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目隠し皇女は、許嫁の愛が重すぎることにまだ気づいていない。アナスタシア皇女伝  作者: 佐藤みさき
第一部 第一章 アナスタシア編

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恋人になってみる?

 ユリウスに言えなかった問題――それは、(ぎん)(ろう)(てい)で起きた性加害事件である。()(がい)(しや)(わらわ)――いや、アンナ・シュタルクであった。


 その晩、見慣れない()()な若い男性客が来ていたのだが、そいつが注文のために()()()を呼び、あたしが近づいたところで、あたしの(でん)()(ふと)(もも)()めるような手つきで(さわ)ってきたのだ。

 あたしはひどく(おどろ)き、(えん)(ぴつ)も注文票も取り落としてしまって、そいつを()()ばすようにして(あわ)てて(はな)れた。あまりのことに声も出ず、自分の血の気がざあっと引く音がはっきりと聞こえて、思考が真っ白になったことを覚えている。


 あたしの異変に、おかみさんやレオン、それに常連客たちもすぐに気づき、どうしたのかと()()ってきた。すると、声も出ないあたしの代わりに、危害を加えた()(ぼう)な男は、さも興ざめしたという態度で説明した。


「んだよ、酒場の女がケツ(さわ)られたくらいで(どう)(よう)しすぎだろ。()()()ぶってんのか?

 ったく、()えさせんじゃねーよ。客にご(ほう)()してチップを稼げってんだ」


 その(しゆん)(かん)、おかみさんとレオンと、常連客たちの()(ごう)()(ひび)く。()(ぼう)な男は、(またた)()にとっちめられて()()さえられ、保安隊に()(わた)されていった。


 どうやら平民の間では、こういうことがよくあるらしい。しかも、今回は加害者が(たい)()(こう)(りゆう)されることとなったが、相手が権力者である場合はそうならず、連行すらされずに加害者が(しやく)(ほう)されてしまう場合もあるそうだ。

 貴族についても、(わらわ)が知らないだけで、下位の貴族女性や平民女性に対し、こういった(ろう)(ぜき)――もっとひどいものも働く男がいるという。その場合でも()(がい)(しや)が守られることはほぼなく、(たい)(こう)する術がないという。


 (なげ)かわしい。仮に体を売って生きている女だったとしても、同意もなく他人に(とつ)(ぜん)体を(さわ)られる筋合いはないはずだ。

 ましてや、(しやく)()(たて)に婦女への(ろう)(ぜき)を意のままにするなど、(ごん)()(どう)(だん)である。(さつ)(きゆう)に調査・対策をまとめ、法改正につなげなくては。


 それは近いうちに(じつ)()するとして、問題は、今回あたしが()(がい)を受けた件をどう(あつか)うか、である。


 皇女アナスタシアに対する(ろう)(ぜき)として(あつか)うのであれば、無論男は(そつ)(こく)(しよ)(けい)となる。しかしその場合、平民アンナ・シュタルクと身分を(いつわ)り酒場で働いていたことを、余計な人間にまで知らせなくてはならない。

 平民女性への(ろう)(ぜき)として(あつか)うのであれば、現行法では大した罪にならない。まったくふざけていることに、男は、長くともたった3()(げつ)程度で(けい)()(しよ)から出てきてしまう。(ばつ)(きん)()(はら)いが可能であれば、(きん)()(けい)すら(めん)(じよ)だ。

 無論、そのような(あま)(ばつ)で許すつもりはない。とはいえ、法を無視して()(けい)に走るのもよくない。


 (うわさ)によれば、「どうせ相手にされない」と()(がい)(しや)女性から(うつた)えを出されていない、同様の前科がいくつもあるらしく、再犯の可能性も高いとみられている。


 さてどうしたものか、と、翌日、(こう)(きゆう)(しつ)()(しつ)で公務をこなしつつ考えていると、“(かげ)” から報告を受けた。『例の男が(こう)()(しよ)から(しつ)(そう)した』という。

 まさか、(だつ)(そう)されたのか? 保安隊は何をしているのだ、とこぼしつつ、“(かげ)” に男の(そう)(さく)(たの)む。


 男は、(しつ)(そう)5日後に発見された。全身に無数の(せい)(さん)()()を負い、ゴミ置き場で生ゴミと混ぜられ、遺体となって()()されていた、という。

 どうやら、ひどい(ごう)(もん)を受けた末、とびきり苦しい死に方をする毒を飲んで死亡したらしい。


 (だれ)にやられたのか(たず)ねたが、“(かげ)” では(つか)めていないと言われた。皇室直属の(ちよう)(ほう)部隊に分からないのであれば、(こう)(きゆう)の関係者ではなさそうだ。


 まあ、(うら)まれて当然の行いを元々しているであろうし、(かれ)(うら)(だれ)かの手にかかった、と考えるべきか…?

 これ以上の調査は、担当の保安隊に任せるべきだろう。“(かげ)” のメンバーからもそう進言され、(わらわ)は同意した。


 ――という(てん)(まつ)を、(いつ)(かん)して(わらわ)の平民生活に反対していたユリウスには言えずにいた。こんな話をしたら、いっそう心配させてしまうだろうし、(わらわ)もユリウスの異議をはねつけられなくなる。

 まして、(こん)(やく)(しや)のユリウスだって()れたことのないデリケートゾーンを、どこの馬の骨とも分からぬ()(ぼう)な男が勝手に()れただなど、最悪だ。こんな話がばれたら、ユリウスがどう反応するか、想像もしたくない。


 やはり、この話をユリウスに明かすわけにはいかなかった。


 あと少し、ほんの1()(げつ)弱の間だ。その終わりまでは、平民になりすます生活を続けさせてもらおう。


***


 今日も、よく働いた。


 (ぎん)(ろう)(てい)の裏口から出たあたしは、月明かりに照らされた裏路地に立った。(せま)い星空から月が(のぞ)いていて、(かん)(さん)とした共同水場の(かげ)を落としている。


 今夜も(ぎん)(ろう)(てい)(おお)(にぎ)わいで、貴族の夜会と(ちが)って(にぎ)やかだった。

 どちらがダメとか良いとかではなくて、どちらにも良い点・悪い点がある。あたしは、いろいろな人とお話しするのが好きだから、どちらも好き。


 ただ、(ぎん)(ろう)(てい)でキツいなって思うのは、常連の男性客の一部が(でい)(すい)すると、下ネタが多くなること。あと、悪口の言葉選びが、なんというか、どれも強い。

 おかみさんが(しか)って止めてくれることもあるけれど、そういうのが()(つう)みたいなのよね。


 社交界での(こと)()(づか)いのマナーって、遠回しで(えん)(きよく)で、考えがよく読めないような話し方が多いのだけれど、あれのおかげでショッキングな会話が防がれているのね…。


 そんな物思いにふけって待っていると、馬車留めまでの帰りの()()いのため、レオンが裏口から出てきた。


「おまたせ。行こうか」

「うん! …ん?」


 レオンの手には、ラッピングされた小さな花束が(にぎ)られていた。

 あたしが「それなに?」って顔して、レオンの目と花束を(こう)()に見やると、レオンは、耳まで顔を真っ赤にしながら、その花束をあたしに差し出してきた。


 (あわ)いリネン布と、(ぎん)(かい)(しよく)のリボンで()(ぼく)にラッピングされたその花束は、(あわ)いピンク色のさした白バラ・ピンクのガーベラ・赤いカーネーション・白くて小さな花のかすみ草などが束ねられた、小ぶりな花束だった。

 ピンク基調でまとめられた、かわいらしい一束である。


「あのさ……これ、アンナに(わた)したくて。花とか、あんま得意じゃねーけど……お前のことさ、いつも(がん)()ってて、すげぇって思ってる。……よかったら、受け取ってくれねぇかな」


「あたしに……?」


 胸がくすぐったくなるような、心に温かいものを注がれたような(うれ)しさを感じて、あたしはレオンの花束を受け取った。

 ふわり、と、花の香りが()(こう)をくすぐる。


 上質な花が使われていた。お花の市場価格まできちんと調べたことはないけれど、レオンは、かなり奮発してこれを買ってくれたのだろう。


「ありがとう、うれしい」


 あたしは心からそう言って、レオンから(おく)られた花束を()きしめるように(むな)(もと)に寄せた。


「大事にするね」

「…っ、…ああ……うん、…その、喜んでもらえて良かったよ」

「うん、すっごく(うれ)しい!」


 あたしはニカッと笑ってレオンに言った。レオンは、まだ顔を真っ赤にしたまま、()ずかしそうに視線をそらす。


 レオンと並んで帰り道を進みながら、あたしは花束に視線を向ける。とてもきれいだ。

 いい働きの(ほう)(しゆう)に、花束をもらうなんて。あたしの知らない文化だけれど、なんだかすごく(うれ)しい。

 皇女としては、もっと()()らしい花に毎日囲まれて過ごしているはずなのに、この()(ぼく)でかわいい花束が何故(なぜ)かすごく(うれ)しい。

 レオンがこれを用意してくれたってことが、あったかくて(うれ)しいって思うんだ。


 思わずニコニコして、ちょっとスキップまでしながら、帰り道を歩んでいく。


 ああ、こんな()(てき)な人たちと過ごせる時間が、もう半月もないだなんて。

 でも、仕方がないよね。あたしは、自分で望んだ使命を果たさなくちゃいけない。


 きっと、レオンたちも幸せに暮らせる(てい)(こく)にしてみせるわ。


「……あのさ!」


 レオンが立ち止まり、不意に声を大きくして呼び止めた。あたしは、どうしたのだろうと()(かえ)る。


「うん?」


「おれ、お前のことが好きだ! アンナ!」


「えっ…?」


 あたしは、(しよう)(げき)(てき)な告白に目をまるくし、レオンを見つめ返した。


「ごめん。こんなこと言われても、困るよな。お前、もうすぐ(てい)()(はな)れるんだし。でも、どうしても、(はな)れる前に伝えておきたくて……」


 あたしは(おどろ)いていた。


 皇女の身分ぬきに関わった他人から、あたしの正体を知らない人間から、好意を伝えられるだなんて思わなかった。

 それに……なんだか(うれ)しかった。許婚(いいなずけ)がいるのにいけないことなのだろうけれど、レオンみたいに真面目な人が、あたしのこと好きって思ってくれたんだ。


「……ありがとう、レオン。うれしい」


 あたしは、その気持ちを(そつ)(ちよく)に伝えた。レオンが、とっても勇気を出して、実らない目算のほうが大きい(こい)なのに、告白してくれたから。


 レオンは、断りだと思ったのか、少しだけ残念そうな、悲しげな(ほほ)()みを()かべた。


「うん……」

「あたし、言ってなかったんだけど、実は許婚(いいなずけ)がいるの」

「…まあ、お前、居そうだよな。いいんだ、断ってくれて…」


「だからね。(みさお)はあげられないし、(けつ)(こん)もできないのだけれど、それでもいいなら(こい)(びと)になってみる?」


「……なんて???」


 あたしの提案に、レオンは()(とん)(きよう)な声をあげた。


(こい)(びと)って、それ…許婚(いいなずけ)…え…?」

「なにか問題あるかな?」

「え、……あるんじゃ、ねえの? ……()(つう)に考えて」

「そう?」


 そうか、これは貴族社会的な考え方で、平民のレオンには()()みが(うす)いのかもしれない。


 貴族の(けつ)(こん)は、政略(けつ)(こん)。愛がなくても、当たり前。それでも愛し合える(ふう)()は居るには居て、あたしの両親はそうだけれど、そういうのは(まれ)なのだって。

 この間の夜会でも、どこそこの夫人が若い(つばめ)のだれそれと何々とか、(ほん)(てい)に妻のいる男性が愛人宅に()(びた)っているとか、いっぱい(うわさ)されていたもの。


許婚(いいなずけ)とは、いわゆる政略(けつ)(こん)なの。だから、お(たが)いに愛を他で見つけてもいいはずだわ」

「いや! ……いや! それ、(かく)(にん)したほうがいい、その許婚(いいなずけ)に。本当にアンナがそうしてもいいのかどうか、聞いてこい。おれとの話はそれから!」


 レオンに言われ、あたしは、確かにそうか、と思った。


 何事も報連相は大切だ。まして、政略(けつ)(こん)相手は、(だれ)よりも近いビジネス・パートナーでもある。

 物事をこちらで勝手に決めるのはよくない。


「……そうだね! 聞いてみる」

「…(だい)(じよう)()かな。おれ、すげえ心配になってきたわ……」

(だい)(じよう)()! 6(さい)のときからの(おさな)()()みでもあるもの。なんだって相談できるわ」

「お、おう」


 先ほどまでの切ない(ふん)()()から一転、すっかり心配そうな顔をしたレオンに見送られ、あたしはいつも通り馬車に()()んだ。


「またね、レオン!」

「おう、気をつけてな! …色々と!」


 馬車の(とびら)が閉じられ、一人になったあたしは、すっかり(あま)(こい)の空気に()っていた。


 ――なんと(おろ)かだったのだろうと、後で(もう)(れつ)(こう)(かい)することになるとは知らずに。

盛り上がって参りました!

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