、()ずかしい。

 ()(じよ)のやる気に任せきりで、(わらわ)自身は(かみ)の手入れに(こだわ)ったことがなかった。今度から、ちゃんと意識せねば……。


 (かみ)に満足したのか、ユリウスが(かみ)から手を(はな)す。

 ほっとしたのも(つか)()、すぐユリウスに()きしめられた。(かれ)の顔が(かた)(ぐち)()れ、首元に呼気が()れてゾクリとする。


「ひゃっ…」


 (わらわ)は思わず(おどろ)きに声をあげた。

 だが、ユリウスは構わず、その姿勢のまま深く息を()()み、そして()()した。


 ……(にお)いを()いでいる?


 気づいたとき、また()ずかしさで顔が熱くなった。そして、自分が(あせ)(くさ)くはないかと気になって仕方がなくなった。

 ()(ほう)暴走の後始末などでバタバタして、楽な室内ガウンに()()えてはきたが、入浴はまだしていない。


「ゆ、ユリウしゅ、あの…(くさ)くないか…?」


 (たず)ねるも、かんでしまった。


 ユリウスは気にした様子もなく、(うれ)しそうな()みを()かべたまま頭をゆるゆると()った。


「いいえ。とっても、良い香りです…花のような、(あま)い果実のような…いつまでも()いでいたいほど、いい(にお)いで…」


 いつまでも()がれては、そろそろこちらの心臓がもたない。


 (わらわ)は、ユリウスの気を()らすことにした。


「そ、れよりも! 他には無いのか? (わらわ)に、やってほしいこと――そなたがしたいことでも構わないが」


 そう(たず)ねると、(ねら)い通り、ユリウスは(わらわ)から顔を(はな)し、(わらわ)と見つめあえる(きよ)()まで引いてくれた。


 なぜか、ユリウスの目は(くら)いままだ。心底うれしそうに、(こう)(こつ)とした表情で笑っていて――あまり見覚えのない顔をしていた。

 なんといえばいいのか――そう、ねっとりと(まと)わり()くような……(しゆう)(ちやく)? を、感じさせる表情だった。


「では――アナスタシア様、私だけを見てください」

「う…ん??」


 どういった(はん)()で?


「私だけに()れて。私だけにお姿を見せて。私だけと話してください」

「……え、っと」


「私の他の(だれ)にも()れさせないで。(だれ)にも(ほほ)()まないで。私以外の名を呼ばないでください。私だけのために歌ってください。私だけに()ってください。私だけに(なみだ)を見せて、私だけに笑ってください。私だけを(たよ)ってください。私だけに弱音を()いてください。私だけを(しか)って、私だけを()めてください。他の(だれ)かの視線を受けないで。(だれ)かの手に()れられないで。(だれ)かに(やさ)しくしないで。私だけを()(おく)してください。私の名だけを呼んでください。私にだけ(あた)えてください。私からだけ受け取ってください。(すこ)やかなときも()めるときも死ぬときも死んだ後も私と、私だけと(いつ)(しよ)にいてください。私の夢だけを見てください。夢でも私だけに会ってください。私だけと――」


「ちょ、ちょっと…ちょっと、待ってくれ」


 (わらわ)はおもわず止めた。ユリウスは、()(なお)に口を閉ざす。


 (わらわ)は思考を(めぐ)らせ、次の言葉を考えあぐねた。


「……条件。条件の(こう)(しよう)を、求める!」


 (くる)(まぎ)れに、(わらわ)はそう要求した。


 (わらわ)は、ここにきて(ようや)く、ユリウスが(かく)したかったことの(いつ)(たん)を理解した気がした。

ようやくタイトル回収に辿り着きました!

ありのままの姿見せた結果がこれ。


設定資料等を挟んだのち、次回からはしばらくSide: ユリウス パートの予定です。

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