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目隠し皇女は、許嫁の愛が重すぎることにまだ気づいていない。アナスタシア皇女伝  作者: 佐藤みさき
第一部 第一章 アナスタシア編

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銀狼亭での日々

 (ぎん)(ろう)(てい)での(きゆう)()仕事は、最初こそ()(まど)うことも多かったけれど、おかみさんやレオンが(やさ)しく指導してくれるおかげで、すぐにスムーズに働けるようになった。

 注文をとるのも、お酒や料理を運ぶのも、使った食器を洗うのも、営業前後に(そう)()するのも、どれもとっても(しん)(せん)な体験! 皇女のままだったら、きっと一生する機会がなかっただろうと思う。


 アンナ・シュタルクでいる間は、ヴァレンティーナの指導に従って、心の中でもなるべく “あたし” と同じ口調を保つようにしていた。こうすると、(とつ)()のときでも、(こと)()(づか)いの()()(かん)を最小限にできるみたい。


 (ぎん)(ろう)(てい)に出勤後、店の柱時計が17時を告げる。外はすっかり日が落ちて、オレンジみがかった酒場の()(どう)灯が、(こう)(こう)と店の内外を照らしていた。

 店が開くとほぼ同時に、(ぎん)(ろう)(てい)の常連客たちがやってくる。


 顔に大きな(きず)(あと)があり、(つえ)を片手に足を引きずって歩く老人男性、クロイツァーさん――退(たい)(えき)兵士。今は()きレオンの父親との親交が深かったそう。

 無口だが、酒が入ると()(たん)(じよう)(ぜつ)になるブレンナーさん――(かわ)(ざい)()職人。

 (こわ)(もて)の荷馬車(ぎよ)(しや)、ヘッセンさん――こう見えて動物好きで、人なつっこい。馬の話をすると喜ぶ。

 気の強そうな(あね)()(はだ)の女性、ローベルトさん――雑貨屋の店主で、おかみさんと仲良し。おかみさんがあたしを良く言ったのか、初対面からとても好かれている。

 ぶっきらぼうな老人男性、メルツさん――公共浴場管理人。おかみさんの()()み料理が好きで、毎度注文する。


 (かれ)らについては、“(かげ)” の情報として、ヴァレンティーナが教えてくれた事前知識と(いつ)()していた。

 その他にも、あたしが勤めはじめてから、よく来るようになったお客さんたちがいる。あたしの護衛 “(そう)(よく)(たい)” の見守りメンバーから「注意してください」って言われたけれど、どういう意味での注意かしら?


 無口でおどおどしていて、お酒をあまり飲めないシュミットさん――()(どう)()修理工。注文はちゃんとするけれど、お水のおかわりが一番多い。

 (てい)()衛兵のエーバーハルトさん――(しよく)(ぎよう)(がら)もあってか、「帰り道が心配だからお供する」と言われたことがあって、(てい)(ちよう)にお断りした。失礼かなって思ったけれど、その後もよく来店している。

 行商人のランゲさん――なにかと商品をタダでくれようとするけれど、これも(てい)(ちよう)にお断りしつづけている。あたしが品物を気に入らないのだと思っているのか、毎度品物を変えて、あたしにプレゼントしようとしている。


 どの人も、別に強そうではないし、特に(きよう)()ではなさそうなのだけれど……。まあ、護衛のみんなが言うなら従うべきね。


「いらっしゃいませ! (ぎん)(ろう)(てい)へようこそ!」


 次々入ってくるお客さんたちに向かってあたしは、()(がお)を向けながら、元気よく声をかけた。(しゆく)(じよ)は大きな声を出すべきではないけれど、平民ならむしろ好まれるらしい。


「おう、アンナちゃん。今日も元気だな!」

「よっ、(ぎん)(ろう)(てい)()(まん)の美人(かん)(ばん)(むすめ)!」

「アンナちゃ-ん、いつもの黒ビールを(たの)むよ!」

「こここ、こんばんは、アア、アンナさん……」

「どうも、アンナさん。その、…今日も()(てき)で」


 うん、今日もとっても喜ばれているわ! さすがはヴァレンティーナの指導ね。


 バーカウンターにはおかみさんが居て、直接注文をとれるので、あたしはレオンと(いつ)(しよ)にテーブル席の注文を取りにいく。注文を聞いたら、小さなクリップボードに(はさ)まれたメモ用紙――カレンダーの裏紙などが再利用されている――に、(えん)(ぴつ)で注文を書いていく。これをもとに、おかみさんやレオンが調理したり、お会計を計算したりするのだ。

 “()(つう)の人”は暗記できないらしいから、あたしも、これを見て会計や飲み物の用意をしているフリをしなくちゃいけない。


「アンナちゃーん! こっちの注文も(たの)むよ」

「はーい! ただいまー!」

「ちょいと、クロイツァーさん。目の前の美女に注文したらいいじゃないか。あんまり、アンナちゃんを(いそが)しくさせるんじゃないよ」


 バーカウンターに(こし)()け、あたしを呼んでいるクロイツァーさんに、(かれ)のすぐそばで注文を受けているおかみさんが苦言を(てい)す。

 クロイツァーさんは、はっはっはと楽しげに笑いながら、カウンター内にいるおかみさんへ向き直った。


「そりゃあ、おめえ、ここら一番の美少女と話してぇもんよ。男ってのは、そういうもんだ」

「うちの酒と食事を気に入ってくれてるんじゃないのかい?」

(もち)(ろん)そうだ。そのうえで、よ」

「この店ぜんぶの接客をアンナちゃん一人にさせちゃ、アンナちゃんが(おお)(いそが)しになっちまうだろ? ワガママいわず、私に注文しな」

「はっ、そりゃそうだ。仕方ねえ、()(まん)するか…いつもの(たの)む」

「あいよ」


 おかみさんとクロイツァーさんの会話を聞き、あたしはニッコリした。接客仕事は楽しいけれど、一気にたくさん処理できるものじゃない。そうした()(づか)いはありがたかった。

 おかみさんだけでなく、(むす)()のレオンもあたしに()(づか)ってくれる。


「はい。ご注文うけたまわります」

「あ、あのー……できれば、アンナさんに」

「ウチそういう店じゃないんで。注文するんですか、しないんですか? 冷やかしなら追い出しますよ」

「ア、エト、……すみません、じゃあ、ビールを(いつ)(ぱい)…」

「ビールですね。かしこまりました」


 テーブル席を(いつ)(しよ)に対応しているレオンが、そうしてピシャリとお客に返事しているのも聞こえてきた。

 二人とも、本当にいい人たちだ。


 よし、あたしも(がん)()って働くぞ!


「ビール2つと…、このハーブ入りソーセージの盛り合わせってやつを」

「ビールおふたつ、ソーセージ盛り合わせ、おひとつですね!」


「アッ、ア、ア、アンナ、さん……ぼぼ、ボクのこと覚えてますか…?」

()(どう)()修理工のシュミットさん、ですよね。どうされました?」

「ア、エト、エト、その、おお、お水おかわり、ください……」

「はい、お水ですね」


「アンナちゃーん! こっち、ビールもう(いつ)(ぱい)追加!」

「ブレンナーさん、もう四(はい)目ですよ! そろそろ止めておかないと、また(おく)さんに(しか)られます!」

(たの)むよ、もう(いつ)(ぱい)だけ!」

「おかみさーん!」


 呼びかければ、おかみさんがフライパンに目を向けたまま返事をする。


「アンナちゃん、そいつにはジョッキに水いれて出しときな!」

「はーい!」

「そ、そんなぁ……」


「アンナさんっ、やっと…! いえ、すみません。あの、チーズ()け焼き、ひとつください」

「チーズ()け焼き、おひとつですねー」

「あの、アンナさん…今度、(ぎん)(ろう)(てい)が休みの日の予定って、」

「お客さーん、ウチは店員へのナンパNGですー。やめてくださーい」


 そう言ってすかさず、レオンが割って入って()()してくれる。

 変装している身の上なので、無用の(せつ)(しよく)()けたいものの、上手に断れなくて困っていたのだけれど、そうしたら、おかみさんがルールを追加してくれたのだ。本当に、二人とも(やさ)しくて助かっちゃう。

 そうじゃなかったらお(さそ)いが多すぎて、下手したら、1人2時間としても、(ぎん)(ろう)(てい)の休みのほうが丸一日(おお)(いそが)しになるところだった。


 ビールの注文なら、(さか)(だる)()さった(じや)(ぐち)からジョッキに注いで(はい)(ぜん)を。料理の注文なら、おかみさんかレオンが作ってくれるのを待って、ほかほかに湯気立つ料理をトレイに()せて運ぶ。

 こぼれないように、重いトレイを水平に保って運ぶのは存外難しい。両手でも難しいのに、片手なら(なお)(さら)だ。あたしにはまだ、二人のように両手持ちで飲み物を(たく)(さん)運べない。

 (こう)(きゆう)の夜会で、もっと不安定な細長いシャンパングラスを、もっと(たく)(さん)トレイに()せて運んでいる使用人たちは、かなり高度な技術を持っているのかな。すごいなぁ。


 そうして(いそが)しく働いているうちに、(ぎん)(ろう)(てい)の夜は()けていく。

 お客さんが帰ったら、食器を流しに片付け、テーブルを()いて()(れい)にする。全員お帰りになったら、開店の看板を店内にしまって、(とびら)()(じよう)する。

 閉店後は、営業中だとホールに(とど)まるよう言われているあたしも、バックヤードに入って、皿洗いを手伝う。


「おつかれさまでした! それじゃ、また明日!」

「ああ、今日もご苦労様。レオン、」

「わかってるよ、母さん。さ、アンナ、いこう」

「うん!」


 以前、店で()()()()()()()()()まれてからというものの、帰り道は、馬車留めまでレオンが()()ってくれている。

 本当は、(そう)(よく)(たい)の隊員が数人体制で常時あたしを見張ってくれているので、レオンに()()ってもらう必要はない。だけどそんなことは、おかみさんもレオンも知りようがないことだ。

「女の子が夜道を一人で歩くなんて」と二人をひどく心配させてしまうので、両親の商会馬車の(むか)えに着くまでならと、レオンの同行を(たの)むことにしたのである。


「今日も(いそが)しかったな」


 月明かりが照らす小道を歩きながら、レオンがそう声をかけてくる。


「そうだねー」

「おまえが来てから客がすごく増えて、(もう)かってるってさ。母さんが言ってた。ほんと、ウチなんかに来てくれてありがとな」

「ううん! こちらこそだよ。二人とも親切で、ほんとに助かってる。(ぎん)(ろう)(てい)で働くことにして、よかった!」

「でも、来月には()めて、(てい)()も出てっちまうんだよな? ずっと居てほしいけど」

「うん…。ごめんね」

「いいよ。親の都合じゃしょうがないし、2()(げつ)でも助かりすぎるくらいだから」


 期間を2()(げつ)にする、というのは、アーベントロートとの間で決めた(せつ)(ちゆう)(あん)だ。そして、わずか2()(げつ)(きゆう)()の職を(はな)れ、(てい)()からアンナ・シュタルクの姿も無くなる言い訳は、『両親の仕事の都合で、さらに()()す予定がある』ということにしてある。

 商人は、そもそもが各地域の商品を(そう)()に流通させる職業だ。領境、どころか国境すらまたいで移動しつづけていることも(めずら)しくない。それもあって、両親が商人という設定は便利なのである。

 また、『貴族にも納品することがある』という設定により、うっかり平民らしからぬ仕草をしてしまっても、『貴族相手の際にも通用するマナーを教育された』と言い訳ができ、身元が割れるリスクをさらに(おさ)えていた。


 そんな会話や考えをしているうちに、あたしたちは、商人馬車に()(そう)された一頭立て馬車のもとに辿(たど)()いた。(ぎよ)(しや)(ふん)した(そう)(よく)(たい)(いん)が、(ぎよ)(しや)席からあたしに()(しやく)を向ける。


「お(つか)(さま)です、お(じよう)(さま)。それと、いつもお世話になります、レオンさん」

「いいえ、おれたちのほうこそアンナさんに世話になってますんで」


 いつものやりとりを聞きながら、あたしは馬車に自分で足をかけて、()()もうとする。


「アンナ!」


 ふいに後ろからレオンに呼ばれ、あたしは、(とびら)に手をかけた姿勢のまま()(かえ)った。


「なあに?」

「えっと、その……気をつけて! 帰れよ!」

「? うん、レオンもね」


 (りち)()だなあと思いながら、あたしは馬車に()()み、(とびら)を閉め、中の()()(こし)()けた。

 (ぎよ)(しや)席の(そう)(よく)(たい)(いん)が、馬に()(づな)でピシャリと合図を送り、ぱかぱかと馬車が動き出す。


 このようにして、あたしが(ぎん)(ろう)(てい)で働く日々は過ぎ去っていっていた。


***


【Side: レオン・ディートリヒ】


 ……また、アンナに言えなかった。『好きだ』、って。


 月明かりに照らされて、いつもの大通りを通って遠ざかっていく馬車を見送りながら、おれは自分の(おく)(びよう)(なげ)いて、歯を()みしめていた。


 はじめて出会ったときから、すっげーかわいいって思ってた。だからって、すぐ好きだの付き合いたいだのって思ったわけじゃない。

 ただ、知れば知るほど、アンナ・シュタルクという女の子は真面目で誠実で、しかもすごく(かしこ)くて、なのに所々(みよう)()けているところもあって、すごく良い子で、……それで、どんどん好きになっていった。


 たった2()(げつ)しか働かない予定なのに、(ぎん)(ろう)(てい)のことを、すごく(しん)(けん)に考えてくれる。

 出勤日はいつも、母さんよりよっぽど時間を気にして、早めに来て、店の中をピカピカに(そう)()してくれる。そればかりか、テーブルや()()に木の()()()()があると言って、ひとっ走り行って雑貨屋で紙やすりを買ってきて、お客や店員を傷つけないようにと、やすりがけをして丸めてくれた。

 しかも、過去のどの(きゆう)()よりも大量のチップを(もら)っているのに、それを全額、店に(わた)してしまう。母さんが(もら)っていいと言っても、「この店に満足してくれたという(あか)しだから」といって、最初に決めた給料以外は(がん)として受け取ろうとしなかった。


 あと、なぜかバレないようにしているみたいだけれど、マジで頭が良い。

 注文客が多くて(いそが)しくなると、()()()()()()()()()()()()()()別の客の注文を聞き始める。しかも、メモはどれも正確だ。たぶん、暗記が得意なのだろう。

 計算も、異常に速くて正確だ。計算器具(アバカス)なしに、どれだけ注文が多くても(しゆん)()に合計金額をそらで言う。


 それでいて、何もかも(かん)(ぺき)にできるわけじゃないところが、すごくかわいい。

 最初は本当に世間知らずで、流し台に(じや)(ぐち)がないのにどうやって水を出すのか、なんて言っていた。共同水場から()んでくるのだ、と母さんが説明すると、なぜかひどく感心したように目を(かがや)かせ、(めん)(どう)(みず)()みを(そつ)(せん)してやってくれるようになった。

 今では(そう)()熱心なキレイ好きなのに、最初は、(ぞう)(きん)やモップの使い方すら(おぼ)(つか)なかった。はじめに水を(ふく)ませることすら知らなかったようで、(よご)れをから()きし、一向に落ちそうにない(よご)れを不思議そうに見ていた。


 ぼろい古着を着ているけれど、たぶん、本当はすごく金持ちの家のお(じよう)(さま)なのだろう。少なくとも、水道と(じや)(ぐち)()(せつ)された家に住める金持ちだ。都市間を転々とできるような商人ともなると、身近にいないから想像しにくいけれど、(もう)かっているのだと思う。

 母さんは、「(おや)()さんが(しよ)(みん)向け市場を(かい)(たく)しようとしていて、その調査のためにアンナちゃんは(ぎん)(ろう)(てい)で働くことにしたんじゃないか」と言っていた。


 なのに、金持ちなことも(ゆう)(しゆう)なことも、ちっとも鼻にかけることをしなくて、いつも(けん)(きよ)で、(だれ)に対しても(てい)(ねい)だ。おれだけじゃなく、母さんもお客たちも、そんなアンナのことを好きになるのに時間はかからなかった。

 最近になって増えた常連客も、明らかにアンナ(ねら)いの下心(まん)(さい)(やつ)らばかり。

 アンナと過ごせる期間は短いが、その間、絶対にアンナを(まも)ってやらなきゃな、と、母さんともよく話している。


 ……ほんとは多分、アンナに(おも)いを伝えるべきじゃない。どのみちアンナは(てい)()を出ていかなきゃだし、何より、アンナにその気がなかったら、(ぎん)(ろう)(てい)に居づらくさせてしまうかもしれない。

 そうなったら、ただでさえ短い勤務期間が、もっと短くなってしまうかも。そうしたら、母さんがカンカンになってゲンコツを落としてくるだろうし、そうじゃなくてもすごく悲しい。


 それでも、……たぶん、言わずに(はな)れてしまったら、(こう)(かい)する。

 こんな気持ちは、初めてだった。


「……せめて、きれいな花束のひとつも用意するか」


 アンナを乗せた馬車が見えなくなった静かな夜道で、おれはぽつりと(つぶや)いた。

アナスタシアの脅威基準:戦ったら勝てるかどうか


ようやく恋愛小説っぽい展開を書けた気がします!

アバカスとは、西洋版のそろばんです。遠くの国でも同じような形態に落ち着くのって、人類みな兄弟感がありますよね。

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